第192話 王城
「私の名前はクリム・ペスカトール。よく逃げずに来たわね~」
「ああ、あなたが」
王城、謁見の間。代表戦参加者であるマイが大きな扉を開けると、中には数名の男女がいた。
目の前には、ねっとりとした口調で話す赤髪の女魔族。その奥、玉座に座り、肩肘をついているのも魔族。あれが、新しい魔王か。と、マイは思う。
そのまま、視線を横に向けたマイは確認する。壁際付近に、恰幅のよい男と少女が二名。縄か何かでしばられていた。
「赤髪に、その名前。聞いたことがある。いつだったか、お館様に手も足も出なかったやつじゃない」
人質と思しき者達を一瞥し、すぐに正面へ視線を戻したマイは笑う。話を聞いた時は、下っ端の雑魚だと思っていたのに、まさか魔王の側近だったのかと。
クリムの目が細くなる。
「お館様~? どちらさまかしら~」
「あはは。これは笑える。つまりあなたは、負けた相手が誰だか分からないくらい、いろんなやつに負けてきたってことね」
マイの言葉に、ひくひくと頬を痙攣させるクリム。そのクリムの前で、ゆっくりと外套のボタンを外し、脱いだ外套を地面に置く。
「下にいたやつが強そうだったから、警戒しちゃった。すぐに助けるからね、人質の皆」
「ゆ、油断しちゃだめ! その女は、力を隠しているの!」
薄っすらと微笑んだまま、マイは声を上げた本人を見る。その隣では、こくこくともう一人の少女も頷いていた。
「メルトちゃんに、レティちゃんね」
マイがメルト達と話している間にも、クリムは一歩二歩と歩きはじめていた。構わず、マイは話を続ける。
「そういえば、二人にはうちの婿殿が世話になったわね」
「え、婿?」
「ここに来るのが、彼でなくてごめんね。でも、もう一つごめんなさい。彼は、うちの娘が引き取るから」
「もしかして……それって、お兄さ――」
クリムが数メートルの距離まで迫る。
「うちの娘ね、普段は全然喋らないくせに、婿殿のことだけは話すの。それがもう、可愛くて可愛くて。悪いけど、あなたたちには……っと、続きは後でね」
頬に手を当て、いやんいやんと楽しそうに話していたマイが、一つ舌打ちをして、その場から姿を消した。
数瞬後、マイのいた場所をクリムが通り過ぎる。
「話の邪魔を、するな!」
襲いかかった勢いのまま、背中に衝撃を受け、前方へ飛ばされるクリム。倒れることなく、すぐに体勢を整えたクリムは振り返る。
眼前には、マイの放った回し蹴りが迫っていた。
「わーお。すばしっこいわね~」
「私の一族は皆身軽よ。あなたは硬いわ。女の子なのに硬いってどうなの?」
回し蹴りを躱したクリムが、マイの追撃を腕で受け止める。出の早いマイの手足をいくつか凌いだ後、大きく後ろに跳んだ。
マイは、特に追いかける素振りを見せず、不敵に笑う。
「魔王様の御前よ。ちゃっちゃとやらせてもらうわ~」
そう言ったクリムの周囲に、火の粉が舞い始める。
準備が整ったとばかりに高笑いするクリムの前で、マイの体も変質した。マイは、下唇をぺろりと舐める。
「気が合うじゃない。私も、早く終わらせたいなって思っていたの」
まず始めに、マイの頭には獣の耳が生えた。ぴょこんとでてきたその耳に、クリムは一度眉を潜め、鼻で笑う。
次に現れたのは尻尾。中央が太く丸い、ふさふさの真っ白な尻尾だった。それが、二本、三本。次々と数を増やしていく。
「なぁに、それは~。それも魔法なのかしら~? 狐?」
最終的に、九本になった尻尾。マイは、大きく横に口を開き、歯を見せた。
「半獣变化魔法、妖狐。正解よあなた。モデルは狐」
「獣人のようなもの~? ちょ~っと、身体能力が上がったくらいでは、私には傷一つつけられないわよ~」
「それは、不正解。見た目で判断しちゃだめよ。私が得意なのは、魔法だから」
ぼぼぼ、とクリムの周囲に火の玉が浮く。それを見たマイも、同じように火の玉を出した。
「狐火」
形状は異なっている。マイが出したのは、仄かに揺らめく青い火だ。
「さっきよりも、よく燃えそうな体になったんじゃない~?」
「あは、いいよ。なら、火力対決といこうじゃない」
室内の温度が上がる。マイとクリムは、互いに床を蹴った。
=====
王城、一階。ルーツを中心に、太く鋭い霜柱が部屋中に広がっていく。見た目は、霜柱というより剣山。
床から隆起するように出てくるそれを見て、ジョーカーは飛び上がる。
飛び上がった先に、氷の矢。氷柱のような形状をしたいくつもの矢が、宙に浮いたジョーカーを掠める。
体を半回転させていたジョーカーは、天井に足をつけたあと、その天井を蹴った。
「くく、ははぁ!」
ガシャンと、地上の霜柱が割れる音。その後で、身長ほどある霜柱の隙間をぬるぬると走り抜け、ルーツに迫るジョーカー。
その動きを見て、まるで蛇のようだ。と、ルーツは思う。
「飛ばしてるなぁ、ルーツ! そうこなくっちゃな!」
「くっ」
全ての霜柱をくぐり抜け、ジョーカーはルーツの前にでてきた。そのまま真っ直ぐにルーツの元へ飛び込んだジョーカーは、腕を振る。
空振り。風切り音が鳴る。ルーツは後方へ飛んでいた。
腕を振り抜いた後、片足を床につけたジョーカーは追撃しようとその足に力を入れる。前向きに追う者と、後ろ向きに距離をとろうとしている者。どちらが早いかなんて、考えなくても分かる。
「……あ?」
前に出ようとして重心を傾けた瞬間、すでにジョーカーは、ルーツの魔法に取り囲まれていた。後方へジャンプしている最中のルーツと、取り囲まれた魔力の塊を見て、一瞬動きが止まるジョーカー。
ルーツと視線が合ったジョーカーは、三日月型に口を開ける。
止まっていたかのような時間が、動き出す。ざざ、と床に足を着地させていたルーツの前で、ジョーカーを中心として、魔法が収束する。
魔力の塊は、爆発。煙の中から、頭の前で腕を交差させたジョーカーが現れる。下を向いていたジョーカーは顔を上げ、その交差させた腕の下から、ルーツに向かって口角を上げた。
「ああ、まあ……これくらいは、やってもらわねえとな」
腕をぷらぷらと振りながら、ジョーカーは言う。
「今のは良かったぞ、ルーツ。痛み分けってところか」
ジョーカーは、続けてそう言った。ルーツの頬には糸のように細い切り傷が出来ており、血が流れ出す。
躱したように見えたジョーカーの手は、ルーツに届いていたのだ。ルーツは何も言わず、頬の血を親指で拭う。
「俺が今、何を考えているか分かるか?」
ルーツは何も話さない。ただじっと、ジョーカーの目を見て、続きを促す。
「こんなものか」
顎を上げ、見下すような目を向けるジョーカーは、さらに言う。
「こんなものだったのか、ルーツ。お前の力は、お前の魔法は、俺が殺したいと願い続けた、お前の全力は」
そして、落胆の表情をみせるジョーカーは、最後に小さく言った。
「俺が、強くなりすぎたのかな」
戦闘中は無言だったルーツが、そこで初めて口を開く。
「僕は、今日ここで、君を止める。君を倒す。そのために来たんだ」
「止めるに、倒す、か。それは何のために、何が目的だ?」
「君は危険だ。野放しにはできない。捕まっている人たちだって、助ける」
「ご立派」
ジョーカーはルーツに背を向け、ゆっくりと歩きだす。
「なあ、ルーツ。それはお前の性格か? それとも、お前の中に混じった血のせいなのか?」
ジョーカーの言った言葉に、ルーツの体が硬直する。
「君が、僕の父に対して、あまりいい感情を持っていないのは知っている。でも――」
「ちげえよ。俺はな、ワストのことは嫌いじゃない。嘘のように聞こえるだろうが、尊敬だってしている。……母親の方だよ、ルーツ」
ジョーカーは振り向き、言った。
「お前には、人の血が流れている。そうだろ? 俺と同じ、半魔のルーツ君よ」
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