第18話 よっぽどのことがなければ葵は勝つ

 翌日から、葵は学校へと来てくれた。

 朝の挨拶だけかわしてあとは何も話さない。あまりの急変ぶりに何かと突っ込まれたが、もともとそういう関係ではないと周りに言って聞かせた。

 たまに葵と目があうことはあるけども、葵は意地でも話そうとしないので、こちらも葵に話しかけない。学校で個人に対して用事があるなんてことはそうそうないから別に問題ない。

 すこし遠くから見ている限り、葵に問題は無かった。必要以上に自分を押さえつけなくなったから、たまにアホなことをやったりしていたが、いつもの葵はみんなの中へときちんと入って行けたようだった。

 ジムには通い続けた。葵はたまにクラスがかぶって一緒に練習することもあるが、基本的には時間を合わせて一緒にいくということも無かった。ジムでは全く目的も違っていたし、レベルも違っていた。

 寝技のクラスではほぼ被らず、クラス数が少ない打撃(キックボクシングのクラスで一緒になることが多かった)のクラスで一緒になることと、初心者クラスが始まる前にやってるフリー練習などで見かけることが多かった。練習が終わった頃に始まるプロ練習で、女子プロの選手と一緒に練習していたりとかして、次元が違っていて、見るたびにすごいと思った。

 ジムの人間に葵の話を聞く限り、天才とかそういうレベルの才能も今回も持ち合わせていたらしい。

 葵が、何をやってもこの通りなのはいつものことだ。俺も別にそのことについて驚かなくなってきていてびっくりだ。

 かくいう俺はまあ、平凡なものでそこまで急激に頭角を出すほどの力も無かった。

 ただ、ストレートが綺麗にまっすぐ出ることと、リーチが長い割に体重が軽いのは総合格闘技以上にボクサーとしての素養があるそうだった。立ち膝も難しい技術らしいがわりとすんなりと習得した。

 ただ、それ以外の攻撃に関しては今ひとつで寝技はあまり得意ではない。多分決定的に筋力が足りないのだろう。

 二ヶ月が経ってワンツーと膝蹴り以外、なんとか三角締めができるぐらいだった。

 葵と話さないうちにあっという間に時間が経って行って。俺はなんとなく格闘技の楽しさを覚えていった。



「太一くんさあ、今週末アマチュアの試合があるんだけど見に行かない?」

「あー、なんか集めてましたよね人員」

 練習終わってストレッチしていると、内田さんが声をかけてくれた。わりと近所の兄ちゃんみたいな親しみやすさが内田さんにあった。

 葵は、次のクラスのウォーミングアップに、シャドーボクシングをやっている。

 内田さんは、ここのチーフインストラクターでもあるが、ジムの看板選手の一人だった。フェザー級で国内チャンピオンのベルトも持っているすごい選手だというのは最近知った。すごいなグーグル先生。なんでも教えてくれる。

「そろそろ試合とか目指してもいい頃じゃない? スパーとかも始めたし、運動神経いいし」

「それとこれとは、やや話が違うような気がしますけどね」

 一通りの技術は教わったということで、打撃のみのスパーリング、寝技だけのスパーリングとそれぞれやるようになっていた。

 うまくなるのが早いと、内田さんに褒められた。ただ、葵と絡んだことで消費していた時間を、そのまま格闘技に当ててるだけだったから、俺が、いかに生産的な時間を過ごしていなかったということがよく分かる。

「週五で来るのは、その辺のプロになっちゃるんじゃいとか言ってる君らぐらいの子より全然来てるね」

「ええ、そんなもんですかね? なんかバスケ辞めて女にもふられちゃったんでなんか暇で暇で」

「へー太一くん彼女いたんだー」

「いやいや片思いですよ。それよか、プロ練にいる小林さんも出るんですか?」

「お、目ざとい。新しい恋の予感かな? 彼氏と別れたと聞いた。今がチャンス!」

 葵の方を見てみるが、こちらの会話を聞いてか聞かずか鏡に向かって入念に拳を打ち込んでいる。

「んーどっちかって言うと憧れですかね。俺と同じ年で、すげー強い。で、綺麗。アマチュアでも試合見れるならなかなかの価値があると思いますよ」

「そうなんだよねー。チケット代とか言って金とってもいけそうな気がするのよ」

「あの、アマチュア大会の観戦ってほぼ無料ですよね?」

「一応、入場料は五百円とられるけどそれだけだな」

「高校生にも安い」

「まあ、試合の雰囲気とか掴むにもちょっと早めに行って、準備で何やってるかとかみるのも楽しいって思うよ。緊張感みたいのも味わえると思うし。一回ジムで集合してから現地向おうって考えてるんだ」

「さては内田さん俺のこと、雑用で使おうって考えてますね?」

「ぶっちゃけるとそうなんだわ。その日、別会場で夜に試合があって、何人かプロがそっちに出てそっちの調整のためにこっちに割ける人員が俺一人なんだわ。それでミットだの何だの準備しきれない……って訳でもないんだけど、道連れが欲しくてね」

「寂しいって言いましょ」

「そうだねって言ってもセコンド足りないのはマジなんだ。ぜひ来て欲しい、入場料無料になるし」

「んー、まあいいですけどね」

 五百円が一回無料になるのと、拘束時間が増えることでいったら明らかに拘束時間が増える方が嫌だけれども、けれども内田さんの言っていたことに興味があったのは確かだった。

「じゃあ、決まりね。九時にジムの前に来て」

「了解です」



 とりあえず、その日の晩に葵に

「試合、頑張ってセコンドで行くことになった」

 とメールを送ったけれども特に何も返信はなかった。


 日曜日になった。

 とりあえず十分前ぐらいにジムのあるビルの前で待ってたら、時間ぴったりに内田さんが来た。

「よう、おはよう。とりあえず、ミットをカバンに入れるからそれ持ってくれ」

「はい」

 太陽光だけが入り込む薄暗いジムの中に入ってとりあえず、そこそこ状態が良さそうなキックミットとパンチミットを持ち出して、内田さんが用意してくれたボストンバックの中に詰め込む。内田さんは内田さんでプラスチックのボックスを持ち出していく。

 ミットが入ったボストンバックを俺が持って、内田さんはプラスチックの箱をバックに入れて持って出る。ジムにいた時間自体は五分もかからなかった。

 そのまま電車に乗って、試合会場へと向かっていく。電車の中は特に混雑しておらず、俺たちはすんなり席に座ることが出来た。

「いや、今日は本当にありがとう荷物持ってもらえるだけで助かった」

「でも、俺ミットとか持てないっすよ?」

「あー、それはいいや、栗山さんがちょっと遅れて来てそれでいろいろ見てくれるって言ってた」

 栗山さんは、うちの一般会員だ。

 元々プロのキックボクサーとしても活躍していたこともあったが、今は会社員らしい。キックボクシングクラスに出ると、後輩の指導とかも手伝ってくれる人でいろいろ教えてもらっている。たまに試合に出たりもする。実際、打撃の技量だけで言えば、このジムでもかなり上の方の技量を持ち合わせていると思う。

「あー、なるほど」

「まあ、俺たちはだいたい計量時間ぐらいについて、来てない選手を見つけたら呼び出すぐらいかな。あとはまったりして、俺が作戦を授けたりミット持ったりする。で、君は選手になんか頼まれたらお使いに行ってきて」

「パシリですか!」

「ええ、パシリです。というか、見てるだけなのもあんまり面白くないから、こういうことやってる方が時間潰れますよええ」

「なんてこったい」

 まあ、実際俺に何かできるってパシリぐらいしか出来ないけど、パシリになるのだと言われるとやや辛いものがある。

 程なくして駅に着き、重いバックを担ぎながら会場のあるゴールドジムへと歩いてく。駅から出てすぐのところにあり、エレベーターで最上階まで行くとそこが試合会場だった。中央に大きなリングがあり、光に照らされていて辺りには筋肉隆々の強そうなお兄さんがものすごくいっぱいいた。怖い。

「おー、お疲れ様です。全員揃ってますかね?」

 内田さんがよく知った一団を見つけるとそこまで歩いて行って、声をかけた。

「そうっすね、全員います」

 前川さんが答えた。前川さんはアマチュアで最も上位のライセンスを持っててトーナメント優勝経験もある選手だが、一度プロにもなったが、仕事との兼ね合いがうまくつかなくてアマチュアで出場し続けている。

 他にいたのは全員見たことがある顔で、出場者は全員その場にいた。葵ももちろんいた。

「計量はもう終わった感じですか?」

「はい、特に問題もなくいまちょっとぼーっとしてたところで」

「なるほど」

 と、内田さんは当日の試合表を開く。

「まあ試合開始までは三十分は最低あるし、このドローならみんなでファミレス行く時間はないと思うけど、ちょっとなんか食べて休んで調整してからとかなら問題ないかな」

「そっすね」

 前川さんが同意した。

「じゃあ、パシリくん早速仕事だ」

「俺ですね」

 なんか出番きた。

「おにぎりを適当に十五個ぐらい。スポーツドリンクを人数分500mlで。とりあえず五千円渡しとくから向かいのコンビニで買ってきて」

「サーイエッサー」

 荷物を置いて、内田さんから五千円受け取ると、敬礼して踵を返した。

「手伝うよ」

 エレベーターで出ようとすると、同じように降りようとした葵に捕まった。いまはTシャツに試合用のパンツを履いている。

 二人でエレベーターに乗り込んでそのまま無言のままで、外に出て横断歩道をはさんで反対側のローソンへと向かった。

「んじゃ、俺がカゴもつからおにぎりを適当にカゴの中に投げ込んでくれ。チョイスは任せる」

「おっけー分かった、適当に入れるね」

 と、右から左におにぎりをとっては入れて、とっては入れて全部で十五個になったところで特に確認もしないでそのままドリンクのコーナーに行ってアクエリアスを人数分いれていく。レジに持っていて会計すると、三千円ちょっとで会計は終わった。

 袋を二つに分けてもらって、どっちも俺が持ってコンビニを出た。

「手伝うって言ったのに、なんで全部持つんだよー」

「選手様は黙っていなさい。それにレディに物を持たせるなど言語道断。ぶっちゃけヘルプなどいらなかった」

 俺がそう言うと、葵に軽いローキックをされた。

「太一むかつく」

「一応お前の応援にきたつもりだ。頑張れよ」

「うん」

 そのまま帰りのエレベーターに乗り込む。

 エレベーターの中では無言だった。ちょっと前までは、よく話したけれども、今はある程度の距離までしか近づけない。今だって俺が買い出しに行って、たまたま葵が付いてきたというだけの話。同じところにいるけれども、俺たちは違う位置にいる。それが多分、今日選手とパシリっていう身分の違いなんだと思う。

 そのまま、みんながいるところに戻っておにぎりを食べて少し休んでいると、試合が始まった。

 格闘技の試合自体を見るのは初めてだったが、迫力はあった。

 技術はもちろんアマチュアだから、そこまで大した物でもないのだけれども、その場所から伝わって来る熱気や気持ちと気持ちのぶつかり合いというのは近くで生で見ないとわからないものだと思った。

 陳腐だが必死だ。

 スポーツみたいにゲーム自体をなんとか成り立たせるための技術というのが特になく、お互いの手持ちを真剣にぶつけ合う。アマチュアでも見ていて面白かった。

 そうしてぼんやり外側から見ているうちに試合が近づいている選手のアップを始めることになった。栗山さんもようやく到着した。

 葵の試合は割とすぐだった。

 今回が初めて同士の一番レベルの低いグレードが終わったら女子の試合が組まれていて、うちのジムだと葵が一番手だった。

 葵は一人で黙々とシャドーボクシングをして体を温めていた。

「んじゃ、ちょっと葵ちゃん、ミットやってみようか」

「はい」

 内田さんがキックミットを持った。

 葵が右構えに拳を構えて、ミットが出てきたところに鋭くジャブとストレートを入れていく。ミドルキック、膝蹴りまで綺麗に入れる。

 どのスポーツをやってもアホみたいなフィジカルを発揮するだけあって、何をやらせてもうまいを通り越して美しいというレベルに簡単に到達する。

 葵は、特に気負っている風でもなく普段と大して変わらない。

 スポーツでの修羅場というものを、何度も大舞台を経験しているから、堂に入っているのだろうと思う。

 あっという間に二ラウンドを消化して、大きく呼吸するようにと指示される。

「相手選手は三戦してて一勝一敗一分だ。いきなり酷な相手かもしれないが頑張れ」

「はい」

 葵の声は静かだった。今回女子の出場選手は全部で六人ほどで多い方だったらしいが、初戦同士という組み合わせがなかったのでこうなった。

「一応試合も少しは見たが、柔道がバックボーンにあって組むと強い。ただ、パンチはまっすぐ出てこない分フック頼みみたいなところがあるし、蹴りもローぐらいしかない。回りながらジャブを入れるだけで結構なプレッシャーになるはずだ」

「分かった」

「組まれたら正面から勝負しちゃダメだ。葵ちゃんのアドバンテージはこの場合は長いリーチでの打撃だからな」

 しばらくして葵が呼ばれた。

 セコンドの内田さんによって、ヘッドギアと、バンテージの上からオープンフィンガーグローブが装着される。

 試合前で待機している葵と目があったが、葵は目の前でこれから起こるだろうことに集中しきっていて俺のことなど特に見えていないようだった。

 リングの上から葵の名前が呼ばれる。青コーナー。

 葵がリングの上に上がり、相手の合田も呼ばれてリングに上がる。小柄、というよりか平均よりかは背は高く、横に幅があってがっしりした体型をしていた。

 前に出て行って、レフェリーからレクチャーを受けて両者コーナーへ。

 葵はこちらまで来るとすぐさま対戦相手へと振り返りゴングを待つ。


「ラウンドワン」

 ゴングが鳴る。中央で拳を合わせる。

 葵がゆっくりと左回りにステップをする。

 合田はジャブ、ローと仕掛けてくる。葵は当たらずにバックステップでかわす。

 合田が追い打ちをかけようと追って前に来るが、葵のジャブが進撃を弾き飛ばす。

 葵は再び距離を取って、的確にジャブを入れていく。

 今度はジャブを囮にして、ローキックを的確に当てていく。動きは葵の方がスムーズで相手がなかなか追ってこれない。

 合田が葵がジャブを打ってくる瞬間に頭で受けてタックルを仕掛けてきた。

 距離があったため葵はあっさりと潰して、立ち上がるともう一度同じ状態に戻った。

 葵は同じように動くが、ジャブに合わせて合田が大きなフックを振り回してくる。

 葵は一度うしろにのけぞってかわすと続くフックを受け止めて相手と胸と胸を合わせた。

「離れろ! そっからがそいつ強い!」

 内田さんが警告する。

 だが葵はそのまま離れなかった。合田の首の後ろを掴むと肘を持ち上げる動きと合わせて相手を崩す。

「いいぞ、そのままだ」

 隣にいた栗山さんが腕組みしたままつぶやいた。

 そのまま脇腹に膝蹴り。

 相手の動きが止まる。振り回してもう一度膝蹴りを入れると、腕を差し替えて腰投げで投げ飛ばす。

 そのまま上を取った葵が上からアームロックをかけてあっさり勝負が決まった。

 葵の一本勝ち。


「勝者、小林葵」

 葵が相手のジムのセコンドに挨拶をするとこっちへと戻って来た。

「いやー勝った、勝った。フックで組まれた時はヤバイって思ったんだけど、栗山さんのおかげですよほんと」

「栗山さん何したんですか? 俺もビビったっすよ」

 内田さんが葵の防具を外しながら聞いた。

「いや、ちょっと面白そうだから首相撲仕込んだんだよ。フィジカルトレーニングにもいいから打撃クラス始まる前とかにな、結構練習しておいたんだよ。何やらせてもスポンジみてーに覚えてくからおもしれーのおもしれーの」

「首相撲か。確かに真面目にキックやってるとこでも本格的に教えてるとこ少ないし、あんまり対策されないからな」

 首相撲とは、ムエタイで組み合った時に相手を投げたり、崩したりするテクニックの一つだ。本家ムエタイだったりシュートボクシングだったりするとポイントが加点される。ただ、ルール上組んだ状態での膠着を良しとしないところも多いのでキックボクシングジムに行けばどこでも習える物でもない。

 ちなみに俺は組技全般が苦手だから、これも等しく得意じゃない。

「しっかし、相手も弱くはないんだぞ? このまま女子UFCチャンプとか狙っちゃう?」

「そうですねー」

 葵の顔がにわかに曇った。

 葵にとって格闘技とは一体何だったのだろうか。これが終わった後にやりたいっていってたシラットにでも行くのだろうか。

 話を変えよう。

「あ、あの」

「どうした、太一くん」

「次の試合って、いつありますか?」

「この大会自体は二ヶ月に一回あるからね。ん? 出たい?」

「はい」

「おおーいいぞいいぞー」

 内田さんが俺の近くまで来ると背中をバンバン叩いた。その背後で葵が目を見開いているのを見た。

「なんかすげーって思ったから。俺もやってみたいって思って」

「いいぞいいぞ、俺はどんどんこの沼にはまってくやつを見るのが大好きなんだ!」

「今さりげなくすごいこと言いましたね!」

 葵が奥で驚いているのが分かった。これでもう少し一緒に居られるような気がした

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