おれのどこがキリストやねん!

かとも

おれのどこがキリストやねん!




 高校2年の時、斜め後ろの席のクラスメートから、


「おまえって、キリストみたいやな…」


と、言われたことがあった。





 彼は知らぬ間に私の席の横にやってきていて、ボソッとそれだけ言うと、???でいっぱいになった私を残して、すーっとどこかへ行ってしまった。


 それは決して賞賛の意は含んでおらず、かといって、彼がキリストが大嫌いで私に敵意があっての言葉とも思えず、私には物事をとりあえず自分の都合のいいように解釈できる才能がその頃から備わってたので、恐れ多くも相手はキリスト様、文句を付ける筋合いはない。彼は無口でいつも不思議なオーラを発しているような奴だったので、彼ならそれくらいの事は言うだろうと、その時は特に気にも留めていなかった。





 彼とは親交なく、言葉を交わした記憶さえ、その「キリスト」以外は思い浮かばず、ましてや彼が自閉症だったかどうかなんて今では知る由もないが、「自閉症スペクトラムとはなにか」という本を読んでたら、一番に彼の事が思い浮かんだのだった。





 昔、スパルタ教育を売り物に、社会不適合者を更生させるというヨットスクールがもてはやされたことがあった。


 でもそれは到底「教育」と呼べるものではなく、「調教」と言ったら競走馬や警察犬を愛情持って育てておられる方に失礼にあたる。実態は、暴力でもって絶対服従を強いる「収容所」のようなものだったらしい。


 死者まで出して、それでもなお、自分たちの教育方針は正しいというようなコメントが流れていた。





 もしこの本が40年くらい前に出版されていて、教育に携わる者なら入門書として当たり前に手にするようになっていたなら、


 もしかしたら、彼は殺されずに済んだかもしれない。


と、甘い考えかも知れないけれど、そんな風に思ったのだった。


 今でも知的に目立った障害がなければざっくりと、変わり者、厄介者として省かれてしまう世の中だし、かのヨットスクールも未だに同じようなことを掲げて営業しているらしいし…





 でも、今からでも。





 もし、彼が生きていて、同窓会か何かで出会うことができて、私の事を覚えていてくれたなら聞いてみたかった。


「おれのどこがキリストやねん!」

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