第72話 魔道とは
二十七年間の人生の内でこれほど幸福な時間があったでしょうか?
断言できます。
今が一番幸せです。
セシリーはもう死んでもいいくらいに幸せなのです。
私は今大好きなクロ君と迷宮の中で荷車を押しています。
恋人との初めての共同作業です。
(恋人ではありません。)
ああ、迷宮が桜色に輝いて見えるのはなぜ?
(頭の中がピンクだからです。)
幸せすぎてどんな悪意ある言葉も無視できそう……。
(さっきから無視していますよ。)
これが生きている喜びなのですね。
先程死んでもいいと言いましたが撤回します。
(早いですね)
この瞬間が永遠に続いてほしいです。
クロ君とお話しているこの瞬間が……。
でも、できたらその白い指に触れたいです。
いえ、むしろ絡ませたいです。
銀色のサラサラの髪を撫でることができるなら、なんだって差し上げますわ。
あどけなくも美しい唇に私の唇を重ねることができたら……。
赤く頬を染める彼の唇を割って私の舌が……少し怯えながらも次第に私を受け入れていくクロ君……っ!!
ああいけない、無意識のうちに舌が不自然な動きをしてしまいましたわ。
(衛兵さ~ん、ここですよ!)
「セシリーさん、大丈夫ですか。息が辛そうだし、顔も赤いし、疲れたなら僕一人で押しますから休んでいてください」
「大丈夫ですよクロ君。お姉さんはベテラン冒険者ですからね。これくらい何ともありません」
ちょっと興奮しすぎましたね。少し落ち着かなくては。
「そろそろ休憩にしよう」
イッペイ殿の合図でパーティーは休憩に入りました。
「それじゃあ、前衛組は武器のメンテナンスね。クロとセシリーさんはお茶の準備をしてくれるかな。俺はお湯を沸かすから」
ナイスですわ!
私とクロ君をペアにするなんて、イッペイ殿は本当に優秀なリーダーです!
噂ではパトリシア様はイッペイ殿に密かな想いを寄せているとか。
最初はこのような平べったい顔をした男のどこがいいのか理解できませんでしたが、今ならわかります。
パトリシア様はイッペイ殿の
昼前にレビの泉を越えた。
俺の中では最速での到達だ。
セシリーさんはかなり浮ついているがリアカーを押す力はそれなりに役立っている。
クロがいる分張り切っているのだろう。
予定では今日中に第二階層1区まで進むことになっているが十分可能だろう。
ひょっとすると2区まで行けるかもしれない。
敵の多寡たかにかかってくるのだが、進める分は進んでおきたい。
焦らず、だらけず、程よい緊張を維持することが
この配分を間違えると迷宮に骸むくろを晒さらすことになる。
初心者講習会で習った通りだ。
その意味でセシリーさんが少し心配だ。
第一階層とはいえここは迷宮だ。
「ここまでは順調に来たけどみんな油断しないように。この先も緊張感を持って臨んでくれ」
俺は滅多にやらない
普段なら俺がこんなこと言う必要は全然ない。
だって俺よりもみんなの方がよっぽどしっかりしているから。
注意は主にセシリーさんに向けてのものだ。
これでしゃんとしてくれたらパティーもジェニーさんも苦労はしないのだと思う。
ここまでほとんど戦闘らしい戦闘は起きていない。
エンカウントした数は4回だけで、その全てが前衛の一撃で片が付くような戦いだった。
『エンジェル・ウィング』は今や第五階層に到達したパーティーだ。
つまりそのメンバーであるセシリーさんも第六位階の冒険者であり、その実力はまごうことなきものだろう。
だが、浅い階層で実力者が死ぬというのも迷宮の真実の一面だ。
俺は考えなしにセシリーさんを連れてきてしまったことを少しだけ後悔し始めていた。
前方で戦闘がはじまった。
突如、第一階層最強と言われる巨大なカマキリ型の魔物ブルーマンティスが4匹と、大型の蛾の魔物バイオレット・モス5匹の群れが湧いたのだ。
ブルーマンティスは以前、6区での討伐隊に参加した時にえらい目にあっている。
ジャンとメグと三人で決死の脱出劇を繰り広げたものだ。
今では二人ともレベルが上がり、ブルーマンティスに後れを取ることもない。
前衛の攻撃をすり抜けてバイオレット・モスが飛来する。
即座にバリが飛び立ちバイオレット・モスの一匹にレーザーを浴びせるが3発全弾を浴びせてようやく行動不能にできた。
俺とクロもアサルトライフルとハンドガンで応戦する。
俺たちの銃弾は四匹を打ち落とし、最後の一匹はセシリーさんのファイヤーボールで燃え尽きた。
「コホッ、コホッ」
「大丈夫かクロ?」
クロがバイオレット・モスの鱗粉を少し吸ってしまったようだ。
この鱗粉には毒がある。
大量に吸うと肺が焼けただれた様になってしまうのだ。
すぐに回復魔法をかけてやったので特に問題はない。
すべては一瞬の出来事だった。
前方ではまだ前衛とブルー・マンティスとの死闘が繰り広げられている。
セシリーは思った。
私は何をやっていたのだ!
何という不覚!
なんという失態!
私が倒すべき敵の接近を許してしまったばっかりに愛する人を苦しませている。
とても言い訳できる状況ではない。
私の魔法は何のためにある?
クロ君のためにあるに決まっている!
クロ君を守ることこそが私の使命ではないか!
それこそが私の愛の証明。
私は愚かな女でした。
浮かれ緩み切っていました。
その油断が私から最愛の人を奪う事態さえ起こし得るというのに。
ここからは全力です。
全力で敵を燃やし尽くしますわ。
私の魔法でクロ君を守る。
それが魔法使いの生きる道。
それこそが私の愛。
「魔道とは貫く愛と見つけたり! ――フレイムランス!!」
セシリーさんが訳の分からんことを叫んだとおもったら、燃え盛る火槍が出現し2体のブルー・マンティスを貫いていた。
既に彼女の顔に浮ついたところは見られない。
ベテラン冒険者本来の顔に戻っていた。
「クロ君、ごめんなさい。今までの私は悪い見本でした。ここからは貴方に本当の私をお見せします」
セシリーさんの魔力が濃密に圧縮されていく。
「前衛、避けろ! 大型魔法だ!」
俺の叫び声に前衛は四散し、主砲の射線をあける。
「くらいなさい。これが愛の究極魔法……バーニング・ラブ・エクスプロージョン!」
「ラブいらんだろっ!」
俺のツッコミは轟音にかき消された。
聞いたこともない名前の魔法だったが威力は
完全なオーバーキルだ。
第一階層で使うような魔法じゃない。
当然魔物は全滅していた。
何はともあれセシリーさんの雰囲気が変わってよかった。
あの戦闘が終わってからきちんと周囲を警戒している。
初めて見たときの出来る社長秘書のような雰囲気が戻ってきてるぞ。
クロも憧憬の眼差しを向けている。
「どうしましたクロ君?」
「あ、あの、さっきのセシリーさん素敵でした」
クロのバカ!
「ああん、そうでした? そうかしら? お姉さんもっと頑張るわね!」
せっかく正気に返ったセシリーさんがまた天国に行ってしまった。
クロもクロだ。不用意な一言でイカすんじゃない。
クロは天然なのか?
それともわかっていてやってるのか?
だいたいセシリーさん、アンタちょろすぎるんだよ!
セシリーさんはしばらく後に再び冒険者として再起動したが、クロにも気を付けてもらわないといかんな。
次の休憩時に注意しておくとしよう。
その日、俺たちは予定よりも少し行程をすすみ、第二階層2区の入口付近で野営をした。
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