第六話

 私の両親は厳しい人だった。父は地域で有名企業の役員を務め、絶対的な結果を求める性格で、失敗を絶対に許さない。 母は教師で、父と同じように厳しいが、絶対的な結果を求めず、失敗から学び自ら目標を掲げる事が大切だと考えており、失敗を許す人だ。私の家は男優位で門限があったため、母や私は それに苦労した。就職や結婚の話まで持ち込んできたため、私は我慢できず父に反抗した。殴られたし、母にも私の育て方で当たった。母が私を庇わなかった事は不満だが、家の状況を考えれば仕方がない。

 私は父の力から免れ、自由で一個人として尊重された生き方を欲していた。だから、私は就職を口実に実家を出ることにした。母にも一緒に行こうと勧めたが、行くか迷っていたため、結局、私だけ出ていくことにした。お盆と正月には帰るが、片手で数えられるくらいしか帰ってない。

 今日の場合は例外だ。里恵と香澄さんたちとの、イベントに参加した日の夜に母から『父が倒れたため、至急帰ってきてほしい』とのメールが来た。本当なら帰りたくないが、親不孝な娘と言われるのは ゴメンだ。次の日、早めに出社し、上司に三日間の有給を申請し、同じプロジェクトチームの副リーダーに資料を引き継ぎ、昼頃には会社を出た。私の実家は新幹線と普通列車の乗り継ぎを含めて三時間、駅から車で一時間掛かるので、移動が大変だ。職場から直接行くことにし、長い移動の末に故郷の駅に着いた。駅には母が迎えに来ていた

「忙しい時に来てもらってゴメンね」

「うん・・・。」

 私は母からの言葉に返す言葉が見つからなかった。それから父が搬送された病院に向かった。父の容態については車中で詳しい話を聞いた。父は脳梗塞で倒れたようで、命は助かった。普段の生活に支障はある上に仕事をするのは困難な状態。私は 命が助かった事にホッとし、病院の待合室で母から今後の事について話した。しかし、話の菜かで私は母のある言葉に衝撃を受けた。

「お父さんが前に言っていた事なんだけど、『もし自分の身に何かあったら、美幸に仕事を引き継ぐように』と言っていたわ」

「なんで私が・・・。私にはあっちでの生活がある上に、急に言われても無理だよ」

「お母さん自身、無理にとは言わないわ。あなたには自分の人生を歩んでほしいわ」

 母のその言葉が出たことは嬉しかったが、母は話を続けた。

「ただ、お父さんは地域にとって重要な存在でもあるから、今回の件は影響が大きいわ。急に言われて混乱したと思うわ。一週間以内に返事をちょうだい」

「うん・・・。分かった」

 その言葉が心に重くのし掛かった。私も故郷が好きだ。しかし、父の考えに従ってしまうと、ここに生活を戻さなければならない。私にとって、引き受けたくない。今でも父からの拘束があるとは。里恵と会えなくなることは私にとって、耐えられない事。

(里恵と会えなくなるなんて、嫌よ!)

 自分にとって、苦しく、辛い決断をしなければならない今の状況から逃げたい気持ちでいっぱいになった。その瞬間、視界が急にぼやけ始め、私は そのまま床に倒れた。

「美幸!! しっかりして美幸!!」

 母からの呼び声に返事しようとしたが言葉が出せず、少しずつ意識が遠退いていった。


 倒れてから何時間経ったことか。目を開けた時、白い天井が目に入った。自分が病室のベッドの上にいる事に気づいた。

(たしか治療室前で母の話を聞いて、その後 目眩がして倒れたんだった)

 父の仕事を引き継ぎか否か 思い悩んだ事が原因だと すぐに分かった。昔から一人で思い悩む性格で、よく周囲に迷惑を掛けた。

(大人になっても同じ事をしてしまう自分が悔しい)

 ベッド横の棚に置かれていたスマホの画面を見て、倒れてから二日間寝込んでいた。

(今晩には戻る予定だったのに)

 自分の性格を悔やんでいた時、扉が開き、母が入ってきた。

「美幸!! 目を覚ましたんだね。良かった」

「お母さん、ごめん。また迷惑を掛けちゃって」

「気にすることないわ・・・」

 母は私が無事であったことに胸を撫で下ろした。

「お母さん、お父さんは大丈夫なの!」

「美幸・・・」

 母は私の問いにすぐ答えず、間を開けて話続けた

「美幸、お父さんは昨夜に目を覚ましたわ」

「良かった・・・」

 父が目を覚ました事に喜んだ。しかし、母は 浮かない顔をして話続けた

「でも、お父さんは今朝 亡くなったわ。今朝になって、容態が急変したの」

「えっ!?」

「お母さんは美幸が来る前に医者からお父さんの容態を聞いていたの。手のほどこしようがない状態で助かる確率が微々たるものだということを。美幸には心配を掛けまいと、嘘をついていたの。でも、仕事の事は本当よ」

 父が亡くなって、父の恐怖から解放されるという気持ちがあったものの、肉親が亡くなった事への悲しみが一番強い

「お母さん、そうだったのね」

「美幸、黙っていてゴメンね」

「そんなことないよ。お母さんは私を思っていて、黙っていたのでしょう・・・」

 それからというものの、医者から簡単な容態のチェックを受け、即日退院した。

私は次の日の朝に職場に連絡を取り、父が亡くなった事を伝え、追加の休暇を取り、すぐに通夜と葬式の手配と準備をした。親戚や仕事関係者だけでなく大物議員まで来たときは父の影響に驚いた。葬式は問題なく行う事ができ、相続も問題なく決める事ができた。しばらくは実家には母のみ住む事にした。最初は一緒に住む事を提案したが、母から『もう少し、経験を積んでから戻るように』と却下された。だからといって、一人にするのは申し訳ないし心配なので、週末には実家に帰ることで折り合いがついた。いつまでも悲しんでいられない。このまま悲しんでいれば、父は私に怒るだろう。母は『一人でも大丈夫だから、あなたなりに生きなさい』と言われた。悲しみを表に出さず、お互い強く生きようと母と誓い、私は実家を後にした。

 悲劇は私の事をまったく考えずに再び襲ってきた。私が去ってから、三週間後に母が亡くなった。私に連絡が来たのは朝方 職場に着いた頃。連絡によると原因は車に跳ねられた事により全身を強く打った事だと聞いた。母の葬式の時、母の同僚や近隣の人から『父が亡くなってから様子が変わり、仕事ミスや疲労感が目立っていた』と聞いた。私は父だけでなく 母という大切な人までも失った。『もし、あの時、無理矢理にでも母に寄り添ってあげれば』、後悔するようになった。

 葬式や相続は親戚や近隣の配慮で手伝ってくれたので、私の負担は少なかった。実家の家は仲の良い親戚が相続することにした。懐かしいが、ここでの生活を思い出すと心が苦しくなるので、その方が良い。遺品は私と親戚、近隣の方の協力で処分する事にした。一通りやることが済み、実家を去る時、父と母の事が頭をよぎった。私や母に対し、厳しく嫌いだったが強く逞しい父だったと亡くなってから気づいた。母は私にやさしく、時には厳しかったが、本当に良き母だった。だが、二人はいない。身近な存在である家族を失い一人になった。

(これからどう生きれば良いの・・・)

 一人になった自分に問いかけ、家族との思い出に浸りながら、実家を後にした。

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