闘拳女

@0906

第1話 誕生

  誕生

 

 「カーン」試合終了の鐘が鳴った。

 昭和20年8月15日。大日本帝国敗北の日。埼玉県蕨市に一人の女の子が誕生した。後の日本ボクシング界初の女子プロボクサー。その名は「勝美」である。勝美は根本家の長女として生まれる。父の名は「勝男」バリバリの天皇陛下万歳の思想の持主だ。常日頃から「我々皇軍は太平洋で敗れたのであり大陸では一切負けてはいない。いつか必ず米国にも勝利する」と豪語している男だ。そんな父に育てられた勝美はもちろん勝気な子に育った。体も大きくとても同年代の男の子では太刀打ちできない。勝男はよく「あーあ勝美が男なら軍人にしてお国の為に働かせるのにな」とぼやいていた。母はと言えば常に一歩下がった大人しい女性であった。名前はみち。

 根本家は蕨市の旧家で所謂大地主である。敗戦後農地解放によりかなりの土地がなくなったがそれでも当時としては裕福であった。多くの人々はその日の暮らしもままならない状況であったが根本家は決して食うに困るような事はなかった。勝美は食った。周りの子供達は食べるものもろくにない状況であったので勝美との体格差は広がる一方だ。小学校に上がる頃には身長は130㎝を超えていた。当時としては圧倒的なでかさだ。いつも男の子の子分を連れていた。一の子分は伊作だ。

 伊作は元々根本家の小作人の子であり勝美とは同じ歳だ。生まれながらに親分子分の関係の様なものだ。

 蕨市は江戸時代中仙道が通った宿場町として発展した。街道沿いには多くの商家が立ち並びその中でも一際目立つのが鰻屋だ。勝美は鰻が大好物だ。「伊作。今日は鰻を取りに行くぞ」「へい。今日はどちらへ」「そうだな。この前は今井屋だったから今日は池田屋にしよう。2、3匹くすねてもわからないだろう」「わかりやした。池田屋の池州は楽勝ですよ。平助。おまえは見張り番な」「わかりやした」平助は伊作の舎弟だ。当時の子供達は鰻をちょろまかす位はなんとも思わない。みんな食うのに必死だ。「勝美の姉御はここで待ってて下さい。ちょこっと行って来ます。平助行くぞ」伊作は小柄だが滅法足が速い。逆に平助はとろくさい。暫くすると「姉御。すみません。しくじった。平助が捕まりました。どうしましょう」「まったく平助は相変わらずとろいね。しょうがない行こう」勝美は度胸もあり潔かった「池田屋さん。すみません。私が鰻が食べたいって言ったもんでこいつらが気をきかせてくれたんです。本当にすみません」「なんだよ。根本さんとこの勝美ちゃんじゃないか。鰻くらい親父さんに言えば食わせて貰えるだろう。まーいいや。ちゃんと逃げずに頭下げに来たんだ。できた蒲焼やるから食ってきな」「うわー本当ですか。ありがとうございます」「その代わり今度やったら警察につき出すよ」「わかりました。ありがとうございます」「うまい。やっぱり池田屋さんの鰻は最高ですね。なっ伊作。平助」「本当にうまいですねー。又、お願いします」「調子に乗んじゃねーよ。今度はちゃんとお金払って貰うよ。でもそんだけ褒められると悪い気はしないね。何たってうちは元禄時代からの老舗だからな。味の深みが他とは違うよ」「元禄時代か。凄いなー」「なに。勝美ちゃんちだってその頃からここで暮らしてたと思うよ」「そうなんですか」「そうだよ。だからこの辺で勝美ちゃんの事。知らない奴はいないからあんまり悪さしちゃだめだぞ」「はい。わかりました」

 勝美はやんちゃであったが家が裕福であったこともありそれなりにしっかりとした教育も受けていた。

 中学に上がり勝美は持ち前の体力を活かし柔道部に入部した。女子部員は勝美だけだ。当初は柔道部の先生から「うちの部は男だけだ。女はいらん」と言われたが勝美は執拗に入部を懇願した。「先生。お願いします。私。体力には自信があります。女だからって特別扱いしないでいいですから」「駄目と言ったら駄目。帰りな」勝美は何度も何度も訪れた。「先生。お願いします。入部させてくれるまで何度でも来ますよ」「本当におまえはしつこいね。よし。わかった。じゃあ奴と一遍試合して見ろ」奴とは2年生の柔道部員だ。「わかりました。ありがとうございます」勝美は入部が認められればすぐにでも稽古ができる様に父、勝男の柔道着をいつも持ち歩いていた。この時には勝美の身長は既に160㎝を超えていた。

「はじめ」勝負は一瞬だった。勝美の背負投げが見事に決まった。先生の目が泳いだ。「わかった。入部を認めよう」「ありがとうございます」「しかしおまえ強いな。今の奴は今度黒帯に挑戦させようと思っている奴だぞ。柔道習ってたのか」「習ってたと言うか父に家で稽古つけてもらってました」「へーお父さんは柔道やるんだ」「はい。一応自分では5段だって言ってました」「ほー5段は凄いな。んっ。ちょっと待て。お父さんの名前はなんて言うんだ」「根本勝男です」「なんだおまえあの根本さんの娘か」「先生。父を知ってるんですか」「知ってるも何も戦友だよ。そうかあの根本さんの娘じゃ強い訳だ。お父さん。元気か」「はい。元気です。毎朝皇居に向かって頭を下げてます」「あはは。相変わらずだな。よろしく言っといてくれ」 

 勝美は柔道部へ入部が許可された事を父の勝男に報告すると「あーあ勝美が男だったらな」もはや口癖だ。「いいか勝美。こうなったらおまえは徹底的に強くなって米国の奴らを負かせ。いいな」「鬼畜米英ってやつ」「そうだ。日本人の魂を見せてやれ」「まーとにかく一生懸命やるよ。あーそういえば柔道部の先生が父さんによろしくって言ってたよ。名前は千葉周作って言うんだけど」「あっ。千葉周作って。あの千葉周作か」「あのって言われてもわからないけど戦友って言ってたよ」「おーじゃーそうだ。あのやろう。名前が千葉周作で北辰一刀流の開祖と同じなのに剣道はからっきしのくせに何故か柔道は強かったな。そうか。じゃー今度挨拶に行かなくちゃな」「いいよ来なくて。めんどくさくなりそうだから」

 翌日。「たのもう」勝男が学校の道場に来た。「あちゃー。だから来なくていいって言ったんだよ」何と勝男は柔道着を着てやってきた。「もう嫌な予感的中」「よー千葉。久しぶり。元気か」「あー元気だけど根本も元気そうだな。ところで何だその格好」「何だって決まってるだろう。道場に来るのにスーツって訳にはいかないだろう。稽古しに来た。どうだ久しぶりに一丁やらないか」「ふー。相変わらずだな。よし。相手になってやる」「猪口才な。望むところだ」生徒たちは二人の稽古を呆然と見つめていた。とにかくすさまじい稽古だ。お互い一進一退。稽古と言うよりは試合だ。生徒そっちのけだ。30分後ようやく終了した。「いやー根本は相変わらず強いな」「いやいや千葉こそ流石に普段から体を動かしてるだけあってこっちはついていくのが精一杯だよ。まー何れにしても今後とも娘を頼む」「あー任してくれ」「ところでどうだ今夜一杯」「そうだな。久しぶりに会ったしやるか」「よし決まった。じゃー学校終わったらうちに来いよ」「わかった」「よし。じゃー勝美。学校終わったら千葉先生連れてきてくれ。うまい日本酒があるからな。それじゃー後で」

 学校が終わり勝美は千葉を自宅まで案内した。「おー千葉。上がれ上がれ」「じゃー失礼するよ」「遠慮するな。母さん。酒だ。酒だ。今日はじゃんじゃん呑むぞ」1時間もすると二人はすっかり上機嫌だ。「ところで千葉。まさか我が皇軍が負けるとはな。もし俺が大陸ではなく太平洋に行っていればあんな米英なぞ一網打尽にしてやったのに」「あははっ。根本は相変わらずだな。まっお互い生き延びたんだから良しとしようや」「そうだな。生きてればこそだ。ところで勝美は結構強いだろう」「あーびっくりしたよ。最初は入部を断ってたんだがあんまりしつこいんで2年生の男子と試合をさせたら秒殺だよ。秒殺。仕方なく入部を許可したよ。それで聞いたら父親がお前だってんだから納得したよ」「そうだろう。あれは小さい時から俺が稽古をつけてたからな。そんじゃそこらの男には負けないよ。まーこれからもよろしく頼む」「わかってるよ。こちらこそたまにはこうやって飲もう」「そうだな。戦友とこうしてのんびり飲めるなんて夢のようだ」「全くだ」二人は明け方まで飲みあった。

 勝美は柔道に明け暮れた。相手は男子。女子はいない。しかし女子と言うことで試合に出る事はなかった。「いくら練習しても試合ができないんじゃ面白くないな」勝美はもんもんとした気持ちを抑えられなかった。

 「千葉先生。何とか試合出してもらえませんか」「俺もお前の実力なら出してやりたいけど何せ女子柔道がないからな。どうしようもないよ。ただな今度2中と練習試合をやるから2中の先生には勝美の話をしてみるよ」「本当ですか。ありがとうございます。公式戦がダメならこの際練習試合でも何でもいいですのでよろしくお願いいたします」

 こうして勝美は2年生の春から練習試合だけは出場する事になった。「練習試合でも普段の乱取りよりは緊張感があるから面白い」唯一の女子選手であったが勝美はまったく男子選手に引けをとらなかった。「あーあ勝美が男だったらな」この頃は千葉までがこんな事を言う始末だ。柔道に明け暮れる日が続きあっという間に月日は経って行った。

 そして高校受験。勝美は決して勉強も手を抜かなかった。見事地元の進学校蕨高校に入学した。


  

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る