第六章
6-00『プロローグ/長い夜に最適のお話』
長い話、だったように思う。
どうだろう? 時間としてはあまり、長く費やしてはいないのかもしれない。初めから彼女は友の話に最後まで付き合うと決めていたし、本当はどれほど長くかかったところで何も構わないのだ。
ただ、話を聞くためだけに、ここまでやって来たのだから。
話した側の少女の印象も大して変わらない。たどたどしく、もつれるように話していたから長く感じるだけで、取り留めなく纏まりのない言葉は、要約すれば大した情報量など含んではいなかったのかもしれない。
自分にだって、わかりはしないこともあるのだ。
ただ、語った。
だからただ、黙って聞いた。
「――っていう感じ、なんだ……けど」
ようやくのように話し終わって、少女は言った。
正直、自分が何を語ったものか覚えていない。たぶん、要領の得ない言葉を感情に任せて吐き散らしたのだと思う。
それでも彼女は話を全て聞いてくれた。ただ黙って、想いの全てを受け止めてくれた。
そんな彼女は――少女に告げる。
「……うん、よくわかった。ぼくの知らない間に、こんなことになってたとはね」
「え、ええと……どう、かな……?」
自分でも何を訊いているのかわからない問い。
少女――
「どう、と訊かれてもね」
対する彼女――
その気安さが、きっと叶にとって救いになるのだと本能が知っているかのように。
秋良は、軽く語る。
「いや正直マジで参ったよね」
「えっ……」
さすがに想定していなかったリアクションに、叶は思わず目を丸くする。
だが、秋良だってそんな顔をされてもこっちが困るというもの。
まさか自分なら的確なアドバイスによって一発で状況を変えられる、とでも期待されていたのなら応えられずに申し訳がないが、――いくらなんでもできることとできないことがある。
「だって予想外だよ。まさかこんなに拗れるなんて思ってなかった」
「う……」
「何をどうしたらこうなるっていうんだよ。マジで参った。もしかして、とは一応ぼくも想像してたけど、……どうしよ。えぇ、いつの間にここまでおかしくなったんだよ……」
あの宮代秋良が頭を抱えて呻いている。
あまりに珍しい光景に、むしろ叶のほうが面食らってしまった。
「嘘じゃん……もうこんなんぼくの手に余るよ。無理だよ。どうしろっていうんだよ」
秋良にとっての友人ふたり――
その関係は、叶が未那への恋心を告げてしまった時点で完膚なきまでに崩壊した。
「いやだって……ええ? ちょ、うわ、マジか……そうなるかあ。それはぼくも予想してなかったっていうか、むしろできるわけないっていうか……なんなの君ら?」
「そ、そんなことわたしに言われても……」
「だって、何? なんでこんなにぐちゃぐちゃになるんだ? ぼくはわからない。本当に変わってるよ、君と未那は。もういっそ誇ってもいいね」
「……えー……」
変わっている、と秋良に言われる気分、かなり解せない。
叶は思ったが言わなかった。
「てか叶。話を聞いてのぼくの印象、はっきり言っていいかな?」
「え……この流れだし、あんまり聞きたくないんだけど――」
「重い」
「あ、言うんだ……言うんだ?」
「重い」
しかも二回言う秋良だった。これには叶も、結構なダメージを受ける。
――おかしいな。確かわたしを慰めにきてくれたはずだと思うんだけどな……?
助けるどころか追い討ちを喰らった気分。
まあ叶自身、どうしてこんなことになったのかと訊かれても、確かに答えられないが。
肩を縮こまらせる叶だった。
実際、反論できた義理でもないことは理解している。
そんな叶を見て、秋良は小さく息をつくと、軽くかぶりを振って。
「……まあ、そういうところが叶らしいんだろうけどね。ぼく的には好みだよ」
「え、どうも……? いやそれはおかしいか……」
「妙なところで真面目だよ。叶がそういう風に考えることは、君の性格を思えば自然なんだろうさ。その真摯さだけは見習いたいとすら思う。……だけだけどね?」
秋良はわずかに苦笑して言った。
叶は視線を背ける。もはや好意を向けられることにすら怯えているのだとわかった。
「……まったく」
仕方ないな、と包み込むように秋良は笑った。
どこまでも不器用で、まっすぐで、自分を見捨ててでも他者を優先できてしまう。その在り方の是非は問わない。
ただ、秋良はそれができる、友利叶という少女が好きだった。
理由など、それが全てで何が悪い?
「……わたし、どうしたらいいの……かな?」
そんな秋良に叶は訊ねた。
「もう、わからないんだよ……どう償ったらいいのか、わからない」
その言葉が秋良を苛んだ。
何も悪くない。叶は悪いことなんて何ひとつとしてしていない。彼女が傷つかなければならない理由などこの世に存在せず、それでも自らを責める小さな姿の少女が、あまりに愛おしく感じられた。
そうだ。ならば自分のするべきことなど決まっている。
秋良は言った。
「――叶はどうしたいんだ?」
「え……わたし?」
「そうだよ。友利叶がどうしたいのか。それ以外に考えることなんてないだろう? まずそれを考えるところから。それがなんであれ――いいかい、なんであれ、だ。ぼくは必ず君の選択を応援する。できる全てをやってやるぜ」
「――――」
「理由なんて今さら訊くなよな? 友達だからに決まってる、恥ずかしくなっちゃうぜ」
冗談めかした秋良の言葉。
それが、嘘偽りのない本心であることが叶にもわかる。
――だからこそ、泣きたくなるほどつらかった。
一生友達でいると誓ったのだ。
それを裏切ったのはほかでもない友利叶だ。ならばその罪は償わなければならない。
せめて隠し通すことができていればよかったのに。
弱い自分にはそれすらできなかった。
抱えきることのできなくなった想いが溢れ、本当なら背負わなくてよかったはずの重荷を、我喜屋未那に背負わせた。
あまりにも唾棄すべき行為だ。
死ぬほどに恥じるべき惰弱だ。
「わたしは……でも、わかん……ない。わかんないよ」
「…………」
「謝ったって許されない。いや、違う――謝ろうなんて考えること自体、そもそも自分が楽になろうとするだけの行為なんだ。許されたいだけの甘さなんだよ。そんなのは、そもそもわたしが許せない。だけど、ほかにどうしたらいいのかも、わかんなくて――っ」
「叶」
言い募る叶に、秋良は言う。
さきほどより少し深くなった笑みで。
「さっきも言っただろ」
「さっきも――」
「重い」
「軽い……」
「ぼく、そういうこと訊いてないからさ今。あとにして」
「えぇえ……」
――もしかしてわたしの言葉が通じてないのだろうか?
そんなことまで疑う叶に、やはりあっさり、なんでもないことのように秋良は問う。
「未那が好きなんだろ?」
「……いや、その……好きっていうか、じゃなくて……そもそもの話が、ね?」
「好きなんだよね?」
「……ぅあ、えとぉ……」
「ほら。早く答える」
「……えと。その……好き、です……うぅ」
顔を真っ赤にして俯く叶を見て、ぼそっと秋良は言った。
「なんだこいつ、かわいすぎるだろ」
「からかってるのかなあ!?」
「あ、いや違う。今のは違う。安心してくれ。ちょっと襲いかけただけだ」
「ぜんぜん安心できない情報がおまけみたいについてきたけど!?」
おののく叶を秋良は咳払いで誤魔化し。
誤魔化せなかったが、続けた。
「んんっ! とにかくだ! 叶は未那に惚れている。これはもう仕方がない。恋心なんて自分でどうこうできるものじゃないからね。そこは前提ってヤツさ」
「でも、わたしは――」
「わかったうるさい少し黙れ」
「え」
「いいって言ってるだろ話が続かないんだよ。惚れたものは仕方ないんだ。いいね?」
「あ、はい……すみません……」
「話はそこから。今、未那はさなかと付き合ってるからね。つまり君は横恋慕をしているということになるわけだ。まあ瑣末はどうあれ、現状、形の上ではね」
「……最低だよね、わたし……」
「そういうの本当いらない。次言ったらぼくの唇で君の唇を一分塞ぐからな。マジで」
叶は黙った。
ファーストキスを秋良にあげるのは……いやまあ、ねえ?
「で、ここからどうするかだ。まあひとつは諦めるという選択肢だけど、それができたら苦労はしないってもんだ。現にできなかったからこうなっているわけだしね」
「う……」
「ならば第二の選択肢として、だ。――略奪愛を目論むという手がある」
秋良の放った言葉を叶は一秒噛み締めて。
二秒目。顔を真っ赤にして狼狽えた。
「りゃく……え、は、ちょ――んななあっ!?」
「未那と恋人になりたいんだろう? なら奪うしかないぜ。現状、未那はさなかのものということになっているからね」
「そ、そ……いや、そんなこと……できるわけ」
「言えないだろう? 第一、ぼくの見る限り未那は結構、君が好きだぜ。確かにさなかは敵として非常に強いけど、まあ叶になら勝ち目がないとは、ぼくは思わないね」
「そういう、ことじゃ……なくてっ」
「ぼくの知る限り、未那の外見的なタイプはほとんど叶なんだよ。自分より小さくて髪が長くてそれを結んでて……完全に未那のタイプだ。ぼくは詳しいんだ」
「なんで知ってるの!?」
「まあ、そこはそれ、いろいろさ。未那とか、あいつ結構、うなじ好きだぜ。ぼくが髪を上げていると、チラチラ見てきてかわいかったものさ。見せてあげてたんだけどね?」
「それ最大の敵は秋良なのでは!?」
「そんなことはないとも。ぼくなんてせいぜい、未那が三十になっても独り身だったら、そのときは貰ってやってもいいと考えていたくらいだからね」
「重い! なんならわたしより重い!」
「このぼくの愛だぜ? 重くないわけないだろう」
しれっと言う秋良は無敵すぎてどうしようもなかった。
なんなんだよコイツ。現代ラブコメに出てきていいキャラクターじゃねえよ。世界観がひとりだけ違うだろ。
――叶は思ったが、ツッコミは諦めざるを得なかった。
「で、どうだい。未那をさなかから奪うため戦うかい?」
「……い、いや……だからさ」
「考えてみなよ? 未那と大手を振って付き合える未来をさ。本当にいらないって?」
少しだけ黙り込む叶。
その頬が、徐々に徐々に朱色を帯びていくのが秋良には完全に見えていた。
未那と付き合う自分を妄想して、その妄想に自分で照れているらしい。何この子ホント好き(秋並感)。
どんな妄想をしたのかまでは、武士の情けで訊かないでおくけれど。
「……まったく本当に。こんなかわいい女の子に好かれるなんて、未那は幸せ者にも程があるってもんだぜ。わたしのほうが妬けてくる」
言うなり、秋良は正面から叶を抱きしめた。
「ちょ、ええっ……何っ!?」
驚きに身を固くする大好きな友達。秋良は有無を言わせないまま胸に抱き留めて。
「なんでもいいんだ。まずは叶がどうしたいのか。それを考えよう」
「秋、良……」
「ぼくがそれにつき合ってやる。なぜなら――いいかい、叶? よく聞くんだ。一度しか言わない、なんて意地悪は言わない。望むなら何度だって言葉にしてあげるとも。だがまずはこの一回をよく聞くんだぜ? ぼくは、これを言うためにここへ来たんだからさ」
ひと息。
間を空けたのち、秋良は言った。
「叶。――ぼくは君のことが大好きだよ」
「……っ」
「友達になって時間も経ってない。未那という共通の知り合いがいただけ。そうだね、そう言うならそうさ。否定はしない。だけどそんなこと関係ないね。今、ぼくは本当に心から君のことが大好きだ。叶。君に幸せになってほしい。君に笑っていてほしい。それでその隣に、ほんの少しでいいんだ――ぼくのいる場所を空けてくれるなら最高だとも」
「う……、あ」
「はは。いいさいいさ、泣くといいさ。夜は長い。今夜は寝かさないぜ? 瑠璃さんにはちゃんと話を通してあるからさ。今日は夜通し、ふたりで話をしよう。長い夜になるぜ」
どうしようもなく溢れる想いに潰されそうになって。
それを、なんとか自分だけに留めようと戦った少女の姿は。
たとえ勝てなかったのだとしても尊いものだ。
いや、勝てるはずのない戦いに、それでも自分ではない誰かのために向き合ったこと、それ自体を尊ぶべきだった。
そんな友人に、欲しがる言葉のひとつもあげられずに、何が友達だろう。
今ここにいるのが自分であることを、秋良は心から誇りに思う。
それに、何より。
宮代秋良は、友利叶という友人を心から誇りに思うのだから。
――君のことが、好きなんだ。
その言葉を、友人として贈れるしあわせを、秋良は噛み締めて笑った。
それがわかるから。
きっと、自分がいちばん欲しかった言葉をくれたのだと、叶にだってわかるから。
「……あり、がとう……あき、らあ……っ」
「うん。いいんだよ」
「あきら……っ」
「うん」
友利叶も、涙で滲んだ汚い顔で、綺麗に笑ってこう言うのだ。
「――胸を揉むな」
「おっと。バレちまったぜ」
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