114.旅立つ光
日が没し、ゴッドブレスマウンテンに夜が訪れる。シルベウスの宮殿は太陽に左右されずいつでも明るかったが、それに合わせて宮殿外はほんのりと薄暗くなる。
宮殿内ではささやかな夕食時となり、シルベウスはダイニングルームに座り、ミランダが用意する膳をフォーク片手に待っていた。
彼の正面にはケビンが座り、腕を組みながら呆れた様な表情を作っていた。
「神聖存在に『空腹』とかあるのか?」質問というより、嫌味のつもりで投げかける。
「この前来た時も同じことを聞いてきたっけな。その時と答えは同じだ」
「百年以上前を『この前』とか言うのか……もう忘れたよ」
「そこんトコロが噛み合わないのは仕方がないな。それにしてもミランダが遅いなぁ~ 何やってるんだ? ちょっと、見てきてくれよ」と、シルベウスはケビンを顎で指示する。
「お前が行けよ」
「頼むから、呼んできてくれ」シルベウスは少しだけ本気の眼差しで訴えた。
「? しょうがねぇなぁ」彼はミランダの自室へと頭を掻きながら向かった。
その頃、ミランダは自室で険しい顔で座禅を組み、己の体内の中心に魔力を集中していた。彼女の体内には、ひとつの島国を消し飛ばせる程の魔力が練られていたが、部屋にはそよ風ひとつ吹いていなかった。無風、無音の部屋でミランダは、徐々にその存在が希薄化していき、身体が透き通っていく。
彼女の表情から険しさが取れ、まるで眠っている様な穏やかさが滲み出る。
そして部屋から彼女の気配、体温、そしてその存在自体が消え始める。
するとそこへ、ケビンのノックが響く。
「……気配も何も感じないな……? ん?」不思議な雰囲気を本能的に感じ取り、ゆっくりと入室する。ミランダを見た瞬間、彼は慌てた様に駆け寄り、彼女の肩を掴んで揺り動かした。
「おい! 大丈夫か!! おい!!」彼は彼女を掴むことは出来たが、体温と体重を感じず、まるで綿か雲を掴んでいる様な不気味な感覚に襲われていた。
しばらく彼はミランダを揺すり、瞳孔を確認し、仕舞には頬を引っ叩いた。
「ん……うぁ!!!」気付いたのか、起きたのか、ミランダは仰天した様に跳び跳ね、一気に汗だくになって倒れた。
「一体どうしたってんだよ! 存在が消えかかっていたぞ?!」
「あ、ありがとうございます……お陰で助かりました」普段の様な冷静な表情はそこには無く、取り乱した心を抑えようと必死になっていた。
「……何してんだよ……相変わらずここは奇想天外だなぁ……」メロンパン好きの神聖存在と、幽霊の様に透き通るその弟子。宮殿も下界にある文明では出来ておらず、彼には居心地が悪かった。確かにここはまともな場所ではなかった。
「……クラス5というのをご存知ですか?」
「昼にシルベウスから聞いたよ。この世界でその境地にいるのは魔王だけだってな」
「その境地へ辿り着こうとして、そのまま自然に溶けるトコロでした……」
「それって、死ぬって事か?」
「死ぬのではなく、風に意識と肉体が溶け、一体となるのです」
「だから、死ぬって事だろ?」
「……もう、それでいいです。死ぬところでした……」ミランダは珍しく丁寧にお辞儀して謝罪し、自室を後にした。
「クラス5ねぇ……」ケビンはその後、食事を楽しむシルベウスの前にドカリと座り、彼をじっと見据えた。
「……なんだ?」ハンバーグの上に乗った目玉焼きをいつ潰すか悩みながらシルベウスが首を傾げる。
「あんたの事だから、さっきのに気付いて俺を向かわせたんだろ?」
「察しがいいな。ミランダがあぁなったのは今回で3度目だ」台所でケビンの分の膳を用意する彼女に親指を向けながら口にする。
「クラス5とは、具体的に何なんだ?」
「簡単に言えばそうだなぁ……人間を辞め、概念的存在になるってトコロか? う~ん違うな……前の世界にはそう言うのは……あぁ! 3番目の世界に似た様なのがいたな! 精霊みたいなもんに昇華するって感じだ!」
「……? 全くわからないんだが……?」ケビンはポカンとした顔で複雑な表情を浮かべる。
「とにかく、クラス4を超えたチョーヤバい存在だ。クラス5になれば、魔力を無限に使えるどころではない。風属性なら風、炎なら炎、闇なら闇と……その属性に成るんだよ」と、卵の黄身を潰し、ソースと絡める。
「最初からそう言えよ。それでも話半分わからねぇけど……ま、さっきの現象に納得はいったかな」と、膳を運ぶミランダへ目を向ける。
「ま、そう簡単には覚醒できない。と、いうかこの世界では……いや、今迄の世界で前例はほぼ無い。精霊を自称していた連中もクラス5とは呼べなかったな」シルベウスはハンバーグを特製ソースにコッテリとつけ、一口で頬張った。
「あと一歩だと思うのですが……風に溶けていった先人たちの声に吸い込まれそうになり……どうすれば覚醒できるのか……」ミランダは悩む様に顔に手を置き、ため息交じりに唸る。
「80年以上修行しても覚醒できない境地、か……で、魔王はその?」
「そう、間違いなくクラス5だ。それも、まだまだ力を増している。困ったもんだ」シルベウスはうんざりした様な声を漏らしながら最後の一口を頬張る。
「お前が言うな、お前が」ケビンも呆れ声を出し、用意された夕飯に手を付け始めた。
そこへ、アリシアがゆっくりと現れる。
「……お腹空いた」目の下を黒くさせ、真っ直ぐ台所へと向かう。ゴチャゴチャと音を立て、しばらくして大きなお盆一杯の料理を手に現れる。彼らと同じ卓の椅子に座り、手を合わせる。「いただきます」
「……お、おう」ケビンは彼女の様子を伺おうと、何か声を掛けようとしたが、彼女は無表情のまま黙って飯を頬張っていた。両手のパンと肉を交互に口へ運び、皿一杯のスープを一口で飲み干し、スパゲッティ―を黙々と啜る。
「……ふぅむ」彼女の心の中を見透かしたのか、シルベウスは面白そうに微笑んだ。
「ふぅ……やっと落ち着いた」彼女は宮殿の台所にある数日分の食事を平らげ、一息ついていた。あの大量の食材をどこで手に入れるのか、とケビンが疑問に思うも、シルベウスは「気にしちゃいけないよ」と、不穏な笑みを覗かせながら彼の肩を叩いていた。
「よくもまぁ、こんなに食べるもんだ……」感心と呆れの感情に同時に襲われながら零すケビン。
「壁にぶち当たった時は、いつもこんな感じですね」ミランダは大量の食器を下げながら口にする。
「うん、よし! シルベウス様!」アリシアは彼に向き直り、血色の良い笑顔を見せた。
「なんだ?」
「あたし、下の世界で修業します!!」
彼女の力強い言葉に眉を上げるシルベウス。
「約束したはずだぞ? 試練を乗り越えられなければ、下へは降りてはいけない、と」食後の茶をゆっくりと啜り、彼女の輝く瞳を見る。
「確かに、あたしはあの魔王には手も足も出なかった……そう、世界がまさにあんな感じなんだって、知る事が出来たの。そんなのは放っておけない! 魔王に抗う為に、元の世界へ戻らなきゃいけないの!」
「だが、お前の力では魔王に抗う事は出来ないってわかったんだろ?」
「うん!」アリシアは力強く頷く。
「それでも、魔王の待つ世界へ戻るのか? 何故だ?」まるで教師の様な口ぶりをしてみせるシルベウス。
「あたしだけなら、でしょ? 皆の力があれば……抗う事が出来る!」
アリシアは力強く口にし、ケビンの方を見る。彼女の視線に彼は、ふっと笑って頷いた。
「つまり? 何が言いたいのかな?」
「あたしは最初から、ひとりで魔王と戦うつもりはないの! 同じ志を持った仲間たちと戦うつもりで旅をして、そしてここで修業したの! 魔王には勝てないけど、皆の力になれるほどには十分修行できたと思う! 足りない分は、下の世界での経験でしか学べないと思うし……お願いします! どうか、下の世界へ」
「合格!」
シルベウスは親指を立てて声を出し、深々と頷いた。
「え?」キョトンと気の抜けた声を出すアリシア。
「そう! その答えが聞きたくて、あんな無茶な事をやらせたんだ。コレがここでの最後のテストだったんだよ!」と、シルベウスは調子のよい声を出す。
「絶対、行き当たりばったりだろ」ケビンは本音を小声で零し、首を振りながら笑う。
「そんな事はない! もし、あのままアリシアの心が折れ、腑抜けたりしたら、ここから叩き出すつもりだった。やはり、お前の心は大したもんだ!」と、シルベウスは彼女を抱き寄せ、力強く頭を撫でた。
その次の日、旅支度を早々に済ませたアリシアは山を降る準備を進めていた。その度にはケビンも同行するといい、彼女の準備を待っていた。
「お前は来ないのか?」ケビンはミランダに問いかけ、共に来るように誘う。
「私は……ここでまだ学ぶことがあるので」彼女は彼から目を背け、難しそうに表情を歪めた。
「ま、気が変わったら降りてこいや」
「さ、行こう! シルベウス様、ミランダ先生! お世話になりました!!」と、深々と首を垂れる。
「うん。あまり無茶するなよ? お前の悪いところは、自分の命を無視してまで他人を守ろうとするところだ。まぁ、良いトコロなんだが……お前が死んだら魔王討伐は永遠に敵わないと覚えておけよ!」シルベウスは最後に釘を刺す様に口にし、胸を張りながらメロンパンを齧った。
「相変わらず説得力のないオッサンだなぁ~」ケビンは腕を組みながらため息を吐いた。
「うるさい! お前は死なないんだから、精々アリシアの盾になるんだな! アリシアも、こんなヤツを守ろうとするんじゃないぞ!」
「なんだとぉ? 最初からそのつもりだ!!」
「まぁまぁ……んじゃ、行って参ります!」と、アリシアは元気に手を振りながらゴッドブレスマウンテンから身を投げた。
「おぅ、行ってくるぜって、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?! ちょ、ちょっと待て!」と、ケビンも後に続くように飛び降りる。
「……行っちゃいましたね」少し寂しそうにミランダがポツリと口にする。
「またお前と2人きりか……お前はいつここから出て行くんだ?」
「……悟るまで……」と、遠くを見る目で口にする。
「前の世界ではお前みたいな奴を、『ヒキコモリ』って言うんだよ。ったく、まぁ……俺も寂しい思いをせずに済むからいいか」
「それにしても、彼女は本当に大丈夫でしょうか? もし、魔王に見つかったら……」
「そこは、アリシアを信じるしかないな」
アリシアは光魔法を手足から放出させ、難なく滑り降り、流れる様にそのまま着地する。ケビンはそんな彼女を『ズルい』という目で眺めながらも山肌の壁面を駆け下り、大剣でブレーキをかけながら、なんとか冷や汗を掻きながら着地する。その際、彼だけは右脚を骨折した。
「いきなり飛ぶなよぉ……ま、そんなアリシアさんも素敵だけどさぁ」と、右脚の骨が治る気味の悪さを感じながら苦そうに口にする。
「ケビンはマイペースに降りて良かったのに」
「マイペースだと、待たせちゃうからねぇ……アリシアさんを待たせる訳にはいかないでしょう?」と、彼女の間合いに入り込み腰を抱えようとする。が、アリシアは軽やかに彼の腕を避け、双眼鏡を手に山を見下ろす。
「さ、どこへ行こうかなぁ~ みんなはどこなのかなぁ? うぅん……風吹くままに行こう!」と、元気よく足を踏み出す。
「そりゃいいな! そのうち、ヴレイズたちと合流できそうだな!」
「うん! さぁ、魔王討伐再開!!!」アリシア達の旅は、まだ始まったばかりである。
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