Episode10
午後四時を過ぎて、時間もだいぶ回ってきた。
客もほとんど帰ってしまい、残っているのはカウンター席の先客の男と、テーブルの若い青年の三人組だけだ。カオリはまだ二階へ上がっている。
アリス――去り際に名前を教えてもらった――とは友だちになれた。彼女は、時間ができたらまた来る、とユズキに約束してくれた。なんだか、気に入ってもらえたみたいでとても嬉しい。
「ロン。また、俺の上がりだな」
若い青年の三人組の中の一人――鈴木が雀牌を倒してニヤリと笑った。
「また兄貴っすか」
「勝てる気がしねえ……」
鈴木の子分であるらしい残りの二人――倉本と高橋がわざとらしく嘆く。
ユズキは今、テーブル席で若い青年の三人組と麻雀をしている。冗談半分で三人に誘われて、本当にできると答えたら、現在の状態に至った。
「それにしても、驚いた」
鈴木が、雀牌を崩しながら言った。
「今時、その年で麻雀ができる奴がいるとはな」
「はあ、そうでしょうか」
「そうさ。兄貴の言う通りだ」
倉本が同調する。
高橋もそれに合わせるように、
「ちょうど面子が足りてなくてよ、いてくれて助かった」
と言って頷いた。
そう言われても、ユズキにはいまいちピンとこない。
麻雀はユズキが物心つく前からすでに教えてもらっていたし、賭け麻雀もやっていた。負けると度、両親から執拗に体を蹴られたり殴られたりしたのをよく覚えている。
「なあ、良かったら、俺たちの面子仲間にならないか」
鈴木が突然、変わった提案をしてきた。
「ええと……」
ユズキは店主のことをチラ見した。特に何の反応も返ってこない。割りと規則には緩いな人なのかもしれなかった。
別に、悪い人たちの勧誘というわけではなさそうだけど――。
「そうですね……」
ユズキは少し悩んだ末、暇が空いた時なら、と承諾した。
「決まりだな」
鈴木は上機嫌だった。
いきなり、ユズキに小声で話しかけてくる。
「それじゃあ、お前には、特別に面白いことを教えてやる」
露骨に怪しい。
あ、やっぱり止めておけばよかったかもしれない、とユズキは少しだけ後悔した。
「俺たち、麻薬を売ってるんだ」
「麻薬?」
胡散臭い話だ。
麻薬――小学校の防止教室で、一度だけ聞いたことがある。
「高校生からターゲットにして売ってる。これが、面白いくらい儲かるんだわ」
高校生と言われて、ユズキはすぐカオリのことが頭に浮かんだ。
率直に訊く。
「カオリさんもターゲットなんですか?」
鈴木は首を横に振った。
「店主の娘は狙わない。そうしたらここに入れなくなるからな。この店は気に入ってんだ」
「手は出さねえって約束するよ」
高橋が言った。
「店主には秘密な」
三人が店内で怪しい動きをしない限り、誰にとやかく言うつもりはなかった。
でもどうして、僕にこんな話をするんだろう?
窓ガラスから、高校生くらいの少女が、店の外の階段から降りてくるのが見えた。カオリがまだ二階にいるから、彼女の知り合いかもしれない。
「さて、そろそろ行くか」
鈴木が目配せして、三人が一斉に席を立ち上がった。急に帰る気になったらしい。
「帰るんですか?」
ユズキは訊ねた。
「仕事」
鈴木が素っ気なく答える。
「じゃあな。また相手してくれよ」
三人はカウンターに金銭を置いて行くと、扉からぞろぞろと出て行った。
店主が、ありがとうございました、と言って頭を下げた。ユズキも慌ててそれに習う。
変な客もいたものだ――と胸中で呟く。口には出さない。
カウンターにはまだ店主と大倉が残っていた。
ユズキは、無人になったテーブルを布巾で拭いている。その後は床を箒で掃かなければならない。
大倉はコーヒーをチビチビ飲んでいる。
「お前も、変わった店員を雇ったものだな」
「まあな」
店主が頷く。
「家出してきたって話だが……そりゃあ、果たして本当なのか?」
「さあ、それは分からない」
肩をすくめる。
「分らないって、お前な」
「本人が言おうとしていない。だから、まだ、隠しておきたいんだろう」
ふん、と大倉は黙った。
これ以上、店主から何か言うつもりはなさそうだった。当分は様子を見る、ということなんだろう。
余計な詮索をする気はない。
話題を変える。
「ところで、いいのかい。あのテーブルは」
大倉は、若い青年の三人組が座っていたテーブルを指差した。テーブルには、雀牌の積みかかった麻雀セットが、片付けられないまま放置されている。
「いいんだよ。ほっとけ」
店長は特に顔色を変える様子もない。
「……次回から、あの三人にはそれぞれ滞在料を徴収することにするよ」
「ほう」
相変わらず真顔で冗談を言ってくるので、大倉は苦笑した。
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