21.エレンの休日

 ベッドを抜け出したエレンは、こっそりと仕事場を覗き見る。相変わらず傭兵たちの長蛇の列が出来上がり、そこの先頭で彼女の助手であるリンが汗を流しながら診断をしていた。

 リンとは西大陸からこちらへ渡る時、港で出会った風の魔法医であった。村を襲われ、働く場所を失い、途方に暮れていた所でラスティー達と出会ったのであった。

 彼女の腕はエレン程ではないが、熟達しており、水の回復魔法と相性の良く立ち回る為、エレンから頼りにされていた。

 今はエレンがこの通りおらず、ひとりで大勢の傭兵たちを相手にしている為、てんてこ舞いであった。リン自身はこの状況を楽しむ様に無我夢中で働いていた。風魔法を器用に使って傷を縫合し、風のベールで裂傷を癒す。

「あの……リンさん、手伝いましょうか?」我慢できずにベッドルームから出たエレンは、足早に歩み寄る。

 すると、リンは可愛らしい顔から一片、鬼の様な形相を作りエレンを睨み付けた。


「エレンさんは一週間仕事禁止です!! ベッドに戻ってください!」


 リンは優しくも激しい突風を吹き荒れさせ、エレンをベッドルームへ吹き戻す。

 エレンは堪らず紙のように吹き飛ばされ、ベッドにダイブする。

 彼女が姿を見せてしまったが為、診療所内ではエレンを求める声が大きくなり、更に患者の数が多くなっていた。何故ならエレンは怪我の治療だけでなく、心のケアのためのセラピーも行っていた。リンにはそれが出来ない為、間者の数は今迄の半分程度であった。

「もう! エレンさんったらぁ!!」



 その頃、ウォルターはエディの命令でベルバーンのいるアジトへ単身で向かっていた。彼はエディを信用はしていないが、ここまで事態が大きく進展し、それを心底楽しむ彼を見て『少なくとも逃げないだろう』と考えていた。

 アジトの森の見張りや門番は彼の放つ鋭い殺気や眼術で目を回して次々と倒れ、ウォルターは何食わぬ顔でベルバーンシティに辿り着く。

この街にいる者達は皆、タイフーン強盗団の一員であった。

そんな住人たちはウォルターの異様な気配に勘付き、遠巻きに監視する様に睨んでいた。

 ウォルターは全く怖気ることなくベルバーンの大酒場へと向かい、愛想も挨拶もないままに一番奥の彼の部屋へとノックもせずに入る。

 ベルバーンはまるで彼の訪問を待っていた様な態度で迎え入れる。

「エディの使いだろ。準備が整ったのか?」と、酒を片手に大口を開く。

「ぐっ……あぁ」『エディなんかの使いではない!』と、あと一歩で口から出る所であったが、無理やり飲み込む。

「そうか。では、コイツを渡しておこう」と、一枚の書類を手渡す。それはとある村で潜伏するベルバーンの手下に宛てた命令書であった。その内容は『エディの指示に従ってラスティーのいる村を攻めろ』というモノであった。

 ウォルターはその命令書に目を通すことなく懐に仕舞い、踵を返す。


「ちょっと、お待ちください」


 ベルバーンの背後からひとりの女性の声が響く。その者は不敵な笑みを浮かべながらベルバーンの巨体の影からヌッと現れる。

「何者だ?」その女性から放たれる強烈な殺気と魔力に気付き、振り返るウォルター。

「あたしはベルバーン様の右腕……マーゴットよ。それより、あたしはエディの事をよく知っているわ。彼は抜け目ない策士よ。保険をかけておいた方がいいわね」と、派手に開いた胸の谷間を見せびらかす様にウォルターに近づく。

「…………!」胸の谷間に弱いウォルターは一瞬で釘付けとなる。眼術使いの目は一般人よりも多く視覚情報を取り込んでしまう為、効果は抜群であった。

「隙だらけ!」と、マーゴットは肘で彼の首を一撃し、気絶させる。

「で、あいつならどうすると思う?」ベルバーンは態度を一切崩さぬままに腰を上げ、太い腕を組む。

「彼は自分の立ち回り易い舞台を作り、翻弄しようと企むはず。だから貴方の下に大人しく着くとは思えないし、言う通りにするわけがない。傭兵団のリーダーをやっていた時は窮屈そうだったわね。こいつみたいな使える部下もいなかったし」と、気絶したウォルターを見下ろす。

「で?」ベルバーンはマーゴットに近づきながら問う。

「まだカードが伏せられているからわからないわ。だから……」と、ウォルターの懐に腕を突っ込み、命令書を奪う。「これはあたしから渡しておくわ。久しぶりに彼にも会いたいしね」



 次の日の昼、エレンはこっそりと裏口から診療所を抜け出し、ラスティーのいる村長の家へと向かった。彼は普段、訪問客の接待や情報交換、交渉などで忙しくしていた。今は珍しく、遅めの朝食を摂りながらレイの整理した情報に目を通していた。

「ラスティーさん、今、いいですか?」ひょっこりと顔を出すエレン。

「ベッドを抜け出していいのか? リンにまた怒られるぞ」

「こっそり抜け出しましたし、リンさんは今、とても忙しくしておられますし」

「悪い魔法医さんだ。で、一緒に散歩でもするか?」エレンの言いたい事を読み、早速ジャケットを手に取る。

「はい。近くに綺麗な湖がありますよ」

「風邪がぶり返すぞ?」

「泳ぎませんよ……」



 村の近くにある大きな湖に2人でやってくる。そこにはたくさんの魚と共に潜水白鳥(スイム・スワン)が泳ぎ、イルカのように跳ねていた。

「村の人のおすすめ通り、綺麗ですねぇ~」エレンはうっとりする様に口にしながらその場に座る。

「で、話があるんだろ? 今度は俺が聞くよ」毎度ラスティーは彼女に相談し、セラピーして貰っていた。そのお返しにと、エレンを寝かせ、その隣に座る。

 エレンは湖独特の香りを楽しむ様に深呼吸をし、ラスティーの目を見る。

「……私は自分を恥じています。皆さんはどんな局面に立たされても諦めません。ラスティーさんもヴレイズさんもアリシアさんも……それにガムガン砦の時の皆さんも……あの絶望的状況でも彼らは諦めず、砦を防衛しました。でも、私は……」

「私は? エレンは十分……」

「私は、アリシアさんを見捨てました。あの時、彼女の事を諦めてヴレイズさんの治療に集中しました」と、一筋の涙を流す。

 彼女は確かにあの時、重体のアリシアの治療を諦めていた。

「その選択の結果、2人は助かったんだ。あの時のエレンの判断は正しかった。何度も言ってるだろ? エレンは何も悪くない」

「しかし、私は……自分が許せません。あの時、アリシアさんを見捨てたのは確かです。次、また同じケースが降りかかったら……今の私でも助ける自信がありません……」

「1人でなんでもしょい込もうとするな……」

「貴方はどうなんです? あなたこそ全部自分でしょい込もうとしているじゃないですか! そんな貴方にいわれたくっ……すいません」言い過ぎたと自覚し、口を結ぶエレン。

「だからこそ、俺は副指令であるレイと共に情報収集、整理、吟味をし、共に計画と策を立てている。エレンはリンと共に診療所で働いている。今はまだ慣れないが、それでいいじゃないか? それに次回、あのウィルガルムが攻めてきても、あの時の様にはさせない。絶対にな」確信めいた眼差しでエレンの瞳を見つめる。

「……結局、成長していないのは私だけでしょうか……」

「成長とは、自覚できないもんだ。第三者から言われて初めて自覚するモノだ。俺から見れば、エレンは少なくとも、俺より大きく成長している。それだけは自信をもって言えるぞ」

「……その言葉を救いに、今後も頑張らせて貰います。それから、」と、エレンは立ち上がり、ラスティーの背中を優しく摩る。


「そのお言葉、貴方にもお返ししますよ」


「……俺のセラピーじゃないんだが……ま、ありがたく受け取るよ」

 その後、2人はしばらく湖を眺め、談笑する。久々の仕事から離れた、何の脈絡もない世間話であった。

 そこへ、ひとりの傭兵が慌てた様に走ってくる。

「悪い知らせかな、あの表情……」ラスティーは仕事モードに切り替え、緩んだ表情を引き締める。「なんだ?」

「報告です! レイさんがお部屋で倒れました! リンさんが言うには、過労です」

「……マジか……」ラスティーはその場で目まいを起こし、エレンの太腿に頭を預ける。彼は傭兵に見られない角度でエレンに甘える様な表情を覗かせる。

「さ、早く行ってください。私も仕事に戻ります」と、彼女はあえて厳しい言葉を彼に浴びせた。

「……はい……」



 その頃、とある村の宿でエディは静かにウォルターの帰りを待っていた。と、言っても彼は大人しくウォルターが帰ってくるとは思っておらず、この部屋を訪れるモノが誰かも予想がついていた。

 すると、軽いノックの音が部屋に響く。ウォルターならノックせずに入室する筈だった。

「どうぞ」エディが返事すると、彼の背後から何者かの唇が近づく。


「おひさ、エディ~」


 マーゴットの囁きが彼の耳を撫でる。

「マーゴットぉぉぉ~」エディは待ちわびた様な声を出しながら振り返る。彼を裏切った最初の仲間とは、彼女の事であった。

「どん底のお味はどうかしら?」

「中々悪くないぞぉ」

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