『夢の花綵』「その夢、咲き初めしころ」贐(はなむけ)

 あの子の両親が亡くなった日、己はあいにく仕事で遠出していた。電話の声は落ち着いていた。落ち着きすぎていたくらいだがそれをあえて指摘しなかった。そのかわり、うちに来い、といった。来るかと尋ねず、お前を引き取るから家に来いと命じた。あの子は弟子らしく殊勝な声でお世話になりますとこたえた。己はそれ以上なにも心配しなかった。それどころかこれでようやくあの子は一人前になれると慶んだ。

 本来ならばもっと早くに独り立ちさせてやるべきだった。だが世間というやつはそう甘くない。十代で「夢使い」になるとすれば歴史上著名な者と並ぶことになる。そうなれば傑出した才を疎む者もいる。早すぎる出世はあの子には辛かろう。だがこれで己の弟子をひとより早く夢使いにする世間向けの 「理由」ができた。己はそう安堵した。

 それでも学校をやめると言い出したのには反対した。あの子は酷く頑固だった。己の謂いに逆らうのはそれが最初で最後のことであったが、あの子は己に言葉の上だけであろうとも見捨てられるとは思っていなかった。己はそのことに驚愕し、出て行けという言葉をしまいこんだ。そして爺の教えどおりに出来ないとそのたびに家をおん出され、両親に置き去りにされて育った自身の小心をおもった。弟子のほうが、そんなところでも己よりずっと強かったのだ。

 学校の件はまだ決着がついていなかったが、ともかく着の身着のままで来いと言い置いた。言葉通り、制服姿に当座の衣服と勉強道具だけ持ってやってきた。車を出してやるといったら首をふった。 あの家から物を持ち出すつもりがないのだと知れた。

 夕飯の後、先に風呂に入れといったら目を瞠り、師匠より先には入れませんと可愛いことを口にした。一番風呂は嫌いなんだと漏らしそうになってやめた。己は長らくひとりで風呂に入ったものだ。祖父が建てたこの家を捨てるに忍びずここで暮らしてきた。所帯をもてば楽になろうと考えながらもそのたびに両親の最後を気に病んで踏み出せずにきた。その屈託をこんな一瞬で悟られて己は苦笑した。この子はこういうときだけ妙に聡い。いいから先に入れと顎をしゃくると思ってもみない素直さでハイと頷いた。

 背中を見送ってから若い男にしてはやけに長風呂なことに気がついた。なるほど、それもあって言ったことかと弟子の態度に笑わずにはいられなかった。そこは遠慮しなかったかと苦笑した。

 己がひとりで茶を淹れる準備をしているところにようやくやってきた弟子はパジャマ姿で畳に座り、お先に頂戴いたしましたと頭をさげて後、さも当たり前のように己の手から急須をとった。

  パジャマか……。

 茶碗も箸も枕も何もかも用意してやったつもりが忘れていた。野郎に下着を買ってやる趣味はないが、寝間着くらいは用意してやるべきだったかもしらん。この子が風呂のあとに下着姿でうろうろするとは思ってもみなかったので失念した。否、そこまで気が回らなんだ。

 お茶は美味かった。己は、この子よりずっと気の利く愛人たちよりもこの「出来のいい弟子」のほうがどうしてか己を理解していると知っていた。色気のないパジャマ姿で己の横に座り、なにを話すでもなく茶を啜っている己のたった独りの弟子――……。

「師匠?」

 己の視線に顔をあげてこちらをみた。問い詰めるようなそれに己は首をふる。

「何でもないよ。今日はもう寝ろ。ゆっくり休め」

 はい、とうなだれるように頷いた。そのまま茶碗をのぞきこむ姿を目にして己はこの子が風呂にはいっていたあいだに考えていたことを述べた。

「……学校はやめてもいい」

 驚きはあったが喜んだ顔はしなかった。それもそうだろう。次の言葉を待つふうなので続けた。

「そのかわり、一人前になったらこの土地を離れろ。ふつうなら己の客をお前に振り分けるのが筋だ。そのつもりでいたが気が変わった」

 何故、という顔もしなかった。こちらの考えは読んでいたはずだ。それは手前勝手な解釈かもしれんが、少なくとも己の「期待」は汲み取ったようだ。両手をつこうとした弟子の手をとめるべく茶碗をさしだした。

「お前、お茶を淹れるのが上手いな」

 それには満面の笑顔が返ってきた。本当はこいつが酒を呑めるといいのだが……。そう思った己は、二十歳過ぎてからこの家を出せばいいと安易に決めていた。

 己は、この子の親代わりになるには狭量すぎるが、独りで暮らしていけるようにだけはしてやれる。そうするのが己の務めだ。熱心に茶をつぐ横顔を見守りながらそう誓った。

 そのときに寝間着は授けてやればいい。


 了


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主人公×師匠風味

次回は委員長の語りです

どうぞお楽しみに☆

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