夜の部屋
川添
第1話
夜は部屋の中で過ごす。本当のことを言えば、朝も昼もずっと部屋の中で過ごす。外に出るのは食べ物と酒とタバコを買いに行くときぐらい。それも毎日じゃない。それ以外はずっと部屋の中にいる。活動しているのは夜の時間だ。活動していると言っても、ベッドの上に寝転がって、パソコンを触っているだけ。ときどき起き上がってトイレに行ったり水を飲んだり冷蔵庫に入れておいたものを食べたりするけれど、ほとんどの時間はベッドの上で布団に入っている。布団は一度も干したことがない。シーツもカバーも洗ったことはない。汗が染み込んで湿っている。フケや垢がついているかもしれないが、見た目はそれほど汚く感じない。においもない。多分、他の誰かがこの部屋に来て、ベッドのにおいを嗅いだらくさいのだろう。けれど僕はもうこの臭いに慣れてしまっているから、何も感じない。部屋自体がくさいかもしれない。けれどこの部屋に僕以外の誰かが来ることはない。床にはほこりと髪の毛がかたまりを作っている。ゴキブリは出ない。消しゴムのカスほどの小さなクモが出ることはある。見かけたら殺すようにしている。死骸はそのままほったらかしている。クモの巣も張っていない。ゴミはまとめて袋に入れている。そのへんにあるのは、洗っていない服と洗った服。ラックや机には長い間手を付けていないため、ほこりを被っている。それでも月に一度は掃除するから、部屋の中はけっこうきれいなほうだ。
朝は寝ている。朝起きるのは、カーテンをとじ忘れた日にまぶしくて起きたりトイレに行きたくなって起きるときだけ。またすぐに寝る。午後に目覚め、何か食べて水を飲んでまた寝る。水は水道の水をコップに入れて飲む。コップは水洗いが多いけれど、汚れてきたら洗剤をつけて洗う。洗剤はなかなか減らない。コップもフォークも同じものを何度も繰り返し使っているから、ちいさな食器棚にはほこりが被っている。食べるのは、りんごかバナナか茹でたパスタ。パスタは一袋まとめて大きなタッパーに入れ、水を入れて電子レンジで茹でる。そこにトマトソース一缶を流し込み、再び温めて食べる。残ったら冷蔵庫に入れ、腹が減ったらもう一度温めて食べる。これでだいたい一週間持つ。味なんてどうでもいい。パスタとトマト缶はまとめて4つ買うから、買い物は月に一回でいい。その日は重くて持てなくなるから、他に何も買えない。りんごやバナナは毎日食べるわけではないから、ときどき買う。酒はボトルを一本買ってなくなるまで飲む。頭痛がある日は飲まない。3日のうち2日は頭痛があるから、酒はなかなか減らない。飲む日もコップ2杯飲んでタバコを吸ったら寝てしまう。タバコも酒を飲むとき以外は吸わない。
部屋から外に出るのは週に一回もなく、ずっと部屋の中で過ごしている。ゴミ出しは溜まったら出している。二週間に一回ぐらい。それ以外で外に出てもやることがない。外は寒く、歩くと疲れる。座るところもない。トイレもない。電車やバスに乗るにはお金がかかり、余分なお金は持っていない。移動したところで行くところもない。それでもずっと部屋でじっとしていると、外へ出てみようと思うこともある。雨の日や土日祝日は外へ出ない言い訳ができて気が楽だ。雨が降っていない平日、どうしても外へ出たいと思ったら出る。ジャンバーを着て、マフラーを巻いて帽子をかぶる。そうやって外に出ても結局何もなくて、すぐ部屋に戻りたくなる。帰ってくると、とうぶんの間は外へは出なくていい気になる。それだけを繰り返している。買い物に出るときは近所のスーパーに行って帰ってくるだけ。なるべく回数を減らすために一度の大量に買い込み、帰りは重い荷物を持っているから買い物は好きじゃない。髭は何日も剃っていなくて、風呂にも入っていない。風呂は、さすがに痒くなってきたら入るようにしている。週1回ぐらいだろうか。食べる量が少なくて痩せており、そんなに汗もかかないから汚れない。風呂と言ってもシャワーだから、冬はすぐ風邪をひいてしまうため、なるべく入らないようにしていたらこうなった。夏は汗もかくし、もっと入っていた。石鹸やシャンプーもなかなか減らない。服は風呂に入ったあと着替えるから、洗濯洗剤もなかなか減らない。
仕事はしていない。現在は仕事をしていたときの貯金で生活している。お金がなくなると、また短期バイトを探さなければいけない。今までそうやって暮らしてきたが、もう見つかるかどうかもわからない。ときどきクラウドソーシングで小銭を稼いでいるが、こんなものでは生活できない。だからそのうち働かないといけないだろう。気が重い。できればずっと働きたくない。働いて得られるのは生活できるお金だけで、それ以外何もない。働くことによって受ける苦痛のほうが多い。時間や場所や服装の拘束、人との関わり、特にバカな人間との関わりが一番の苦痛だ。人は人と関わり、刺激を受け、触発されることによって成長していくと言うが、あれは嘘だ。バカはいつまでもバカなままだ。バカ同士を寄せ集めたところでバカの足し算であり、より大きなバカの集合体になる。そんなバカの一大拠点とは関わりたくない。バカの増殖に加担するぐらいなら、孤立していたほうがましだ。頭のいい人と関わればいいじゃないかと思うかもしれないが、頭のいい人はバカを相手にしない。なぜならバカだからだ。バカを相手にしても話が通じなくてつまらない。頭のいい人がバカを相手にするのは、バカから金をむしりとるときだけだ。それも善良な顔をして、頭がいいことも匂わす程度で、バカと同じ目線に立つふりをして、バカをいい気にさせて金をむしり取る。これを悪徳と言わずしてなんと言えよう。初めは本当に善良だった頭のいい人も、バカが死んでも治らないことに気づけばバカを見捨てるようになる。それはまだいい方で、多くの頭のいい人は、バカを家畜ぐらいにしか思っていない。頭のいい人にとってバカという存在は、金か食糧を生産するための家畜でしかない。牛や豚、羊、にわとりと同じ扱いだ。中には犬や猫のようにペットして飼われるバカもいるだろう。頭のいい人とバカの関係は、人間と動物の関係と変わらない。無視され捨てられるか、絶滅危惧種が保護されるか、動物園で見世物にされるか、欲求を満たすための道具にされるか、生活の糧として消費されるか、いずれにせよ同じ立場で、同じ人間として関わることはできない。だから僕はバカと関わりたくないのと同時に、頭のいい人と同じ人間として関わることもできない。
バカとは誰なのか。バカの代表は、社会から与えられた幸せの虚像にしがみついている人間だ。広告代理店が打ち出した幸せのテンプレートを死ぬまで追いかけているのがバカの代表だ。それをバカ同士で競い合いながら無意識に頭のいい人に金を貢いでいる。そういった仕組みの中で生きるのがバカな人間だ。養鶏場のブロイラーとどこがどう違うのか。この場合、養鶏場を管理運営するのが頭のいい人間ということになるが、管理運営を任されているだけの人間はやはりバカでしかない。奴隷管理を任された奴隷のリーダーみたいなもんだ。バカたちは頭のいい人たちに与えられた社会、養鶏場や収容所のような社会の中で、ときどきエサを与えられながら頭のいい人たちに利益を差し出す。頭のいい人たちに与えられた価値観の中で、バカ同士は人間関係を築き、バカを競い合う。バカは人間関係の中にしか生きていない。こいつらにとっては、人に認められることが全てだ。もっとも嬉しいのは、頭のいい人に認められることだろう。しかしこれは頭のいい人がバカを上手く管理するために与えるエサに過ぎない。バカはより使いやすいバカとして認められる。高く売れる肉に高い値段が付くのと同じだ。それでもバカは、頭のいい人に一歩近づけたと勘違いして、バカ同士の間に序列ができる。外から見れば高く売れるバカと、利用価値のないバカだ。同じバカには変わりない。それでもやはり、頭のいい人に高く売れると判断されたバカは、バカ同士の間で認められる。そうやってバカの中のバカ、ビッグなバカが生まれる。利用価値がないバカたちは、利用価値の高いビッグなバカを目指す。この人間社会の中で、バカはバカの頂点に立つことに憧れる。その方がより多くのバカから認められ、頭のいい人からも認められた気になれるからだ。バカという階層の中でトップに立ち、バカがバカを消費し、優越感にひたる。そのためにバカはバカの中でビッグになろうとする。僕自身もバカには違いないが、バカ同士の競争に参加する気にはなれない。バカに認められて、バカを支配した気になって何が嬉しいのかわからない。頭のいい人に認められたら嬉しいのか?それも違う。頭のいい人が家畜であるバカを認めることなんてあり得ない。バカはバカ同士でしか人間関係を築くことができない。頭のいい人との間に築かれるのは、食物連鎖の上位から下位に対する支配関係だけだ。バカ同士の人間関係なんてクソだと考えているから、僕は孤立している。人間は社会的な動物だという言葉がある。それはつまり、人間は人間関係がないと生きていけないという意味だ。しかしバカ同士の人間関係を醜悪だと考え否定する僕は、バカ同士の間でさえ人間として生きていくことができない。だから部屋の中で孤立して生活している。バカに与えられた選択肢は、バカ同士人間関係を築いて生きていくか、孤立して死んでいくか、その二つしかない。僕は孤立を選んだが、かつては生きていくためバカ同士の人間関係を築こうとしたことがあった。これがあまりにバカでどうしても耐えられなかった。
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