「……というわけじゃよ。……すまんね、話が長くて」

「いえ……」

 酒器を置きながら詫びる主人に、季風は首を横に振って見せた。正直なところ、「思ったよりも短い話だったな……」と思わずにはいられない。……という事は、こちらが話をする時も極力短くまとめて話さなければ、それほど長くない話であっても長いと捉えられてしまうかもしれない。

 これは、たしかにちょっと厄介かもしれない。隆善がこの主人の事を〝厄介なじいさん〟と評した理由が、二つに増えた。

 ちょっとだけ、この仕事を早く終わらせたくなってきた。……いや、仕事はいつでも早く終わらせたいのだが、そういう意味ではなく。

「それでは、件のもみじを拝見してもよろしいでしょうか?」

「おぉ、勿論。こっちじゃよ。ついてきなさい」

 そう言って、主人は待ちきれないと言わんばかりに素早く立ち上がり、さっさと簀子縁まで下りてしまう。季風は慌てて立ち上がり、その後を追った。

 まずは釣殿に案内され、そこから件のもみじの木を指差される。

「ほれ、あれじゃよ。三月以上経っているというのに、止む様子が無くての。毎日毎日、あのように降り続けておる」

 見てみれば、なるほど。季節にそぐわぬ、紅いもみじの木が池の傍らに生えている。

 初夏の青空に紅色が映えて、これはこれで美しい。思わず、それを言葉にして漏らすと、主人は嬉しそうに「そうじゃろう、そうじゃろう」と頷いた。気に入りのもみじというだけあって、例え怪異であっても褒められるのは嬉しいようだ。

 それにしても、不思議な光景だ。

 木の向こうに見えるのは、初夏の青空。周囲には、生命力に満ちた青葉が生い茂り、池の中では魚が元気良く泳いでいる。

 どう見ても夏であるその風景の中に、紅く色付き、はらはらと葉を落とし続けているもみじの木。

 異様な光景だというのに、嫌な感じは全くしない。それどころか、見ていると段々、眠くなってすらくる。

 ただでさえ、ここのところ多忙であった。そして、この光景。依頼人の前でうっかり居眠りをする前に調査を進めようと、季風は首を振った。袖の中でこっそりと腕をつねり、眠気覚ましを試みながら、季風はそろそろもみじを近くで見たいと申し出た。

 主人はその申し出を快諾し、いそいそと釣殿を後にする。それを、季風は慌てて追った。

 先ほど釣殿へ案内してもらった時にも感じたのだが、この主人、年齢に見合わず足が速い。蹴鞠で運動し続けてきた結果だろうか。それとも、季風の体力が無さ過ぎるのか。

 ……いや、それはない。幼い頃から姉に外にも行け、嫌でも少しは体を動かせと言われ続け、運動する習慣は身に付いている。それに、仕事上、京のあちらこちらへ出掛けるし、徹夜で張り込みをする事もある。体力は、それなりにある筈だ。……となると、やはりこの主人が元気過ぎるのか。

 主人の足の速さに舌を巻きつつ、釣殿から渡殿へ、更に簀子縁へと移動し、そこから庭に出る。沓を履いて池まで行き、もみじの真横まで。

 そこで足を止め、季風はもみじの木を見上げた。一見、何の変哲もないもみじの木だ。夏の日差しと空の青ささえ気にしなければ、一般的なそれと何ら変わりは無い。

 葉は、相変わらずひらひらと降り続けている。その、落ちてくる時の舞うような様子が美しくて、季風は思わず不用意にその葉を掌で受け止めてしまった。

 だが、それは残念ながら虫食いだらけで。季風は少しだけ残念そうな顔をすると、葉を地面に降り積もった葉の上に戻した。

 その地面の様子に、季風は「ん?」と首を傾げる。

「このもみじ……三月以上前から降り続けている、というお話しでしたよね?」

「うむ。これだけ葉を落としているのに、いつまで経っても枝が丸裸になるどころか、枝の葉が減る様子も無い。奇怪な事じゃ」

「その割に、地面に積もった葉が少ないように感じるのですが……」

 そう指摘すると、主人は「おぉ」と呻く。

「そうじゃった、そうじゃった。伝えるのを忘れておったわ。積もらせたままにしておくのもまずいと思っての。積もった葉は毎日、夜が明ける前に掃除させておる」

「……はい?」

 つまり、何が起きているかよくわからない現場に、素人が素人判断で手を出した、という事か。

「心配せずとも、集めた葉は全て保管してある。これまた不思議な事に、三月経っても色褪せておらぬのじゃが……」

 心配しているのはそこではない。そして、そんな得体のしれない物をよく三月も保管しておく気になったな、と季風は思わず感心してしまった。それから、「ん?」と首を傾げる。

「あの……先ほど、夜が明ける前に掃除をしていると仰っていましたが……何か、理由が?」

 夜が明ける前では、掃除もし難かろう。何のために、まだ暗いうちに掃除をさせるのだろうか。些細な事だが、気にかかる。

 問うと、主人は「うむ」と頷いた。

「実はな……このもみじ、降り続けているが、いつも夜のうちだけは止むのじゃよ」

「えっ?」

 驚き、季風は目を瞠る。すると、主人は少しだけ難しそうな顔をして唸った。

「実はな、わし自身は、もみじが止むところを見た事が無いんじゃ。じゃが、夜中中もみじを見張らせた家の者によると、夜から明け方にかけて、もみじが降るのが止むそうなんじゃ」

「あなた自身は、ご覧になった事が無いのですか……?」

 意外だ。この主人であれば、自らの目で確かめるために一晩中起きているぐらいしそうなものだ。起きているのが辛ければ、庚申会のように賑やかな場を設ける事すら辞さないように思えるのだが。

「それがな……わしが起きて見張っている間は、止む事が無かったんじゃ。もみじが降り止むのは、必ずわしが寝入ってから。そして、わしが目覚める頃にまた降りだすようでの……」

「それって……」

 もみじは、この邸の主人が寝ている時だけ止んでいる。そういう事になる。

 ただもみじが季節外れの紅葉をしているだけであれば、最悪、不思議で済ます事もできよう。だが、怪異の発生に明らかに邸の主人が関係しているのであれば、話は別だ。

 今は何ともなくとも、いずれ何らかの形でよくない事が起こる事だってあり得る。もみじが、主人に何事かを伝えたがっている可能性だってある。

 危険の無さそうな怪異だと気楽に構えていたが、少々、気を引き締める必要がありそうだ。

 季風は邸の主人に向き直ると、意を決して言う。

「あの……集めた葉は全て保管してあると仰っていましたよね? それ……全て見せて頂いてもよろしいでしょうか?」

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