仰げば遠きし、地よりの戦望

犬子蓮木

tail tale

「昼でも星は空の上で輝いている」

「見えないじゃん」

「それだけだろ、たいした問題じゃない」

 兄はいつもどおりの笑顔を見せてから、空の上へ、戦うために旅立った。

 人間は争いを好んでいる。

 どうしたってそうとしか思えない。地球を出て、宇宙で暮らせるようになったって、人々はなんだかよくわからない領域の奪い合いや、平和のために戦争しているのだ。むずかしいことがわからないわたしからしてみれば、どんな理由だって納得できるようなものではない。

 夏。晴れた日。青空をみると考える。

 考えれば、思い出が、綿菓子のように浮かんでくる。

「日々が少しだけ幸せでいられればいいだけなのになんで戦うの?」わたしは先生に尋ねた。

「日々を少しだけ幸せにするためだよ」先生は微笑みながら答えてくれた。

 まだ子供だったころ、わたしと兄はなぜか村に滞在していた青年を先生と呼んでいろいろ教わっていた。いつも生徒はふたりしかいなくて、本を読んでいるだけの先生に声をかけては、はじまるきまぐれな青空教室だった。あの頃の先生は、今のわたしよりも若かったはずなのだけど、どうしても信じられない。

 先生は続けて言った。

「お小遣いをあげよう。じゃんけんで買ったほうに100レーネだ」

「どっちが勝っても半分ずつにすればいいんでしょ」わたしは言った。「お兄ちゃん約束ね」

「いいよ」

 兄とわたしは、やらせのじゃんけんをした。勝った方のわたしは先生から100レーネもらってすぐに自分の小さなお財布から50レーネを取り出して兄に渡した。

「ほらじゃんけんなんて本当は無意味で、ただ分け合うだけでみんな幸せになった」

 そういってわたしが喜んでいると先生が笑った。

「そうだね。僕から奪ったお金で、君たちふたりだけが幸せになった。それは僕がお昼ごはんを買うためのお金だったのだけどね」

「だってくれるって……」

「あげるよ。ただ僕が損をしたということだけは確かだという話」

「じゃあかえす」兄が言った。

「子供からお金を取ったなんて知られたら、ここから追い出されちゃうよ。もうそのお金は君たちのものなんだから」

 結局、先生はお金を受け取らなかった。そのあと、お昼ごはんも食べていた。いつもなにが言いたかったのかはよくわからなかった。ただなんだか楽しくて、わたしと兄は毎日のように先生の元へ通った。先生が空の上へ行くまでは。

 みんなわたしを置いていった。

 いったい宇宙になにがあるというのだろう。

 先生は、月で戦争の道具を作るのだと目を輝かせて話していた。

 兄は、宇宙で先生の作った道具に乗り込み、戦うのだと話していた。

 空をみあげる。

 青く透き通った空よりも遥か高く遠いところで、今日も、人と人が、機械を駆り、命を奪い合っているのだろう。

 見えないけれど。

「バカじゃないの」

 みんな日々生きるのに必死なのに、誰だって死にたくないはずなのに、なんでわざわざ宇宙にまで行って争うのだ。理解できない。けれど、それはどうしても止むことなく、人間によって続けられている。

 汚れた犬が近づいてきた。

 この近辺をうろつく野良犬で、いつのまにかカヴァンと名付けられてみんなにかわいがられていた。

「どうしたの?」

 よくみると口になにかをくわえていた。カヴァンがわたしの目の前でそれを落とす。

 ネズミの死骸だった。いやがらせかよ、という気持ちになったがカヴァンの表情を見ると違うのだろう。ほめてもらいたそうに尻尾を振っている。

「くれるのかな。いらないけど」

 わたしはカヴァンの頭をなでてやった。

「買い物を行くのついてくるかい。なんか買ってやるよ」

 カヴァンが答えるように吠えた。

「じゃあいくか。それは置いていけ」

 カヴァンが反抗するように吠えた。


 市場は賑やかで、入り口まで来るとカヴァンはどこかへ消えてしまった。まあ、そのうち戻ってくるだろう。野良なのだから好きにすればいい。

 戦況はいいらしいという話題がちらほらと聞こえてきた。実は戦況が悪かったと後でわかったようなときでも判明するまでそういった言葉が聞こえてくるのだが、今日はまあ確かなのだろうと感じられる。市場の品揃えや値段が明るかったからだ。悪くなる前に買い溜めておいたほうがいいだろう。みんな同じように考えるからか、それとも勝っていることに浮かれるからなのか、そうやって余計に活気が増すのだ。人波のピンボールは球が落ちてしまうまで盛り上がっていく。

 買い物を終えて帰ろうかなと考えていると、男に声をかけられた。知らない人間ではない。どちらかといえば友人と呼べるような人間だ。ただ、仲が良かったのは兄の方だったなとも思うので、なれなれしくはなれないアイソレートな関係。

「あいつはどうだ?」

「一昨日までは死んでないよ」

 一昨日、兄からメッセージが届いていた。中身はなんてことのない日常の話だった。

「じゃあ活躍してるんだな」彼は無邪気な少年のように喜んだ顔を見せる。

「どうだろ。そういう話はしないから、なんとか逃げ延びてるだけかもしれないし」

「あいつは大丈夫だよ。すごい才能を持っていた」

 みんな兄のことをそう話す。そもそもあの戦争の道具を操ることができる人間が一握りの限られた者だけなのだ。知能も運動能力もどちらもハイレベルな人間が求められる。

 一番、高価な、機械のパーツとして。

 目の前の彼は試験をパスできなかった。兄はパスした上でさらに優れた資格を得るほどの才を持っていた。

「こっちには住まないのか? お金は充分あるだろうし」

 なんとなく会話を続けていると彼から尋ねられた。兄が稼いでいるお金はこの辺りの年収と比較すれば桁が違う。こんな貧乏な属国の年収などが基準ではなく、大国たちが提供する宇宙価格なのだ。兄が送ってくれるお金で村から出て、この街でももっと都会でもどこでだって暮らせる。

「賑やかすぎてね。わたしも兄さんも村の方が落ち着くから」

 それは本当のことで兄もそう話していたのを聞いたことがある。

 けれど、兄は出ていってしまった。

 たまに帰ってくるけれど、もう兄の家は宇宙なのかもしれない、と内心は思っている。

 カヴァンがやってきた。口の周りが土とは別のもので汚れている。どこかでごはんをもらったのだろう。いい気なベイグラント。わたしも大差はないけれど。

「それじゃあツレが来たからまた」


 遠くの空が赤く染まり出していた。

 ゆっくりと塗り替わっていく。

 わたしはカヴァンと村への帰り道を歩いていた。それほど遠くはないけれど、すぐに着くという距離でもない。車があれば楽だし、はやいのだろうと思うけれど、アレを思い出してどうしても自分で運転したいとは思えずにいた。兄の乗っていた車は奥で埃をかぶり沈黙している。

 カヴァンは先を進みつつ、時折、振り返ってわたしを待っていた。そんなに心配なら一緒のペースで歩いてくれればいいのにと思う。前を歩きたい気分なのだろうか。無防備な背中に抱きついてやろうかとも思うけれど、行動には移さない。それほど、仲のいい友達ではない。

 カヴァンが立ち止まり振り返って、わたしの方を見てから吠えた。なんだろう、と近づくと理由がわかった。いや、勝手にそう考えた。カヴァンはあれを教えたかったのだろうと。犬の気持ちなんてわかるはずもないのだから、勝手に想像する権利はこちらにある。

 一番星が見えた。

 太陽が眠ろうとしている。

 けれど空は眩しいほどに赤かった。

 カヴァンが走り出す。

 わたしは追わなかった。

 ずっと昔、

 兄が犬を追いかけて消えたときも、

 わたしは追わなかった。

 すぐに戻ってきてくれると、

 犬よりも大事なはずだと考えていた。

 けれど兄はどこかへ消えて、

 わたしは泣きながら家に向かってひとり歩いた。

 そのときも空は、

 悲しいぐらいに赤かった。

 だから夕焼けは嫌いなんだ。

 もっと嫌いな夜がやってくるから。

 昨晩は満月だった。

 今日も大きな月が我が物顔を見せるのだろう。

 空が暗くなりはじめた。

 星が見えてしまう。

 たくさんの星々の瞬きが、

 目に入ってくる。

 空では星のように輝く優れた人間たちが、

 なにかの理由で争っている。

 否。ほんとうは、わかっていた。ただ受け入れたくなかっただけだ。兄も、先生も、戦争の理由も、戦うこと、争うこと、生きること、幸せになること、奪うこと、人として生きるということ、理解した上で自らの持つ原罪から目を逸したかった。そうしなければ生きていくのがつらかった。

 どうして兄が旅立ったのか。どうして先生があんなに嬉しそうだったのか。何が好きで、なんのために生きていて、自らの正しさと望みがなんであるのか彼らは理解して選択した。

 私にはそんなものたちは見つからなかった。

 ただ、ずっと、彼らと一緒に、ささやかにでも生きていければと願っていただけだった。それが悪いのか? そんなことはない! でも、どうしてわたしは彼らと一緒に行けなかったのだろうか、と考えてしまう。

 同じように目を輝かせて戦争の道具を作りに行けなかった。

 同じように機械を操り戦いに行けなかった。

 能力の問題ではない。わたしが選択したのだ。後悔があふれる夜のようなこの道を。

 カヴァンが戻ってきた。また口になにかを加えている。わたしの目の前で落とされたものは、やはりネズミの死骸だった。さっきのとは違う。また新しいものを今、狩ってきたのだろう。カヴァンはほめてもらいたそうに尻尾を振っている。

 カヴァンの頭をなでてやる。

 彼女もまた生きている。

「お母さんになるんだものな」

 カヴァンのお腹はわずかに膨らんでいた。肥満ではないと全体の様子からなんとなくわかる。

「さあやっとついた」

 村の明かりが見えた。もう夕焼けは力を失い、黒い静寂が辺りを包み込んでいく。太陽が完全に沈んでしまった。

 夜が来る。

 だけど、この夜、月はのぼらなかった。

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