第6話 学校へダイナミックカムバック

 校舎に入るまでは、まだ良い。

 二年生の教室がある三階に到着すると、遠巻きに葵を見る視線が増えていくような感じがした。そして、教室に入った途端に、水を打ったように静かになった。

 何せ完璧超人で、モデル並みに綺麗で、付け加えて人望のあるスーパースターが何の前触れも無く消えて、帰還したのだ。まず、何が起こったか理解するのに時間がかかっている様子だった。教室の入り口で、葵と別れてそれぞれの席に着く。

「え! 小林さん! なんで学校休んでたの? なんで、なんで?」

 那波という女子だった。小柄で、細くて、ゴムボールみたいに速度が速い。そして、噂話とかには凄まじい勢いで飛びつくって認識でいた。

「あ、う……ちょっと、いろいろ勉強したいことがあって……」

 状況を理解した同級生が、小林さんもとい葵に飛びかかって行った。葵は気後れしながらも答えていく。

 すると、周りから同級生が一挙に集まってきて、あっという間に人だかりができた。

「何を勉強したの?」

「本当はいじめられていたとか?」

「えーでも、小林さんに限ってそんなことは」

「俺、知ってるぜ、小林さんが写真の雑誌で賞もらったって、写真部の連中が騒いでた」

「すっごーい、小林さんったら何やらせてもすごいんだね!」

「絵もすごいんだって、町の展覧会に展示してあるのあたし見たー! ねえ美術部入りなよー、小林さん!」

 葵は、最初頰を強張らせていたが、次第に自然な笑顔で応対を始めるようになった。

 俺が知っている笑顔ではなかった。至極柔らかい、誰にも不愉快さを感じさせない、聖女みたいな笑み。

 一方の俺には、特に何も質問はされていない。プリントを届けるように頼んだのも担任の吉田だし、ほぼ毎日通っているのも担任の吉田しか知らない。

「おー朝礼はじめんぞー、つか小林来たのか、良かった良かった」

 何にも興味なさそうな目で、担任の吉田が言った。

 吉田は、常に気だるげな顔をしている男だった。たまに喫煙室で一人でぼへーっとタバコを吸っているのが見られる。年も三十前半で若手のうちに入るのに、どこか諦めてるみたいな雰囲気がある教師だった。

「んじゃ、始めんぞ」

 連絡事項を適当な調子で読み上げて、出席を確認する。

「赤木、朝礼終わったら一旦職員室来てくれ」

「はい」

 赤木は、俺の苗字だ。葵の方を一瞥すると怯えきった目でこちらを見てきたのだった。

 吉田の後をついて職員室の中へと入る。吉田のデスクの近くに掛けるように促される。

「小林、本当に学校に来たんだな……。お前が本当に連れてこれるとは思ってなかった」

「俺も別にそんなに、その気ってわけでもなかったんですよ。近くにいたいなら、近くにいろとそう言っただけです」

 とはいえ、昨日はちょっと怒りすぎたような気もするし、今日も、無茶をさせたような気がする。

 どうして彼女を学校まで連れてきてしまったんだろう。そんなことを思うようになってしまった。あの部屋で二人っきりそれでも良かった。

 ただ、俺も彼女を外に出したい。この世界に連れて来たいと願ってしまったのだった。

「なるほどね」

「はい」

「まあ、あんまり無理はするな。俺自身、そこまでの期待をもってお前を送り出した訳じゃない。なんとなく気が合いそうだから送っただけだ」

「俺もそんなような気はしていました」

「とりあえず俺の方でもそれなりの対応はさせてもらう」

「わかりました」

 あまり期待はしないでおいた。

 話はそれまでみたいだったので、そのまま職員室を出て行くことにする。

 プリントを届けて、可能なら学校へ葵を連れて来いと言ったのは吉田だった。俺自身葵に興味があったから通ったけれども、まさか本当に学校に連れてこれるとは思ってもいなかった。

 職員室を出ると、葵が、ふてくされた顔をして立っていた。

「守ってよ。守ってやるって言ったでしょ?」

「そうだね。守ってやるって言ったよ」

「来てよ、太一が一緒じゃないとここで息が出来ない」

「分かった」

 葵に手を差し出され、それを繋ぐ。一緒に教室まで戻っていく。教室の前まで一緒に行って、どうするか立ち止まってみる。

「そのまま入ろう」

 俺が言った。葵が気後れした様子だったが、そのまま扉を開けて教室の中へと二人で入る。中まで入って、手を離して別れる。

 一瞬静かになったが、一気に騒がしくなる。さっきと同じようなインパクトを与えたっぽい。チャイムが鳴っても、俺と葵以外がものすごく騒がしいことになっていた。

「なんだなんだ騒がしいな。一時間目始めるぞ」

 吉田がまた教科書を持って入ってきた。一限目は吉田が受け持つ国語だった。

「だって、先生小林さんが、赤木くんと手をつないで教室に入ってきて!」

「あー、さっきのホームルームで伝えることだったが、不登校になった小林のうちに毎日プリントを届けてもらったのが赤木だ。だからまあ、今日来たのは偶然でもなく、赤木が連れてきてくれたということだ。まあ手をつなぐくらいの絆はあってもおかしくないんじゃないかな?」

 教室内の混乱はピークを迎えつつあった。なんか殺意の眼差しが一部向けられているような気がするがきっと気のせいではないだろう。 

「赤木、説明してくれ」

「何話せばいいんすか?」

「簡単に経緯を話してくれれば良い。座ったままで」

「はい」

 簡単に、これまでの経緯をかいつまんで話すことにした。

「最初に吉田に言われてプリントを渡すようになった、渡しに行っているうちに小林さん、いや、葵の家のおばさんとちょっと仲良くなってせっかくだから葵に会って行けと言われた。そうしてまあ、いろいろ繰り返しているうちに、勉強教わったり仲良くなったりして学校に連れ出せた訳です」

「今、葵って言った小林さんのこと葵って言った……!」

「わざわざ訂正して……」

「やっぱりもう出来てるのかな」

「おー、神は希望を与えたと思ったら、それは存在しないと言い出した」

「赤木の処刑方法についてだが、市中引き回しが適切だろう」

「葵お姉様そんな……」

 妄想が入り乱れて飛び交っていた。葵を見ると息が詰まりそうな顔をしていた。大丈夫だよと伝えてあげたかったが、今はそういうことはできなかった。

「まあ、そんな訳で、とりあえず邪魔にならないように端っこに小林さんの席を避けといた訳ですがせっかくなので席替えをやっちまおうと思います」

「ジュ、授業は!」

 委員長の丸田が言った。

「え? んな、進捗なんてどうとでもなるし、一回ぐらい潰したところでどーってことないっしょ」

 結構アバウトにやってしまうのが吉田のいつものことだった。ただ、教え方はうまいのか、他の教科に比べて模試をやった際に国語だけ平均して高い偏差値を出していた。

 吉田は大体、アバウトで、やることきっちりやってれば良くて、形式は気にしない。この人はなぜ学校で働いているのか疑問だ。

「んじゃ席替えしまーす。先生適当に席に番号振ってくから、あ、そうだ丸田と古川、男女分のそれぞれの番号札書いてって」

 委員長が二人前に集まっていらないプリントを切り刻んで、番号札を作っていく。丸田に不満がありそうだったが、古川がまあまあと宥めていた。

 十分程度で大体の準備が整った。

「よーし、じゃあ、男子は丸田が、女子は古川が配っていって。適当にばらすなり切るなりしてからだ」

「えーくじ引きみたいにしないんですかー?」

「統計的には全部同じです。さっさと終わらせて自習しようぜ」

 自習、適当に雑談してろってことだと全員が理解した。それを聞いて色めき立っていた。

 丸田が、余計に苛立ったような顔をしていた。ルーティンを大切にする丸田に対して、吉田はとても相性が悪そうだった。

 委員長二人が、全員の席を回りながら、用紙を配っていく。

 丸田が、俺のところに配る時に厳しい視線を送ってきた。お前のせいでこんな風になったとでも言いたげな感じで。

 番号を確認する。【15】吉田が書いた位置を確認する。窓際から二列目、前から三番目の席。

 一番廊下側の最前列に比べたらだいぶマシな位置だと思う。

「おーし、じゃあ、椅子あげて各々のいちに移れー」

 俺の場合教室の端から端までだから結構な移動距離だった。三人ほど避けてまっすぐ進んで机を下ろすと同じタイミングで斜め前に机が置かれた。

「やあ太一」

「葵さんチッス」

 横に来たのは葵だった。

 少しだけ葵の緊張がほぐれてくれたような気がした。ここに来た時にガチガチに緊張してから見せた、無理した笑顔。そこからいつも見る顔に近づいている。

「ねえねえ、小林さんと赤木くんって付き合ってるの?」

 葵の前に座った女子が、ぐるんと振り返って言った。最初に葵に話しかけた那波だった。

「え、えーとその……」

「付き合っては無い。前に告白めいたことをしたら三角締めされたから、こいつのことは嫌い」

「太一!」

「なるほどなるほど」

 那波は、メモを懐から出して書き足していく。彼女が、新聞部員だったということを思い出した。新聞部の記事のほとんどは誰々と誰々が付き合ったとか、そういった類のゴシップ記事がほとんどを占めている。ちらっと見た限りで執筆者に彼女の名前が書いてあったことは多々あった。

 那波にとっての自分たちとは何だ。餌だ。俺たちは、こいつの餌でしかないということを自覚した。

「ちなみに、今朝聞いた、写真とか絵とかで入選したって話は本当?」

「さあ、俺は家行った時に、作品らしいものは幾つか見せてもらったけど、実際どうなんでしょ?」

「確か、絵はそこそこやって地元のコンクールで佳作かな。写真は雑誌に一回掲載されたぐらいかな。大したことじゃないよ写真は楽しいから今もたまにとってるけど、絵はどうでもよくなっちゃった」

「あ、なんかすごい天才っぽい発言だわ」

 そう言いながら、那波はメモを書き足していく。

 葵は、今、総合格闘技をやっていて、もうすぐ試合だということは伏せておいた。これからの彼女のイメージ形成に、あまり良い影響を与えないような気がする。

「赤木くんの成績が上がったのも、小林さんのおかげ?」

「それはそうだね、間違いない。いろいろ教えてくれたおかげでだいぶ基礎が出来てなぁ。葵さんさまさまですよ」

「なるほどなるほど」

「ねー、ひとみばっかり葵さんに聞くのずるーい。私たちも混ぜてよ!」

 那波の後ろから、女子が何人か現れた。

「赤木くんは小林さんのこと好きなの?」

「さっき言ったじゃん。嫌いだって」

「でも本当は好きなんでしょ?」

「告白した後に三角締めしてこなければ、愛せた。大好きだった……」

「過去形!」

「そんな! 一昨日好きって言ってくれたのに!」

 テンパって、葵さんがとんでもないことを言った。瞬時に、葵は、とんでもないこと言ったと思い返して、真っ赤になった。そういうのとっても可愛いって思うけど、ちょっと今それは愛せない。

「え、えーと、ってことは小林さんと赤木くんは両思いってことでいいのかしら?」

「うぁ? えー、えーとち、違、違う……?」

「今は俺に矢印が向いているかもしれないが、俺もそれは悪くはないと思うけども、今の俺には受け入れる準備がない!」

「太一!」

 また、こっちを見ながら赤くなってるあたりなかなかいじりがいがあると思う。

「という訳だ。ちょっと前の完璧超絶優等生だった、小林は忘れろ。細かいところは結構抜けてて、たまにボケる、いじりがいがあるからみんなで可愛がってあげようね」

「具体的なエピソードは?」

「そうだね、普通にコーヒーに入れる塩と砂糖間違えて持ってきて、塩入れて勝手に死んだり」

「あ、あれはエチオピアの伝統的行事を再現しようと」

「それなら、普通に俺にコーヒー噴いたりしないっすよね」

「そ、それは……それは、すいませんでした」

 今になって謝られた。その時は、まだそこまで仲良くなってもなかったからか、ただ、ただ慌てふためいているだけでその日が終わった気がする。

「あと、たまに何もないところでつまずく」

「そんな馬鹿な。私は、人並みの、人並みの運動神経はあるよ!」

「見たからね。実際見たから」

「ぐ、ぐぬう」

 地味だが、葵の確かな弱点だった。運動能力は常人以上あるのは明らかだが、何もないところで転ぶというか、つまずくのだ。さらに、バランスを取り損ねるとたまに転ぶ。だが、葵は、何もなかったかのように受け身を取って、颯爽と立ち上がるあたり、その辺のドジっ子とはスペックが違う。

「あら意外」

「意外なんだよ。すごいところばっかり見てるとすげー遠そうに見えるけど、こういうとこあるから、すごくしょーもない弱点とか俺、いっぱい見てきた」

「そんなとこ……知られたく……ない、し」

「えー、かわいいと思うよ私は」

 那波がそういった集まってきた女子たちも頷いている。

「そう……なのかな?」

「そうだよ」

 俺は、そう答えた。

 葵は、器用だったから、期待されるままにふるまうことができる。期待される姿と、本来の姿でずれるから辛い。

「守るって言ったが、まあまずはお前が背負ってるもん捨てろよって話」

「なるほど……」

 葵が神妙な顔でうなずいた。

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