76.次の宿題
「預けろだと? どういう意味だ?!」ヴレイズはヴェリディクトの射程範囲外で立ち止まり、吠える。
「そのままの意味だ。この娘はヴレイズ君の手に余るだろう。私が黒龍の復活を止めておく。安心し給え」と、彼はフレインの首を掴んだまま、優し気に微笑む。
「な……さっきから黒龍とか……意味の分からない事ばかりいいやがって! 一度死んだってどういう意味だよ!!」先ほどの彼の言動に耳を疑っていた。『フレインが一度死んだ』という話は初耳であった。
「いつどうやってかは知らんが……死んだのは事実だ。それによって彼女は肉体を奪われている。今の彼女は黒龍の隠れ蓑に過ぎない」彼はフレインの目の色と奥の輝きを伺う。
彼女の目の色はいつも通りだったが、奥にある魔力の輝きはどす黒く変色していた。
「ぐっ……いい加減、離せ!!」と、フレインは炎を撒き散らしながらもがく。が、ヴェリディクトが掴む力を少し強くすると、彼女は小さく呻き動かなくなる。
「フレインが一度死んだ……? 嘘を吐くな!!」ヴレイズは彼女を取り戻そうと彼の間合いに入り込み、赤熱拳を振るう。
が、彼が拳を振り抜く頃、既にヴェリディクトは一瞬で背後の間合いの外側へと移動していた。
「まぁ、信じられないだろうな。だが私は事実だけを話そう。今のヴレイズ君ではこの娘を助ける事はできない。君がもっと研鑽を詰み、十分な実力と知識を身に付けるまで、この娘を安全に預かる、と言っているのだ」ヴェリディクトはヴレイズの目を見てまた笑う。
「そんなのはあたしが御免だ!!」フレインは腕に炎を蓄え、ヴェリディクトの顔面へ火炎弾を叩きつける。手応えは感じつつも、無傷の彼の顔が煙の中から覗く。
「行儀の悪い娘だ。それに、君の意見は聞かないよ」と、彼女の眼前で指を鳴らす。同時に火の粉が弾け、それがフレインの鼻腔を通って脳まで到達し、呪文が焼き印される。
「ぐっ……う……ぅぅ!!」抗えない何かが彼女の脳天を覆い尽くし、一気に思考に闇がかかる。フレインの今迄の何かが全てぼやけていき、大切な何かが塗り潰されていく。
「フレイン!!」
「ヴ……ヴレイズ……」フレインの表情に力が入らなくなり、身体全身から力が抜け落ちる。
「フレインに何をした!!」
「ちょっと行儀よくなる呪文をね。コレも含めて、ヴレイズ君にはいい試練になるだろう」
「何が試練だ!! ふざけるな!!」
「ぬがぁぁぁぁぁぁあ!!!」
フレインは目を勢いよく開き、渾身の力を込めて憎きヴェリディクトの顔面に拳を叩きつける。
しかし、その全てを込めた拳はあっさりと叩き落とされた。
「流石はヴォルカの、そしてガイゼルの教育を受けた娘だ」
「ち……くしょ……う」無念の表情で呟き、最後にヴレイズへ顔を向ける。「ご……め、」言い終わる前に彼女の輝く瞳から光が失われる。糸が切れた様に力が完全に抜け、首を垂れる。
ヴェリディクトは彼女を地面に寝かせ、ネクタイを締め直して襟を正す。
「さて、メインがまだだったな。レストランへ戻ろうか」
すると、ヴレイズを中心に凄まじい火炎爆発が起きる。地面が津波の様に盛り上がり、周囲の草や枯れ木が一瞬で消し炭と化す。その爆発はこの周囲はおろか、街すら飲み込む程であった。
ヴェリディクトは涼しい顔でそれを巨大な魔障壁で受け止める。
「これはこれは……」と、メインディッシュを目の前にしたような顔でニタリと笑うヴェリディクト。
「さっきからいいようにしやがって……もうどうにでもなれ! お前だけは倒す!!」
ヴレイズは決死の覚悟で地面を蹴り、眼前の宿敵を食い尽くす勢いで襲い掛かる。そのガムシャラな攻撃は最初の頃とは違い、鋭さも増し、なにより殺気が段違いであった。
矢継ぎ早でくりだされるそれは、ヴェリディクトは全てを受け流す事は出来ず、何発かは防ぎ、ジャケットがボロボロになっていた。
「最初の頃とは別人な程の強さだ。これが怒りの力だ」腕の甘い痺れを楽しむ様に口にし、怒りに燃える彼の表情を伺う。
「黙れ! このクソ野郎がぁ!!!」久しぶりにキレた彼は、何も考えず、ただ眼前の敵をぐちゃぐちゃにする為に拳と蹴りを打った。氷帝と戦った時とは違い、今の彼の怒りは完全に頂点を振り切って爆発していた。
「私の言葉が受け止められないのか? 今の君では実力不足だ。大人しく……」ヴェリディクトは後退しながら口にする。
ヴレイズは彼の言う通り聞く耳を持たず、瞳を真っ赤に燃やして襲い掛かる。
今迄の彼は無駄な炎は出さず、十分に練り上げられた魔力で冷静に戦っていたが、今の彼は本能と殺意のままに拳を振るった。
「全く……仕方がないな」と、ヴェリディクトはここでやっと拳を握り、腰を落とす。
ヴレイズが次の攻撃に移るその一瞬、彼は素早い速さで死角へ回り込む。ほんの瞬く間に彼の呼吸に合わせて一発、脇腹へ左鉤打ちを喰らわせる。
そのたった一発の拳で呼吸が乱れ、体内の魔力循環がストップし、腰と膝が抜けて地面に倒れ伏す。その一撃でほんの数秒気絶したため、受け身も取れずに地面に顔を強かに打つ。
「無駄打ちせず、正確な部位に正確な一撃を入れる。その方が無駄な魔力、体力も使わなくて済む」と、ボロボロだったジャケット、ズボンに炎を纏い、一瞬で破れを治す。
「ぐっ……ガハッ!」何とか立ち上がろうともがくも、脚に感覚は無く、這いずる事しか出来なかった。
「さて、頭は冷えたかな? 君にまで洗脳呪術は使いたくない」
「この野郎……がぁっ!!」脚の感覚が戻った瞬間、彼は一瞬で跳び上がり、熱線を連射する。貫通力の高いそれは大地にいくつもの穴を開けた。
「いい加減にし給え」一瞬で彼の上まで飛んだヴェリディクトは彼を火の玉の中へ閉じ込め、大地へ向かって叩き付ける。勢いよく土埃が舞い、ヴレイズは大の字で叩きつけられた。
ヴェリディクトは彼の正面に優雅に立ち、哀れなモノを見る目で見降ろす。
「さて、どうする? 共にメインを共にするか?」
「冗談じゃない!」身体は動かずとも、吠える力は残っていた。
「それは残念だ。フレイン」ヴェリディクトが手招きすると、彼女は何事も無かったように起き上り、彼の隣に立った。「行こうか」
「はい、ヴェリディクト様」輝きを失った瞳で答えるフレイン。
「フレイン……冗談だろ? おい! 目を覚ましてくれ!!」ヴレイズは動かない身体を無理やり動かして立ち上がり、彼女の前に立つ。
彼の呼びかけにフレインは答えず、初対面を相手にする様に小さく会釈する。
「フレイン!」
「さぁ、ヴレイズ君はこの彼女を助ける為にまた精進の旅を続け給え。十分に研鑽を詰んだなら、またこの町、あのレストランへ来ると良い。私はいつでも君を待とう」
すると、ヴレイズはヴェリディクトの前に立ち、歯を食いしばりながら首を垂れた。
「頼む……フレインだけは、やめてくれ……奪わないでくれ!」
「奪うつもりは無い。君の手で助けさせたいのだ。それまで私が安全に預かると、何度も言っているのだが?」
「頼む……この通りだ」首を垂れ続け、涙しながら口にする。
そんな彼の肩に左手を置き、片眉を上げるヴェリディクト。徐に右手刀を彼の腹に突き刺し、横へ掻っ捌く。
「っっっっがっ!!!」急な腹からの灼熱に仰天し、膝から崩れ落ちる。
「これが次の宿題だ。これが解ければ、彼女を助ける第一歩が踏めるだろう。制限時間を儲けたのは、以前同様、命の危機に瀕すれば君なら可能であると見たてかからだ」
「ぐっ……あぁ……」傷を押さえ、地面に転がるヴレイズ。傷口はこんがりと焼けており、出血はあまりなかったが内臓が露出しており、早く処置しなければ危険であった。
「では、頑張り給え。あぁ、その宿題が出来ても、この町へ足を踏み入れるのはまだ早いぞ? そうだな、お兄さんにでも会いに行くといい。では、また会おうヴレイズ君」と、ヴェリディクトはフレインを連れて町へと戻って行った。
ヴレイズは苦悶の声を漏らしながら、耐えがたい苦痛に耐えた。それは腹の傷よりも痛むモノであった。
その後、ヴレイズは腹に包帯を巻き、どこか寄れる村を探しながら平原を歩いた。彼の腹の傷は何故か、ヒールウォーターや炎の回復魔法では治せなかった。
とりあえず、無理やり針と糸で繋ぎ合わせ、ヒールウォーターを染み込ませた包帯を巻いた。
「ぐっ……くぅ……」ヴレイズは俯きながら涙していた。どんな理由があれ、フレインを奪われたという事実に心を打ちのめされていた。
更に『フレインは一度死んだ』という嘘か誠かの話を聞き、それに対してもショックを覚えていた。
「全部俺のせいだ……俺の……」重たい脚を引き摺りながら歩き続け、やがて夜が来る。
いつもならキャンプを張り、食事の用意をする頃だが、そんな事も頭には無く、ただトボトボと歩いた。
次第に体力も無くなり、そのまま地面に倒れ伏す。
「……このまま死ぬのも悪くないか……」一気に生きる気力を失ったヴレイズは、そのまま諦めた様に目を瞑る。
そんな彼の前の影から何者かがぬっと現れる。
その者は闇使いのヴァークであった。
「……一体どうしたのだ?」と、ヴレイズの首に指を置く。「成る程、大変みたいだな」
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