11 事件は絞殺

 考えあぐねた放課後。

 悟は一言、「部室行こうぜ」と千春に優しく声をかけ、ジャージ姿であふれるクラスから連れ出してやった。ナーヴァスな心に接触できるのはサンクチュアリしかない。あそこで事件について話し合えば、少しは学校に居る不快さを紛らわしてやれると思った。


 道すがら寄った職員室では、新聞部部室の鍵は貸し出されていた。大方ライカが先に部室に入っているのだろう。

 部室に着くと案の定、鍵が開いていた。「お疲れー」と気の抜けた挨拶とともに戸を繰ると、背を向けてしゃがみこんでいる人物が居た。

 挙動の怪しさから部室荒らしを疑ったが、固めた短髪や両耳のピアスなど、やんちゃな容姿には見覚えがあった。そいつはふたりに気づくと、掌に収まりきらない緑のボックスを咄嗟にポケットにしまい、気まずそうに一礼してきた。

「おい弘? ちょっと待て。なんだそれ?」

 が、そいつが千春の横を通過しようとした時、強めの詰問が部屋を反響した。

 ふたりの後輩は怖じる様子を見せつつ、「なんすか……」と感情のない笑いを浮かべていた。悟まで嫌な汗を感じるほどの緊迫がある。

「よ、米田先輩……? あの、オレ今から用事あるんすよね……それじゃ――」

「ちょい待ち。右手出してみ、ほら早く。どうせ便所に行くんだろ?」

 千春が起こす静かなざわめきは続いた。弘が人目を憚るようにポケットにしまっていたのは、到底未成年が所持していて良いものではなかったのだ。悟もそれを目にしてしまった手前、弘の肩は持てなかった。

「エスパーっすか……」

「某トイレからヤニの臭いがしてるんだよ。しかも一定の時間帯にさ」

「え? あれ女子トイレの方まで臭ってたんすか」

「ったく、この悪ガキが。でも安心しな、私は教師なんかに言わないから。要は、中坊からヤニなんか吸ってんじゃねえってこと。わかったら出せ、私が処分するから」

 弘はおずおずとポケットに手を突っこみ、タバコを露出させると、それを握り締めたまま硬直してしまった。動作から窺えたのは迷いである。

「で、でも……生まれた環境なんて選べないじゃねえっすか? オレの家、親父もお袋もタバコ吸ってっから、結局は同じっすもん!」

 ためらいを突き破るように弘が声を上げたが、千春の目は見ていない。主張と言い訳が混ざり合い、身内の恥と一緒に家庭環境を露呈ろていさせたのは、彼なりの抵抗だったのだろう。


 弘の言い分は正しい。男と女が結ばれる浮世で、稀に馬鹿と馬鹿が結ばれると救いようがなくなるのだ。それは代々伝染してゆく、防ぎようのない現代病である。

「そんなこと開き直って、親のせいにするな。中坊だって意思はあるだろ」

 が、千春は姿勢を変えなかった。弘の環境が劣悪れつあくだからこそ、だろう。

「最初すげえ臭くて、すげえイヤだったけど、オレも吸えば関係なくなると思って。だから覚悟決めてコンビニのレジで銘柄言ったら……なんか簡単に買えて……」

「覚悟の使い方が違う」

 弘の見た目は中学生というより、もはや十八歳を超えている。深夜のアルバイト店員を狙えば、容易く購入できるのが現実だ。そうかといって十四歳で喫煙して良いわけがない。

「私らはまだガキだから親に依存いそんするしかないね。でもさ、お前が親をどう思ってるかは知らないけど、今はまともに生きないとダメなの。大人になってから更生したって、それは遅すぎるんだから」

 少し柔和になった千春の口調に対し、弘が顔を上げた。

「タバコひとつで随分っすね……。せ、先輩はどうなんすか? 米田先輩は! だってオレん家とは環境が違うに決まってるじゃないっすか!」

 それが切り返しのタイミングだったのだ。同時に、悟の背筋を嫌な汗が伝った。しょせんは友人の――他人の話題なのに、なぜか当事者のような、血の気が引いてゆく思いをしていた。千春は無表情で、石像のように弘をじっと見据えている。

 できればその先を続けないでほしかった。そんな悟の心を見透かすように、

「確かに違う。私の親は、小学校の頃に消えちゃったし。私を置いてどこかにね」

「え……」

 千春は優しく微笑みながら、弘の家庭環境を凌駕りょうがする劣悪さを口にしたのだ。この場の空気、今後の関係、もろもろが気まずくなるのは承知していただろう。悟はお手上げだった。腕を下腹部の上で組み、ちょこんと背景になりすました。

「だから私は、祖父とふたりで暮らしてるの。でも、じいちゃんだって老い先長くないだろうし、私はこれから不安なことばかりさ」


 それ以後、千春から言葉の追撃はなかった。ひたすら黙して――今度は自らが、後輩から目を逸らしていた。待っていたのだろう、相手の反応を。

「すみませんでした……オレ、聞きこみ行ってくるっす……。先輩ら襲ったヤツ、絶対に暴くんで。ライカも同じ気持ちっす、アイツ張りきってたから……それじゃ」

 弘は要求されていた緑のボックスを握り潰し、携帯灰皿と一緒に部室のゴミ箱に投げ捨て、部室をあとにした。一挙一動は、『子供』の無力さに抗うようだった。

「心意気は良いけど、ここに捨てていくなよ。私らが疑われるっつーの」

「……あいつタバコ捨てちゃったけど、一箱いくらすんだ?」

「って、ようやくしゃべったかと思えば金の話? 確か五百円くらいするよ」

 言いながら千春は円形のゴミ箱からボックスを拾い、中身を確認した。残っていたのは、最後の一本だった。

「あらら、最後の一服くらいさせてやれば良かったかな?」

「それを吸わせたら、性懲しょうこりもなくまた次を買ってたんだ。これで良いんだよ」

 しかめっ面で携帯灰皿も拾った千春が、眉を曇らせている。妙な罪悪感を抱いているようだった。悟はしばらく居心地の悪い沈黙に身を任せ、定位置に座った。


「ねえ。未成年でタバコ吸ってるからって、将来犯罪者になるわけじゃないよね」

「……え、そりゃそうだ。まともに働いてる人はたくさん居るだろ」

 そのうち千春も自分の席に座り、ぽつりと言葉を投げかけてきた。到底、悟が答えられないような、千春の『自問』を。大方、一歳しか違わない後輩に放った己の言葉が正しかったのかどうかを、責任として捉えているのだ。『糞』がつくほど真面目な千春にとって、浮世はさぞかし生きにくいに違いない。

「逆に、酒もタバコもやらない奴が犯罪を犯すこともあるよね?」

「なにが言いたい? また自分を卑下ひげしてるのか? だったら無駄だからやめろ」

 強めに言い放った悟の擁護に、千春が黙りこんだ。そのまま度外視を決めこまれると思ったが、しばらくして「ごめん」という、しけた謝罪が返ってきた。

「とりあえずこのタバコは、私が持ち帰って捨てるね」

「じゃあ灰皿は俺が捨てるわ。証拠隠滅はバラバラの方が良いだろ」

 千春から携帯灰皿を受け取り、悟はそれをポケットに突っこんだ。が、依然として千春は、ボックスを片手に銘柄を凝視している。

「それにしても、このタバコどこかで見たことない?」

「言われてみれば。メンソールか……あぁ、思い出した。鳥居だよ」

「ふん。さてと、事件について考えよ――」

 千春のあからさまな反応に悟が苦笑する途中、雑談に被さり部室へ響いたのは、扉のスライド音だった。それはノックもなく、ドアのふちが柱に当たるくらい荒っぽい開け方で、力の加減ができない部外者を意味していた。

「おい、潮先生は居るか? ん……お前、米田――!」

 新聞部顧問の名を呼びかけながら入室してきたのは、三年三組担任の藤田という男だった。そいつは良くも悪くも特徴的な男で、体育教諭でもないのに常に赤ジャージを着用しており、日常ではよく怒鳴り声を上げ、手も上げるような人物である。

 そんな奴が、メンソールを握った千春を見るなり取る行動なんて、誰もが想像できる。悟は斜めに視線を落とし、嫌気を含んだ溜息をついた。


 これではもう、事件の考察なんてできっこない。

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