須磨 その六
明くる朝は、まだ暗いうちに帰った。折から空には有明の月が、とても美しく見えた。桜の木々は次第に盛りが過ぎて、わずかに咲き残っている木陰に落花が白く散り敷いている。庭にはうっすらと、一面に朝霧が立ち込めて、ぼうっと霞んでいるのが秋の夜のしみじみとした風情より、はるかにまさっていた。
光源氏は縁の隅の欄干に寄りかかって、しばらく庭を眺めていた。中納言の君は見送るつもりなのか、妻戸を押し開けて控えている。
「再び逢えるのはいつことか、思えばほんとうに難しいことだね。こうした世の中になることも知らないで、逢おうと思えば何の気兼ねもなしにいくらでも逢えた月日を、よくものんびり構えて逢わずにいたものだ」
と光源氏が言うので、中納言の君は、言葉もなくただ泣くばかりだった。
夕霧の乳母の宰相の君を使いにして、大宮から光源氏に挨拶があった。
「私が直接逢って挨拶申し上げたいのですが、あとさきもわからないほど悲しみにかきくれて、取り乱しているので、少し気持ちを静めてからと思っているうちに、まだ夜も深いこんなときに、はやもう帰るというのは、昔とはすっかり様子の変わった心地がする。いじらしい夕霧がぐっすり寝入っているので、目を覚ます間だけでも、少しはお持ちくださいましたら」
と言うので、光源氏も泣き、
鳥辺山もえし煙もまがふやと
海人の塩やく浦見にぞ行く
返事でもなく口ずさみ、
「暁の別れというものは、こんなに辛いものだろうか。この辛さをわかってくれる人もあるだろうね」
と言うと、宰相の君は、
「いつに限らず、別れという言葉はいたなものですけれど、とりわけ今朝の別れの辛さは、やはり比べようもないような心地でございます」
と涙まじりの鼻声で言い、見るからに悲しそうにしていた。
大宮へは、
「話したいことも、胸にあふれるばかりですけれど、ただもう悲しみに心を閉ざされていて、申し上げることもできない気持ちを察しくださいませ。ぐっすり寝入っている幼い人のことは、もう一度顔を見ますと、かえって憂き世を逃れにくくなるに違いありませんので、無理に心を鬼にして、逢わずに急いでお暇いたします」
と言うのだった。
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