50.救世主エレン

 ヴレイズとエレンの入った町は、マーナミーナ側の砦に一番近いだけあって警戒が強く、普段は兵で溢れ返っていた。その分、店や宿も多く、人の賑わいのある活気の良い町だった。

 ただ、今は嵐の前の静けさか、あまり人通りは少なく、兵もあまり歩いておらず、戦争の準備の為か兵糧や武器を箱詰めし、砦に送る準備がはじまっていた。

「なんか、逃げてくる場所を間違えたかな?」ヴレイズは首を傾げながら物陰を探した。

「あまりコソコソすると、不審者扱いされて砦の尋問室に逆戻りですよ」と、彼の耳を引っ張り、尻を引っ叩いて背筋を伸ばす。

「だが、追手が来てここの連中に俺らの事を報告されたら、ここにはいられないだろ?」

「ですが、そろそろ休みたいですねぇ……野宿はもううんざりですよ……ん?」エレンが遠くにある大きな建物を見つけ、静かに駆ける。

「病院、ですね」

 この町には大きな医療協会が建てられていた。この国一番の医療設備が行き届いており、ここからグレイスタン各地へ医者を送り、医療を発展させていた。

「なんだか騒がしいな……」

 彼の言う通り、院内では医者たちが駆け回り、ゴタついた雰囲気だった。

 しかし、戦争は始まっていない筈なので、負傷者が運び込まれてくるはずはない、と彼らは首を傾げながらも院内へと足を踏み入れる。

「医療協会の病院は来るものは拒まない筈ですから、ここで少し休ませて貰いましょう。ほら、ヴレイズさんは一応怪我人ですし、私は付き添いと言う事で」

「一応って……肋骨骨折は重症だろ?! まぁエレンのヒールウォーターであと少しで完治するけどさ……」と、治りかけの脇腹を摩る。

 すると、エレンは彼の傷からヒールウォーターを拭い取ってしまった。

「な! 何をするんだよ?!!」

「怪我人で~す。ベッドを恵んで下さいな~」図々しくエレンが周りの看護師や医者に声をかける。

「今は忙しいんだ! 後にしてくれ!!」

「肋骨に皹? 市販のヒールウォーターや薬効布でも当てておけよ」

「ベッドが欲しい? それはこっちのセリフよ!!」

 エレンの願い事は叶えられることなく、仕舞には無視されるようになり、床にへたりと座り込むエレン。

「なぜ? ここは病院でしょ? ベッドや布団ぐらい……」

「その前にお前も医者だろ?! 俺の傷をどうしてくれるんだ?! だんだん痛くなってきたぞ!」

 その後、彼らは院内の喧騒の中を目立たないように歩き、辺りを見回しながら耳を傾けた。

 なんでも、この院内の患者の殆どは、とある流行り病に侵されており、その対処法がわからぬまま次々に犠牲者が増えているらしかった。なんと、回復魔法や解毒魔法、15種類の薬草を配合した万能薬ですら治す事は出来ず、手術で身体を切り開いても何の解決策は得られずに困り果てていた。

「ひどい話ですね。戦争どころではないのでは?」

「そうだな、酷い話だ……それはそうと、俺の脇の傷をだな……」

 すると、院内に兵隊がぞろぞろと入ってきて大声を上げた。


「この町の中に他国の間者2名が侵入したと聞いてここに参った! 怪しい者を見かけたらすぐに我々に突き出してくれ!!」


 背中に氷を入れられた様に背筋を伸ばす2人。いてもたってもいられず近場の部屋に入り込み身を顰める。

「ここから出た方がいいみたいだな……」

「えぇ……ちぇ……ラスティーさんたちは何処にいるのやら……」

 2人が肩を落とし、ため息を吐いていると背後から何者かが肩を叩いた。

「貴方たちは何者ですか?」この部屋はとある患者の1人部屋の様だった。大きなベッドに女の子が寝ていた。紫色の顔色にブツブツの赤い斑点、身体は痩せ細り、目は落ちくぼんでいた。


「あ! えぇっと……おっほん。私は東の巧妙な医療学校を卒業し、半年前にこの地へやってきた流れの医者エレンでございます。隣のは助手であり用心棒のヴレイズです」


「いきなり何を言ってるんだ?」

「この地にはない医療技術で、この病を断ち切ってさしあげましょう」

 何者になったつもりかは定かではないが、エレンは自信たっぷりに口にし、深々とお辞儀をした。

「……あなたが来ることは聞いてはいませんでしたが、いまは藁にでも縋りつきたいところです。お願いします! この子を診てください!」

 それだけ口にすると、医者は疲れ切った顔を覗かせながら部屋から退出した。

「う、うまくいきましたね……さてと」

「逃げるのか?」

「いいえ、少しこの病に興味があるので調べようかと。一応さっきの名乗りにウソはありませんし」

「おれは助手じゃねーぞ」

 彼のボヤキには耳を貸さず、エレンはぐったりとした女の子の額に手を当てた。目を瞑り、手の平から放出される魔力に集中し、病の正体を探る。

「……学校でも本でも見た事のない病原菌ですね……それにこの感覚……これは?」

「どうしたんだ? 何かわかったのか?」と、顔を近づけるヴレイズ。

「少し黙っていてください。この病原菌……なるほど、どんな事をやっても治らない原因がわかった気がします」

「え? そんなアッサリわかっていいのか?」ヴレイズが首を傾げると、エレンは彼の手首を掴んだ。

「見て下さい。ヴレイズさんも見覚えがある筈です」と、エレンが見えているイメージを彼の頭に送る。

「お、初めての感覚……こんな風に見えるのか……ん? これは! 俺も知ってるぞ!」


「そう、呪術です。この病原菌には、呪術が施されています。ヴレイズさんがヴェリディクトにやられた時の呪術よりは弱いですが、あらゆる回復作用のある物全てを跳ね返す程には強力ですね」

「なるほど……だが、なぜ皆は気付かないんだ?」


「普通、魔法医は呪術なんて学びませんし、触れる機会すらありません。そもそも呪術はハイレベルな魔法使いしか使いこなす事は出来ず、こんな被害に遭う患者なんてごく稀です。それに、私が気付けたのも、ヴレイズさんが患った呪術に触れたから、ですし」


「なるほど。俺のあの体験もエレンには無駄ではなかったんだな」

「貴重な体験でしたよ。魔法医として一皮も二皮も剥けたくらいです。さて、この子の治療法ですが……どうしましょうか……?」

 2人がしばらく悩んでいると、遠くから段々、軍靴の音が迫ってきているのを感じて冷や汗を掻いた。ドアから覗くと、兵隊10数名が一部屋一部屋確認しながら目を光らせていた。

「ヤバい、はやくここから出ないとまた捕まるぞ! しかもここは病室……炎を喰らわせる事は出来ないし……また逃げようにも、今度は魔法対策をされる可能性も……」

「でも、せっかく原因を突き止めたのだし、この子を助けたい!」

「後にしろ後に!」

「くぅ……」歯を剥きだして唸るエレン。

 すると眠っていた女の子がエレンに気付き、彼女の服の裾を引っ張った。


「助けて……」


 か細い声だったが、エレンの耳にはハッキリと聞こえる。体力が枯渇し、死の秒読みが始まっているかのような弱々しい吐息にも似た声だった。

「こうなったら……ヴレイズさんに賭けます!」

「俺がなんだって?」

「ヴレイズさん! 貴方の『都合のいい炎』で病原菌だけを焼くことはできますか?」

「『燃やす物を選ぶ炎』だ!! あぁ、さっきみたいに菌のイメージを見せてくれれば出来ない事は無いと思うぜ」

「じゃあ、やってください!!」と、エレンは女の子の額に手を当て、ヴレイズの頭を掴んだ。

 ヴレイズは手から淡い炎を出し、女の子を囲った。

「熱くないから、安心してくれ」

 と、同時に病室のドアが開く。ヴレイズ達を目にし、兵たちは一斉に武器を構え、思い思いの声を荒げた。

「おっと待ちな! もし一歩でも近づいてみろ。どうなるかわかるな?」ヴレイズは冷や汗を掻きながら、炎を女の子の口や鼻へ送り込んだ。

「貴様ぁ~~~~~! もしその子を殺したら2人とも容赦なくこの場で処刑に!」

「うるせぇ! もう一声でも声を発してみろ! この手術は失敗になるぞ!!」

「なにぃ?」

 ヴレイズの炎は女の子の体内深くへと、火傷ひとつさせず入り込み、彼女の中で悪さをしている菌を探る。しばらく体内を駆け回り、やがて心臓近くの黒い靄を見つけ出し、そこをまさぐる。その靄はエレンの見せるイメージと合致し、ヴレイズはニヤリと笑った。


「これでどうだ!」


 菌は煙ひとつ立てず消滅し、同時に炎を彼女の身体から放出させる。それを見計らって兵たちは2人を魔封じの縄で拘束した。

「妙なマネしやがって! あの娘は騎士団長の大切な娘なんだぞ! もしこれで病状を悪化させてみろ! 処刑してくれと自ら懇願するまで拷問を……」

「うるせぇ! もう菌は焼いたんだから治ったんだよ! よく見てみろ!」

「そんな事ありえるか! ふらっとやってきた旅人に、国が抱える問題を簡単に解決できてたまるか!!」

 エレンがため息を吐く中でおこなわれる口喧嘩の最中、背後のベッドで女の子が上体を起こし、目をぱちくりさせる。


「……あの、お腹が減ったんだけど……」


 その光景を見て兵たちは皆、仰天し、ヴレイズの胸倉を掴んでいた兵士長は膝を折って目を見開いた。

「き、奇跡だ……! あり得ない!! そんな馬鹿な!」

「……わかったら縄を解いて下さるかしら? 詳しくお話します」エレンは余裕たっぷりの表情で兵士長を見下ろして口にした。



 その後、ヴレイズ達は同じ病原菌で苦しむ患者達を同じ方法で助けた。

夜になり、医療協会の長の部屋に案内され、エレンは病原菌の特徴や対処法を説明する。最初は、訝し気な表情のまま睨んでいた長だったが、感心するように頷き、やがてエレンに首を垂れて礼を口にしていた。

「ありがとう……我々ではどうしようもなく、神頼みをするしかなかった……」

「無理もありません。呪術に触れる機会なんて、そうそうあるものではありません。しかし、このような手の込んだ事を誰がやったのか……」エレンが口にすると、長がきょとんとした顔で尋ねた。

「知らないのか? 原因は、この近くのサンゾン炭鉱から溢れた瘴気だ。故に炭鉱近くの村々でこの病に侵された者が後を絶たず、亡くなった者も多く……ここより東へ行った町にも病院があり、そこではジェソンタ炭鉱から出た同じ瘴気に蝕まれた者達が……」

「瘴気……しかし説明した通り、この病原菌には呪術が施されており、私が考えるに人為的にばら撒かれたと考えるのが自然かと」

「しかし、こんな呪術が施せて、さらに広範囲に病原菌を広げる事のできる実力者はこの国にはいません!」

「そうですか……」エレンは机に置かれた茶を飲み、一息吐く。

 2人の顔を交互に見た長は、手を組んで恐る恐る口にした。

「あの、物は相談なのですが……これから東の町の病院に向かってはくれませんか? そこにはここよりも病原菌に苦しむ患者がおり、できればその……」

「もちろんです! このエレンにお任せください! さ、ヴレイズさん、急ぎ向かいましょう! 患者が我々を待っています!!」

「エレン、お前は何者なんだ?」豹変した彼女を見てヴレイズは首を傾げた。

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