放課後サティスファクション
@yukihara
第1話
「さすがに今日は遅れなかったな」
待ち合わせ場所に着くなり、遠野が言った。
「おはよう」
外面が良いだけの遠野と違い、内面まで清く正しい僕は一日の始まりに相応しい挨拶を返した。
「ああ、おはよう。いや待て、これから向かう場所を考えれば『御機嫌よう』の方がよろしいんじゃないか」
「それじゃ御機嫌よう……これ別れの挨拶じゃなかったっけ」
「知らんよ」
適当過ぎないか、こいつ。
「何を馬鹿な事をやってるんだ」
「あれ、橘も来てたんだ」
「私は一番最初に集結地点にいたんだがね」
これから向かう場所に同行する三人目、橘早矢子が腰に手を当てて呆れたように言った。いや、実際呆れてるんだろう。一つに纏めた黒髪が風に揺れている。男女問わず強制的にパンツスタイルのうちの制服が、彼女の凛々しい雰囲気によく似合っていた。
この制服をデザインした某さんは、きっとこういう風に見えるのを狙ってたんだろうけど、馬鹿っぽい短髪の遠野が着ると馬鹿さが数倍増して見える。全く同じデザインなのに不思議でならない。ちなみに僕がこの制服を着ていると違和感がすごいらしい。詳しい理由は聞いたことがない。
「馬鹿な、俺は二時間前からここにいたんだぞ!?」
「集結地点は西口じゃなくて東口だ。行くぞ、行動予定をもう十分も過ぎてる」
橘がごつい腕時計をとんとんと叩く。
「なんだよ、この駅の待ち合わせ場所つったら忠犬像前って相場が決まってるだろうに……」
「わかった。おい、馬鹿面晒してないで行くぞ」
地面に置いたばかりのカバンを担ぎ直す。
「お前が一番遅かったのに偉そうだな!」
「そりゃもう将来はお偉い士官様だもの。今から偉そうにする鍛錬はしておかないと」
「君の中の士官像はどうなっているんだ……」
再度呆れた声を出す橘。おいおい、そんな溜息ばかりついてたら白髪が増えるぜ?
「増えるも何も白髪なんて生えてない! 仮にも私は女性だぞ? 同期とはいえ失礼過ぎないか、君」
「性別の壁を越えるほど親愛の情を抱いてると思ってりゃいいさ」
†
電車に揺られて五時間。途中昼食やら小休止やら挟んでやっと目的の駅に着いた。ここからさらにバスと徒歩で二時間。不定期にある長期行軍演習と比べれば圧倒的に楽ではあるが、そもそもあれと比べるのは間違ってるな。
あれは本当におかしい。品行方正文武両道成績優秀眉目秀麗なあの橘さんが終盤、狂ったように笑いながら崖に向かって走り出すくらいだ。同じ班だった僕は完全に瀕死状態だったけれど、それでもなんとか死ぬ気で彼女を止めた。それで完全に留めを刺されて残りの行程は半分引きずられて演習を終えることになった。
まあ、人間いざという時は割とどうにかなるもんだってのは学べたけれど正直二度とやりたくない。
さすがにあれから体力もついたから体力的な問題じゃなく橘のあの凶行がトラウマになっているんだ。
僕たちの目的地はある私立の学校だ。周囲を山に囲まれた盆地の中に隠れているそこそこ歴史のある中高一貫校。
敷地の総面積はちょっとした町くらいあるらしい。
交換学生制度とかいうものに選ばれたおかげで、僕たち三人は一時的にとはいえあの牢獄にも等しい予備士官学校から抜け出せる事になったのだ。
僕の在籍している予備士官学校は平たく言えば平民向けの士官学校で、華族士族向けの士官学校が別にちゃんとあるからそっちの方の士官候補生からは
卒業後には予備もそうじゃない方も一律して少尉任官する事になるんだけど、その後の出世コースは明確に区別されている。予備士官学校出身者は良くて大佐程度、最高でもその上の准将にしかなれないのだ。まあら明確に規則としてそうあるんじゃないんだけど、考査の際にそこら辺が大幅に考慮されるのだ。
まあ僕は適当に昇進したら除隊して家業を継ぐから気にしてないんだけど、橘みたいな戦後に叙爵された新興貴族とかには割と問題らしい。
で、交換先の学校はその民間バージョン。その他の由緒ある私立校からはなんか格下に見られてるらしい。
「陸軍予備士官学校の者ですが」
代表として立花が守衛に声を掛けた。この守衛、腰に旧式の拳銃を下げてはいるが七十越えてそうだし守衛としてどうなのかな、と思う。
橘が何かに記帳している間、門の周辺の様子を眺めていた。
壁は二メートルとちょっと。その上に錆びた有刺鉄線が設置されている。返しは外側についていたから侵入者対策だろう。ちなみに予備士官学校の塀にも有刺鉄線は付いているが、返しは内側に向けられている。
「この学校には富豪のお子さん方がたくさん通っていますからね。不埒な事を考える輩も多いんですよ」
後ろから声を掛けてきたのは三十代くらいの守衛だった。よかった、お爺ちゃんだけでこの学校を守っているのかと思った。
彼の腰には比較的新しい自動式拳銃が下げられている。お爺ちゃんの回転式五連発拳銃と比べると四十年くらい新しい。
「申し訳ありません、一応規則なので身体検査の方、ご協力お願いします。あ、拳銃などはお持ちですか?」
遠野がちらりとこちらに視線を投げてきた。僕が対応する。ちなみに予備士官候補生は平時から拳銃の携帯を認められているのだ。実弾は支給されないし弾薬費は自腹だけど。
「ええ、三人とも支給されてる物を」
言って上着の裾を捲りホルスターを見せる。弾倉は挿さっていない。
「申し訳ないですがこちらで預からせていただきます。よろしいですね?」
遠野と顔を見合わせた。武装を取り上げられるとは聞いていないが。
「どうしたんだい?」
記帳を終えた橘が声を掛けてくる。事情を説明すると、
「預けてもいいんじゃないかな。別に何に襲われるわけでもないし。ただ、そうですね。紛失と盗難については十分に注意して頂きたい。官給品ですのでそんな事態になるととても面倒になる。それと何より危険物ですからね。……ああ、それと確実に預けた、という事を書面でお願いします」
橘の言葉は途中から若い守衛に対して向けられていた。
「保管に関しては守衛室内の金庫にて厳重に行います。書類に関してはこちらに」
へえ、随分と用意のよろしい事で。
弾帯ごとホルスターを外し若い守衛の持った箱に入れる。遠野と橘も同じようにした。
「佐倉、君の私物もだよ」
「ばれてた?」
足首に取り付けたホルスターを外して箱に入れる。こっちは私物でお爺ちゃんの持っているのと同じ銃だ。グリップパネルは取り替えてあるけど。
「ご協力ありがとうございます。申し訳ありません、これも学生達の安全の為ですので。ではお通りください。
ようこそ、葦原学園へ」
†
「ようこそいらっしゃいました!
出迎えてくれたのは三人の学生だった。てっきり教師が出迎えてくれるもんだと思ってたけど。
生徒代表を名乗る高崎はいかにもな感じのご令嬢っぽい子だ。生れながらに人を使う立場にいる人間にありがちな嫌味ったらしくない喋り方。いいね、こういう人ってだいたい物分かりがいいから大好き。あと美人だし。
彼女が副代表だと紹介した丸山は、なんだろう、なんか普通の生徒だ。線は細いがきちんと身体は鍛えているようだ。申し訳程度に微笑んでいる。まあ顔は整っているしモテるんだろうな。
次、書記の高橋女史。小柄で黒髪を肩の辺りで切り揃えている。胸は小さい。
こんな感じの子、遠野は好きだろうなーとか思っていると、案の定一番最初に口を開いたのは遠野だった。
「はじめまして! 陸軍予備士官学校二号生、遠野貴博です。短い間ですが、よろしくお願いします!」
代表である橘が一番最初に話すという事前の打ち合わせを普通にぶっ壊してしまった。まあ、こいつだから想定内。しかしなぜこいつは向こうさんの代表ではなく高橋女史に頭を下げて、なぜ右手を握手を求めるような感じで突き出しているんだろう。
「あー、えっと。よろしくお願いします」
戸惑うような高橋女史の言葉は、遠野ではなく橘に向けられていた。困ったような笑みを浮かべている。
「橘早矢子です。短い間ですがよろしくお願いします」
「佐倉優理です。失礼ですが代表、以前どこかでお会いしたことが?」
どっかで見た気がするんだよなー。
「はい。十年ほど前に佐倉さんのお父様が主催されたパーティでお話ししましたわ。覚えていて下さって光栄です」
あら、ほんとに会ったことあったんだ。これで会ったことなかったら下手くそなナンパしてるみたいになってたところだ。
「その節はどうもご迷惑をおかけして……」
まあ、ほとんど記憶にないけど。十年前の事とか覚えてられるか。
「いえいえ、ご迷惑だなんてとんでもない。とても楽しい時間を過ごさせていただきました。……さて、皆さんお疲れのようですし、部屋に案内致しましょう。橘さんは高橋が、男子のお二人は丸山が案内いたします。出来れば私が案内して差し上げたかったのですが、業務が溜まっておりますので、ここで失礼させて頂きます。では二人とも、よろしくお願いしますね」
そういって高崎は小道の向こう側に消えていった。
「ではお二人とも、こちらへ」
歩き出した丸山の後について歩き出す。
門の外側からも見えていたが、たくさんの木が植えられていてほとんど森みたいになっている。丸山の話だと十分も歩けば学生達の活動範囲内に入るらしいがその気配は全く感じない。
「あ、ところで今日は授業はないのか?」
遠野が口を開いた。こいつはフレンドリーというか馴れ馴れしい奴で敬語を使わなくてもいい人間にはすぐタメ口を使い始める。これで今まで失敗した事がないそうだから、こいつの美徳なのだろう。
どうやら丸山氏も気さくな人柄のようで、気楽な口調で返してくれる。
「え? 授業って、今日は日曜だからないよ」
そして返ってきた言葉に二人して固まってしまった。
「日曜! そうか今日は日曜か! おいユウリ聞いたから!」
「ああ聞いたとも! 日曜だからお休みだ! まったく娑婆は最高だぜ!」
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