旅の小川

小川茂三郎

第1話 長崎県対馬比田勝のレンタカー屋

 旅の同行者のわがままで、一度韓国の釜山へ飛び、釜山から再入国して長崎県対馬に行くことになった。対馬の北辺には「比田勝ひたかつ」という集落があり、釜山とジェットフォイルで連絡している。日本への再上陸地はこの比田勝だ。

 旅程は、比田勝からレンタカーを借り、対馬最大都市の厳原いずはらへ行く予定としていた。


 私は住んでいる札幌から、対馬にある小さなレンタカー屋に電話をかけた。電話をかけながら、こんな遠くに電話をかけたことはない、と思った。仕組みはよく解らないが、電話はこんなに遠くて声が届くのかと心配になる。まぁ、当然届いた。

 電話に出たのはおばあさん。同じ日本語を話しているのだけれど、どこかアクセントやイントネーションが異なる。札幌と比田勝。やはり遠いのだ。昔だったら一生会話することのない距離で会話をする。

 札幌から釜山を経て比田勝に行き、車を借りること、それと返すのは3日後であることを告げた。一般的なチェーン展開しているレンタカー屋ではない。マニュアル的な応対がなく不安になる。しかし、伝えたいことは伝えた。


 釜山から到着した比田勝は天気が良く、歩くのに気持ちのいい天気だった。比田勝の集落は韓国との連絡があるためか商店や住宅などが想像よりも多い。しかし道路幅は極めて狭い。町を探るように、地図を片手にレンタカー屋まで歩く。15分ほどだったか。

 小さな水路を超えた先にレンタカー屋はあった。自動車の整備工場をやりながら、レンタカーもやっているような店構え。店に行くと、電話に出たと思しきおばあさんが出てきた。やはり言葉は距離を感じる。ただ、全然通じてしまうのが21世紀のすごいところで、これはテレビなりインターネットなりのおかげだ。このおばあさんも地元の人とは、もっと異なる言葉を話すのだろう。

 おばあさんと車種について事前相談しなかった。何があるかは何の情報もなかったからだ。


「大きいほうと小さいほう、どちらにしますか?」


 確かにおばあさんはそう言った。まるで昔話のようだ。もちろん、小さいほうを選んだ。物語によくある寓意からではない。道路の狭い対馬では少しでも小さい車を運転したかったからだ。出てきたのはコンパクトカーだったと記憶している。


 比田勝から厳原への道は、舗装されているとはいえ極めて曲がりくねっていた。地図の等高線そのもののようなぐにゃぐにゃした道が続く。一度大きく膨らんでしまい、対向車線にはみ出してしまった。木々の間の山の隘路をたどると、いきなり右や左に海が開ける。良い天気で水面が光る。そしてまた山。対馬がいかに険峻で、そして入江に富むか存分に味わう。車と舗装道路が無ければ明らかに船で移動した方が速いだろう。そして入江は深く入り込み、奥や先を見通すのは極めて難しい。これは前近代に海賊が跋扈したはずである。海に慣れた者どもだったら、神出鬼没にこの地形を活かして暮らしたことだろう。

 湾や入り江ごとには小さな集落。そして神社がある。馴染みない地名を愉しむ。山合いにも家がある。庭先には小さな畑。漁業だけではないのだろうか。


 旅の同行者は免許を持っていたが、運転に自信がないという。そこで全て私が運転することにした。厳原市街の坂道は難儀した。道が狭すぎるのだ。退避場のごとくのポケットがところところにある。地元の人の配慮ある運転で事なきを得た。

 帰りも同じ道を通った。途中、神社と砂浜が合体したようなところに寄った。潮の満ち引きをいく度も繰り返してきたのだろう。私は山育ちだからただそうした風景のある生活にただ憧憬するのみだ。


 厳原から比田勝になんとか帰りつく。陽が落ちる頃に到着。おばあさんが出迎えてくれた。北海道と全然雰囲気や食べ物(それと道路)が違って、対馬を様々な意味で堪能できたことを伝えたと記憶している。こういうとき、「北海道から来ました」は武器になる。


 最近は、対馬の中央を貫く道路は工事を経てずいぶん走りやすくなったらしい。もう一度、比田勝を歩いて、あのレンタカー屋で車を借りてみたいものだ。

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