年中行事も対応します
渡された納品書を確認し、美優は小さく声を上げた。月予算の一割になる金額を、発注した記憶なんてない。しかも、内容にも覚えはない。
「地下足袋五十四足って……」
「あ、それは客注だから、金額だけ管理してくれればいいの」
店長にあっさりと言われて胸を撫で下ろすが、その客注の内容を担当者が知らなくて良いのだろうか。
「こんなにたくさん買われるのって、企業ですか」
「いや、町内会。毎年それくらい買ってくんだ」
そこまでの説明で、店長の前に客が立った。町内会が毎年地下足袋を買って、何をしようというのだろう。
POSのデータを確認して、地下足袋が売り上げ済で納品になっていることを知る。客先は東町内会、一緒に納品されているのは名入のタオルが二百本と、コンクリートを混ぜるためのプラ舟三個。
「……?」
なんだかよくわからない組み合わせだと思いながら、とりあえず納品書に担当者印を押して本部行きの引き出しに入れた。疑問は疑問として、差し当たっての仕事をしてしまわなくてはならない。
売り上げが徐々に上向いてきているのは、肌で感じることができる。売り場に人間がいるというだけで、覗いてみる気になる人は多いのだ。まるで無人の打ち捨てられた売り場は気味悪いが、管理する人間がいて商品が入れ替わっていれば、いくらかの期待が発生する。前月に熱田から借りた作業着が呼び水になり、手袋や靴下を買いに来た人が、作業着をチェックしていくことが増えたのだ。
「朱雀じゃなくてさ、辰喜知入れてくれないかな」
「うーん。どんなものを入れたら買っていただけます?」
多少なりともスムーズに、客とそんな会話ができる程度には慣れたらしい。前月の売上が予想外に行ったらしく、当月七月の予算は、いきなり九十万に跳ね上がった。
「先月、百万も売りました?」
「客注もあったし、梅雨入りで雨具も出たしね。当然なんじゃないの?」
にこりともしないで、松浦は言った。
それに対して、言ってやりたいことはある。当然じゃないじゃないか。シルバー人材センターが来ても対応するのが今まで通り階下の人間ならば、裾上げを他店の作業着担当に頼まねばならず、時間が倍以上かかったはずだし、美優が売り場に立つまで雨具も長靴も在庫を置いていなかったのだから、来店者が他店で購入することも多かったはずだ。
前以て段取りのできる工具や建築資材と、作業服の販売は違うのだ。インターネットで買い物のできる現在、アパレルの店頭販売の強みは現物を確認できる点でしかない。それを主張しても、実績のない売り場への視線は変わらないだろうが。
ぼうっと就業カレンダーを眺めていて、ふと七月の最終週に気がついた。青字で記載されている伊佐治のイベント予定に、市民祭り参加(二号店)とある。土日で行われる市民祭りの日、美優は普段通りの勤務をしてから友人と祭りを楽しむ予定だった。
市民祭り参加って、聞いてないんですけど!ってか、私は日曜日定休だよね?アルバイトなんだから、イベント関係なくいつも通りでいいんだよね?
休憩室で一緒になった宍倉に、訊ねてみる。
「いや、美優ちゃんはどうか聞いてないけど。今まで作業服売場にいた女の子は、みんな出てたねえ。やっぱり屋台でも、女の子がいたほうがお客さん来るし」
「屋台っ?」
「うん。そろそろ検便の容器が来ると思うよ」
いや、本当にまったく聞いてないですから。まさか通達しないで全員理解するくらい、当然のことなんですか。
翌週、本当に当然のように松浦は保健所の注意書きと容器を美優に渡した。
「この前、足袋もたくさん出たでしょ。そろそろ準備しないとね」
そう言われて、あの地下足袋が何に使われるものか理解した。神輿の担ぎ手が履くのだ。
「お祭り、私も仕事ですか?」
少々情けない声が出た。そんなに大きな祭りではないが、友達と屋台の食べ歩きは楽しいものだ。
「年間スケジュールにあったでしょ? 女の子にいてもらわないと」
説明しなくてもその予定でいるのは当然だとばかりに、松浦は返事した。
かき氷のシロップが、休憩室にいくつも運び込まれている。もしかしてお祭り用だろうかと思いながら、美優は一生懸命見ない振りをしていた。お祭りで食べるかき氷は、そりゃあおいしい。他人がかいてくれたものを、暑い最中に食べながら歩くのであれば。
私が売るの、あれ? あとは焼き鳥とフランクとか言ってたっけ。誰が真夏に火の前に立ちたいっつーのよ。何か言い訳作って抜けらんないかな……ってか、超過勤つけてくれんでしょうね。
工具店が市民祭りに出店する必要を、教えて欲しいもんである。商工会の一員としてとか言われたって、商工会に入っている会社がすべて屋台を出すわけじゃない。調子の良い叔父が、ノリで参加しているとしか思えない。売り子以外に休憩所の世話係と言われて、うんざりする。ちょっとだけ手伝って友達と待ち合わせなんて、できそうもない。
「二日間とも、ですか?」
「神輿が出るのは日曜だからね、土曜日は夕方から出てくれればいいや」
下準備と片付けを免除されたらしい。祭り当日は店舗の方は客が少なすぎて商売にならないから、レジと接客ひとりで店を回すという。
「……特別手当とか」
「俺は給与に係ってないから、知らない。後でタイムカードだけ手書きして」
タイムカードってことは、通常の時給で規定外の仕事をしろと? しかも休日出勤で?
「振替休日は」
「時給なんだから、休んだ分給与は減ります」
なんだか、すっごい損な仕事のような気がする。
毎年一緒にお祭りに繰り出す友人たちに今年は売り子だと告げると、買いに行くから安くしろと来たもんだ。待ってるから帰りに呑みに行こうとか、一緒に騒げなくて残念だとか言ってくれる人がいない。
「いや、実はさぁ、そのあと彼と会うんだよね。美優が不参加なら、私もパスしていいかなあ」
「大した祭りじゃないんだしさぁ、晩御飯代わりって感じじゃん」
学生時代みたいに、お祭りだからと浮かれる人はいない。おしゃべりのために集まるのなら、いつでも集まることはできる。ただ友人たちが集まる場所に、一緒にいたいだけだ。売り手と買い手じゃなくて、自分も同じ方向から祭りを楽しみたい。
なんで工具店が焼き鳥焼くのよ。ぜったい面白くない。
そんなこんなで訪れた祭り当日。着せられた藍色の法被は、背中に凛々しく「伊佐治」の染め抜きである。腰で帯を締めるので、スキニーなボトムスで正解だった。普段の仕事用カーゴパンツのオジサンたちは、やけに腰がもたついている。店長の松浦だけは慣れているらしく、前掛け股引の職人装束だ。手伝いを頼んだ他店舗の社員たちと挨拶を交わしていると、交通規制の始まったアナウンスがあった。
「休みの日に悪いな、みー坊。デートの予定でもあったか?」
悪いとも思っていないくせに、叔父がそんなことを言う。
「そうよっ! 超ハイスペックなイケメンと、デートの約束してたんだから! キャンセル料の代わりに特別手当つけてねっ! 大体、何のための屋台よコレ!」
店内じゃないので、叔父にも普段の顔になってしまう。
「何のためって、顧客獲得のうちだぁ。ま、いればわかるさ」
叔父はのらりくらりと答え、かき氷のカップを目の前に積んだ。
「特別手当だ。焼き鳥もかき氷も、好きなだけ飲み食いしていいぞ」
隣で誰かがかいた氷にシロップをかけ、客に渡して料金を受け取る。ひっきりなしに訪れる客に、何もここで氷を買わなくても家で作ればただ同然でできるだろうと、悪態のひとつも吐きたくなる。自分は屋台のかき氷を口に運ぶくせにである。シロップが赤かろうが緑だろうが、原料は一緒だ。
「おっ社長、がんばるねえ」
汗を流しながら焼き鳥を焼く叔父に、客から声がかかる。
「いらっしゃい。今日はご家族連れで、楽しいですねえ。お嬢ちゃん、つくね好き? なら一本サービスしちゃおう」
叔父が調子よく常連客に愛想をふりまく。
「工具で儲けてるんだからさ、夜店でまで儲けなくてもいいじゃないの」
「いやいや、零細企業ですからね。そうだ、来月は電動工具のフェアやるんで、遊びに来てくださいよ」
手回し良くさりげなく、チラシを一緒に渡していたりする。
お祭りの日に仕事のチラシなんか渡したって、捨てられちゃうのに。そう思いながら、黙々と(若干ぶすったれて)客に氷を渡す。
「あれ、社長のお嬢さん?」
そう声をかけられて、頭を上げた。
「いえ、二号店の従業員です」
「女の子なんていたっけ? 事務の人もいるのかあ」
店長が横から口を挟んだ。
「柿山運送さん、いつもカウンターで用事済ませちゃうから。その子は二階担当なんですよ」
柿山運送と呼びかけているのだから、結構な常連客なのだろう。
「え? 二階に人なんていたの? 上がったことないから、知らなかった」
「二階は軍手とか作業服。柿山さんの手袋も、普段は二階に置いてあるんです」
店長の説明に、美優はにっこり頭を下げた。
常連客っていうのは、売り場を知っているものだと勘違いしていた。実際には必要なものだけを揃えさせて買っていく客の方が多いのかも知れない。
「へえ? この子が売り場にいるの? じゃあ、今度顔出してみようかな」
そう言われれば、愛想のひとつも言わなくてはならない。
「はい。いろいろ慣れてませんけど手袋もたくさん種類がありますので、一度見てくださいな」
営業スマイル付である。
叔父の顔が驚くほど広いのか、それとも祭りに来る人たちに普段の客が多いのか。結構な頻度で客と軽口を交わし、時々チラシを渡したりしている。
テントに貼った「工具店・伊佐治」の文字や取扱い品のPOPに反応した人に、店の場所を説明したりしているところを見れば、屋台が広報場所になっていることは否定できない。そんな工具店があることを知らない人でも、祭りには出てくる。普段ホームセンターで購入している層が、工具の専門店があるのだと知れば、興味をひかれることもあるだろう。
顧客獲得のうちだと言った叔父の言葉は、あながち出まかせというのでもなさそうだ。
「あれ、みーさん?」
いきなり目の前に立った客に名指しされ、思わず顔を見る。
「リョウ君! うわ、彼女?」
リョウが同年代の女の子と一緒に、浴衣を着て立っていた。
リョウと中学校の同級生だったという女の子は、はにかんで頭を下げた。その髪の色や化粧方法で、成績の良い子供の行く学校に行っているのではないことくらい、察しはつく。それでも恋人が親しげに話しかける人に無遠慮な目を向けたりしない程度の常識はあり、話している最中に自分がいることを忘れないでくれとアピールすることなんてない。
学校の成績や持っている仕事の種類、そして化粧や服装の趣味。それにばかり重さを置いていると、多分いろいろなものを見失う。同年代の鉄が、美優よりもずっと大人なように。
「そういえば、てっちゃんは一緒じゃないの?」
店にはリョウが鉄に連れられて来ているので、リョウがいると必ず鉄がいる気がする。
「クロガネさんは明日の準備で神社に行ってるよ。俺も明日は担ぎ手だもん」
「担ぐ?」
「神輿だよ。見に来てよ」
リョウと彼女にかき氷を大盛りサービスし、手を振った。
そういえば、神輿の担ぎ手ってどうやって集めるんだろう。市の広報紙で募集していたり張り紙があったりなんて、見たことはない。女友達は神輿を担いだりしないし、学生の時にそんな話を聞いたこともない。
都内の有名な祭りでは、町内会持ち回りで担ぐのだと聞いたことはある。町内会単位で募集するのかしら?そうしたら、回覧板にでも書いてあるのかな。
誰が担いでるのかなんて、気にしたことないや。神輿は眺めるもの、屋台は買い物するところ。今までと違う立場で祭りの中にいるって、これはこれで面白いかも。
二日目、前日の屋台に出勤するとすぐに、売り子から休憩所の世話係へと申し渡された。
「東町内会館前が最終休憩地だから、そこで年寄連の指示もらってね。そこから
「何するんですか」
「町内会館は多分、水分補給と漬物出すくらいかな。宮入したら酒と寿司だから、そっちは
宮入、つまり神輿を社殿に収めるまでを間近に見ることができるらしい。これは少し嬉しいかもしれない。
というのも、宮入前が結構派手な祭りなのである。まだ担いで練りたい若衆と、神輿を納めなくてはならない年寄(っていっても、実際は壮年である)が、参道である急階段を揉むのだ。若衆から気迫と腕っぷしで神輿担ぎの主導権を奪う年寄連が、階段の下で神輿を待ち構えている。
※注)練るっていうのは、押し戻しつつ前に進むっていうか、そういう意味。揉むってのは激しく揺り動かしたりすること。「乳を揉む」じゃなくて「満員電車に揉まれる」の方ね※
「今年は面白いと思うぞ。若衆の先頭が早坂の三代目だから」
早坂の三代目とは、もしや。
「おとっつぁん、ぼやいてたぜ。俺もまだ担ぎてえって」
「年寄連が本当にジジイばっかりになっちまったら、宮入できなくなっちまうからなあ。数えの二十九までにしとかないと、えらいことに」
続きそうな話の中に、ちょっと疑問を挟んでみる。
「社長(叔父さんとは言わないでおく)、早坂の三代目って……」
「みー坊も知ってるだろ? あの派手な頭」
知ってます知ってます、えっとそれが神輿の先頭って。
「あの子は気風が良くて煽るのが上手いから、年寄が手古摺るだろうな」
ふうん。てっちゃんって、地域にしっかり根っこ下ろしちゃってるのか。なんだか上っ面ばっかりの地域振興参加のこっち側と、全然違うんだ。
行けと言われた町内会館前では、すでにプラ舟に清涼飲料水の缶が沈んでいた。コンクリートを練るための舟の用途はこれだったらしい。
「あ、伊佐治さんが来てくれた」
世話役らしいひとりに、持ち場を指示される。ブルーの大きなポリバケツ(飲食店のゴミ置き場にあるアレだ)の中にホースで水を入れ、大きな氷を入れた。何本かの金属の柄杓を渡され、町内会の名入のタオルが横に積まれる。長テーブルの上に置かれているのは、軽い菓子類と胡瓜の塩漬けだ。
そこに遠くから掛け声と笛の音が聞こえてきた。
「おっ、来たぞ」
先に神輿を乗せるウマが入ってきて、近くで鬨の声が上がる。どこかで派手に揉んでいるらしい。
「私、何をすれば良いのでしょう?」
美優もやけにそわそわしてしまい、働かなくてはならない気分になった。
「そこに立ってて、やってって言われたことしてればいいよ。肩にタオル当てたいヤツにはタオルやって、甘い飲み物より水が欲しいってのもいっぱいいるから、柄杓渡して。女の子がいれば、みんな喜ぶから」
そんなアバウトなことで良いのだろうか?他に何人か控えている主婦たちは、紙皿を出したりおしぼりを作ったりしているのに。
ピーッと高い笛の音と共に、町内会館の前で突然大音声の掛け声が聴こえた。
「来るよーっ!」
法被姿の男が誘導のための棒を振りながら駐車場にしつらえた休憩所に入ってくると、後ろから威勢の良い男の声が響く。おいさ! ほいさ!と叫びながら、揃いの法被が黒と金に輝く神輿を押し進める。
鉄の姿が見えないと、美優は思う。確か先頭だって言ってたのに。それにしても、このカッコ良さは何なんだろう。男の集団ってむさいばかりのはずなのに、野太い声も暑さに歪んだ顔も、汗まみれの法被まで良く見えちゃう。
「下ろせーっ!」
神輿がウマに乗せられ、担ぎ手たちは一斉に肩を抜く。そして思い思いに休憩所の場所を取り始めた。美優が待機していたポリバケツ前にも、水やらタオルやらと人がやって来る。
「みー!」
そう呼んだ人が誰なのか、一瞬わからなかった。黒い髪を短く刈り上げ、暑さでか興奮でか、頬が紅潮している。肌蹴た法被の下の胸筋は固そうで、腹に巻かれた晒しと白い半股引から伸びる足が逞しい。
「伊佐治からはみーが来たのか。松浦のおっさんじゃ、テンションだだ下がるからなあ」
「てっちゃん?髪は?」
「黒染めってやつ。一応神事だしな。ちっと水かけてくんねえ?」
そう言いながら頭をぐっと下げ、水をかける場所を示す。
「ここからさ、ざばっと」
法被を肩から抜くと、首から上腕に続く筋肉が浮き出た。それはひどく生々しく、男臭く見えた。
柄杓で冷水を掬い、頭を低くしている鉄の盆の窪あたりに零してやる。濡れた犬みたいに頭をぶるぶるっと振った鉄は、大きく笑った。
「生き返ったぁ!」
肩抜きした法被が濡れているのは、美優が掛けた水と汗とどちらが多いのだろう。ポリバケツから水を掬って柄杓で直接口に運んでいる鉄の横で、美優は思わぬ緊張をしていた。
なんてゆーか、普段と違う味わい……味って何よ味って。髪の色が違うのもそうだけど、なんか違うのよ。服着てないから? いや、ハダカじゃないし!
自分にツッコミを入れつつ、どぎまぎ。
「あ、みーさん! ちょっと見てくださいよぅ、痛いんだからー」
人混みを掻き分けるように、リョウが近寄ってくる。法被をずらすと、肩には結構な内出血だ。
「これは痛そう……冷やす? タオルも当てとく?」
「泣きそうっすよ、もう」
氷水で冷やしたタオルをリョウの肩に当ててやって気が付くと、何故かまわりに人が増えている。身体を動かして体温の上がった男ばかり七人も八人も揃っていると、体感温度が十度くらい上がる気がする。お水と塩が欲しいのかなーなんて呑気に考え、リョウの肩のタオルを替えてやろうとしたその時、目の前を平手が横切った。ぱん、と小気味良い音がする。
「このガキが、お姉ちゃんに甘えてんじゃねえ!」
言葉は悪いが、ニヤニヤ笑いなので剣が立ってるわけじゃない。
「痛ぇの疲れたのって泣き入れて、やさしくしてもらってんのか」
「根性入ってねえからだ。これから宮入りで暴れんだぞ、ガキ」
見るからにリョウが一番年下で、兄ちゃんたちはヒョロヒョロした弟を構いたくて仕方ないのだ。
「だってほら、こんなに内出血しちゃってるんですよ。明日腫れ上がっちゃうよ」
差し出して見せた肩を揉まれ、リョウはギャアと叫び声を上げた。
「お姉ちゃん、こんな根性なし甘やかさなくていいからね」
美優に向かってにっこり笑った一際ゴツい男が、リョウを引き摺ってゆく。痛いの乱暴だのと言いながら、リョウは楽しそうに引き摺られていった。
いいな、男の子って何か楽しそ。
「肩入れろーっ!」
「
「上げろーっ!」
「
確かに、鉄はいた。先頭っていうのは物理的な先頭じゃなくて、音頭取りをしているというような意味合いだったらしい。精一杯出したらしい声は、割れてしまっている。鉄よりも年上の男もいるだろうに、ちゃんとまとまって気合を入れている。
悔しいけど、かっこいいじゃないの。こっちなんか、見やしない。別に手を振って欲しかったわけじゃないのに、なんだか置いて行かれた気分だ。
余ったからと持たされた清涼飲料水を抱えて、一度自分の店の屋台に戻ると、通りはごった返していた。宮入に合わせて少しずつ、人々が神社の方向へ移動していく。こちらも結構な戦場になっていて、水分を補給しつつ一息吐こうなんて雰囲気じゃない。
かき氷にシロップをかけ続けていると、夕暮れの気配が漂ってくる。
「みー坊、もう神社の方に行って。東町内会に混ざって
※注)直会っていうのは、神事に携わった人たちが神酒をいただいて食事を共にする儀式。形的には小宴会ですな※
今度は伊佐治染め抜きの法被を脱ぎ、カットソー(それでも伊佐治のプリントは入っているのだ)のまま、美優は裏参道から神社に向かった。表参道の下から入ろうとしたのだが、もう壮年の男たちが腕組みで神輿を待機していて、ものものしい雰囲気になっているのである。急階段の下から眺める最後の揉み合いを、はじめて上から見ることになる。地域では喧嘩神輿とも評される激しい神輿は、女が入ることは許されない。男女差別じゃなくて、物理的な問題で怪我をするからなのだが。
今までは激しい動きに圧倒されて見入っていたものを、違う角度から見る。知っている人間がその中にいるというだけで、神事はこうも身近になるものなのか。鉄が、リョウが、身体じゅうの力を振り絞って最後の揉みの中にいる。それだけで、ドキドキする。
直会の準備も終わるころ、参道が湧いた。神輿の帰還らしい。手伝いもそわそわしはじめ、世話役の中年者たちが見ておいでと背中を押してくれる。
「私たちが若いころは、もっとすごかったんだけど。男なら担げたのにって、悔しかったのよ」
地域によって祭りが違うことは知っていても、誰がどんな形で参加してるのかなんて、知らない。報道で見る祭りは華やかで、神輿の担ぎ手の肩が腫れ上がるなんて情報は流れない。
石段の上に立つと、最後の揉みははじまっていた。数段上っては戻る神輿の、担ぎ手の掛け声のテンポは早い。
「おいさ!」
「ほいさ!」
段の下にいる男たちが、後ろから中に紛れていく。誰かが担ぎ棒に取り付くたびに、動きが激しくなる。階段は担ぎ手で溢れかえり、薄暗くなった鎮守の林は、社殿からの灯りと階段下の屋台の灯りだけだ。担ぎ手たちの表情も汗も見えず、神輿の金の飾りがきらきらと舞う。
「おいっさ!」
「ほいさっ!」
掛け声だけが勇ましく、高く持ち上げられた神輿を彩っている。
ああ、綺麗だ。これに誰が携わっているのか、まったく知らなかったなんて。なんて勿体ないことしてたんだろう。知っていればこの迫力が、何倍も迫ってくるものなのに。ただ勇ましく威勢が良いだけじゃない。神輿を担ぐことに意義があるのかどうかは知らないけれど、汗まみれになって肩に痣作って、髪まで染めて真剣に取り組んでいる人たちがいる。
神輿は階段を行きつ戻りつして少しずつ近づいてくる。
「ああ、今回は揉みが長いねえ。若衆が強いんだな、御霊様も喜んでるんじゃないか」
隣で眺めていた老人が、感慨深そうに言った。揉みが激しければ激しいほど、喜ぶ神なのだという。強いと言われた若衆の先頭は、鉄だ。いくら体力自慢でも何時間も神輿を練ってきたのだから、そろそろ肩も限界に近いだろう。増えた担ぎ手に押し出されて神輿の担ぎ棒から離れてしまった人間が、まだ階段の下に控えている。
ずうっと見ていたいような、早く休ませてやりたいような。目を逸らすこともできず、美優は神輿の動きを追っていた。
一際の掛け声で、神輿は階段を上り切った。いつの間にやら担ぎ手の平均年齢が上がり、身体が一回りずつ大きくなっている。頭上高々と神輿を持ち上げ、宮入になる。若衆は半分以上押し出され、宮入のための年寄連が中心になっているらしい。
無事に神輿が納められ、渡御が終われば三本締めだ。お手を拝借の声に、美優も思わず手を合わせる。自分の手を打ち鳴らす音さえ聞こえぬ喧噪の中で、気分が高揚する。
お祭りって、食べ歩きや見物を楽しむものじゃない。参加することが楽しいのだ。
大急ぎで直会の行われる場所に戻れば、もう汗だか何だかわからないものにまみれた男たちが、次々と戻って来る。プラ舟から勝手にビールや清涼飲料水を取って、冷えてないだの一本じゃ足りないだのと言いながら、乾杯を待ち構える。
準備する方は慌てて鮨桶の蓋を外したり漬物のどんぶりを配ったりしているのだが、集会場だけで全員納まるわけじゃなくて、外に長机も用意している。
「中に入るのは、年寄連だけだから。若衆はすぐ帰っちゃうから、残ったお寿司もらって帰ってね」
「え? 飲んで行かないの?」
高揚しているだろうから、長々と飲んで陽気になるのかと思っていた。
「若い者の長っ尻は野暮だから、って言いたいとこだけど、実はみんな疲れちゃって飲み食いできないんだ」
教えてくれた世話役の言葉に、深く頷く。
「明日仕事を休める人ばっかりじゃないからね。職人さんが疲れ引きずったら、危険でしょ」
妙な場所で、職人という言葉を聞いた気がする。
「職人さんが多いんですか?」
「どっちかっていうと、そうだね。祭り装束と職人装束って似てるでしょ? 地域の職人が祭りを仕切ってた名残みたいだよ。土地に密着した職業だから、土地に密着した行事参加が多いんじゃないかな」
普段なら話もしないような年代の世話役は、若い女の子に解説できることが嬉しいのかも知れない。美優の交友層では得られない知識を披露してくれる。
無駄じゃなかった。無関係でもなかった。休日出勤分プラスアルファで、何か得たかも知れない。
「お、みーがここにもいる。見たか、宮入」
缶ビール片手の鉄と、顔にコーラの缶を押し付けたリョウが笑う。
「リョウ君、肩は大丈夫?」
「大丈夫っす! 途中から、痛いのなんてどーでも良くなっちゃって」
二人とも、頬が真っ赤だ。ひどく日焼けしたに違いない。
「すっごくカッコ良かった! お神輿効果で男前だった!」
上半身脱いでしまっている胸に、汗はまだ流れ続けている。肩はひどく内出血しているし、腹に巻いた晒しもビショビショだ。
「ありがとうな、今日。また伊佐治でな」
本当にあっけなく、若衆が帰っていく。寿司を一つ二つつまみ、汚れた白足袋のままで。
「お疲れっした!」
片手を上げて表参道に向かう後姿は、どれもやけに清々しかった。
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