須磨

須磨 その一

 世の中の情勢がとても不穏になり、光源氏には立つ瀬もないほど情けなく厭なことばかりが多くなってきた。つとめてそ知らぬ顔をして平静を装っていても、今にこれよりももっと恐ろしい事態が起こるかもしれない、と感じるようになった。


 それならいっそ、流罪などという辱めを受ける前に、自分から都を離れ、遠くへ行ってしまおうと考えた。



「あの須磨というところは、昔こそ人の住家もあったようだが、今は、すっかり人里離れてもの淋しく荒れ果てて、海人の家さえほとんど見られない」



 とか、聞いたけれど、



「あまり人の出入りの多いうるさいところに住むのは、この際、本意ではない。かといって、都をすっかり遠く離れてしまうのも、かえって故郷の都のことがさぞかし気にかかることだろう」



 と光源氏は、あれこれ見苦しいほど迷った。


 来し方、行く末のことなど、あれこれすべてのことを考え続けると、悲しいことが実に様々あるのだった。


 厭なところだと自分から見捨ててしまった世の中でも、さて、いよいよこれから離れてしまうのかと思えば、さすがに捨てにくい未練の絆も多い。中でも紫の上が、日に経つにつれ、光源氏との別れを明け暮れ嘆き悲しんでいる様子が、しみじみ可哀想で、何にましていとしくてならなかった。


 一度は別れても、必ずまためぐり逢えるとわかっていながらも、ほんの一日二日、離れて暮らす折でさえ、気がかりでならず、紫の上もひたすら心細がっているのに、この度は、幾年たてば帰れるという、期限のきれる旅路でもない。


 また逢う日を約束したところで、行方も知れず涯もない旅に別れていくのだ。無常の世の中のことだから、これがそのまま永久の別れの旅立ちにでもなりはしないか、と光源氏は悲しくてたまらないのだった。それならいっそ、こっそり紫の上を伴って行こうかと考えることもあった。しかし、そうしたもの淋しい海辺の、波風のほかに立ち寄る人もなさそうなところに、こんな可憐な、いじらしい人を連れて行くのはいかにも不都合で、自身の心にも、かえって悩みの種になるだろうから、連れて行けない、と思い直した。紫の上は、



「辛い旅路でも、一緒に連れていってくださるなら、どんなに嬉しいことでしょう」



 という気持ちを、それとなく匂わせて同行をせがみ、恨めしそうにしているのだった。

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