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「おい、
陰陽寮の一角に急ごしらえ感満載で作られた、調伏を専門とする陰陽師達の室。そこで報告書作成に勤しんでいた季風に、上司が手招きと共に声をかけてきた。
上司の名は、
尚、季風の名は本来であれば〝すえかぜ〟である。しかし、勤務中は〝きふう〟と有職読みで呼ばれる事が多い。隆善も本来なら〝たかよし〟だが、普段は〝りゅうぜん〟と名乗るようにしている。
本来の読み方が相手に知られる事で、呪われてしまう事もあるからだ。呪詛や解呪、調伏を行う陰陽師は、死と隣り合わせの危険な仕事なのである。少なくとも、季風の感覚では。
それはさておき、その上司のお呼びである。季風は恐る恐る筆と紙を机に置き、隆善の許へと足を運んだ。
「何でしょうか? ……あ、先日の〝踊る百鬼夜行事件〟の報告書なら、後は誤字脱字が無いかだけ確認すれば提出できますので……」
「クソ忙しい時に誤字やらかすような奴はぶっ殺すし、添削に時をかけ過ぎる奴はぶっ飛ばすから、そのつもりで最初から誤字が無いように気ぃ張りつめて書けっていつも言ってんだろうが。でもって、うだうだ言いながらもお前はいつも添削するまでも無く誤字の無い報告書を書き上げてんだろうが。色々山積してんだよ。とっとと報告書を出せ。でもって、さっさと次の案件に取り掛かれ」
何故、姉と言い、上司と言い、季風の周りはこのような横暴な人間が多いのか。嘆いたところでどうなるものでもないが、嘆かずにはいられない。
心の中で密かに涙を拭き、季風は一旦自席へ戻ると、書き上げたばかりの報告書を持って再び隆善の許へと足を運んだ。
隆善はそれにざっと目を通すと、ふん、と大きく鼻息を吐く。
「やっぱ、誤字なんざ無ぇじゃねぇか。お前、本当に今年から働き出した駆出しか? 報告書を書くのに、妙に慣れてんじゃねぇか」
「その……恐縮です。……恐らく、幼い頃から家の者に指導を受けたお陰かと……」
「あぁ、あの例の姉か」
そう言って、隆善はため息を吐く。その音が、同情の気を含んでいるように聞こえるのは気のせいだろうか? ……いや、恐らくきっと多分相当の確率で、気のせいではない。
幼い頃から外へ行く度、姉に話をしろ、後で再び楽しめるように文字に起こせとせがまれ続けてきた季風である。
せがまれるままに文字に起こせば、文章がなっていない、誤字が多い、字が汚いと指摘をされ続け、気付けば十の頃には、既に大人顔負けの報告書を作成する事ができるようになってしまっていた、という有様だ。
それを隆善も知っているらしいので、今のため息は同情によるものである、と推察できる。
「しっかし、こうしてわかりやすい報告書になっても意味わかんねぇな、〝踊る百鬼夜行事件〟。毎晩踊りながら現れる百鬼夜行の、踊りの型一つ一つに意味があったのは良いんだが……結局何が言いたかったのか要約したら、『金返せ』だぁ?」
「……依頼主、相当な額の借金をしていたみたいでして……」
「こっちに依頼するのにだって、今回みてぇに人に危険が及ぶ事の無さそうな案件だった場合は、謝礼だなんだでそれなりに金がいるだろうが。その金でまず返せよ、借金。普通に考えりゃ、それが原因だって真っ先に思い付きそうなもんだろうが」
「私に言われましても……」
「……まぁな」
夏は、怪異が多い。故に、この部署は夏が特に忙しい。初夏に入り、ここのところ忙しさは右肩上がりで増している。そのためか、この上司もやや疲れているらしい。キレの悪い言葉で曖昧に頷きながら、隆善は報告書を所定の場所に収めると、別の場所から新たな書き物を取り出し、季風に手渡してきた。
「次はこれだ。依頼が来たのは春の中ごろだったんだが、それほど緊急性は感じられなくて後回しにされ続けていてな。色々立てこんでたもんだからすっかり待たせちまってる。厄介なじいさんだから、上手くやれよ?」
後回しにしたのは、緊急性が感じられなかったからではなく、相手が〝厄介なじいさん〟だからではないだろうか。
そんな言葉が頭を過ぎったが、過ぎったとしても口にしてはいけない。口にしたところでこの案件が季風の担当である事は変わらないであろうし、最悪、気分を害したこの上司によって呪い殺されてもおかしくない。
従って、季風は何も反論せずに頷き、隆善の手から紙を受け取った。たしかに、大分長い事放っておいたらしく、何やら湿気た臭いがする。
場所を確認し、紙を折り畳んで懐にしまうと、季風は早速動きだした。まずは、依頼人に会って、話を聞かなければならない。
しかし、同時に不安に思う。
この依頼があったのは、春の中ごろであるとの事。今は、初夏。依頼人は、老人らしい。
今まで放っておいた事を、責め立てられたりはしないだろうか。
訪ねたら既に解決していて赤っ恥、なんて事にはならないだろうか。
怪異が悪化したりはしていないだろうか。
依頼人が、依頼した事を覚えているだろうか。
まず、依頼人が生きているだろうか。
諸々の可能性に頭を悩ませつつ、季風は朱雀大路を歩く。築地塀に停まった蝉が、大きな鳴き声を発した。
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