紅葉賀

紅葉賀 その一

 朱雀院の行幸は十月十日過ぎだった。今回の催しはこれまでになく格別見ごたえのあるらしいと予想されていたので、後宮の妃たちは見物できないのを残念に思っていた。


 帝も、藤壺の宮が見学に来ないのを物足りなく思い、当日行われる舞楽の予行演習を、清涼殿の中庭で行うことにした。


 光源氏はその日、青海波を舞った。相手は頭の中将だった。頭の中将は素晴らしい顔立ちや心配りをしていたが、光源氏と比べると、やはり咲き誇った桜の傍らにある深山木のようにしか見えない。


 弘徽殿の女御は、光源氏がこんなに立派になるのが非常に妬ましく思い、



「神などが空から魅入られて、神隠しでもしそうな美しさだこと。おお、いやだ、気味が悪い」



 と言う。


 側にいた若い女房などはそれを聞きとがめて、何嫌なことを言うのだろう、と思う。


 藤壺の宮は二人の間に大それたやましささえなかったなら、今日の光源氏をどれだけ美しく素晴らしいか、と眺められただろう、と思う。それにつけてもあの夜の秘密も、今の光源氏の舞姿も、全て夢を見ているような気持ちなのだった。




   ###




 藤壺の宮は、その夜はそのまま、清涼殿で帝と一緒に寝た。



「今日の試楽の人気は、青海波ひとつにすっかりさらわれてしまったね。藤壺の宮はどう思ったかな?」



 と帝が訊くと、藤壺の宮は気が咎めて、答えにくく、



「とても結構でした」



 とだけ言った。



「相手の頭の中将もなかなか悪くなかった。舞ぶりや、手さばきなど、名門の子弟はやはり格別に優れている。今の時代に評判の高い名手たちも、それは確かに上手ではあっても、あのように鷹揚で優美な味わいを見せることはできないだろう。試楽の日にこんなにすっかり上手なところを見せつくしてしまっては、肝心の行幸の日の、紅葉の木陰での本番は、淋しくはないだろうか、と思うけれど、あなたに見せてあげたいばかりに、今日の試楽は用意させたのですよ」



 などと言うのだった。

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