第一章
地下道 一
2014年、5月、東京。
「良ちゃん! ひどい! あれは、嘘だったの? 愛してるって言ったのに!」
俺は突然飛び出して来た佐百合に度肝を抜かれた。
一体どうして佐百合がここにいるんだ! まずい! ヒッジョーにまずい!
「さ、佐百合、もちろん、愛してるよ。これは、その誤解だ! 誤解なんだ」
「嘘よ。あの女は誰なの? 他所の女の手を握って、目を見つめるなんて! 私がいるのに! それにそれに、話していたじゃない、自分は高級車のディーラーをやってるって。私には、外資系の会社に務めてるって言ったわ。私を騙していたのね。本当は愛してないんだわ」
もの凄い剣幕だ。とにかく宥めなければ。そして、嘘は突き通す。これ、詐欺師の鉄則。
「いや、違うんだ。外資系の高級車を扱っている会社なんだ。確かに、自分でディ―ラーをやってるんじゃなくて、雇われディーラーだけどさ。ごめん、そこは嘘ついた。ちょっと見栄はってさ」
「え? そうなの?」
佐百合の苛立ちが収まって行くのがわかる。上がっていた眉尻が下がった。
「本当に?」
佐百合が泣きそうな目で俺を見上げる。
俺は、ほっとした。佐百合は三十路を目前にした独身公務員だ。
でっぷりと太った体、足首の無い大根足。二重顎。肩まである油ぎった髪。丸い顔。肉に埋もれた細い目。無理なダイエットで荒れた肌。まだ二十代なのに、十歳は更けて見える。
それでいて、結婚願望が強い。ちょっと声をかけたらすぐに引っ掛かった。
俺は結婚詐欺師だ。佐百合に「親の借金が返せたら結婚出来るけど」と結婚を臭わせ、百万ほどの金を出させた。
女なんて、口先三寸でいくらでも騙せるんだ。なんてったって、女の方が騙されたいと思ってるんだからな。
「さっきの女は、その、車を買いたいって言って来てさ。それで、俺、仕方なく」
「嘘よ。そんなの、おかしい。あの人、自分の車、持ってたじゃない。それに、あの人の手を握ってあなたのようにきれいな人はいないとか歯の浮くような台詞言ってたじゃない。私、聞いてたんだから。ひどい!」
「いや、誤解だよ。おだてて気をひいてさ、車を買い替えて貰おうとしてたんだ」
佐百合は俯いた。俺はほっとした。佐百合が俺の言葉を受け入れる時のいつものポーズだ。
「……、本当に?」
「ああ、そうとも。さ、こっちきな」
俺は佐百合を引き寄せて抱き締めようとした。が、夜の繁華街、少ないとはいえ、人がいる。今もこちらをじろじろとみているカップルやおっさんがいる。俺は佐百合の肩に腕を回して、そのまま歩き出した。
東京に出て来て、数年。いろいろな職業を点々としたが、何をやっても長続きしなかった。
ホストクラブに務めた時、女から金を引き出す方法を学んだ。酒で体を壊し、入院してからは、女を騙して生きている。生きて行く為だ、仕方ないんだと俺は自分に言い聞かせていた。
佐百合とは婚活パーティで知り合った。人の輪の中に入っていけない、地味で暗い女。それが佐百合だった。
俺は佐百合を人気の無い方へと導いた。満月がビルの谷間に見える。この向うにお誂えの場所があった筈だ。ガード下を通る地下道に入った。俺は周りに人がいないのを確かめて、佐百合を抱き寄せた。佐百合の腹が俺の腹にあたる。普通なら胸が先にあたって良さそうなのに、まず腹だ。本人はダイエットをしているというが、どうやっても出た腹は引っ込まないようだ。俺は佐百合のタラコをつぶしたような唇にキスをした。これぐらい出来なければ、結婚詐欺師は務まらない。
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