第一話 森林浴って楽しいのは最初の一時間だけ
「ここ、どこだ」
目が覚めると、地面に倒れていた。土と草のにおいがすぐ間近にある
倒れていた体を、ふらつきながらも何とか起こすと、その眼前には緑と茶色が広がっているた
「僕はさっきまで自分の部屋にいたはずじゃ…」
しかし、目の前に広がるのは大自然だ。生い茂った木々に、先を見通すのが難しい茂み、そしてひときわ大きい、天にも届きそうな大樹木
自分の部屋どころか屋内じゃない、富士の樹海ですらもうちょっと人の手が加わっていそうだ、そう思うと日本の可能性も怪しくなってきた
そして大自然に欠かせないのは、そこに生息する獣。都会育ちの僕が、動物園にでも行かない限り、絶対に聞かないであろう、けたたましく森に響く獣の鳴き声
「うん、これぞ大自然」
寝起きでこんな知らない土地にいるのに、我ながら結構落ち着いている
いや、落ち着いているというより、状況理解が追い付いていないだけなのかもしれないが
「見た感じ、熱帯の方かな」
どうしよう、僕の学校は外国語の科目、英語しかないし、僕英語が一番苦手な科目なんだよなぁ、ホント副詞とか関係代名詞とかムリ、名詞もあんなに覚えられるわけないだろ。でもまぁ机に向かってお勉強する英語と、実際に生活する英語はだいぶ違うって言うし、日本の英語教育は海外から見ればだいぶ変わっているって言うし、僕の中に眠る外国語会話能力が運よく目覚める可能性は無きにしも非ずかな
自嘲気味に笑った
「て、違うだろ」
自身に対するツッコミの声により、周りにいた小鳥たちが一斉に飛び立っていったが、そんなものを気にしている余裕は今の僕にはない
「いやいやいやいやいや、ここどこここどこ何県何市何丁目、何州何番地区。おかしいおかしい、だって僕さっきまで自分の部屋にいたじゃん、自分の部屋で横になりながらゲームしてたじゃん、ふざけんなよ僕さっきまでやってたデータ保存した記憶ないぞ、せっかく中ボス倒したのに。それね期間限定のコンビニスイーツだって買ってきたんだぞ、まだ完食してねぇよ」
そうだケータイ
せめて時間と場所だけでも確認しよう
学校から帰ってきてそのまま、制服のまま横になりゲームを始めたため、ケータイ自体はポケットの中にあった
「えっと時間は、夕方の六時を過ぎたあたりか。場所は、げっ圏外かよ」
画面のアンテナが表示される個所に、無慈悲にも「圏外」の文字が映し出されている
「これで自慢のスマホは、写真と動画のとれる電卓機能のついた時計になり下がったわけか」
その時計だって夕方を示しているが、太陽の位置から察するに、まだお昼頃だ
額に嫌な汗がにじむ
「いや待て落ち着こう、いったん落ち着こう、こういうのはあれだ、焦ったら負けだ」
自分に何度も言い聞かせる。因みに何に負けるのかは、言った僕でさえよくわからない、落ちつけていない証拠だ
「状況の整理をしよう。まず僕は誰か、はい榊凌雅君17歳、趣味と特技はゲーム、最近気になることは、なんで僕に素敵な出会いがないのかです。さっきまでどこで何をしていたのか、マイホームのマイルームですいーてぃなお菓子を貪りながら横になってゲームをしていました、幸せでした。この場所に心当たりはありますか、はいありませーん。だぁぁぁぁぁぁぁ」
訳の分からない絶叫をした後、冷静になることができ、大きなため息をついた
「これはあれだ、夢だ」
夢オチってやつだ
大方、疲れた体とお菓子によるほど良い満腹感、そしてゲームをしながらであるが横になっていたんだ、眠ってしまっても無理はない
つまり今僕は明晰夢(っていうんだっけ、こういう夢の中ではっきりと意識があるの)を見ているのだろう
そう自分を納得させると、さっきまでの焦燥感が嘘のようになくなり、体が軽くなる。なかなか現金な人間だ
「いやぁそれにしても、よくできているな」
適当な葉っぱを一枚千切り、太陽の明かりで透かしながら観察した
周りを観察する余裕まで出てくるな
「ご丁寧に葉脈まできっちり再現されてるよ」
いくら明晰夢でも、ここまでリアルなものなのかな。そもそも夢って、僕が今まで見てきたものだったり、自分が心の奥で望んでいるものを投影するんじゃなかったっけ
僕の人生の中で、こんな植物見たことないのだが
と、まじまじと千切った葉と茂みを構成している葉の観察をしていると、茂みの奥の方からガサガサと音が聞こえる。揺らしているだけならまだいいのだが、その音はこちらに近づいてくる
揺らしている茂みの範囲から察するに、結構大きな、少なくとも僕なんかよりも大きな体躯の生き物だ
「流石に結構騒いだし、獣の類が寄ってきてもおかしくはないよな」
茂みを揺らす音は徐々に大きくなり、次第にグルルㇽと喉を鳴らす音も聞こえてくる
「僕は犬より猫の方が好きだから、ネコ科の動物だったらありがたいんだけどな。もふもふの」
適当なことを嘯きながら、できる限り足音をさせないようゆっくり、音のする方から離れた
山の中で熊に会ったときの対処法を真似たのだが、どうやらこの方法は熊にしか効かないらしい
僕の後退を、相手の怯えと捉えたのか、躊躇いもなしに茂みの中から獣が現れた
その大きな体躯を熊といわれれば熊のようにも見えてくる、その勇ましい鬣をライオンといわれればライオンのようにも見えてくる、その特徴的な模様を虎といわれれば虎のようにも見えてくる。そんな獣だ
「クマとライオンとトラを足して3で割ったような奴だ…」
がぁぁぁぁぁ
獣の咆哮は、間近で大太鼓を思いっきり叩かれたようにずしんと腹に響く
こ、ここ、ここここ、こえぇぇぇぇ
僕は情けなく尻餅をついた
なにこれ超怖い、夢だよねこれ、夢だと言っておくれよ。これが野生界における本場の威嚇か、カマキリが両手を上げたり、隣の家の犬が吠えてくるあれとはわけが違う、てかあそこのワンコなんで僕にだけ吠えるんだよ
「お、お、落ち着け、ここ、これは夢なんだ。夢の中でこんな情けない姿晒してたら仕方ないぞ」
大丈夫あわてるな、そうだ素数を数えるんだ
3.1415926535897932384626433383279
これ円周率だ、そして結構暗記しているな
落ち着く方法を間違えたが、結果として冷静になることはできた
「そうだよ、所詮は夢なんだから怖がる必要なんてないんだよ」
そう、例えるならお化け屋敷だ。いくら怖くても、不意を突かれて驚かされても、雰囲気があっても所詮は作りもの、実害があるわけじゃない
いくら目の前の獣が怖くても、いくら知らない場所でも、いくらさっき千切った葉を尻餅をつく拍子に握りつぶして手を切っても、いくら切った個所から血が数滴出て少し痛くても、夢なんだから実害は………なんで切った個所が痛いんだ
そりゃ痛覚があるから、怪我したら痛いのは当たり前なんだけど
今はその痛覚があることが問題なのだ
「も、もも、もももも、もしかして、夢じゃない」
背中からドッと嫌な汗が出る
観察するほどの余裕はあっという間になくなり、日本ではまず味わうことがないであろう恐怖が、僕の心を支配していく
僕はここで死ぬのか
17年、短い人生だったけど、そこそこ楽しかったよ、できれば、もうちょっといろいろな経験を積みたかったな。そうだ、借りてたエロ本、ちゃんと返しておけばよかったな、遺品整理で借りたエロ本が見つかるって、僕も恥ずかしいけど貸した方も恥ずかしい思いするよな
「あああああぁぁぁぁ」
自分でもこんな声が出るとは驚きだ
何諦めてるんだよ僕は
奇声を上げながら、尻餅をついた状態で地面を何度か蹴り、横に転がって獣から距離を取った
4回か5回ほど転がり、すぐさま立ち上がった
「死んでたまるか、こちとらまだ酒の味も女の神秘も知らないチェリーだぞ、せめて可愛い彼女とイチャラブデートするまで、もしくは美少女ハーレムを作るまで死んでたまるか」
決意を胸に獣と対峙する
心臓がバクバクなっているし、体中から汗が止まらない、正直緊張で吐きそうである。しかし、諦めて死を選ぶほど潔い人間ではない、諦めの悪い生き汚い人間なのだ
僕の魂の叫び(我ながら下心しかない魂の叫びには嫌気がさす)が功を奏したのか、獣はすぐには襲ってこずに、僕を中心に弧を描くように歩き出した。まるで品定めをしているようである
「やるのかコラ、あんコラ、マジ人間様舐めってっと〆るぞ獣」
負けじと獣と目を合わせ、一昔前の不良のごとく眉間にしわを寄せて、睨み続けた
しばらくにらみ合いが続いた後、先に動いたのは僕だった
力いっぱい横に飛び、柔道の受け身の要領で横転した後、素早く立ち上った
それと同時に、地面を凄まじい力で殴る鈍い音が聞こえ、土ぼこりが煙のように大きく宙を舞う
獣の攻撃が地面を抉ったのだ
「あんなの喰らったら、僕の心と身体がオサラバしちゃうよ」
土ぼこりの中から悠然とした足取りで出てきたその獣は、我こそは百獣の王、と言わんばかりの捕食者の風格を持っていた
その獣の目に映る僕の姿は、物珍しい観察対象から、自分の腹を満たす獲物になり替わっているだろう
「さてどうしたものか」
手元にあるものは、制服のポケットに入れている筆記用具が一式、ほとんどその機能を果たさないスマホ、捨てるのを忘れてたレシートくらいだ。碌なもの持ってないな、レシートくらい捨てろよ
木に登ってやり過ごそうにも、助けが来る確率が極めて低い状態で持久戦に持ち込むのは分が悪い、そもそもまともに木に登れるかが疑問だ。四足歩行の生物に人間が足で勝てるはずもないので、走って逃げることも難しい。非力な僕の力では、殴ったり物を投げたりしても、倒すどころかダメージをおわせることができるかどうかも怪しい
「あれ、これ詰んでね」
ポツリと言葉を漏らしたと同時に、今度は斜め前に跳んだ
マット運動のごとき前転ですぐさま立ち上がり、獣の方を睨む
そこには先ほどよりも大きな土ぼこりを上げた獣が、イラついた様子で立っている
「落ち着こう、こういうときだからこそ落ち着こう」
ゲームだと考えよう
まず僕の敗北条件を考えよう、それは間違いなく僕の死亡。獣の牙で、爪で、腕力で、脚力で、その他人間にとって致命傷になる可能性のある部位によって、絶命させられたら僕の負け
翻って僕の勝利条件とは
助けが来る見込みがあるわけでもない、あの獣の弱点を知っているわけでもない、致命傷になるような攻撃ができるわけでもない。強いてあげるなら、敗北条件を満たさないことである
つまり、いつ終わるかもわからない避けゲーというわけだ
「無理ゲー…」
諦めに近い声を漏らしながらも、目は獣を睨みつけたまま、少しずつ少しずつ距離をあけた
好戦的な獣にどれだけ効果があるかわからないが、例え一跳びで詰められてしまうような距離でも、物理的に距離を放しておいて損はない
「無理ゲーでも死にたくはないからね、何とかする方法を考えないとなぁ」
こう見えても無理ゲーや鬼畜ゲーには結構手を出している(クリアできているとは言ってない)、理不尽な難題にはそこそこ耐性はある
獣は三度身体を屈め、突進の構えをした。それ以外に攻撃手段はないのかな
避けるだけなら造作もないが、次もこの攻撃をしてくるとは限らない。できればここでカウンターを入れたい
「カウンター…」
先の二回に比べ、今度の突進はためが長い。どうやら向こうさんも、僕に対抗手段がないことは、とっくにばれているらしい
僕はポケットに手を入れ、確認をした。やってみるか
それは一瞬のことだった
ためが長かった分、全体重をスピードに乗せてぶつける突進は弾丸のようである。一直線で単純でありながら、その攻撃は恐ろしく破壊的だ
直撃するぎりぎりで避けられたが、かすっただけでふっ飛ばされた
思いっきり背中を木に打ちつけられ、口の中で血の味がする
「だけどこのゲーム、僕の勝ちだ」
ガァァァァァァァァ
獣は狂ったように暴れ出した。体を何度も何度も地面や木に叩きつけ、鼓膜が破れそうになるほどの悲鳴にも似た叫び声を上げた
「にしても、初めてやったけど気持ち悪いな、目潰しって。持ってたボールペン一本駄目にしちゃったよ」
獣の目に突き刺さっているボールペンは、言ってはアレだが酷くシュールだった
カウンターで真っ先に思いだしたのが、ヤンキー漫画で、相手の拳を避けつつ殴るというシーンだった。こっちから相手に向かう力と、相手からこっちに向かう力、その両方をうまく使って強烈な一撃をお見舞いするカウンター
自分に力がないなら相手の力を利用すればいい、自分の攻撃が当たらないなら相手に来てもらえばいい、僕はただボールペンを構えただけだ。当たるの覚悟で、突進してきた獣の目の前に
僕の妄想通り、急に眼前に現れた異物を避けることはできず、獣は自らボールペンに突っ込み、急に止まることもできずずぶずぶとペンを眼の奥にいれてしまったのだ。あぁ痛そう、なんだって目に入れたら痛いよな
「子供が怪我したら危ないから、色々なものが規制されたり、危険が取り除かれたりしているけど、この様子じゃあ将来的に、ペンの類も何かしらの規制を受けそうだ」
大きくて凶暴な獣を黙らせたんだから
僕はなんとか立ち上がろうとしたが、片腕に激痛が走った
ペンが獣の眼に触れた瞬間、可能な限り素早く手を引っ込めたが、さすがに無理があった。ペンを構えていた方の腕は、獣の突進を喰らったらしい
まずいな、片目をつぶしたとはいえ、動きを封じたわけでもない、獣が怒りに任せて僕を殺しに来たらもう助からないだろう
「はぁ、もし僕が漫画やラノベの主人公だったら、ここでかわいい女の子の助けの一つでも…」
来るのに、と続けようとしたとき
「(うるさぁぁぁぁぁぁい)」
どこからともなく現れた少女が、絶叫しながら暴れている獣にドロップキックを放った
どうやら僕は主人公らしい
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