外伝「木染月」6

 すると彼はすぐさま油断も隙もないと言いながら俺の手を握りこむ。一昨日の夜さんざん見せられたからなと付け足すと、あなたが鏡見て亢奮するからと腰骨を掴んでゆっくりと揺すりはじめる。どっちが、と言い返すつもりでいたが声にならなかった。なかで押し引きされる感覚に気をとられた。強烈な圧迫感に慣れたあと漣のように揺すられると熱があがる。こわばりが解け、汗が噴き出る。声を殺すために口をとじるのも難しい。片腕と頬を押しつけている敷布が水でも零したかのように濡れている。目隠しを取ろうとした手を彼が阻む。そのまま両腕を掴まれて上半身を引き上げられた。

 ぐいと背中が反って反動で顎もあがる。

 彼が俺の両手首をひとつに掴み、空いた右手で乱れた髪を右へと梳いて流す。そうして、背中きれいと漏らした。何の気なしにそんな痴れ事を口にするから俺は呻き声しかあげられない。いっそ辱めるために囁かれたほうがずっといい。どう返していいかわからない。こんな態勢は嫌だと告げるタイミングを見失う。もう俺は、背後から貫かれ律動に合わせて喘ぐだけだ。角度が変わり抉られるような感触はあるが痛みはあまりない。ぐずぐずとした頼りない快感だけが続いている。いやだと首を振ると腰骨をおさえていた手が前へまわる。俺の張りつめたものの先端だけをくすぐっている。そこばかりはなにをどうされようと疑いもなくきもちがいい。どうやら締めつけたらしく後ろで息を荒げて動きをとめた。

 そのまま右手を外されて俺は布団に手をついた。彼の手が頭の後ろの結び目に触れる。ついで、ようやく視界を得た俺を強い力で敷布に押しつけた。おい、と文句をいうと顔が見たいと引き抜いた。焦らされているのかと苛立つが軽々と俺を抱えあげてまた降ろした彼にも余裕がなさそうだった。

「したいことはもうないのか」

 わざと煽るようにそう言って下から覗きみてやると、ふと真顔になって俺の尻に手をあてがった。熱はもってないねと穏やかな声が返り、たいそうばつが悪い。音のわりに痛みはなかったとこたえたほうがいいか考えた俺の頬に手の甲が添えられる。そしてそこをするりと撫でながら、あなた変なふうに照れるよねと指摘した。憮然とした俺の顔が可笑しいのか笑いながら膝裏に手を入れる。俺はもう抵抗しない。力抜いててと囁いて倒れ込むように圧し掛かってきた。

 あなたが猫に指舐めさせてあんな顔してなきゃこんなことしなかった。

 何もかも俺が悪いみたいだな。

 いや、かなりのところ猫が悪い。

 真顔で返されて吹き出した。すると、余裕ありそうだから責めるよと告げられる。

 あとは文字通り怒濤のようだった――……


 ふと気づくと、目の前に彼の顔があった。

 月光に縁どられた輪郭はやわらかく、いつも以上にととのって、やさしく見えた。俺はそれに見惚れた。付き合ってもう数か月たつのに、見飽きない。

 俺はいったい、いつの間に、これほど深く誰かの顔を遠慮なく見つめるときを持つことになったのだろう。不思議だった。それに、月光というのがこんなにも誰かの肉体をきれいに映し出すのかも知らなかった。

 彼は、いくらか眉をよせている。

 それでいて口元にはかすかな笑みをたたえていた。

 気遣われていることだけはとてもよくわかった。

「だいじょうぶ?」

 そう問いかけられてはじめて、軽く意識をとばしたのだと察した。まだなかに彼がいる。俺はとっさに腕で顔を覆った。

「大丈夫そうだね」

 そう言ったあと、なんとなく間の抜けた動きで彼が出ていった。俺は脚のあいだからいなくなった肉体から離れるように身体を横にむけた。立ち上がって逃げ出したいきもちに駆られていたが思うように身体が動かない。そういう俺の膝の横あたりでごそごそと気配がする。見なくともわかる。ゴムを外してティッシュの箱をつかみ、俺の腰のあたりでもたついているバスタオルを引っ張り――

「いい、俺がする」

 あとで風呂に入るとはいえ、いまそこを彼の手で清められるのは恥ずかしくてたまらなかった。

「なんで。いつもさせてくれるのに」

 後ろから抱きつかれて問われた。語尾がやや掠れているのは笑いをかみ殺しているせいだと知れる。くっついてると出来ないだろうと肘で押しやると思っていた以上にあっさりと離れた。

「ローション変えたから落ちにくいとおもうよ」

 ごしごし乱暴に内股をぬぐっていると頭のうえから声がした。麦茶のグラスをもって立っている。なるほど、すぐ立ち上がったのはこのせいか。

 腕を伸ばすがグラスが降りてこなかった。眉をひそめた俺の頬に手をあてて顔を傾ける。口うつしで飲まされた麦茶がぬるい。思わず、ぬるいと文句をいうと、氷溶けちゃったからねと彼が微笑んだ。

「風呂に行く?」

「……腰が立たない。連れて行ってくれ」

 俺は顔をそむけたまま言いきった。

 満月のように彼がわらった。

 この部屋へ入ってきたときお前がどんな顔してたか知ってるかと言ってやりたかったが我慢した。せっかくの檜風呂だ。風呂でまでいじめられは堪らない。俺はおとなしく抱き上げられた。寝てていいよと囁く今もまた笑顔なのだろうと思いつつ目をとじた。

 月光のようなくちづけがまぶたのうえに落とされても、俺はどうやら目を覚まさなかったらしい。




                    了

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