雪うさぎ

冬見 炉夏

雪うさぎ

 冷たく真っ白な雪が大地を覆い隠したある冬の日のこと。

 天から優しく降り注いだ日の光がキラキラと森を美しく照らしていました。

 その美しい森の中にノッテはいました。

 モスグリーンのコートに真っ赤なマフラーと手袋をして、毛皮の帽子をかぶり、真新しい革の雪靴をはいて、まだ足跡のない雪の上をきしりきしり歩いていきます。


 「林のこずえでひばりが鳴いて、

  ひばりがまっつぐ飛んだらば、

  さらさら町に雪がふる」


 可愛らしい声で口ずさみながら、ノッテは新しい雪を踏んで歩きました。


 「村のはずれでこどもが泣いて、

  かかあがよんよとあやしたら、

  さらさら森に雪がふる」


 枝の先で凍った雪がお日様に照らされて、応えるようにチラリと光りました。

 それにしてもなんと美しい景色でしょう。誰もいない森のずっと向こうまで真新しいふかふかの雪が積もっていて、それが日の光を浴びて燦々と輝いているのです。木の上からは解け出した雪のかたまりが時折どさあと落ちてきて、落ちる途中で散り散りになり、それがまたお日様を反射してキラキラと光のカーテンを作りました。


 「からすとひばりがケンカして、

  村のこどもが消えたらば、

  みんな並んで帰りましょ」


 きしりきしり、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、ノッテはそこら中に小さな足あとをつけながら歩いていきました。


 やがて目の前が少しひらけて、小さな広場のようになっているところへやって来ました。太陽はもうずいぶん高くなって、まあるく開いた広場の天井から眩しい光がまっすぐ差し込んでいます。

 ノッテは真っ白な光の中で、口を大きく開けたまま目を細めて空を見ました。暖かい冬のお日様の匂いが口いっぱいに広がって、ノッテのお腹がぐうと鳴りました。

 そこでノッテは、広場の真ん中の切り株に腰掛けると、腰に巻き付けた小さな鞄からお母さんが持たせてくれたサンドイッチを取り出すと、それを食べました。

 森の中はしいんと静まりかえり、解けた雪の落ちるどさっという音やポタリと滴の垂れる音が時々聞こえてくるばかりです。

 ふいに向こうで何かが雪を踏む音がして、木の陰から小さなキツネが姿を現しました。キツネは何かを探すように地面を嗅ぎ回りながらうろうろしていましたが、ノッテに気が付くとピタリと止まってじっとノッテの方を見ました。ノッテも息を飲んでじっとキツネの子を見返しました。

 しばらくそうしてお互いじっと見合っていましたが、やがてキツネの子は何か聞こえたようにふっと顔を高く上げると、あっという間にどこかへ行ってしまいました。

 ノッテはなんだかくたびれてしまって、ふうっと大きく息を吐きました。それからまた、お母さんの作ってくれたサンドイッチをもしゃもしゃ食べました。

 

 ふと気が付くと辺りはすっかり暗くなっていて、ノッテは自分の体の上にうっすらと雪が積もっているのを見ました。どうやら眠ってしまっていたようです。

 ノッテはしばらくぼんやりと雪が自分の上に積もっていくのを見ていましたが、

 「暗くなる前に帰ってくるのよ」と、今朝家を出る前にお母さんが言っていたことを思い出して、慌てて立ち上がりました。そのはずみに毛皮の帽子からばさりと雪が落ちてきて、ノッテの顔を濡らしました。

 急いで帰らなくちゃ、と足を踏み出そうとして、はた、と止まりました。


 ──帰り道が分かりません。


 ずいぶん前から降っていたらしい雪がまた新しく積もり、ノッテの付けてきた足あとをすっかり消してしまっていたのです。

 広場の周りはどれも似たような木がたくさん並んでいて、おまけに辺りは真っ暗闇で少し先の枝がぼんやり浮かんでいるほかは何も見えませんでした。

 ノッテはいつも優しい森の景色が、急に黒々と聳え立ってノッテを傷つけようとしているように思えて、怖くてたまらなくなりました。


 早く帰らなくちゃ。早く。


 けれどもどっちへ行けば帰れるのか、あっちへ走ったりこっちへ走ったり、森の中を右へ左へ走り回って、とうとう一歩も動けなくなってしまいました。

 足や手の先はすっかりかじかんで、冷えきった頬には冷たい風が容赦なく吹きつけました。

 なんだか鼻がツンとしてとうとう涙が溢れそうになったとき、目の前の林の中を青白い光が横切ったような気がしてノッテは顔を上げました。

 涙を拭って闇夜に目を凝らしていると、また今度は左から右へ青白い光が横切りました。その光はくっついたり離れたり、ぴょんぴょん跳ねるようにしながら、少しずつこちらへ近づいてきます。二つの光がノッテの目の前までやって来たとき、ノッテは思わずあっと小さな声を上げました。

 それは二匹の大きなウサギでした。体は不思議にぼうっと青白い光を放ち、氷で出来ているみたいに向こう側が透けていました。けれども少しも冷たい感じはなく、ゆらゆらと両方の長い耳を揺らして、じっとノッテを見ていました。

 二匹のウサギは後ろ足で器用に立ち上がるとノッテにお辞儀しました。

 すっかり涙の引っ込んだノッテがそろそろとお辞儀を返すと、ウサギたちは元来た道をぴょんぴょんと駆け戻っていき、少し先で振り返ると「ついて来い」とばかりにノッテの方を見ました。ノッテはなんだか夢でも見ているような気持ちで、おそるおそるウサギたちの後に付いていきました。

 ウサギたちが跳ねるたびに足元で白い小さな花が咲きました。その花もぼんやりと淡い光を放って、ノッテの進む道を照らしました。

 いつの間にか雪が止んで、木々の間から優しい月の光が差しこんでいます。

 頭のずっと上の方から歌うような細く澄んだ声がして顔を上げると、森の中にほっかり開いた穴から満天の星明かりが見えました。

 ノッテはほうっとため息をついて空を眺めました。赤や青や色とりどりの星が瞬いて、ノッテの上に光の粉を降らせました。それはノッテの体を優しく包み込み、囁くような歌を聞かせました。


 『森のはずれでこどもが泣いて、

  わたしがよんよとあやしたら、

  さらさら森に星がふる』


 優しい光がノッテの体をぽかぽか温めました。

 空高くでは、星々の前を三羽の白鳥が悠々と飛んでいきます。白鳥が通った道は冷たく澄んだ小川になって、その中を銀色の魚が跳ねました。魚の立てたしぶきが弾けてキラキラと降り注ぎ、ノッテの近くまで来ると淡い桃色に変わって、ゆっくりと花のように咲きました。甘くやわらかな香りがノッテの鼻をくすぐります。花はくるくる回りながら落ちて、地面に吸い込まれていきました。

 辺りの木々は幹を震わせて、冬枯れの枝に黄緑色の小さな葉を芽吹かせています。風がそれをそっと吹き飛ばすと、若々しい葉っぱたちがノッテの周りでダンスをしました。ノッテはまるで魔法にかけられたような心地で、星の歌に合わせて葉っぱと一緒に踊りました。

 やがて星の歌がすうっと遠ざかり、天上の魚や若葉たちの姿も消え、辺りは元の暗い森に戻りました。


 少し離れたところで、二匹のウサギがノッテを見ていました。

 ウサギは夢見心地のままぼんやり立っているノッテの足元へ駆けていってその周りを一周すると、今度は林の中へ入っていきました。そして振り返ることなくどんどん駆けていくと、やがてその姿も見えなくなりました。

 夜の森の中で、ノッテはまた一人になりました。

 けれど、ノッテはもう少しも怖いとは思いませんでした。

 ウサギたちが跳んだあとには真っ白な花が咲いて、ノッテに帰り道を教えてくれたからです。

 

 やがて遠くの方に家の明かりが見えてきました。

 家の前ではノッテのお母さんが心配そうな顔で待っていました。

 「お母さん!」

 ノッテが叫ぶとお母さんは急いで駆け寄ってきて、ノッテをぎゅっと抱きしめました。

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雪うさぎ 冬見 炉夏 @sh_onenB

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