第3話 夢の国
――寝過ごしたぁ。
と、ツイッターのタイムラインを眺めていたら、フォロワーさんが呟いていた。“らあだ”というアカウント名の女子高生で、漫画家CLAMPの大ファンである。女子高生で『東京BABYLON』が大好きという、筋金入りだった。そうそう居るものではない。(尤も、私も中学時代にCLAMPの『東京BABYLON』を含む初期作品を読み漁っていたが)
フォローして以来何度かツイッター上で話したことはあったが、今回初めてコミケの会場で会う事になっていた。朝の入場から一緒にいるわけではなく、会場内で顔を合わせる、という程度のものである。だから彼女が寝過ごしても、我々にはあまり関係が無い。
武蔵野線は、かなり混んでいた。朝六時半の東京行だから、混むのは当然であろうが、年末30日でこれはどういう訳か。
妹は案外嫌な顔をしていない。ぎゅう詰め状態ではないこの程度は想定内のようだ。
「この中で、何人コミケに行くのかな」
妹が小声で訊いてくる。
「何人かカタログ持ってる人がいたし、下手するとこの乗客の半分は行くかもね」
と、冗談半分に行った。
乗客は、若い層が非常に多かった。何名かはどうもコミケに行くには若いような気もしたが、「ある駅」に到着した時、私は納得した。
車両の半数の乗客がその駅で降りて行ったのである。
その駅こそ、舞浜駅だった。
「みんなディズニーランド目当てか」
健全な若者たちの後姿を車窓から眺めていると、何人かの家族連れや学生が、我々の乗っている車両を見ていた。
「あの人たちは何処へ向かうんだろう?」
と言った表情を浮かべている。私は心の中で応える。あなた方と同じ、夢の国へ行くのだと。その代り、人口密度はそちらの二倍以上で、辛さもこちらの方が上ですが……。
私はこの時、コミケへ行ける嬉しさもあって、テンションがおかしなことになっていた。私は車内でFace BookとLineの「文芸部」と言うグループへ、このような文章を投稿している。
さ〜て、今回の冬コミは〜?
(BGMサザエさんの予告の曲)
中村です。コミケの会場に向かう武蔵野線の道中、舞浜駅でティーンエイジャー達がドッと降車していきました。
私は本日、即売会という夢の様な場所に行きますが、彼ら彼女らもまた、浦安の夢の国で青春を謳歌するんだなぁと思うと、何だか非常に感慨深い気持ちになって参ります。
さて本日は、
中村、コミケに中二の妹を引率する
カタログに挟んでいた宝の地図が見当たらない
カイロの袋に穴が空く
の3本です。
今年はお世話になりました。来年もよろしくお願い致しますね。
じゃん、けん、ぽい👊
ウフフフフ。
すいません。コミケという事でハイになっておりますm(_ _)m
我ながら、頭のねじが吹っ飛んでいたとしか思えない(因みに文中の「中村」とは、筆者・中嶋條治の名字である)。
「本日の三本」も、後半二つは完全なる創作である。
この莫迦な文章を打ってスマホ画面に集中し過ぎていたせいで、うっかり車内のアナウンスを聞き逃した。舞浜を出たと言う事は、新木場駅まではもうすぐの筈である。
外を見ると、電車は既に駅のホームへ入っている。駅の看板を見たいが、何分看板が小さいのは致命的だった。しかし、見慣れたホームではある。
「しんきば~。しんきば~」
よし、新木場だ!
「降りるぞ」
「え? あああああ……」
妹は私の予告なしの降車宣告に困惑した。しかし、そんなものは彼女にとって次の瞬間、何でもなくなる。
「人、多っ……!」
この妹の感想は、二〇一三年のコミケ初参加時の自分を見ているような気持にさせられる。
駅のホームは人で文字通り溢れていた。京葉線直通の東京駅へ向かう列車で、舞浜で降りずに残っていた乗客の八割以上が、この新木場駅で一気に降車するのだ。必然的に、改札へ向かう下り階段、エスカレーターには長蛇の列ができる。これが、我々が本日最初に体験した行列となった。尤も、直ぐに歩みは進んで、エスカレーターに乗れた。
歩いて降りようとした妹の肩をしっかりと掴む。
「コミケはエスカレーターの通行禁止だよ。これは駅でもそうだ」
「何で? 会場じゃないのに!」
「御尤も。でも、『家に帰るまでが遠足です』って学校で習っただろうが。コミケもそうだ。家から出て、家に帰るまでがコミケだ。それにこの新木場駅はコミケ参加者がめちゃくちゃ利用する。最早『準会場』と思っていい。コミケのマナーをわきまえて行動しろ」
あくまで筆者個人の感想である。
「コミケのマナーなんて、言われてないよ」
「まあな。お前さんの普段の行いを見ていたら、言う必要もないと思ったんだ。それくらい、常識的なルールなんだから」
この妹は、学力は小学生並みであるが、マナーや常識力はそれを上回っている。決して年齢相応だと自信を持っては言えないが、私もその辺りの心配はしていない。
そう言い合う内に、エスカレーターは我々を改札階まで運び終えようとしていた。
「流れを止めちゃだめだ。Suica出しとけ」
と、妹に言った。改札口の真ん前でICカードや切符を出すのにまごついて大渋滞を引き起こす、と言ったトラブルの前始末である。
妹はすぐSuicaを取り出して、エスカレーターを降りた。私も定期入れを手にし、改札を抜ける。残高は二千五百円以上。目的地――即ちりんかい線国際展示場駅までと、その駅から我が家の最寄り駅までノーチャージで十分行ける額である。
「残高、いくらだ?」
妹は二千五百円くらい。と答える。曖昧な返事だが、少なくとも二千円は残っていると言うので問題はない。
そのままJR京葉線の改札を出ると、我々は人の流れに乗って左手に向かう。東京臨海高速鉄道りんかい線新木場駅の改札口である。
改札をスムーズに通り抜け、駅のホームへ降りていく。駅員さんの「走らないでください」という掛け声は、早くも嗄れ気味である。まだ二日目の朝なのに、と読者の方は思うかもしれないが、無理もない。一日目の混雑も相当なものだったはずだ。一日少なくて十七万人、多くて二十万人が来るイベント会場の中継駅である。我々のような黒山の人波がずっと続くのだ。舞台役者や歌手でもない限り、声も嗄れる筈である。
駅のホームに降りると、既に大崎行の電車がホームで停車していた。新木場は始発駅なので、例えコミケの日であっても座れる場合がある。
階段を降りたばかりの車両は駄目だったが、前方へ歩いてゆくと、直ぐに空席が目立つようになる。我々は手ごろな二人分のスペースを見つけると、ドッカリと腰を下ろした。
暫くして、電車は発車した。妹は臨海の景色に大した興味が無いらしく、持参していた『封神演義』の単行本を読んでいる。
私は新木場~東雲間の臨海地区を眺めていた。時刻は七時。まだ太陽は建物の陰に隠れて見えないが、その明かりは早くも東京湾や建物を煌々と照らしている。空模様は、雲がほとんどない、「ピーカン」という撮影用語がピッタリな日和である。空は未だ「青い」と言うには暗すぎる、群青色とも言うべき状態だが、今日は快晴になりそうだと容易に予想できた。
東雲駅を通過し、地下へ車両が潜っていく。目的地は直ぐそこだった。
「おし、行くか」
妹はコミックスから顔を上げて、「うん」と返事をする。
リュックに『封神演義』をしまっている内に、電車はホームに入っていた。
「戦場に着いたぞ」
冬コミに中学生の妹を引率しましたレポ 中嶋條治 @nakax-7
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