階梯と車輪16
外観は凄まじかったが、なかは思いのほか清潔で、なによりも広かった。板敷きの廊下に畳部屋なのも予想外で、彼ならその容貌に似てテレビドラマの主人公のような部屋に住んでいると思っていた。そう口にすると、
「ああ、おれ、ああいうモデルルームみたいな何もない部屋は無理です。山ほど本があるし、服とか色々物持ちなんで」
そんなわけで自転車は玄関の内側に置かれた。わたしは靴を脱いで、山ほどの山が本当に山なことを知って嘆息した。
「……これ、いつか床が抜けるんじゃ」
「おれも心配してますが、捨てられないんでねえ」
座っててくださいと示された場所に腰をおろす。散らかってはいない。ただ、物が多い。壁一面に本がある。CDやDVDビデオの類もごまんとあり、整頓されてはいるが圧倒される。この調子だと奥の寝室にはたくさん服の納まったクローゼットが鎮座しているに違いない。
「お茶でいいですか」
「お構いなく」
出てきたのは熱い麦茶だった。それは普通お茶とはいわないのではないかと口にしそうになったが、彼がわたしの体調を慮って温かいものを出したのは察した。
「何から話しましょうか」
卓をはさんで向かい合う。問いかけられはしたが、先ほどのはなしは据え置かれたと気がついた。むろん、それでもかまわない。
「会合の件を」
「その前に。おれが話したこと、時期が来るまで他のひとには黙っていてもらえますか」
首肯すると、彼は肩をすくめるようにして笑ってから、
「これがばれたらおれ、会から抜けないとならないんで」
わたしは正直どうしたものかと考えた。それが伝わったらしく、
「おれのことはいいんですよ。おれのことは、本当にかまわないんです。ただ、これはあなたにも関係する問題だから。本来なら、こういうやり方はおかしい。けど、おれがいちばん下っ端だし、あのひとたちにも考えがあるのはわかるし」
そのまま彼は、夢使いに被選挙権がなく公職につけないことなどをあげ、また戦中の強制労働と戦前戦後の搾取と弾劾について述べた。それらはわたしの知らないところではなかったし、賠償問題などで訴訟が起きている事実も耳にしていた。取り立てて珍しいはなしではない。彼がまだ考えあぐねているのだと理解して、わたしはそこで遮った。
「大学も関係していますか?」
「察しがいいですね」
「考え合わせたらそうとしか思えません。忙しそうなわりに就職活動をしている様子はない。いつも大学にいる。研究室ですか」
彼は無言でうなずいて麦茶を飲みほした。猫舌ではないらしい。わたしはそんなことに気がついて笑いそうになった。
「なにか」
彼が茶碗をおいて首をかしげる。
「いえ、なんでも。こないだホテルで見かけたひとは大学の講師のようには見えませんでしたが」
ああ、と彼はそこで何ともいえない表情をした。そしてしばらく口をつぐんだ後、何かしら覚悟を決めたような目をしてこたえた。
「あのひとは政治家です。このはなしの発起人でもある。おれの先生、つまり教授に話を持ち込んだのも彼です」
「たしかあなたは映画か芝居、演劇関係のゼミではなかったですか」
「転ゼミしました」
彼はそこでどうしてか苦笑を浮かべた。わたしは思い切って尋ねた。
「なぜ」
「何故ってそりゃ……」
彼はそこで無意識なのか、古文書が入った袋に手をのばした。わたしの目は自然にそれを追う。ほとんど女性的といっていいほどに白いが、委員長の繊くしなやかな手指と違って、紛れもなく男性のそれだった。
「……あなたのことが、知りたかったから」
こちらも見ず、ややぶっきらぼうな調子で呟かれた。わたしは、次になんと言えばいいか考えることをやめて茶碗を手にした。
だいぶ、冷めていた。
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