静かな目【短篇不条理ホラー】
咲谷まひろ
1章 冀望
※本作品はフィクションです。実在する人物および団体とは一切関係がありません。
本編は次のページから始まります。
僕は昔から、ヒーローに憧れていた。子どもの頃から好きだった、悪を挫く正義の味方。ピンチのときに颯爽と現れ、弱き者を助けてくれる。そんな姿に焦がれていた。悪行を働く怪人どもに勇敢に立ち向かい、正義を貫く彼らが好きで好きで仕方なかった。ピンチになりながらも、絶対に勝つヒーローは格好が良かった。
この人達が僕たちを救ってくれるのだ。
僕も大人になったらヒーローになりたい。ヒーローになって、弱い者を助けるのだ。そんな夢は、意識せずとも心の奥から湧き出てきた。僕の幼少期は、希望と期待でいっぱいだった。
テレビで見るようなヒーローになれないことは、わりとすぐに気がついた。
『ストーリーは架空のもので、登場人物は実在しません』
初めはどんな意味なのか知るよしもなかったが、親戚のおじさんが酔った勢いで暴露した。
「ヒーローなんてね、この世にはいないんだよ」
子どもにはキツい一言、僕は泣きべそをかいた。そんな無慈悲な言葉をなんなく言ってのけたおじさんは、その後僕の両親に散々な叱責を食らっていた。僕は、このおじさんが悪い人に見えてしかたがなかった。僕からヒーローという存在を奪ったのだから。
いつの日だったか、このおじさんが『ケイサツ』に逮捕された。まだ幼かったから、その罪状まではよく覚えていない。確か、お金がらみの事件を起こしたような記憶がある。親戚一同、おじさんのことを一族の恥だと罵っていた。おじさんを捕まえたのは、『ケイサツ』だという話を誰からか聞いた。
「ケイサツって何?」
母親にそのことを訊いたのは、えも言われぬ興味が湧いたからだった。子どもは好奇心の塊という言葉があるが、この時は特別視して『ケイサツ』の事を訊いたというのは、昔のことながらはっきりと記憶に残っている。母親はこう言った。
「ケイサツってのはね、正義のヒーローなんだよ」
ヒーローという言葉に、僕の心は釘付けになった。おじさんに拭われたヒーローへの興味が再熱した。そうか、ヒーローはまだいるのか、と。
「悪い人を捕まえて懲らしめる、正義のヒーローなんだよ」
母親の説明は、僕の頭の中で何度も復唱された。こうして僕は、『ケイサツ』とヒーローを重ねて見るようになったのだった。大人になったら『ケイサツカン』になりたいという夢を抱くようになったのは、このときからだ。
「また警察がやらかしたらしいぞ」
「不法な取り調べだって?」
成長するにつれて、警察の悪評はいろいろと聞いてきたが、子どもの頃に抱いた警察官になるという夢を挫くには不十分だった。警察官は皆悪い人ばかりではなく、しっかりと正義の心を持っている人もたくさんいる。そんな風に考えることで、僕は自分の中のヒーロー像を大切に守り抜いてきた。
そして今、僕は警察官になるために、俗に言う一流大学の法学部へと通う一人の学生となっていた。
「刑法の期末試験、そろそろだよな?」
いつものように学校に向かう、日差しの強い朝。猛暑日が続くこの季節は、朝から汗が噴き出すほどの暑さだった。そんな中、隣で汗を拭いながら話しかけてきたのは、
「そうだな。試験勉強は前からやってたから、特に問題はないけど」
刑法の期末試験は二週間後。コツコツと勉強を積み重ねている僕は、二週間という短い期間が丁度よかった。そんな僕の言葉に、聡はやれやれといった表情で————
「全く、学年主席の
宮園喬也というのは、僕のフルネームだ。
「聡こそ成績いいだろ。ほとんど復習しないであれだけ点数がとれるんだから、そっちのほうがいいじゃないか」
聡も僕と同じく、警察官を目指し法学部に通う一人の学生だ。もっといえば、キャリア組を目指して同じ刑法のゼミに入っている仲間でもある。もっとも、僕は趣味の時間をほとんど犠牲にして勉強に励む『必死勢』であるのに対して、聡はあまり勉強をせずとも高得点をとることができる『天才勢』だった。聡はいつもコンシューマゲームにハマっていて、そのプレイ時間を見ても勉強をほとんどしていないのは明らかだった。
「違う違う。勉強しなくても高得点がとれるんじゃなくて、単に勉強を続ける忍耐力がないだけだよ」
そんなことを言う聡に、僕はいつも劣等感を覚えていた。
しかし、これも一つの能力だから、それを羨ましいと思う気持ちは間違っているということも理解している。だからこそ僕は一年生のときから、聡に負けまいと猛勉強を続けているのである。そんな自分を誇らしいとさえ思うほどに。
大学のエントランスにつくと、休憩スペースに設置してあるテレビに目がいった。
『当局の調べによりますと、今回の人身売買に関わっていた加害者はいずれも発見できず、警察は新たな証拠を探すために現場の探索を続けている模様です。なお————』
正装をしている女性ニュースキャスターは、無表情で原稿を読み上げていた。
「人身売買か…………」
数年前から、世間を騒がせている事件だった。国内で人が行方不明になるという事件が相次ぎ、消えた被害者らはどこかに売られているという。しかも、警察はいずれの事件も解決できず、真相は闇に閉ざされたままだった。被害者に共通点はなく、無差別的に拉致されているということは広く知られている。だから、小さな子息子女を持つ大人たちは我が子を拉致されまいと、夕方以降の外出を禁じたり、GPS付きの防犯ブザーを持たせたりしていた。それでも被害は留まらず、行方不明者は数え切れないほどとなってしまった。
僕がいち早く警察官となり、これらの事件を解決に導く。それは、僕がこの大学に入学してからずっと思い焦がれていたことだった。キャリア組となれば、すぐにでも捜査にあたることができる警部からスタートできる。だからこそ僕は、一流大学と言われるこの大学でずっとトップを維持していることができるのだ。
ここ最近になってから、この辺りもかなり被害が増えてしまった。都会か田舎かといったものは全く関係がなく、誘拐・拉致事件はどこの場所でも変わりなく起こっている。だからこそ人々は逃げることもできず、警察は手を拱いていることしかできない。
僕が一刻も早くこの事件の全容を暴き、被害に怯える人々を救うヒーローになりたい。かつて僕が憧れたスーパーヒーローのように、人々の不安感や恐怖を取り除いてあげたい。それが僕の信念であり、野心だった————
「おい、時計見て見ろよ」
聡の言葉に、僕はハッと我に返る。そして、右腕につけている腕時計のアナログ表示に目をやった。時刻は八時四十分、講義が始まる十分前である。
「そろそろ行かないとな。前の席に座っておかないと」
聡が頷いたのを確認し、僕と聡は休憩スペースをあとにした。
午前中の講義が終わり、僕と聡は学食で昼食を取っていた。少し早めに講義が終わったため、混雑する時間帯を避けて食べに来ることができた。目の前にいる聡は、いつも通りカレーライスを頬張っている。
「いつもカレーばっかり食べて、よく飽きないな」
聡は僕の言葉に、フンと鼻を鳴らして————
「カレーは料理の神様なんだよ。それと、頭の動きをよくしてくれる香辛料がたくさん入ってるからな」
声高にそう言う聡は、自信満々だった。そうやって脳を活性化し、講義を寝ずに聴くことによって、勉強せずとも良い点数が取れるということらしい。
「お前こそ、そんな生臭いものばっかり食べてないで、もっとボリュームのあるものを食べればいいじゃないか」
僕が食べ終えた空の皿を指差しながら、聡は反論した。
「余計なお世話だよ。僕はこれが好きなんだ。誰がなんと言おうと、好きなものは変わらないよ」
量が少ないとはいえ、健康を考えるとこういった料理のほうが体にとってはお得だろう。
「家でも同じようなものを食べてるそうじゃないか。そっちこそ飽きないのか?」
「同じものなんかじゃないよ。家で食べてるのは、お
少ない親からの仕送りのほとんどを、その食費に使っている。小料理屋である両親から、捌きかたは教えてもらうことができた。とは言っても、比較的小さな魚の捌きかたしか教えてもらっていないから、自己流でごまかしている部分も多々あるけれど。一応プロである両親に教わったのだから、技術的な面では主婦のそれと引けを取らないくらいの腕前まで成長したはずだ。
「それにしても、お前って本当健康オタクだよな」
そんな風に嫌味を言う聡に、僕は呆れた表情で言ってやる。
「健康には気を遣わないと、晴れて警察官になったとしても早死するぞ?」
加えて————
「しかも、不健康はハゲる原因にもなるんだからな?」
そんなの冗談といった苦笑いの表情を浮かべていた聡に、男にとって最も恐ろしいことを言ってやった。
「おいやめろ……。うちは親族共々ハゲが多いんだから、気にしてんだぞ……」
ぶるぶると震えながら、聡は自身の頭皮を確認している。
「悔しかったら、聡も健康には気を遣ったほうがいいよ?」
そう言って目の前の皿を片付け始める。
「おいちょっと、俺が食べ終わるまで待ってくれよ!」
そんな風に焦る聡を横目で見やり————
「先に講義室行ってるぞ?」
そんな言葉をかけて、僕は学食をあとにするのだった。
聡を置いて先に到着した講義室には、ほとんど人がいなかった。それもそのはず、次の講義が始まるのは三十分後だからだ。僕がなぜこんなに早く講義室に来たのかと言えば————
「刑法二部の教科書はっと…………」
これから行われる講義の予習をするためだった。昨晩は眠気のためにあまり予習ができなかったから、空いた時間を使って勉強をしなければならなかった。期末試験まで二週間後を切り、勉強以外に余念を残す時間などない。こういった部分には、信念を持って励まなければ、僕は一挙に成績を下げてしまうだろう。今までトップの成績だったというプライドもあるし、何より自分の夢を叶えるために必死だった。
僕自身、体力がずば抜けて秀でているわけではないから、柔道や剣道といった体育実技の成績を補うためには更なる努力が必要だった。体育実技はどちらかと言えば聡の専門で、僕はその分野で聡に勝つことはできなかった。小さい頃から柔道で全国大会にいくほどの実力を持っているらしい。僕も苦手というわけではないが、体力は持って生まれた才能という部分もあるし、並大抵の努力ではどうにもできなかった。
だからこそ僕は、体育実技の成績を上げる努力とともに、僕の得意分野である座学で聡に白旗をあげさせるしかなかった。そのため、ライバルでもある聡に勉強時間を割いてまで相手をしてやるほど、僕に余裕などなかった。
僕は誰よりも早く警察官となり、昨今世間を騒がせている人身売買と拉致事件を解決しなければならない。それが僕にとっての信念であり、決意であり、そして生きる目的だった。
「昨日できなかった部分は…………ここからか」
マーカーをつけていた部分を見つけると、僕は予習用のノートを開き、暗記部分を脳に刻みながら書き出しはじめる。いつもの勉強の成果もあってか、楽々と暗記をすることができた。というよりも、春期休暇のときにある程度予習したところだから、すんなりと頭に入ってくれたのだ。憩いの休暇まで犠牲にして、ほとんど全ての時間を勉強に費やしているのだから、僕としては良い成績をとって当たり前であり、むしろ良い成績がとれなかったら泣き叫ぶところだ。
「隣、空いてる?」
甘い香りとともに現れたのは、聡ではなく一人の女子学生だった。
黒髪のナチュラルボブショートは、その繊細な手にかきあげられ艶を放っている。目鼻立ちはよく整っていて、清楚な容姿が印象的だ。同じ法学部の同級生、
「浅見さん…………」
僕が黙りこんでしまったのは、僕が浅見さんに特別な感情を抱いているからだ。僕の心臓を高鳴らせるその特別な感情は、甘いものを頬張ったときのように甘美なものだった。たぶんこれが、恋というものだろう。というのも、僕は生まれてこのかた、こういった感情を経験したことがなかった。勉強一筋な性格になったのも、記憶に遠いかなり昔の頃だったから、甘酸っぱい恋愛感情など全くもって知らなかった。ヒーローに憧れ、勉強に恋をしていたというのは、正当な理由になり得るだろうか。そんなことを人に話すと、やれ嘘つきだの見栄張りだのと言われたが、これは本当のことだ。恋愛にうつつを抜かしている時間など僕にはなく、ヒーローへの憧れと勉強に対する執着心が全てだった。
僕の性格を強いて言うならば、健康に対する気遣いが人より長けているということくらいだろう。それも、ヒーローはいつでも健康でなければならないという、戦隊ヒーローふりかけのCMを見たことが原因だった。なんにせよ、僕が浅見玲奈に特別な感情を抱いていることは、紛れもない事実だった。
「宮園くん、隣座ってもいいかな?」
僕は無言でコクリと頷くと、彼女が座りやすいように隣の椅子を引いた。
「ありがと」
笑顔で隣に座る彼女は、いつもより数十倍魅力的だった。僕が再び予習の続きを始めると、浅見さんは僕のノートをチラと見やり————
「宮園くんってほんとにすごいねっ。私なんか、勉強を始めるとすぐに眠くなっちゃうから」
目を輝かせてこちらを見ている彼女に、僕はドキッとしてしまった。これでは、予習すらおぼつかない。なんとか精神を集中させて、予習を続けなくてはならない。そう思って軽く目を瞑り、深呼吸をした。
「よっ。置いていくなんて、ひどいじゃねぇか」
目を開けると、浅見さんとは逆側に座り教科書を広げる聡がいた。
「しかも、講義室でデートとはお前もやるな」
聡の耳打ちの内容に、僕は思わず顔を赤らめてしまった。その顔を浅見さんに見られまいと、ノートに顔を埋めて脈動を鎮めようと試みる。高鳴る脈動が治まったのは、担当講師が出欠確認の呼名をしはじめてからのことだった。
「じゃあな」
今日の全講義が終わりようやく帰宅の途に就く僕は、途中で聡と別れ、商店街へと向かった。今晩の食材を購入するため————新鮮な食材を手に入れるためには、商店街が最善だった。
商店街では、恰幅のいいおじさんや張りのある声のおばさんたちが、威勢のいい売り子の声をあげていた。いつも通り、今晩のメニューはここで決める。というのも、この商店街の人によれば毎日新鮮な食材が入荷されるため、その時々によってメニューを決めていたほうがより美味しい夕飯を食べられるのだと言う。新鮮な食材は健康に良い。採れたての野菜や水揚げしたばかりの魚などは、新鮮なときが一番栄養素の多い状態とされている。だからこそ、健康に気を遣うためには毎日新鮮な食材を選ぶに限るのだ。
「兄ちゃん、採れたてのキュウリがうまいぜ! ひとつどうだい!?」
そういった声があちらこちらから聞こえてくるので、食材探しに苦労はしない。旬の食材は商店街の人から教えてもらえるし、何より僕はここに毎日通う常連ということもあり、ここの人から好かれていた。
「いまどき、毎日商店街に通って自炊をするなんて偉いねぇ」
そんな風に言って、僕にサービスしてくれることも珍しくない。勉強以外に僕が熱中しているのは、料理だった。だからこそ、ここに通うのはゲームセンターに行くよりも数百倍楽しいし、学生の財布には優しかった。
「活きのいいのが入ったよ」
魚屋の店主からそう言われた瞬間、今晩の夕飯が決まった。
「まだきちんと生きてる新鮮なやつだ」
「それください!」
僕が値段も聞かずにそう言ったのは、それが僕の大好物だからだ。
「いつも通り、お頭は落とさず……だな?」
店主の問いに僕は迷わず同意し、代金を渡した。
「毎度あり!」
お頭は煮込めばダシになるし、あってもなくても値段が変わらないのならば、あったほうがお得だ。何より、お頭は栄養素が高い。捨てるなんてとんでもなく勿体のない話だ。
「あたしも、お頭付きのをくださいな!」
僕のあとにも、小太りの女性がしゃがれた声で買い求める。
「はいよっ! 毎度あり!」
魚屋の売れ行きは、どうやら好調だった。重いだろうと、店主から借りた運搬用の一輪車を押して、僕は商店街をあとにした。
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