若菜 その一二八

 紫の上が帰った夕暮、あたりに人が少なくひっそりしているところに、明石の君は明石の女御の前に出て、あの文箱を見せる。



「何もかもすっかり思い通りになされ、国母とおなりあそばすまではこんなものは隠しておくべきなのでございますが、人の命は無常なものですから、気がかりになりまして。何もかも自分で判断のできるようになる前に私にもしものことがございましたら、臨終の時、必ずお逢いいただけるような身分でもございませんので、やはりまだ気の確かなうちにどんなつまらないことでもお耳にお入れしておいたほうがよいかと考えまして。わかりにくい、変な筆跡ですけれど、この手紙もご覧くださいませ。この願文はお側の御厨子などに置いて、将来立后なさいました折には必ずお読みになられまして、この願文に書かれている願ほどきのことはなさってくださいませ。気心のしれない人には決してこの件はお話しなさってはなりません。あなたの将来ももうここまでになられたのをお見届けいたしましたので、私も出家したいと思うようになりました何かとあせって気が急きます。紫の上の心尽くしを決して疎かにお思いになってはなりません。本当に世にもまれな深い美しいお心でいらっしゃるのがわかりましたので、私などよりはずっと長生きしていただきたいものです。もともと私があなたのお側にお付き添い申し上げるにつけても、遠慮しなければならない身分でございますから、紫の上に最初からお任せ申し上げていたのですが、まさかこうまで行き届いてお世話くださるまいとこれまで長年やはり世間並みに考えておりました。けれども今は来し方、行く末を考えてみて、あの人にお頼りすることが何よりだとすっかり安心できる気持ちになりました」



 などとてもこまごまに話すのだった。

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