第8話同じ軛《くびき》 1
翌春、順子は信輔の待つ大阪の大学へと旅立っていった。
それから2年、順子は神学部の基礎コースを終えた。信輔とは在学中に籍を入れ、卒業と同時に夫と共に任地に赴いた。年が新たにされる頃には、第一子も産まれる予定だ。
衛は地元企業に就職したという。博美も父の知り合いの会社にアルバイトとして働きだした。
博美は新たな世界が本当に面白いらしく、電話をする度喜々としてその様子を語るのだが、博美が心底楽しんでいるその状況は、普通なら当たり前のことで、同じことの繰り返しにうんざりとしている者も多い事柄だ。
順子は前向きに生き始めた妹の事を喜ぶと共に、そんなささやかなことにまで喜びを感じる妹を不憫に思っていた。
土曜の昼下がり、順子読み聞かせの会をしていたときだった。読み聞かせの会というのは、小学校低学年までの児童を対象に、信仰をベースにした良書を信徒が読み聞かせる集会だ。
「順子先生、電話!」
集会の手伝いをしてくれている高校生がそう言って順子を呼んだ。
「寺内さんって人から」
衛くん? いきなりなんだろう。
「急いでるかどうか聞いてちょうだい。で、急いでなければ集会が終わったら電話するからって伝えて」
「はーい」
その後、応対した高校生から別に急ぎのようではないから夜にでも再度かけ直すとの伝言を受けたものの、順子はその内容が気になってしかたがなかった。
順子は夕食を終えてすぐ、自分から電話を入れた。土曜の日は信輔は翌日のメッセージに向け、夕食後は準備したものをもう一度見直し黙想するので、まだ二人きりの今、順子には逆に手空きの時間でもあった。
「衛君、久しぶり。電話くれたんだってね」
「あ、順子姉ちゃん。俺から電話つもりだったのに。わざわざ電話くれてありがとう」
「で、何?」
「あ、曳津先生の暇な時間を教えて欲しくてさ」
「何だ、信輔先生に用事だったの?」
順子は結婚直前まで信輔を曳津先生と呼んでいたが、自分も曳津姓になってしまった今、そう呼ぶ訳にもいかず、それでも名前に先生をつけて呼んでいるのだ。
「ああ」
「信輔先生なら、月曜日を一応お休みにしているから。衛君は何時頃仕事から帰ってくるの? 電話してもらうわ」
「いいよ、こっちが聞きたくてかけたんだし、ちょっと家ではかけにくいしさ、先生が家にいるんだったら、仕事上がりに公衆電話から電話するから」
「家では電話しにくいって……」
何かトラブルにでも巻き込まれているのかしら、順子は不安になった。
「あ、そんなややこしいことじゃないから! じゃぁ、月曜ってことで。先生に伝えといて」
だが、順子が家では電話できないと言われて心配そうな声を出した途端、衛は慌てて電話を切ってしまった。
順子は一抹の不安を抱えたまま、とりあえず月曜の夕方衛から電話があるらしいとだけ告げたのだった。
「へぇ、やっと折れたんや」
月曜日――信輔は衛からかかってきた電話を受けて口角をあげた。よかった、やはり悪い知らせではなかったのだと順子は側で見ていてホッと胸をなで下ろしたのだが、その信輔の眉間に徐々にしわが寄り始めた。
「そら、博美ちゃんは寺内君のお家のこともようわかってるんやろうから」
えっ、ヒロ……
「中野先生は喜ぶと思うよ。せやから、気ぃつこてんのちゃうかなぁ。衛君長男やしな。とにかく、受けんでもカウンセリングだけでも大丈夫やから……うん、僕で良かったらまた相談に乗るし。うん、そんなら一番いい解決法が示されるように僕もお祈りしとくわ」
そう言って信輔は電話を切った。
「寺内君受洗したいって」
電話を切った後、信輔は彼の顔を食い入るようにのぞき込んでいる妻にそう言った。
「衛君、決心したの!?」
衛が洗礼を受けると聞いて順子は色めきたった。
「けど、博美ちゃんがそれを反対してるらしい」
「ヒロが? どうして」
「たぶんやけど、博美ちゃんは寺内君が自分と結婚するためにそうせんなあかんと思てんねんやと思てるんちゃうかな」
「結婚するためにって」
「博美ちゃん、寺内君のプロポーズ受けたらしいよ」
「ホント!」
「で、教会で結婚式しようと思たら、受洗してんなあかんのちゃうのって」
確かに順子たちの母教会では、信者同士の結婚が基本で、片方が会員ではない場合、教会堂の使用を認めない。博美は21歳の春受洗したが、衛はまだ未信者だ。
しかし、牧師はそうして頑なに敷居を上げて未信者との結婚を否定しているわけではない。逆にそれは大いなる伝道の機会であるのも理解している。だからそれはあくまでも基本で、未信者のパートナーは、求道者として教理を理解する為の通称『結婚カウンセリング』を数回受けて信者に準ずるものとして結婚式に臨む。そんなことは親の代からの信者である博美には充分わかっているはずのことだ。
「私から一度博美になんで反対してるのか聞いてみようか?」
順子の提案に信輔は頷くと、、
「まだ、お義父さんたちには言うてないかもしれんから、それとなくな」
と返した。
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