外伝「面食い」2

 夕飯後、彼はレポートの見直しをするといった。俺はだから先に風呂に入ることにした。設備は古いが洗い場も風呂桶自体も広いので気分がいい。彼に、昨日シャワーだけだったしゆっくり入るといいよ、と送り出されたとおり俺はひとりで悠々と湯につかった。

 いっしょに暮らす前、彼は冬以外ほとんどシャワーですましていたと言っていた。俺は真夏だろうと風呂に入らないではいられないし、依頼人のところで一夜明かしたのでなければ朝にシャワーを浴びる習慣もなかったのでその違いに驚いた。癖のある淡い色の髪や目の色といい筋肉質で腰高の体型といい洋画の男優みたいだ。

 さっきの映画を思い返しひとりでわらったところで彼が入ってきた。

 俺はまだ、明るい場所でその肢体を目にすることに慣れないでいる。始めのころはなんとなしに圧倒されて気後れした。

 それはともかく俺が意識しすぎかと、背中を洗おうかと声をかけたが断られた。それで気を悪くしたわけではないが、いつもなら素直に肯くのに不思議におもった。すると黙々と身体を洗っていた彼が、俺を洗いたいと言い出した。あいにく頭も身体も洗い終わっている。そう述べたが、でも洗いたいとくりかえされた。そのまま俺をひたすらに見つめ続ける。さっさと湯船につかればいいのに、立ったままこちらをじっと見おろしてくる。俺はどうも、この目によわい。

「……洗うだけなら」

 今朝からずっと機嫌が悪かったのは察しているつもりだ。レポートの出来が思うようにはいかないのか、いや、それはないだろう。彼に限ってそれはないと感じた。だとしたら朝、ベッドで俺がちゃんと相手をしなかったからか……これは有り得ると考えた。

 身体を洗うだけだからなともう一度しつこく念を押した俺に彼はちゃんと頷いた。それなのに彼はじぶんの使っていたボディタオルを泡立てただけでほうりだし掌で触れてきた。

 途中で抵抗を試みるのだが、どうにかなった試しはない。というよりいつも、どうにかされてしまう。否応もなく反応したそこを泡立ちに包まれながら、掌でされるほうがきもちいいでしょと耳に注ぎこまれては否定できない。

 逆も試した。彼のからだを俺が洗うこともある。だが、風呂場ではどうも分が悪い。体温があがっているせいか、それともその始まりのときがああだったせいなのか、いつのまにか、それこそ文字通りの意味で丸め込まれているような気がする。さすがに手籠めにされているとは言わないが、こちらの分が悪いのはどうやら決まりきったことらしい。

 その証拠に俺は床に腰をつき、投げ出した脚を彼が片方ずつ抱えるようにして踵や足の指の間を洗い清めている。こうなるともう、俺は床についていないほうの手で自分の口を押さえるほかにすることはない。彼の身体をつかまえて愛撫し返そうとすると、まだ洗い終わってないと真剣な表情で撥ねつける。俺は彼の目の前でそこを擦りあげるわけにもいかず、彼がひととおりのことをし終えるまで待たされて、ほとんど唸るような声で懇願することになる。

 それでも、俺がのぼせて目をまわして以降、風呂場で執拗に撫でまわされることはなくなった。たいてい頃合いにベッドへ移動する。だから今日もはじめにそう念押しをしたつもりだった。それなのにシャワーで洗い流したあとに彼は俺の前に屈みこみ、たちあがりきったものに手と口を添えた。もうちょっとここでとねだられたので忘れたわけではないようだが、脚を肩に担ぎあげられるこの態勢はどうにも落ち着かない。

 けれど、彼はそこに触れたいのだ。

 繋がりたいとくりかえされて俺はそれを承諾した。しかもその前に彼は俺をそこへいざなった。たぶん、本当はすぐにも俺を抱きたかったのだろうに――そう考えて、胸の奥に小さな痛みが襲う。俺はどうしようもなく嫉妬深い。その初恋の相手を彼が忘れないでいると考えるだけで辛い。それに、俺にはああ言ったが、彼がその後に誰とも付き合ったことがないはずはなかった。いや、付き合ったことはないのだろう。嘘を吐かれたとは思っていない。だが、誰とも寝ていなかったとは思えない。俺がいくら鈍くとも、それは想像できた。

 だから、これくらいの恥ずかしさは耐えられる。

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