第33話 老賢人、刀を振らず……

 ◇

 十文字エイタの口から『敗北』の言葉が出ると、彼と玉緒アキラは桜吹雪にまみれた。


 玉緒は拳を戻し、その光景を観る。二人を取り巻く桃色の花弁が黄金の光に変わり行く――彼女の両腕にしびれが走ったが、微々たるもので指を動かして紛らわせた。


 変わり行く光景に十文字エイタは、しまった、と声を挙げる。それはバツの悪そうな独り言だった。


「マジ……西条の言った通り‶エンジャ〟のカムイが暴走してやがるし……」


 玉緒アキラと十文字エイタの二名はこの空間が何か、判断できた。

 神の住む場所――神居。ここで繰り広げられている戦闘には大義など無く、各々が私欲を満たすために行っていることも。


 玉緒アキラと十文字エイタは参戦せずに観察を始める――健三郎、流海、キリオの三名は身体の限界を超えている――それはすぐ理解できた。

 反して対戦者の心、動きが徐々に人間性を帯び始めることに玉緒アキラは時間を労した。


 ◇

 午後十時ちょうど、玉緒アキラと十文字エイタが神居へ転送された頃の現実世界。

 青井市から東へ向かう高速道路で一台の車が速度違反に近いスピードで青井市から離れて行く――そのBMW自体よりもナンバープレートに『外』とあるのが、他のドライバーの興味を惹いていた。


 そのBMWの運転手は大柄、肥満体の大男だった。彼は角刈りの髪にサングラスを掛けており、上下を黒いスーツ、黒いネクタイを締めていた。無言でハンドルをきり、アクセルをさらに踏み込む。


 助手席には小さな女の子――シャオが短いデニムパンツにTシャツとスエットを着て、手に持ったゲーム機で遊んでいたが、そのゲーム機が突然消えた。


 シャオが、もう、と苛立ちながら言った。

「スコアアタック中だったのに! ‶ウチガネ〟が消えた! エイタにーちゃんのばーか! 死んじゃえ!」


 車の速度ががくんと落ちた――シャオは鼻を鳴らし、腕を組んでシートに体を預ける。横目で運転手を見て、その表情、手の震えから憤りや怒りを感じ取り、シャオは「タユラにーちゃんは好きだよ? 私の敵じゃないけどね」と甲高く笑った。


 後部座席の男が注意するまで、シャオは屈託なく笑い続けた。


 ◇

 後部座席のには二人の男が座っていた。左座席の男性は手にギプスをした――昨日、鯨波事務所に出向いた大里海馬。彼はシャオを注意したのだが、エイタの勝敗ではなくただただ「うるさい」と思ってそのまま声に出した。


 もし誰かが彼らを客観的に観れたなら――端正で優雅で気品を漂わせる大里海馬。右座席の男は対照的だと思うだろう。長くぼさぼさの髪、無精髭、肌荒れか日焼けかわからない肌の色。まるで原始人が洋服を纏ったよう――シャオ以外は同じメーカーの同じ高級スーツを着ていたが、彼だけは汚れて見えただろう。


 だが、鍛え上げてるとわかっただろうし、その眼差しや声に恐れ、避けただろう――物の怪、幽霊のように。


 その男は大里海馬と口論を始めた。

「もともと‶絶対勘〟は」とその男が言う。「外内氣、四つもの属性が反発して精神的に危うい。外科手術で与えた例で、シャオは過去、最も秀でている。だが百地や貴様のような先天的、遺伝的な者には及ばず……この一年でな」そう説教する。


 大里海馬は手鏡を見ながら言った。

「いいや、……中井よ、どう見る、この‶盤面〟は?」


 大里海馬は手鏡をスーツの内ポケットに仕舞う。そして人差し指を左頬にあて、そのままウインドウに頭をあずける。


 その余裕ぶった彼を、怪訝な顔つきで中井は横目で見て言う。

「老獪、ここに極まり。酷いものだ……‶義〟無き戦よりも……大里雅也の御霊により組織が皆殺し……そんな事態を覚悟しておくのだな」


「ほう?」大里海馬が声を挙げる。「まさか中井が亡き者を想うとは……まだ序盤だが私は王手と宣言しても良い。こののどこに不服が?」


「その王手とやら、百地に貴様のカムイを殺させることか。その後、剛拳大会を開くと」

 流れいく街の風景は騒音防止のフェンスに囲まれ、観ることはできない。


 車がトンネルに入り、中井は己の顔が見えたり闇に消えたりすると、笑った。声を挙げず笑顔を作る。


 車内に険悪な空気が流れ始め、中井は言う。

「愚策だな。複数のカムイを改変して宿す――この合祀を行えるカムイ使いは俺のみ。貴様は不要となった‶エンジャ〟を俺に預ければ良かったのだ。それを名も知れぬ第三者に与え、暴走させるとは。古狸の謀り事はいつの世も醜悪だ」


「ほざくな、怨霊が……十年前、お前の起こした災厄は皇従徒の歴史に残っているし、それによってカムイ使いに多大な語弊が生まれた……百地と光子らはそれを精算するかもしれん。次、二の矢で百地を、三の矢で国を射抜く。その前戯、余興とした気持ちを汲めんと?」この大里海馬の問いに中井は頷いた。


 大里海馬は咳払いをして、きりっとした発音で、中井に言った。

を使った方がマシだったと……カムイより策より、遙かに愚かな兵器、いや、人為的災厄を?」


 中井は頷き「幾分かは」と告げる。「戦法、呪術、駆け引き、かく乱――全て裏目。今回、俺の望みはただ神社への道、そして百地健三郎らを供物に神居を呼び、そこで新たなカムイを取り込むこと――これを天根光子にやられ、占拠された。どうしてくれる。俺のこころざし、大里雅也の心、意を、どこにぶつける……」

 中井は拳を握った――めきっと音が車内に響く。


 中井はは背筋をのばし、顔を大里海馬向けて続ける――海馬は再び手鏡を取り出して、髪型をチェックしていたが、耳を傾けているようだった。

「海馬よ、俺の脱走とカムイ使い暗殺により百地らの敵意は充分をかきたてられた。なのに貴様は何故、反撃の機を与えたりこちらを乱す? 仕事は何だ? 返答によっては冥府に叩き落とすぞ」


「私にとって真の敵は神凪だ」と大里海馬は言った。「本来、皇従徒は民草を守る英雄。名を馳せた武士もののふへの名誉。なのに組織化し国政に携わるなどもってのほか。欠史八代には政治に関与するとその地位を剥奪され、他のナギに代わると定めたが――推古や後醍醐など神凪の仕えた時代に改定され、国としての得が起こした。だが退くたびに乱や大戦が起きる。騒乱後、神凪は処理役として何度も返り咲いている……縁起物とは呼べん、裏があるはず。今回、を経由して依頼が来た」


「シャンハイ・パオペイに日本警察が内部査察、暗殺依頼だと?」と中井が首をかしげて言うと、海馬は少し強く言い放つ。


「会合前に教えておく。中井よ、ここ十年で日本は変わり無い。グローバルかつ穏便な安寧と進歩を謳い、国内のインフラすらままならず隣国に媚びへつらい、どんどん追い抜かれていく。

 神凪による中央銀行による通貨発行権の一部占拠で、先見の明を持つ若い実業家や技術者は株取り引きからも降り、口を閉ざして海外に流出……人材の不足加速マイナス・ブーストはイノベーション停滞期を招くが政府は全く引き止め無い。世界情勢は日進月歩だが確実に良くなっている。不安要素は無いのに日本国内は抜けられない不景気。各企業は次々と吸収合併し、企業は社員は使い捨て、社員は企業を使い捨てる。若者や新企業は可能性が多大にあるものの、年寄りと老舗には『伝統の破壊』に迫り、拒否すれば首を括るか、病院かの二択……その医療機関すら外資系製薬会社と結託、国内で臨床試験してから国外の富裕層を優先する始末だ。保険屋も葬儀屋も営利至上主義。国民性と相まって『勧誘の多い国』として日本は世界トップクラス。それを笑うのは政府でも国民でも無い。

 世界と国、両視点を常時ネットで観て、必然的に生まれる偏見。目の当たりにする現実の不誠実。さらに明らかになる物事をことごとく自主的に分析、衝動を抑えつけなければならない国民はフラストレーションを貯め臨界点を超えるのは当然で、暴動しないよう政界は適度に変わる。交代理由は全て建て前。

 皇の意思でも民の意思でも無い国、日本。これが神凪による理想国家の下準備だ。

 そんな日本で八人――ここ十年内で不可解な死を遂げた現衆参議員は皆、神凪について調べていた。近代日本では異常な数だが言及するのはいない。ジャーナリストたちは神凪に辿りつくと、口を閉ざす……お前を解放したからには神凪は危機感を持ち、当面は大人しくなるはず。

 確かに私のカムイをお前に譲渡して、堂々と戦闘を仕掛けても良かったが、神凪には通じない……私はカムイを、呪術に特化する必要がある。呪術鍛錬のために市民たちの騒動を連鎖的、本能的に誘発させ、肥大化させた。確実で安全かつ、手っ取り早く。

 中井よ、お前の解放と同席は神凪にとっても国にとっても全く想定外のはず。組織に対する風当たりは強く成るだろう。それでも組織には必要なのだと知れ。お前のみ安全な独房で封印されたまま、カムイや世界を探求、信念貫くだけで、雑用や仕事を他人に丸投げするなど許されん――私はお前を解き放ち、面倒を観てやっているのに気にくわん?」


 海馬の問いに中井は返す。

「報国のため、組織のため、あらゆる利益のために神凪の注意を引くべく騒動を起こす。百地を憎まれ役に仕立てるのは良い。

 不満は二つ。こんなことで大里流海、天根光子の実力が知れた。俺の記憶ではこの二人、敵と成り得たが、もはや底が知れ興味が薄れ始めた、これが一つ目の不満。

 二つ目、神凪を嘗めるな――武とまつりごとは密に在る。俺が交渉の場に出向いても無意味。貴様の思うほど容易くは無いぞ」


  すると海馬は手鏡から視線を中井に移して言う。

「現在、神凪の弱点はカムイ使いでは無いことだ。また、ロシア人は硬派で思考も発言も強い。オホーツク海、二百海里の外の無人島……を切り札とすれ政治家とも話が盛り上がる」


 中井は無精髭を撫でながら言う。

「海馬、貴様は自慢話の相手を選んでいたのか? ……百地の‶マガツムギ〟を封じるための騒動。己は万全の状態で直談判し、神凪を引きずり下ろす。その際に起きる不都合は大里になすつけ、本物の‶マガツムギ〟を取り込む。そしてその後は……か?」


 海馬は無言で頷く。その返事とともに、軽快なメロディが流れた。


 シャオが「バラリンガーの主題歌だね」と声を挙げる。


「す、すみません。俺のケータイ……」

 運転手の男はポケットから携帯電話を取り出したが、シャオが「危ないよ」とひったくるように取り上げて確認を始めた。


 男はハンドルを操作する。


 助手席のシャオはすこし苛立って、男をにらみつけ、言った。

「タユラにーちゃん、どうゆうこと?」


 シャオは電話をきると、押し黙った男――タユラのポケットに啓太電話を突っ込んだ。そして海馬たちに向かって声をかけた。

「あのね、ミノルにーちゃんからのメール。二人の会話もよくわかんないけど、こっちも意味不明……『バンセンケーカクはどうなった』って……ねえ、なにそれ? 私、知らないよ」


 中井は溜め息をついて、無言のまま首を横にふる。海馬も、知らん、と素っ気なく言った。


 しばらくの無言、やがて中井が「十年前」と語りはじめた。

「大里雅也という男がいた。カムイを使って人間の進化の促進を試み、俺を封じた強者だ……十文字タユラとかいったな。近くで車を停めろ。斬首に処す」


 そう言って中井は、ウインドウの外に目をやる。

 大型のバイクが追い抜こうとしていた。運転手はフルフェイスのヘルメットを被っていた。中井の姿を見て、手を振る。

 その仕草でドライバーが女性だと中井は思った――視線をタユラの顔に向けると、彼は涙ぐんでいた。


 中井は、醜い、と告げた。

「シャオよ……海馬は滅多に策に名をつけん。だがよく味方を欺き膿を出す……次からはを理解しかねる場合、深く考えずに疑わしい者をれ。そこの木偶の坊、お前が首を刎ねろ」


 シャオが口笛を吹いて、カズにいは怖いね、と笑った。


 車は青井市から出て、国道におりた。

 車の往来はなかった。だがどんどんスピードが落ち、路肩に停車した。


 監獄のようにビルに囲まれた路地、人通りもない。近くには古いコンビニがあり、海馬は「の結界だと? ……青井市内まで引き戻されたか。百地では無いな」と呟いた。

 

 タユラは無言でサイドレバーを引き、エンジンを切ってキーを抜く。

 その行為に中井も海馬も、シャオすら責め無かった――むしろ笑いをこらえ、騒乱を待っていた。


 ◇

「青井市内へ強制的に移動させ、こちらのカムイを封じたつもりだろうが、タユラ、お前は思慮深く成れ。せめて兄と同格の連中を伏兵にするべきだった」

 そう言う海馬――彼は窓から、コンビニの店先に数人の若者を見ていた。

 若者たちは煙草や酒をひっかけ、タトゥーを見せびらかしたり、ピアスをいじったり、ナイフを手で遊ばせていたりしていた。


 中井は言った、こちらの道路側には白い特攻服と大型バイクにまたがり木刀や竹刀をもった、昔ながらの輩が集まり出したと。


 彼らは中井らの車をはさんで、いがみ始めた。


 まさに罵詈雑言で、飛びかうような言葉聞き取れなったが、それが本意気の敵意だとシャオが告げる。


 ボンネットが音を立てる――先ほどのバイクに乗っていた女性が、堂々と彼らの車の上に両足で立っていた。


 その間にタユラは車を降り、外からロックした。車内のまだ三名はまだ見ているのみ。

「新旧、ジャパニーズ・ギャングスタか。タユラのように頭の悪そうなやつらばかりだ」

 鼻で笑って、海馬は罵る。

「シャオだけで充分蹴散らせる。こいつらのどこに存在価値があるのかわからん。タユラも言葉を選ぶことさえできれば捨てたもんじゃないが、いかんせん……」


「ずれた人間は適合するか、進化するしかない」中井は言った。「どちらも変えること。俺は世界を変えようとした。大里雅也は己を変えた……シャオ、過信するな。絶対勘は諸刃の剣。そして最大の敵は身内と知れ。タユラに情け無し」


「うん……でもねタユラにーちゃんの気持ち、何となく理解できるかも」

 シャオの呟きに、車内の二人は目を丸くした。

「人には、不自由を克服するための力がある。理由の無い暴走、思慮の浅さも、きっと直せるんじゃないの? そういう意味では意味があると思えない?」

 シャオはまぶたを閉じ、さらに続けた。

「私だって、見えていたときから、見えなくなったときに絶望したもん。せめて見えないままで生まれたかった……もう一回、目を潰そうとしてた……でも、カズにいに助けてもらえた。こうしているのは恩返しもあるし、ちょっぴり復讐もまじってる。言葉にしづらい気持ち……自分で理解しようと勉強とか武術とか仕事で努力してる。キリオとかとテキトーにお話してる理由もね、義務とか暇つぶしとかのレベルを越えた勉強だもん」


 まぶたを開きシャオは車内を見て、あの病院よりマシだよ、と呟く。

「タユラにーちゃんも、外の人たちも苦しみに耐えて、変わろうとしてる……きっと、馬鹿みたいな自分をどう正当化できるか、もしかしたら誰が修正してくれるかもって。カズ兄たちが違うと感じるのは、モラトリアムの認識のずれだと思うな」


 ◇

 タユラはコンビニに入り、適当に、飲み物と食べ物を選んでレジにむかった。レジ打ちの青年は、耳にぶら下がる、大きなピアスをいじりながら会計する。

「散りそうな桜がまた咲くって感じだ。そんなに暖かいのか?」

 青年の声はなれなれしいものだったが、タユラはとまどいつつ首をふり、言った。

「ま、まだ寒いよ」

 レジ打ちの青年は、後ろに並べてある煙草の中から赤い箱を取り、ビニール袋に商品を詰め込む。その瞬間、レジ下から野球ボールほどの球体を防犯カメラの死角から、六つ袋に入れ、言った。

「気ぃつけろよ。めんどくせーから」

「ま、まだ死にたくない」

「なら獲物を逃がさないよう見張るのが、あんたの仕事だ――おら、五千円なり」

 タユラは頷き、代金を払った。


 ◇

「あれは、何をやっとるのだ」

 海馬のいう、あれとは、不良少年に食べ物や、飲み物をくばるタユラのこと。受け取った十代後半の少年たちは何度も頭を下げ、タユラに礼を述べるようだった。


 そして車にもどってくると、ボンネットで仁王立ちする女性にビニール袋をそのまま手渡す。


 彼女はメットを被ったまま受け取ると、フロントガラスを蹴りつけた。


 エンジンをきった車内、春とはいえ、冷蔵庫のように冷えきっていた車内にガラスの破片と外の風、声が入って来る。


 海馬は大笑いした。シャオも、すこし表情を緩めたが声には出さなかった。

 

 ボンネットの女性は言った。

「ハロー。日本では今、こんなモンが流行ってるんだってさ――」

 彼女が取り出した物体は煙草の箱とライター。

 海馬たちが、それがなにかと質問しようとしたとき、彼女は煙草の箱に火を点けた。その煙草の箱と火をつけたジッポを車内に投げ入れて、飛び降りる。


 ◇

 中井がウインドウから外を伺っていると、発炎筒が発火したほどもうもうと煙につつまれていく。

 外の不良少年たちは、オレンジ色の球体を投げつけた。風船が割れたような音がして、ウインドウがオレンジ色のペンキで隠れていき、罵声を浴びた。

 外から車のドアを蹴られ、叩かれる。

 魔女狩りに集まった暴動者のような彼らの声は苛烈になっていく。


「チンピラめ」

 海馬は口をハンカチで塞ぎ、ドアやウインドウから外へ脱出をこころみる。が、ロックされていた。視界が悪く、解除をしようと手を探るが、それらしい感触がない。

「中井よ、このドア、内側からは開けられん」


 すると助手席のシャオが言った。

「スイッチ類はダミー、ウインドウも強化されてるね。タユラにーちゃん、それなりに考えてたっぽいよ」

「どういうことだ」

 中井は一メートルも離れていないのに、姿の見えないシャオに問う。

 すると、冷静で事務的な返答が聞こえた。

「おジイちゃんが、車といっしょに武具術の人にあずけたでしょ。ならたくさん考えたことにならない?」

 

 中井と海馬は呆れていた。


 それぐらいわかる、問題はもっとある、と。


 海馬はシャオに、訓練だと思って考察してみろと問う。

 シャオは眼を閉じ、左手をほほに当てて席にもたれて言った。

「そっか、内輪もめだ。タユラにーちゃんが敵なら、久島ひさしまも変人も……ムカつく。私、フロントから出て、タユラにーちゃんに聞いてくる」


「早まるな」と海馬は咳こみながら言った。「シャオ、。この煙は無害。外にいる敵が、なだれ込んでくるのをゆっくりと待つ。慌てると――」

っ!」

 そう言ってシャオが外に飛び出るのと、車体に衝撃が走るのは同時だった。


 ◇

 爆弾が破裂したような音とともに車がひっくり返り、フロントガラスからゆっくりと赤い煙と男が出て行く。


 お祭り騒ぎをしていた若者たちが、いっきに静まり、唾を飲み込む。

 飛び出たシャオはその光景を観て、車をひっくり返したのが誰か探る。


 すぐにわかった。

 男性が一人、空手の正拳を突き出していた――彼はゆっくり呼吸し、拳を戻す。 

 男の風貌は、厚手のジャケットにデニム。髪を尻尾のように括り、身長は高い。


「すんげえな、こりゃあよ」と彼は、己の拳を見て独り言ち、頭を掻いた。

「やり方は空手ウチ裏当うらあてと似てるが段違い。やみつきになるかも……でも裕也から毎日こんなパンチを食らって生きてる俺、見様見真似で裕也を超えた俺、やっぱ天才的!」


 男は和やかに笑い、手をほぐすようにぶらぶらさせながら、シャオへ歩み、かがんで視線を合わせた。

「お、おにーちゃんが車を殴りとばしたの? それよりなんで、お屋敷から――」

 シャオがその男に問うが、頭を撫でられるだけ。


 音も無くその男の背後に中井が攻める――眼下の男、その後頭部を目がけて拳を振り下ろした。

 男は振り返りざまにそれを腕で受け止め、立ち上がりと蹴りを同時に放った。シャオの背中に寒気が走る。おそろしく速い回し蹴り――中井の衣服が裂けた。


 足は中井の腹に当り、にぶい音を立てる。微動だにしない中井は当たったまま、その足を見て言った。

飛爪ひそうきゃく……天草あまくさ流か」

「へぇ、テメーも格闘オタかい。裕也よりアタマは在るかもだが――」

 その男は、防御された右足をもどすことなく、そのまま力をいれて男の体を後ろに押し倒そうとする。

 

 片足だけで人を押し倒すことなど、前代未聞だった。

 中井は真っ向から踏ん張り続けたが、少しずつ足が下がる。後ろには下らないものの、上体が左へ傾き、すこしずつ膝が曲がり始めた。

 男は言った。

「聞いたぜ? オッサン、十年ほど引きこもってたんだろ……こちとら現役、ダブりの高校二年。氣とかカムイとかそんなもん、関係ねぇ……」


 中井がついに膝をつく。と、脳天に右拳が振り下ろされ、中井の頭部がコンクリートの上に叩きつけられた。

 中井は体勢を建て直す暇も無く上から足で蹴られていく。


「理由はどうあれ俺を監禁した奴は万死に値する!」


 その一喝で、若者たちは歓喜の声をあげる。

 赤い血に染まった右手の中指を立てて、志士徹はそれに答えた――。


 ◇

 ひっくり返った車から、大里海馬が出てくる。

 海馬は、志士徹に圧倒される中井、唖然とするシャオ、熱狂する若者たち――そしてフルフェイスのメットを被った女性を見て、息をつき、彼女に歩み寄った。

「隔離してから、あえて脱出へ追い込み、出口で待ち伏せて一網打尽……シャオはカムイ能力以外は真似できん。中井もまだ本調子とは遠い……故に慌てて出るとこうなる、と言いたかったのだが」と海馬は話しかける。

 

 その女性は返事をせずヘルメットを取った――長い髪がさらりと垂れる。程よく日焼けした顔は凛々しく、高い鼻と薄い唇が気性の強さと母性的な優しさ、柔らかさを帯びて思えた。

 だが猫のような大きな目と、纏う空気は武人そのもの――背丈は海馬と同じ170センチほど、体重も60キロ以下、引き締まった身体は強度と柔軟性を秘めているようだった。


「お前と最後に会ったのは十四年前だったか。昔から小賢しい真似をしていた……今回は高速道路に結界を張り、青井市内に転送、あの徹とかいうガキをわざわざ救出、その仲間まで収集するとはな。タユラとは打ち合わせ済みだったのか? ……中井はリハビリのため、我々は時差ボケを直すため数十名ほどカムイ使いを殺した。決闘なら応じてやるのに、手の込んだことをする」

 そう言いつつ、海馬はコンビニの中を見る。店員はピアスをいじりながら、こちらを見ているだけ。耳をすましても、パトカーのサイレンは聞こえない。若者たちが徹を絶賛する声と、海馬たちに向かっての罵声のみ。


 海馬が彼女に視線を戻すと「頭が痒くなるけどさ」と彼女は言った。「ついさっき親父の弟子が出向いてあのトールって子を助けたんだ。ついでに青井市の武具術の屋敷を制圧、数名の組員を懐柔した……と、偉そうには言えないかな。親父と実家で話してたら、従者の報告に親父がいきなりブチギレしてさ、従者のカムイ能力で青井市近郊まで移動させられたんだ。

 屋敷では親父の弟子が無双した。そして捕らわれてたトールくんを確保。洗脳は私のカムイで解いた……彼も太極式体らしくて、カムイを通して私の真打の情報が彼の身体に染み込んだらしいよ。ま、私にはさっぱりだけど……詳しく見聞する暇も無く、親父の命令でおジイちゃんたちを追跡した。

 四日前、姉貴から聞いてたけど金輪際関わりたく無かったのにさ……海馬のおジイちゃん。多くの殺人行為、あらゆる場所での暗躍する意味、組織の悪行、中井一麿の脱走、そして‶実家〟への面汚し行為などなど親父が聞きたいらしい。私も今回ばかりは大人しく従わないといけないんだ。断らないでくれる?」


 拳をバキバキと鳴らし、彼女は海馬に向き合った。


 海馬は笑みを浮かべる。

「イナミ、格下に対して達人は雰囲気で屈服させると知っているはず。そして愚者に対して賢人は言葉で諭すともな。だがその二つを兼ね備えた者はどうするか、わかるか?」と海馬は右手のギプスを見せる。

 

 するとそのギプスが、ごう、と音を上げて発火した。

 燃え盛る右手を見て、彼女――大里委海イナミは一歩、下がる。


 海馬はさらに言った。

「太極式体の有無など一見してわかるものでは無い……本来なら拷問に等しいが、再会と心意気に免じてジジは許す。だがもう強請ねだっても無意味。問答無用」


 イナミは口を噤み、体の左側面を海馬に向けた。





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る