世界の塔と世学びの君

@purufeido

世界の塔と世学びの君

 それは新皇歴214年のことでありました

「偉大なる主神に祝福されし大地の中枢でヒトを栄光で照らし尽くしその版図を遍くせんと約束せし皇家およびその下に集えし幾多の貴とき人々の国」(訳注:以上すべて国名)の後宮でいとやんごとなき血筋を受け継ぐ女児が帝に寵愛されし美しき妾の子宮からこの世へと落ちてきました。

しかし、その赤子は生まれいでたその直後から人間の根源的部分から生じる嫌悪感より発声にまで至らせた驚嘆に晒されることとなります。

その声は生を受けた直後の甲高い産声にかき消されきれず、生物種として遺伝子に命じられた一つの使命を果たしたばかりの母に届きました。


「産婆よ、どうしたか。どんな理由にてそのような声をあげる。我が子になにか問題でもあるのか」


経験豊富な選ばれし産婆たちには、いや素人でもあろうと理解るほど赤子が常ならざる姿を神より賜っておりました。


「誠に恐れ多きことながら、御子は畸子にございまする。」


「よい、妾に我が子を見せよ。どのような姿に生まれたか我が目で確かめよう。」


気高き母には我が子はどのような醜き姿で生を授かっているのかという不安とは無縁でありました。

産婆が慎重に赤子を掲げその母体の門前へと新たな生のその姿を晒します。

それを視界にとらえた母は帝の愛を賜った大きな瞳の目尻を下げ、産婆達の予想に反し祝福の声を発しました。

「なんと光栄なことであろうか、この子は地母神の化身であらせられる。このような祝福は神々に祝われし皇脈といえども聞いたこともない。」

産婆たちが顔を見合わせます。なるほど、確かに赤子は神話に伝わる地母神と同じ特徴をその身にそなえているではありませんか。

かの神は新たなる命を授かるべき処女の顔と、そして子を優しく育みし偉大なる母としての顔を比喩ではなく直接の意味で共にそなえる双頭の女神です。

神より授かりし大いなる祝福に歓喜の涙をながす母と、そしてそれを乱心と受け取るだけの産婆たちを二つの産声が包む傍から見れば面妖な出生でありました。




 これが普通の家庭に生まれし赤子であれば母がどのように主張しようと彼女はただの奇形児として処理されたでしょう。

しかし厄介なことに彼女の母は妾といえどそれなりな有力貴族の血筋です。しかも父親は主神より最大の祝福を受けし皇家の直系血統ときています。

帝は死産という扱いで神々のもとへ返そうと説得をするも、妾をたいそう寵愛していた帝はそれならば自分自身も神々の下へ帰ると譲らない母を説き伏せられませんでした。

生まれとしては仮にも皇女となる可能性がある赤子。

将来の成長したとして奇形のその姿を社交の場に露わにするわけにはいかないのです。

ならばと帝は妥協案を示しました。

宮廷の外れに彼女のための塔を建て、そこで母ただ一人で他の誰の目にも触れさせず育てるのであればこの世に生きることを許すと。

幸いに聰明さも併せ持っていた母はコレ以上の妥協は出てこないであろうと理解することができる人物でありました。


こうして、わずかな期間で急造された塔へ後宮から移り住んだ母と共に二人きりで成長してゆく公には存在しないはずの姫君が人知れず生まれたのです。

彼女は古の言葉で祝福されたという意味になる名を与えられました。



 これと同じ年にもう一人の女性が同様に子を産み落としました。

宮廷とは恐ろしい物で特に帝ともなれば基本的に情愛ではなく政治的事情によって伴侶が決まります。

皇后として選ばれたのは大公家の令嬢で、その家格と育ちに恥じぬ教養と宮廷知識を兼ね揃えた女性でありました。

一番とまではいきませんが、しかしそれなりには寵愛を賜った皇后が神々から授けられた長子は男子です。

これは順当にゆくならば最も正しき皇統の継承者。

直ぐに祝福と告知の催しの告知とともに都に知れ渡り、それはそれは大層な捧げ物が何も知らぬ赤子に捧げられるほどの祝い事となりました。


同じ父親を持ち同じ皇統を受け継ぎし二人の男女は、しかし片や誰にも知られぬ暗き箱のなかで、片や巨大な光に晒されし明るい箱の中で育つことになったのです。

皇子は伝統的な男性名を順当に与えられました。



 それから13年の長いようで短い月日が経ちました。

皇子は幸いにも流行病や持病にて神々に返されることもなく順当に成長しておりました。

もちろん、それはただの男子と同様の意味でではありません。

将来的に幾多の人々の頂点に君臨する帝たらんと敬われれど厳しい教育を吸収しているという意味においてです。

しかしそうはいっても13歳の人間であることは誰に否定しようもありません。

したがって彼も年頃並みの遊びこころを当然のようにその心に持っていましたし、事実として許される程度には宮廷内での遊びを覚えていました。

基本的に宮廷から自由に出ることができない御身分ですから、そのほとんどの場所は禁じられた場所以外は行き尽くす程度の時間には遊びつくしています。


もちろん、宮廷内でも真新しい建造物である立ち入りを禁じられた塔のことは皇子も当然に知っていました。

いくら断ち切ろうとしても人々の口は建てぬものでありますから、噂話としてかつての美しき妾のことは伝わっています。

いわくあの塔には乱心せし一人の妾が宮内に残ることを帝の情愛と情けのために許されているのだと。

さりとて皇子も分別をわきまえる賢い子ですから、その禁を破ろうとまで思うことはありません。

好奇心は時に人間を破滅させるというのは専任の教育官からよく言い聞かされてきました。


その皇子をして塔に特別な興味を抱かせる事になったのは、また同様に13歳の少年らしい自然な思いでありました。

すなわち母を想う心です。

皇后として最大の栄光を賜った皇子の母は物心付く前にすでに不幸な病により身を隠していました。

もちろん、乳母たちや教育官たちは本物の親兄弟のように彼に愛情を以って接してくれる優秀でまた人間味に溢れた人々です。

さりとて本物の母親というものがどのようなものか興味を抱かざるをえないのは特にこの年頃として致し方ないことでしょう。


そんな中、父親であるところの帝がそれほどの寵愛を注ぐ女性というものは、ひょっとしたら母に近いものではないかと思い至る日が訪れたのです。

それは単にちょっとした思いつきでありましたが、しかし彼に禁を破らせようとする程度には強い衝動をもたらしてしまいました。



 皇子がそれなりには自由な時間が与えられていたある日、ついに侵入の目的を以って件の塔の下へとその足で踏みいでました。

しかし改めて近くで見てみると妙な塔です。

入り口は表側の一つしか無いばかりか、数階建てであろうに窓は採光用であろう小さな小窓しかありません。

その窓もはめ込みされ開けることはできそうにない形状であり、また曇りガラスに視界と進路を遮られています。

よしんば遮られていなかったとしても、その大きさでは通り抜けることはまずできない程のものしかありません。

おそらく換気のためであろう場所には金属の管を通して中が覗けないようになっているという周到ぶりです。

そのような塔にはさすがの皇子も自由な時間に人知れず進入することの難しさに頭を悩ませました。


しかしそんなことで諦めてしまうような人物でも彼はありませんでした。

こっそり裏から進入するなど下賎な手段を取るべきではそもそもなかったのだとばかりに守衛の兵士の前に翻ります。


「守衛よ。いかなる理由にてこの塔は封じられたるか」


そうはいっても別に彼自身が何か権力を有しているわけではありません。

なんでもいいから扉を開けろと言えるほど傲慢な人物ではありませんでした。

皇子があえて尊大そうに自らを見せようとしているのをありありと察した守衛はどこか微笑ましささえ感じながらも皇統への敬意と共に答えます。


「皇太子殿下も噂を知っておられるかと思いますが、痛々しくも死産により御心を病んだかつての陛下の妾がここでご療養になられているのです。」


「その女性と合うことはできないものだろうか。」


皇子は思わずここに来た目的を率直に口に出してしまいました。

しかし別に隠したところでそれが達成できるとも思えません。

故にこのまま正直に守衛と交渉するほかないと結論づけ真剣な目で見つめます。


皇子の少年らしい可愛らしさを残した容貌と鮮やかな紅玉の宝玉のような眼で見つめられ不覚にも変なときめきを感じた守衛ですが職務は職務です。


「殿下、病気の人間は安静にしておくに限ります。体ではなく心の病気だとしてもそれは同じことなのです。」


皇子は言い返せません、彼自身としても守衛の言い分が正しいと思わざるを得なかったのです。

さりとて、コレで引き下がってしまっては以後ココに立ち入る口実も作りづらくなってしまうでしょう。

その額にシワよ寄せながらも次の言葉を躊躇するしばしの沈黙は意外な方向から破られることになりました。


「妾を病人だとは失礼な守衛だ。心身ともに何ら恥じるところなどありはしないというに」


件の塔の重厚な木製の扉が内側から両開きに開け広げられ、中から美しい女性が姿を表したではありませんか。

まず目に突くはその長身、優に173cm(訳注:原語での表記から小数点以下切り捨て)に届きそうなその体躯。

女性としてはもちろん男性の中でも目立ちかねない程です。

未だ成長の途上にある皇子からは、多少距離があるにもかかわらず、その貌を直視するのにいくらか見上げる形にならなければなりませんでした。

奥に翡翠色の輝きを潜ませる大きくはっきりとした目と、そして自身に満ちたよく通る声を発する口元は力強さを感じさせます。

にも関わらず、それらはどこか気品を感じさせる動作を損なわせるものではないのです。明らかに上流階級で育まれた洗練された鋭利な美しさでした。

彼女こそ、目的の人物に相違ありません。なにせ当の目的の塔から出てきているのですから。

流石に年齢のためか頬に薄い線が見えるなど全盛期よりいくらか衰えてはいますが、控えめに言って人の目を惹きつけるであろう人物です。


しかしながら、皇子の心に若干の失望あるいは期待はずれのような感覚が生じたこともまた事実でありました。

なるほど確かに父親が心奪われたのも理解できる気がする女性ですが、しかしそれだけだったのです。

考えてみれば当然のことではあります。

何しろ一度もあったこともない、ましてや自分を産んだわけでもないただの女性に過ぎないではありませんか。


その女性が動作そのものは宮廷作法に則るものの、どこか不敵さを感じさせる笑みで近づくと膝をかがめ皇子と目線の高さを合わせました。


「皇太子殿下とお見受けいたしますが、このような場所に何か御用でありましょうか?」


年齢差としては倍以上であろう大人とはいえ、皇子にはこれは目下の子供へするような文字通り見下した行為に感じられました。

それなりに聰明とはいえど、やはり将来の最高権威者とあっては基本的に初対面から敬われて接してきた少年には無理もありません。


「膝元の巻物が目をかすめたために、」(訳注:彼らの古典文学由来の言い回しでこの場合は少し気になったから程度の意。ここでは自らの文学的教養をアピールする意図がある)


皇子は精一杯の背伸びして社交における対等な貴婦人へ接する作法に則り返事をします。

しかしいくら皇子としてしつけられたとはいえ経験も無きいまだ未熟な少年、かつて帝を射止めし歴戦の女性には文字通り児戯でしかありません。

中性的な美しさが残された年齢の貴人によって行われたその行為に微笑ましささえ感じた彼女は思わず頬を緩めて答えました。


「なるほど、殿下はなかなか良く教育されてらっしゃるようですね。しかしそのような可愛らしい言い方ではその続きを返して差し上げるわけには参りませんな。」


「自分に何か至らぬところでもあったでしょうか?」


完璧に演じたつもりであったにもかかわらず返事をかわされてしまった皇子は思わず口調を強めます。


「端的に申し上げまして実戦経験が足りないという他ありませぬ。殿下はまだ練習しかご存知でないようだ。」


「なるほどごもっとも。しかし、未だ成人の儀式を受けぬ身にて自分には詮無き事。」


これに対し貴婦人はふと一計が頭に浮かびました。


「それはそうでありましょう。もし仮に経験を早く積みたいのであれば殿下、妾にいい腹案があります。」


唐突に現れ皇子と会話を始めた塔の貴婦人にどう対応したものか図りかねている守衛に彼女は向き直り尊大に告げます。


「皇太子殿下と内密に話がしたい、しばし下がれよ」


そうは言われても守衛は自らの職務に対し忠実にあらねばなりません。生真面目にも一歩も引かず返します。


「そうは致しかねます。仮に私が見ていない間に殿下が禁をお破りになられ塔の中で事故でもあれば皇統に対しこの粗末な命でどのように責任を取れましょうか?」


「よろしい。ではこの塔の裏に移動するゆえ他人が聞き耳を立てぬかここで見張るがよい。妾が塔の外で殿下と話す分には何も問題は起きぬはずであろう。」


「そういうことならば受け承ります」


守衛はそう言うと身を正すと門を背に硬く立ち微動だにしなくなりました。まるで彫像のように、しかし気迫迫る鋭さで周囲を監視し始めます。


「それでは殿下、この塔の裏までついてきて頂きたいのですがよろしいでしょうか?」


突然の提案に皇子は疑問に思いますがしかし別に断る理由もなく、もっと言えば本物の社交への好奇心を強く感じ躊躇なく応じました。


 「本当に誰にも知られず本物の乙女と文を交わせる宛があるというのですか?」


皇子と貴婦人は華やかな宮内にもかかわらず人気のない塔の裏で声量を下げ密談を交えていました。

この様な経験は基本的に真面目に育った皇子にとって殆ど無いことであり、それが気分を高めていたのでありましょう。

突然の提案に表面上は疑いをぶつけるものの、興味を強く持っていることは明らかな声色で答えてしまいます。

皇子ほどの生まれとなれば成人前にはまだ未婚の乙女との接触はどのような形であれ堅く戒められています。

さりとてどのような生まれであろうとも心はやはり男子でありますから、この年頃で興味があらぬはずがありません。

この返事に手応えを感じた貴婦人は鍛えあげられた魅惑的な声色で隠し立て無く告白することにしました。


「殿下の口の堅さを頼んでごく限られた人にのみ知られた塔の秘密を申し上げますと、妾ともう一人の女性が住んでいるのです。殿下と同い年の乙女が」


「何故にそのような人知れぬよう生まれ育つ者がいるのか?」


「生まれつきの事情により外にでることができぬのです。常ならば早逝するところ、陛下の温情につき命を繋ぎ止めさせて頂いています」


これに皇子は彼女が言及する乙女の正体に気が付きます。


「それはもしや、噂話に伝わる貴方の死産したとされる娘のことではないでしょうか?」


貴婦人はもうひと押しとばかりに自信に満ちた表情を崩してニッコリと微笑みました。

「殿下は真に聰明であらせられます。妾以外の人間を知らぬ可哀想な娘とどうか文を交わしてはいただけませぬか?」


皇子の脳裏にこの美しき微笑みの更に若かりし自らの父親を籠絡した頃の姿が垣間見えます。

それは真面目な皇子をしてこの提案を受けさせるに十分な夢想でありました。




 その日の日暮れはすでに過ぎ早くも就寝前の時間のことです。

あの後、手紙をやりとりするにあたりその手段及び幾つか約束事を決めました。

それは秘密のつながりに必要な隠し事を維持するための手続きにすぎませんから、詳しくは示さないことにしましょう。

皇子はいつも教育官から言いつけられた復習を早々に終わらせて手紙の文面に頭を悩ませていました。

この技能は貴族にとって必ずや備えねばならないある種の義務でさえありますから、もちろん演習的な内容にも踏み込んだことも幾度かありました。

しかし相手が教師とわかっているかつての経験と違い、今度は正真正銘の乙女への手紙です。

それも最初の一通目となれば皇子の筆先がなかなか滑らないのも当然と言えましょう。

本来なら紙や飾り付けにも拘らねばならないところですが、事情が事情故にごく普通のメモのように書かざるを得ません。

したがって純粋に文章だけの単純勝負、小細工が効かない実力が試されます。

特に皇子が悩んでいたのは対話における最も基本的な事柄の一つ、相手をどのように呼びかけるかということです。

この頃は貴族たちの間で特に手紙においては相手を示す言葉に凝ることが流行っていた時勢、

場合によってはどれだけ詩的かつ誰のことを示すか明瞭な呼び名をつけれるかが内容そのものよりも重要視されることもありました。

いくつかの用例集や過去の文学作品を手に取りながら上手い言い方を編み出せないものか悩みます。


「端的に尖塔の君はいささか捻りが足りないのではないか。病めし秘め君など他人に対し病気を指摘するとはいささか無礼だろう」


「篭もられ君、日知らずの君、土知らぬ君…いやいや他人に物を知らぬということを呼び名にするのは失礼だ」


そのように悩んでいると今更ながらにある事実に思い至りました。

そもそも彼の君は塔の外側に世界というものを知っているのだろうか、世界は塔の中のみで完結しているのではないのだろうか・・・と。

そうなれば今までの苦難がまるでまやかしに呑まれていたかのように、一瞬の閃きのうちに文章の全体像が浮かび上がりました。



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自の世界の全てを知り尽くし全知の君よ

君の知らざりきを知らせし者なり

我は君の世界の狭く小さきことを知る

たとえ君が読み学べども真に知るとは言えまじき

我という外の世が忍び入り

世学びの君へとなり変わりけれ

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たったこれだけの文章を書いたことに普段の一日分ほどの体力を使い切った皇子は力を抜くと手紙を丁寧に折りたたみました。

練習事では欠かしたことのない遂行をするつもりにはなりませんでした、少なくとも今の皇子には今の一瞬の閃きこそが重要だと思えたのです。


 それから数日後のことです。返事は皇子の思ったよりも早く受け取ることができました。

その短い間に秘密について気にしていた皇子ですから、受け取ってから夜に読むまでに常ならば犯さぬであろう失敗を重ねたのも無理の無いことでありましょう。

皇子は自らが数日前に書いたのと同じ机で、送り側と同様に簡素な紙に記されたその返事を鼓動を打ち鳴らしながら開きました。



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はじめまして殿下。

第一通から物を知らぬ私に恐れ多くもこれほど多くのことをお知らせいただけるなど大変驚きました

ずいぶんと世界というものは狭く短いものであるのですね、手紙一枚に全て入れつくすことができてしまうとは

しかし私がそれを学びたいかどうかは別のこと、この狭き世界で満足するという選択肢もあるのではありませんか

願わくば殿下におかれましては私に広き世界とは知るに足るべきものか聞きたく存じます

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皇子は読みながら頭を抱えました。

これは失敗してしまったのではないかと。

苦々しく顔を歪めつつも文面を何度か読み返しより深く考えます。

どうも皇子の手紙と比べ口語が強い文章です。

これは20年ほど前の流行りでありました。

おそらく宮廷作法に関しては母親より直接の教えを受けているのではないかと皇子は考えます。

というよりも、他に学ぶ方法などありません。

娘を産んでから宮廷とのつながりを絶たれたまま過去に取り残されたのでしょう。

そして返事の内容全体としては普通に受け取ると直接的な皮肉で構成されているではありませんか。

暫くの間そのことに皇子は暗澹たる雷雲を浮かばせておりましたが、気を取り直し自らの手で空を晴らそうと決意しました。


「良い方に受け取ろう。手紙一枚で満足できるものではないからもっと多く送れ、私が世界に興味を持てるようにもっと魅力的な世界を伝えてくれ。そういう内容だと理解しよう」


半ば自分へと言い聞かせるようなものではありましたが、そのことは返答を考えるための気力を与えることができました。



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世学びの君よ、まずは一つずつ教えさせていただきたい

先の手紙の書き方は君の知る手紙とかなり違うところがあったはずです。

外の世界には多くの人間がいます、手紙は相手のためにするものですから面白いほうが良いに決まっているでしょう。

そのうちある人がより面白いと思われる書き方というものを見つけたとします。

すると、他の人達もその面白い書き方を真似し始めるのです。これを流行りと言います。

しかし、それが普通になると特に珍しいものではなくなります。そのうちに別の流行りが起こります。

母君から教えを受けていたようですが、その間に別の流行りにより手紙も変わっていたのです。

流行りは多くの人がいるからおこるものです、君にはごく少ない人だけだから流行りも知らないのです。

より多くの人がいるならば、同様により多くのことが起こります。

世界に知る価値があるかと問われましたが、知らない世界の価値のみを知ることはできますまい。

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文章は彼女の流行りに合わせることにしました。

もしかすると今の流行りである古の言葉風の書き言葉は読みづらいのかもしれません。

それにこちら側からも彼女に歩み寄るということも重要だと皇子は思ったのです。

果たして伝わってくれるかという思いを込めるように手紙をじっとみつめながら折りたたむと、皇子はそのまま床につきました。


またしばらくして返事が届きます。

皇子は返事をしてくれたという安心と、またあの時のように辛辣な内容ではないかという不安に挟まれた一日の最後に目を通しました。



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私の知らぬことをお教え下さいましたことに殿下へは感謝を返させて頂きます

その流行りというものについてそれは古き流行りであることを母に伝えましたところ、同じく私の知らぬ表情を母が見せてくれました。

私には今のところまだその流行りなる外の世界のことよりも、世界の内の母をより知れたことへの感謝が強いようです。

確かに私は外の世界を知らぬ故にその価値もまだ知りませんが、しかし重要なのは私が知りたいと思うかどうかではないでしょうか。

殿下はより多くの人が外にいるから多くのことが起きるとおっしゃいましたが、私はまだ殿下しか外の人を知りません。

これでは殿下の言葉も正確に理解できようはずがないとはおもいませんか?

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かねての時と打って変わり皇子は喜びに胸を震わせました。

彼女が内心ではきっと外の世界をもっと知りたがっていると確信したからです。

今回の返事は外の世界の人々について聞きたいということに違いありません。

皇子はまずは誰のことから書き始めようかと心を弾ませながら悩みはじめました。



 それから皇子は何度も手紙をやりとりしました。

友人たちや教育官たちのこと、国のこと、宮廷のこと、木々や大地のこと、いろんな外の世界のことを塔の中へ伝えました。

姫君は決して直接的には外の世界についてもっと知りたいだとか、次はどんなことが知りたいだとかは伝えてきません。

しかし、彼女がすでに世界について大きな興味を持っていることは、皇子には隠しようも無いほどに明らかでありました。

もちろん皇子自信が知らないことが伝えられようはずもありません。

皇子自信も自らの世界のことに対してより一層に真摯に接し、また興味をもつようになっていきます。

教育官だけでなく他の人々も皇子が驚くほど多くの物事を吸収していくことに感心するほどです。

その皇子の関心な態度は宮廷で瞬く間に話題となり、ついには帝にまで届くまでになりました。

この知らせに大層喜んだ帝は皇子に褒美を与えることにしました。

月はじめに行われる臣下達への褒賞の儀式で特別に皇子を臣下とは別枠で讃えるので、何が欲しいか考えておけと伝えられました。

ちょうど何をもらおうか考えていたその時です、決定的な手紙が来たのは。

それはこの様な内容でした。


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殿下にこの度は一つ重要なお願いがございます。

殿下からは本当に多くのことを教えていただきました、そのことには私は本当に感謝しているのです。

しかしまだ一つ重要なことをずっと聞きそびれていました。

私は殿下の事を何一つ知りません。どうか私に殿下の事を教えて下さい。

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皇子は衝撃を受けました。それは、彼女が手紙で直接的に何かを教えてくれと書くのは初めての事。

しかもそれが自分自身のことについてとなれば、嬉しさに周りが見えなくなるのも無理はないことであります。

そういうわけで、皇子がこの機会に何を望むかは良くも悪くも決まってしまったのです。

塔の住人たちへその是非を伝える間もない間に。


 そして皇子が帝への願いを伝えることになった日。

褒賞の儀式は宮廷にて毎月行われるもので、これに呼ばれ帝から直接褒美を賜るのは最高の栄誉の一つとされておりました。

しかし毎月特別な褒美に値する人物やその業績が生まれるものでもありません、普段は大臣など位ある人々に決まった言葉をかける月はじめの挨拶のような場です。

それ故に帝へその身を向け地を見つめる皇子の背には専任上奏官や宮廷最上級顧問を始め国を運営する錚々たる顔ぶれが揃っておりました。

もちろん皇子は彼らが仕えるべき皇統を正しく継ぎしものですが、さりとて実際の権力を未だ有しているというわけではありません。

国で果たす役割としては彼らのほうがずっと大きいことを知る皇子は彼らを軽く見れようはずないのです。

さらに言えば正面の一段高く敷かれた床板の中央にあらせられるは今現在の最高存在に違いありません。

もちろん皇子の父親という人間としての最も近き存在です。しかしそれ以上に、二人の間には少なくともこの国においては大地と天界の狭間にも似た巨大な断絶があるのでした。


このような場に自らが立っているという事実に皇子は思わず首筋に冷や汗を垂らします。

そしてじっと固まったような時間を帝がついに解きほぐしました。


「よい、面をあげよ。今は親とその息子であることを許す」


帝は自ら意識して柔らかい口調と声色で語りかけます。

その言葉に対し視線を正面に移すことで答えた皇子の目に入ってくるのは、貴き黄色の正装に身を包んだ彼の血を分けた父親の姿であります。

国務の合間も日々の鍛錬を欠かさず痩せた少し面長な顔は、息子への親しげな親としての表情の中にあっても鋭利さを完全には失ってはおりません。

流石にいくらか衰えの証として細やかな皺を備えつつも、むしろ剣が研ぎ澄まされたかのように皇統の証たる赤き瞳の力をより高めているようにさえ見えました。


「近頃のお前の評判はよく聞いている。どのような褒美を望む」


周囲の貴き人々や役人たちは帝のそのいつもよりもずっと温かみを感じさせる声に驚くほどでありました。

これに皇子はその内なる鼓動を強めるほど緊張しながらも、その身分に恥じぬよう堂々と返答します。


「かの日の出の宮にありし閉ざされし塔に入る権利を頂きたく存じます」


この言葉に対し帝はその柔らかい表情を硬く染め替え、鋭い目付きで皇子を見据えます。

先ほどとは打って変わって、間に満たされた空気まで硬質になったような声で皇子に問います。


「なにゆえにそれを欲するか」


その気迫る問に皇子はもしや失敗したかと強い焦りが生じます。

とは言え口に出してしまったことゆえ、もはや今更引き返すわけにも参りません。

一呼吸をおいて皇子はこうなっては正直に正面から向き合うのみと覚悟を決めました。


「その塔の妃が独りならざるを知る故に」


「どうしてお前がそれを…いや、あやつしかおるまいな。約束を違えたか。ならば惜しい女ではあるが娘ともども殺さねばならぬ」


「何故そのようなことを。塔に住まわしはあなたの妃のみならず父上の実の娘ではありませぬか」


この褒賞の儀式にあるまじき血の冥き臭いの漂う言葉に場がざわつきます。

しかし皇子にとってそんなことは些細な事です。不作法も構わず言葉を荒らげ帝の気に呑まれぬようにと応じます。


「もしやかの娘が何故にあのように遇されしか知らぬのか。さもありなん、知っておれば会おうとも思うまい」


そして帝は一つ思いついたかのように口元を歪ませると平静を取り戻し言葉を続けました。


「訳も知らず妹を殺されれば私を恨みもしよう。機会をあたえる。かの娘と直接会い、その理由を受け入れられればその願い叶えようではないか」


その口調にはきっと皇子は娘の姿をみれば心変わりするであろうという自信に満ちておりました。

もちろんそれを感じとった皇子はそうはなるものかと、あえて我が意を得たりと落ち着いた口調で言います。


「それでは試練というにはあまりに容易ではありませぬか」


「お前が言い逃れできぬよう塔へは朕もついて行こう。お前が受け入れられねばその場で朕自らが剣を持ち娘達を自ら神々の下へ送ろう」


その言葉にもはや動揺は隠せない臣下たちを尻目に、帝は限られた儀式でしか用いられぬ宝刀を傍らより取り出して皇子に言い放ちます。


「覚悟する時間など与えてやらぬ。今すぐついてくるが良い」


皇子はもはや只ならぬ事態に収集のつかなくなった間から去ってゆく帝の後を追うより他に道は残されておりませんでした。


 年齢の差を感じさせぬほど速駆けする帝に追いすがるのがやっとの皇子が塔にたどり着く頃にはすでに扉が開け広げられておりました。

その横でいつぞやの守衛が青い顔で直立しているのにも構わず息を荒げながらも中に入ると、妃が痛々しくも覚悟を決めたような目付きで皇子を睨みつけます。


「殿下、秘密を隠し通していただけなかったのですね。せめて陛下がお隠れになられるまで我慢して頂きたかった」


彼女の普段は自信に満ちた鮮明な美しさも、今のように沈んだ表情とあっては流石に輝きを欠いています。

そんな彼女に対し帝はかつて最も愛した女性であることも今は忘れたかのように強く言葉を投げつけました。


「当人のそばで死ぬまで待てとは失礼な話だ。さっきも言ったように息子に最後の望みを託すがよい」


妃は深くため息をつくと一度天井を仰ぎ見たまま皇子にいいすがります。


「もし私達を死に至らしめるならば、妾は神々の下ではなく冥府に落ちたとしても殿下を呪いますぞ」


その目線に強い批難を感じた皇子は申し訳無さと、そして本心から目線を合わせ真摯に返答します。


「ご安心ください、あれから幾度も言葉を交わし心を通じさせたはずです。どのような理由があろうとも受け入れられぬなどということがありましょうか」


「こうなってはそうであることを祈るのみです。どうか娘をよろしく頼みます」


そう言うと何やら力を抜いたように目をつぶり皇子に対し道を譲りました。

彼女の長身もいまやすっかり小さくなってしまったように錯覚するほど、初めてあった時の力強さを失っているように感じました。

その背後には帝が宝刀の鍔を握り、鞘にまだ刀身を収めている飾り立てられた鞘を階段に突き立てるようにして待っています。

よく見るとその反対側の手には大きな鍵が収められているのが見えました。

きっと姫君が住む上階は抜け出せぬように普段はその鍵にて閉じられているのでしょう。

それほど広いわけでもない塔の居間を圧迫する狭い階段を登り始めました。

それを見た帝は何も言わず力強さをあえて見せるかのように強く足音を立てながら先に進んでいきます。

もちろん、この人間が一生を過ごすというにはあまりにも狭い塔の階段がそれほど長いはずがありません。

二人は直ぐに姫君をおそらくこれまでの生涯をずっと世界の果てとしてそびえ立っていたあろう扉の前までたどり着きました。

帝はともすれば乱暴ともなりかねないほどの力で扉を叩きつつも、しかし形式としてはその身分にふさわしい仕草で音を響かせました。


「娘よ、詳しい経緯については下で母君へ話すのが聞こえていたであろう。我が息子の前へ身を晒す勇気はあるか」


この問いかけに扉の向こう側から返事が帰ってきます。


「もちろんです陛下、殿下を連れてきてくれてありがとうございます。」

「私も早く殿下に会いたいと待ちきれぬ思いでした。」


皇子は思った通りの魅力的な声だと、この様な緊迫した中にありながらも思わず感じました。

母親に似てどちらかと言えば通りの良い低めの声色でありますが、若さのおかげか透明感さえ感じさせるほど不思議と心に届くような声です。

この様な美しい声の持ち主を拒絶できようはずがないと皇子は自信を強めました。

返事に無言で頷いた帝はその身を翻すと皇子の手に鍵を乗せると、そのまま引き上げ扉の前まで押し出します。


「この鍵はお前が使わねばならぬ。その目で真実を確かめるのだ」


気がつけば託された鍵に手汗がつくのが理解るほど自らが緊張していることに気が付きます。

皇子は自らを落ち着かせるように目をつぶり、深く息を整えると覚悟が決まったのか鍵穴に差し込みました。

鍵を手が滑らせないように力を込めて一気に鍵を回し、覚悟を決めて扉を一気に押し広げました。


 姫君の狭き閉ざされた世界に踏み入った皇子の目にまず飛び込んできたのは美しい笑顔でした。

皇子と同じ父親を持つことを如実に示す皇統の赤き瞳を湛えたぱっちりとした蠱惑的な目元。

化粧もしていないだろうに美しく色づいた天然の輝きを発する形の良い唇。小ぶりながらもの形が整った可愛らしい鼻立ち。

どれもひとつひとつが十分に魅力に満ちているというのに、全体として花開きつつある少女の香りを感じさせる調和が生じています。

母親のような直情的な妖艶さを感じさせる魅力へと移り変わる日も来るのでしょうか。

いえ、間違いないでしょう。今でさえその徴候をありありと示す危うい雰囲気さえも感じるほどです。

その美しい顔が横に2つ並んでいます。そう2つ。

目線を下ろすと薄い布の肌着を、それに包まれた膨らみかけの3つの乳房とその先端に輝く突起が押し上げているのがわかりました。

さらにその下に目を下げるとまだ細身ながら「女」になり始めている腰つきがわかる曲線が目に入ります。

そして再び首周りに注目すると、なんということでしょう。胸回りから一つの胴体が2つに枝分かれしているではありませんか。

状況が理解しきれていない皇子が硬直しているのをどう思ったのか、姫君から口を開きました。


「殿下、そのようにまじまじとみつめられると恥ずかしゅうございます。」

「私、いえ私達と言うべきでしょうかね?姉妹二人でずっと殿下と会えることを夢想しておりました。」


彼女の左右の頭はどちらも全く完全に機能しているようです。別々にそれぞれが口を動かし表情を変え感情を露わにするではありませんか。


「そんな風に正直に言われると恥ずかしいわ。」

「あら、本当のことじゃない。二人で殿下はどんな人なのか想像して一日を費やして楽しんだこともあったくらいに。」

「そうね、返事を書くときもああじゃないこうじゃないと喧嘩したものね。」


姫君は傍目から見れば実に仲の良い双子の姉妹のように独り言をします。しかしそれがいけませんでした。

一つの体から2つの頭が生えていることに混乱していた皇子の頭に、さらに左右が別々の動きを見せたことが混迷に拍車をかけてしまったのです。

それは「人間」とはこういうものだという皇子への固定観念反する現状を処理することに過剰な負担をもたらします。

その処理に耐えかねた本能は、あろうことか皇子は直視し続けられず目を逸らしてしまったのです。


「「「っあ」」」


二人の、いえ3人の声が重なります。

皇子は自らの失敗に気づき向き直ると眼前の姫君の表情は悲しそうに歪んでいました。


「殿下、どうして目を逸らすのですか」


向かって右側の頭が震える声で問いかけ見つめます。


「殿下は私達に世界の素晴らしさを伝えにいらしたのではないのですか」


反対側の頭では諦観を交え俯きました。

しかし皇子としてはこのように二人がそれぞれ別々の仕草をされては先と同じように混乱するばかり。

そうして二の句を告げることのできぬ皇子に対し、これまで沈黙していた帝がついに口を開きました。


「もうよいであろう。もはや結果は明らかである」


そう言うと、宝刀を鞘から抜き磨きぬかれた見事な刀身を空気に晒しました。

かつて伝説の名工が作り上げたとされる、鋼鉄をも切り裂く最も鋭い剣です。

これにこれが試練であったことを思い出させられた皇子は叫びます。


「父上、おやめください。何故そこまでする必要があるのですか」


しかし帝はまるで気にすることでもないかのように、皇子を省みずただひたすら姫君のみを見つめながら答えます。


「皇統にあのような畸子が生まれるなどと、あってはならんのだ。本当ならば生まれた時に殺さねばならなかった」


「だから生きていられては困るなどと、ただ国の都合ではありませんか」


「支配者は人にして人にあらず。かつて私情によって過った、自らケリをつける。」


「そんなこと、」


帝をどうにか止めようと飛びかかった皇子でしたが、しかし経験の差と未だ未熟な皇子は軽くあしらわれ地に投げ出されます。

これ以上の邪魔を入れられないために追撃に膝を踏みつけられた皇子は声にならない声を上げました。

それを後ずさりながらも片や冷たい目で帝を、片や悲痛な目で皇子を見ている姉妹がそれぞれ口に出します。


「そんな外の世界の都合で私は死ななければならないのですか。」

「私は、私は殿下の事をもっと知りとうございます。」


そんな彼女たちに帝はただ殺意のみを込めた冷徹な声で、返答など求めぬ宣言をするだけです。


「もとより生まれて来るべきではなかったのだ、その姿ではこの世界で生きて行ける場所などどこにもないのだから。」


「ならばそのような世界など要らぬ。そんなものは私達の世界から消えてもらいましょう。」

「そうですね、ただその可愛い人だけ持ってゆきます。」


姉妹はもはや帝への敬意など捨て去り、外の世界ではありうべからざる口調で要求しました。

帝はそれを死に際の強がりか、あるいは狭き世界のみしか知らぬ故の痴れ言だと思うばかり。

しかし次のその瞬間、狭き塔の世界が白い光に包まれました…



 皇子はふと目を覚ましました。今まで気が済むまで心地よく眠っていたような爽やかさです。

しかしいつの間にか寝てしまっていたのだろうと、ぼんやりとした頭で思い出すと記憶が急に取り戻されはっと完全に意識が戻ります。

そうです、自分が死の原因を作ってしまった姉妹はすでに殺されてしまったのではないだろうか。

愕然としながらも周囲を見回すと、その懸念に反しすぐ枕元に姉妹たちが見下ろすように立っていることに気づきます。

姉妹は4つの赤い瞳でどこか愛おしげに見つめながら、やはり両者別々に語りかけてきました。


「私達、他人の寝顔というものを初めて見ることができました。」

「どんなに頑張っても姉妹の顔を見つめるような曲がり方は首がしてくれないのよね。」


どうも自分は塔に備えられた姫君の寝床で寝かされているようでした。

その毛布は彼女たちが常頃から用いていると意識したからか、皇子はほのかに甘い香りが漂ってくるような錯覚をおぼえました。

そんな気持ちを知ってか知らずか姉妹は更に皇子の心をくすぐりに来ます。


「とても穏やかな心地になれる素晴らしい物をまた教えてくれてありがとうございます。」

「本当にね。これが可愛らしいということなのですね。」


姉妹たちの心からの賛辞と感謝の声に思わず気恥ずかしくなり皇子は頬を赤く染めてしまいました。

しかし、あの状況から何故彼女たちは殺されずに済んだのでしょうか。

皇子は率直なところを聞いてみることにしました。


「こちらこそ大したことではありません。それはそれとして、父上には刃をどうやって収めていただけたのでしょうか。」


これに対し姉妹たちは先ほどの微笑みのままの表情にもかかわらず、しかしゾッとするほど冷たい空気を這わせながら答えました。


「父上には、いえ、あの男には私達の世界から消えてもらいました。」

「お母様はまだあれに心を残していたようですが、でも分かり合えないならしょうがないですよね。」


皇子は困惑します。それではまるで彼女たちが帝を弑逆したような言い分ではありませんか。


「お戯れを。武器も持たずに父上をどうにか出来るはずがありません。ましてや貴女のような体では」


とは言いつつも、皇子にはなにか不吉な予感が背筋に走ります。もしや、そんなはずは。

すると姉妹の片割れが高く笑い声を上げました。この様な笑い方でさえ美しく聞こえるのは皇子と彼女たちの関係性だけに起因するものではありますまい。

そして反対側が皇子に対しまるで子供に言い聞かせるかのようにゆっくりと語りかけ始めました。


「殿下は最初の手紙で『自の世界の全てを知り尽くし全知の君』って書いてくれたでしょう。あれすごく惜しいけどもう一つ足りないの」


そして声高く笑っていた側も皇子をまっすぐ見つめて自らを語り始めました。


「お母様が言うには、私達って神の化身らしいのです」

「だから、私達の世界では実際に全能なの。あの時は殿下にいきなり言い当てられてびっくりしちゃった」


あまりの言い分に皇子は言葉が出てきません。しかし彼女たちは更に衝撃的な言葉を続けます。


「本当は私達の世界だけで満足するつもりだった。でも、殿下のせいで外の世界に興味を持ってしまった。」

「だけれども、私達を外の世界は受け入れてくれません」


そう言って少し悲しげな表情を見せたその直後、人間を心底魅了するような晴れ渡る笑顔でこういったのです。


「だから私達の世界に、外の世界の素晴らしい物を取り込んでしまうことにしました。」

「もちろん、何よりも殿下も。」




 塔の中で二人がそう言うと同時に、宮に大きな地響きが響き渡りました。

宮廷の人々は大地震かと身構えましたが、にゅるりと大きな影に包まれ何が起きたと上を見上げます。

するとなんということでしょう、あの閉ざされた塔が自ら持ち上がり、更には信じられない速さで広がってゆくではありませんか。

塔の内側では皇子は突如塔の壁に作られた窓から、膨張してゆく室内の空間と地面を押し広げてゆく塔を見ながら半狂乱で叫びました。

「いったい何をするつもりなんだ。」

混乱する皇子は後ろからまるで赤子をあやすかのようにギュッと抱きしめられます。

穢れ無き乙女の体温と柔らかさを増しつつある膨らみの重さが背筋にゆったりとかかり、左右から甘い囁きが紡がれました。


「落ち着いて聞いてください、さっき言ったとおりですよ。」

「この私達の世界の容れ物である塔で外の世界を全部飲み込んじゃう。」

「そして殿下に一つづつ教えてもらうんです、それがどのように素晴らしい物なのか。」


それを聞いて皇子は観念することにしました。こうなっては彼女たちと一緒に塔の中の世界の支配者になるのも悪くない…と。


 塔の侵略は人が歩くような速さで少しづつ少しづつ広がって災厄として知られることになります。

もちろん宮廷は…それどころか国そのものが大混乱に陥りました。なんと迫る壁に触れた途端に建造物も動物も植物も人間も飲み込まれていってしまうのです。

その膨れ上がる塔に恐れおののいた人々は死に物狂いで逃げ惑うばかり。

しかしとどまることを知らない塔の膨張は、進むことができなくなった者達から同じ運命を強いてしまうのでした。

そしてその膨張は国境でピタリと止まり、周辺の国は再び膨れ上がらないか恐れおののきました。

しかし今に至るまで塔の膨張は再開せず、また逆に崩れ去ることもない未踏の地となっています。

中で皇子と風変わりな双子がまだ幸せに暮らしているのです。


「ところで少し困ったことが」

「私達どちらが先に口付けしましょう」

「ならばいつもどおり真ん中からで」


めでたしめでたし

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世界の塔と世学びの君 @purufeido

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