貧乏寿司

こんぶ

本文

「イィィィヤッッホォォォオオォオウ!

ついに! ついに帰って参りました!

地獄の十七連勤をやり遂げた男の凱旋でございます!

ああ、懐かしきは我が故郷!

恋に焦がれた希望の地に戻り、

今!感無量の極みでございます!

しなびた畳はさながらカンヌの赤絨毯!

薄手のカーテンは厳寒の夜を彩るオーロラの如し!

おお、我が城よ……。

王の帰還に色を添えてくれるというのかッ!」


四畳一間の独房めいた安アパートの一室に、若い男の声が響く。

帰宅の際に隣人達の不在を確認した彼は、もはや無敵の存在であった。

今ならば、どんなに騒ごうとも壁をドンとされ、ヒャンとなる憂いはない。


労働によって溜まったストレスを言霊に乗せ、

深夜2時のテンションでもって朗々と虚空に語り掛ける。


「フゥーーハハハハハハッ!

流石はお客様! お目が高いッ! 

『こいつが気になる』 そうでござんしょう!?」


王様なのか、商人なのか。

配役も語尾もいまいち定まらない男が誇らしげに掲げた右手には、

スーパーの袋が握られていた。


「御恩と奉公の古来より、労働には正当な対価が与えられてきましたッ!

そう! 激務を終えた私が正当に食すべきは、……コイツだァーーーーッ!!」


男は部屋の中央に位置するちゃぶ台の上の雑貨を乱暴に払い落とし、

スーパー袋の中身をそこへと置いた。


「世界よッ! 見たかッ! これがッ! 日本のォ!

お寿司だっ……バァッッ!!?

グゥゥッ……アアアァァァーーーッッ!!?

まッ、眩しいッッ!?

4貫1000円の放つ威光に目が灼けてしまいそうだ!

そうッ! 1000円です!

常食のモヤシ33袋ぶんッ! およそ一ヶ月分の食費をッ!!

本当に、この一食で平らげてしまうというのか!?

この男はッ! 神をも畏れぬというのかァッ!


――パッケージという名の保湿に優れた神秘のヴェールが取り除かれ、

姿を現すのは、大トロォ!! ウニ軍艦ッ!! タラバガニィ! イクラァーッ!

さながら四天王の集結を想起させられる雄大な姿を前に、

私は箸という名の銅の剣を手にし、ただただ震えることしかできません……っ!


意を決し、箸を伸ばす先をどうとするかッ!

定石通りに攻めるのであれば、まずはタラバかイクラ!

間違っても舌の経験値が溜まる前に左の御二方、

特に御大将“大トロ”に手を出そうなどとは……――――


――……おいっ!ばか!やめろ!

カメラをッ!止めろォーーッ!!


アアアアアァーーーーーッッ!!?

定石ィィィ! 崩れたりィィィッ!!


初手! 大トロォーーーーーッ!!

歴史的大変革ゥーーーーーーッ!!


手が! 手が勝手にィーーッ!!?

誰かァーッ! この文化の破壊者を殺せェーーーー!!

壁にかけてある斧でッ! 俺の腕を斬ってくれェーーーッ!!

頼むゥーーーーーー!! 早くしてくれェーーーーーー!!


ウェアアッ!!?

ウッグワアアアアアアアアア!!!!?

ウウウウウマアアアアアイイイイイッッ!!

魚特有のアブラのくさみがなくッ!口に入れた瞬間ッ!

体の一部となって消えてゆくゥーーーーーッ!!

まさに語源である「口に入れるとトロッとする」に相応しい挙動だァーーーーッ!


ウゥウウウゥゥ……ガッ!!? ガァアアアーーッ!!

余韻がァーーーッ! 余韻が襲い来るッ!!!

寿司の王者は食道という名の冥府への道を降りてなおッ!! 

私を極楽へと押し上げるゥーーーーーッ!!

唾液と合わさった動物性たんぱく質が、みるみる旨みへと変わっていくゥーーッ!!


アアアアアアアッッ!!

ヤメロォーーー!! ヤメテクレェーーーーーー!!

モヤシにィィィ!! 戻れなくなるゥーーーーーーッ!

オチルゥゥ! オヂルウウウウウウウッ!!

イヤダァ! イイイイイイヤダァアアアアア゛ッ!!


オデハアアアアア!! ひィィッ……! ヒトデェェーーッ!!

ヒトデェェェ! ア゛リダィィィ!!


モヤシヲヲオオオオォォ!! タベルゥゥーーーー!!

人間ひとでッ!! 在りたいッ!!


俺とォォォォォッ!!! モヤシのォォォォォォッ!!

絆をッ! 舐めるなアアアアアァァーーーーーーッ!

茶だッ! お茶をッ!! 熱いお茶をくれェーーーーーーッ!!


――フゥッ……フゥッ……ふぅーーーーっ。

はは……。


『ウニ軍艦』『タラバガニ』『イクラ』


すまないが、

大トロを克服した今の私には、

君たちがひどくつまらないものに見えてしまっている。


君たちに大トロ以上の力は感じない。

モヤシより少し上等な、ただの有機物だ。


誰からでもいい。一歩前へ出てくれ。

さっさと、この茶番に幕を引こう。


――おっ……オオッ!!? オオオオオウゥッ!!?

なッ!? 何ということだァーーーーー!?

馬鹿なァーーーー!

こんな暴挙が許されると言うのか!!?


ウニ軍艦ッ!! タラバガニィ! イクラァァァーッ!

3貫がアアアアァーーーーーッ!!!

一気ィィィィ!! 通貫ンンンンンンンッ!!!!

箸のx軸上に並び揃う!ウニ!タラバ!イクラ!

ウ・タ・バ! ウタバ! ウ・タ・バ!


寿司は! ダンゴでは! ありませェエエエエンンン!!

初等教育からやりなおせェェェェ!!

殺せーーッ! 誰でもいいからこの男を殺せェーーーッ!

脳髄に熱した杭を突き立ててェ! 刺し箸禁止を思い知らせろォォーーーー!!


アアアアアァーーーーッ! お前はッ! 何様だァーーーッ!!?

神を喰らいッ! 神を呑み下しッ! そして神にでもなったつもりかァーーーーッ!!?


思い出せッ! モヤシとの日々をッ!!

オマエはァーーーッ!! オマエは……ッ!! ヒトだろうッ!!?

モヤシを喰らうッ! ただの人間ひとだッ!!


頼む……ッ! 戻って来てくれ!

存在の証明モヤシはここにあるッ!


ここがオマエの居場所だろうッ!?

なぁッ! 頼む……ッ! 目を覚ましてくれよッ!


オマエは大トロなんかじゃないッ!!

オマエはッ! モヤシだッ!!


30円のモヤシもッ! 3割引きのモヤシもッ! 

病床に臥す5割引きのモヤシでさえもッ……ッ!

みんな……お前の帰りを待っているんだぞッ!?


なぁ……ッ!


なぁッッ!!


戻ってェーーーッ!! 

来オオオオオオオオオオイッ!!


大トロの呪縛をッ!! ブチ破れェーーーーーーーーッ!!


――はっ。ここはもやし!?

今の声は……もやし……?


ウォッ……! ウオオオオォォォォォォーーーーーンッ!!?

これは……これは、俺がやったのか!!?

俺は……なんということをーーーーッ!!

ウニ!タラバ!イクラ!返事をしてくれッ!!


ウォオオオオオオーーンッ!!

哀しき命をチラシ寿司ィィーーーー!! 

すまないィィィィ!! 本当にすまないィィィ!!

俺の手は醤油にまみれちまったァーーーッ!


――……ウニ。タラバ。イクラ。

今、食ってやるからな。その後、俺もすぐに」





「ごちそうさまでした」


食事を終えた男はそっと箸を置いた。

一転、先ほどまでの喧騒が嘘のように部屋は静寂に包まれる。


カサリ、カサリ。


男はちゃぶ台の上にぽつんと残されたモヤシの袋を細く四つに折り、

結んでクズカゴへと放った。


ごろんと寝ころび、キュウと鳴るお腹に手を当てながら、

目を閉じ満足そうに呟いた。


――今度は、エア焼肉にしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貧乏寿司 こんぶ @miyako_nbu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る