雪5


 私は寝つきが悪くなった。眠ろうとすると行平さんの顔が浮かんでくる。


 喫茶店で熱っぽく語る表情が終わると、大学時代の夏合宿に花火をした時の横顔が出てきた。映写機で映し出すスライドのような音を立てて一枚、また一枚。

 同時にその時の感情もまた蘇ってくる。一つの想いをやっと閉め出すと、違う情景がまた飛び出してくる。

 私は格闘している。勝手に上映されるスクリーンに幕を引きたいのに、その隣で、せっせと箱の中に新しい想いを入れ込んでいる自分が見える。もう入らないよ。


 溢れて来る私だけの勝手な視線。全てこちら側から見ている映像の中の行平さん。私の目を通して、あなたが動いている。手が届きそうでいつだって届かない。カシャン。引っかかって、上手に整理できなくなっていく。



 私は空から青い海を眺めていた。海の真ん中には緑が生い茂った小さなまるい島がある。島は遠くの陸地と赤い糸のような橋でつながっている。


 私は空から吊り下がった大きなブランコで、その景色を舐めるように行ったり来たりを繰り返す。タイミングを計って島に飛び降りようとするけれど、どうしても一歩遅れてしまって、いつまでも揺られたままだ。

 昔からそうだった。大なわとびの列に入るタイミングがわからなくて、一人遅れた。ブランコから飛び降りて距離を競う遊びは失敗して怪我をした。


 海の中から梯子が私に向かってまっすぐ伸びてきた。助けているつもり? それは足元でぴたりと止まり、私は一段一段気の遠くなりそうな長さの梯子を降りてゆく。

 なんだか夢が夢らしくなってきた。でも掌にはブランコの縄で擦れて赤くなった痕が残っている。



 彼は「大丈夫?」と、私に声を掛けた。

 花の棘でつけた指の傷にばかり神経を使っていたら、カップを持つ角度がおかしくなって紅茶がこぼれそうになっていた。

「その花、海の色みたいだね」

行平さんは私が抱えてきた花をじっと見つめた。穂のようにすっと真っ直ぐ伸びた茎に、鈴生りに可憐な青い花が付いている。


「デルフィニウムっていう名です。本当は夏の花。季節外れなんです」

「ゆうべ、そんな色の海の夢をみた、と思う」

「思う、なんですね」

あなたも、海の夢を。

「あのね、人が見るのは色のない夢なんだって。誰が確かめたか真偽はわからないけど、本当は白黒で見るのに、起きた後にカラーの記憶に塗り替えてしまうそうだ」

「でも色の印象が残る夢ってあるでしょう? 私も昨晩青い海を見たんです」

その海はあなたと繋がっているのでしょうか。


「ほら、僕らは海が青いことを知ってる。血の色が赤いことも知ってる。知ってるってことは、いつのまにか付け加えてしまうことなんだよ」

彼は私も海の夢を見たことには別に興味を示さなかった。巻貝ビルが嘲笑うかのように重く見えた。

「モノクロの無声映画のようなものに、その人の持つ想像力で色をつけている。その日の気分によっても変わる。特に神経が参っていると色彩の印象が深くなるそうだよ」


 疲れているのに眠りが浅い時ほど、訳のわからない夢を見る。けれど、朝の光と共に吸い込まれて行って、本人には思い出せない。

 覚えていない夢は、夢の番人が夢の墓場に運んでいく。きっと夢たちの色は本当は存在していたのに、陰謀で消されたのだ。


 私は額縁に入れられて平面になる。押し花をするように重石をして押さえられて身動きが取れなくなる。そうして白黒の世界に閉じ込められてから、大きな刷毛でザッと大雑把に色を塗りつけられる。きらいな原色の、染められたくない色に。



 星がきれいな凍えそうな夜。いつものように目を閉じた。


 暗がりに夜露がにじんで光っている静かな舗道。

 この道は知っている道だ。二つの足音が遠くから響く。


 あの後姿は行平さんだ。追いかけようとしてやめる。

 彼は女の人と歩いている。その人はふらふら酔った足どりで、やけに女っぽくみえた。行平さんがその人の腕を軽く支えている。フレアースカートが風で綺麗に揺れて、足元をさらに美しくみせる。彼はやさしく彼女の肩にコートをかけてあげる。その先は……。見たくない!


 目を開けたら、冷たい涙がたくさん零れていた。

 どうしてなの。夢の世界は今までずっと私の味方だったのに。あの道は、喫茶店までの並木道。行平さんが私と歩いてくれる、大切な私の宝物。

 今夜眠ったら、きっと続きを見なくてはいけない。そんなのいや。


 雪は一晩中眠らなかった。そして、どこかでサイクルが狂い始めてしまった。





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