第1章「そして少女たちはツチノコ狩りへ向かう」2話

 その鉄くずハイエースは、高速道路を時速120キロで走っていた。

 平日の早朝の、しかもマイナーな道とあって、周りにはトラック一台いなかった。

 広々とした道を走るのは、寧々と奈那の二人だけだ。

 故に奈那は、安心してエンジンを全開にしてすることができた。きゅるきゅるきゅると異様な音をたてて『神よ女王を護り賜えゴッド・セーブ・ザ・クイーン』号は爆走――あるいは暴走――する。


「これ、大丈夫か……? 壊れたりしないだろうな」

 寧々が心配げにたずねる。

「大丈夫大丈夫、まだ一回も壊れてないから!」

「……ロシアンルーレットする奴も、きっと毎回同じ事言ってるだろうな」

 ふたりの乗るゴッド・セーブ・ザ・クーン号は、見た目に違わぬオンボロっぷりを発揮していた。

 エンジンが妙な音を鳴らすのはまだいい。へたりきったサスペンションのせいで、椅子がさっきからガタガタと揺れっぱなしなのも許せる。

 だが、車体のフレームが軋む音だけは気になって仕方がない。

 車が揺れるたびにボンネットが跳ね上がる。ガムテープで補強された天井はあちこちヘコんでいる。

 ドアの蝶番が片方外れているのも、常に伸びっぱなしのシートベルトも、死の暗喩メタファー以外のなにものでもない。


 こんなボロ車、いつ分解してもおかしくはなかった。

 ツチノコ探しなんてのはただの口実で、本当は無理心中に付きあわされてるだけんんじゃないかと寧々は思う。


 が、奈那はまったく気にしている様子がない。

 それどころか。


「ねぇねぇ、寧々、見てて見てて!」

「お、おう。なんだ……?(めっちゃ韻踏んでるな……)」

「へっへ。いっくぜええええぇぇ!!」


 ついに死んだ。それが最初の感想だった。


 急カーブを目前にして、奈那が思いっきりアクセルを踏んだのだ。

 目の前には防音壁がそびえ立っている。

 このままなすすべもなく激突し、車体がバラバラになるところから、自身が真っ赤な壁の染みと化すところまで、寧々にはありありと想像できた。

(儚い人生だった。ツチノコ、見つけたかったな……)

 心にもない言葉が浮かんでくる。浮かんでくる間にも、壁はどんどん近づいてくる。奈那がブレーキを踏む気配はない。いや、今さら踏んだって手遅れだ。このままぶつかってあえなく死んで、そうなれば……。


 そうはならなかった。


 奈那がハンドルを切りながら、クラッチを素早く切り替えていく。

 ――ドリフト走行だ。

 時速120キロのGが寧々と奈那に襲いかかる。地面をえぐるタイヤからは、怪鳥の断末魔にも似た鋭い擦過音があがる。車体のフレームが、もう限界だとばかりにたわみ、歪み、だが致命的な損壊はぎりぎりで耐えていく。


 終わってみれば、全ては一瞬の出来事だった。


 気がつけば、寧々の前には障害物ひとつ無い安全な道路が広がっている。

「やった! 成功! どう? どう?」

 能天気な奈那の声が社内に響く。

 そんな奈那に、寧々はぱち、ぱち、とまばらな拍手を送る。

「……生きてるって素晴らしいな」

「うん、ほんとドライブって楽しい! わたし、ゲームでしか車動かしたことなかったからなー」

「……そうか。それはよかった」

 もはや皮肉を言う気力もなかった。

 寧々はぐったりとしたまま、生の実感を噛みしめていた。


  ○


 そんな暴走じみたドライブが二時間ほど続いて、ようやく高速を抜ければ、広々とした道路がどこまでも伸びていた。建物といえば、やたら大きなスーパーマーケット以外は、古ぼけた民家が点在しているくらいだ。遠くに連なる山々は霧がかっていて、どこか神秘的な厳かさすら感じさせる。

 要するに田舎……それも超ド級の田舎だった。

「なんというか……果てまで来たって感じだな。コンビニとか無さそう」

「へへ、まだまだこんなもんじゃないよー。こっからが本番だからね」

「……マジかよ」

 寧々は向かいにそびえ立つ山を眺める。コンビニはおろか、電柱の一本も立っていなさそうだ。

「今、生まれてはじめて人類の文明に懐かしさを覚えたぞ」

「えー、田舎もいいじゃん。一緒にツバキの蜜吸ったり、でっかい岩ひっくり返したりしようぜー」

「今時、小学生もそんなことしないぞ」

 まぁツチノコ探しに至っては幼稚園児ですらしないと思うが、と脳内で付け足す。


「……そういえば、なんでいきなりツチノコ探しなのか、道中で教えてくれるって話だったよな」

「あーそうだった! ハンドルに夢中ですっかり忘れてたよ!」

「そんなことだろうと思った。で? そもそもなんでツチノコ探しだなんて言い出したんだ?」

「それが、いつも使ってる日雇いに求人が来ててね」

「は? 求人?」

「うん。ツチノコ探しの補助員募集。報酬は出来高で三百万円。滞在費と交通費は全額支給。無期限だけどいつでも辞めてもオッケー」

「なんだそれ……」


 そんなでたらめな求人、よく派遣会社を通ったものだと寧々は思う。

 元バイト先の元店長も、これくらい寛容な心を持ってくれていれば、今頃こんな僻地くんだりまで来ることもなかったのに。


「というか、そんなあからさまに怪しいの、本当に大丈夫なのか? 嫌だぞ、タコ部屋に拉致られて強制労働とか、臓器くりぬかれて海外に出荷されるとか」

「大丈夫大丈夫。むしろさ、こんな変な求人だと、逆に本当っぽいじゃん。別の目的があるんなら、もっとマシな内容にすると思うんだよね」

 実に簡単な推理だよ、と言わんばかりの得意げな調子で奈那は言う。

「だって、ツチノコ探しだよ? 普通は応募しないって」

「お前が言うのか」

「それに、わたしが電話したら、雇い主の人すっごい驚いてたしね。正直見向きもされないと思ってたって」

「……自覚はあるのか」

「周りの人は誰も手伝ってくれなくて、いよいよどうしようもなくなっての求人らしいよ」

「人望無いのな、そいつ……」


 これじゃ仕事というよりは人助けに近い。

 しかし話を聞いているうちに、怪しいと思う気持ちは薄れ、むしろある種の親しみすら抱きはじめていた。奇人、変人、社会からのはぐれ者。そういう人間には親近感がわく。


「でも、そいつはそいつで、なんでツチノコ探してるんだ?」

「さぁ。詳しいことは教えてくれなかったからさ。全部現地で直接話したいって。でも、本人は大学で民俗学を教えてるって言ってたから、その関係で必要なんじゃない?」

「大学のセンセイがツチノコなんて探すのか?」

「さぁ。でも、きっといるはずだって。目撃談とかいっぱい集めてるらしくてさ、鼓間つづみま村を探すのが一番可能性があるって」

「鼓間村?」

「そそ。タイコの鼓に、あいだの間で、鼓間村。わたしたちが今向かってるところ」

「村なんてもん、現代日本にまだ残ってたのか……」

「いやいや普通にあるよ。わたしだって村生まれだし」

「へ、そうだったのか。それは初耳だな」

「まあ、どこから来たのかなんてこと話す機会、そうそう無かったしね」

「……そうだな」

 ふっと会話が途切れる。

 寧々は、奈那と出会った遠い昔を思い出す。

 今にも消えそうなほどにかすれているが、しかし、今でも確かに覚えている。

 奈那もきっと、あの日のことを思い返しているはずだった。

 だから寧々は何も言わない。それくらいの空気は読める。

「……寧々」

「ん? どうした」

「あの、ずっと言おうと思って、言いそびれてたんだけどさ」

「うん」

「……トイレ行きてえ」

 もちろんコンビニなんてあるはずもなかった。

「大か? 小か? それが問題だ」

「小……」

「ならそこらで立ちションでもしてくればいいだろ」

「で、でもさ……」

「なんなら手伝ってやろうか?」

「わ、わかったって! ひとりで行ける! 行けるから!」

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