第8話 ゴリラの彼氏
後藤さんの事が頭から離れない。でも授業の方は、逆に今までにない程に集中できた。何故なら、授業をサボってしまえば後藤さんからせっかく教えてもらった事が無駄になってしまうからだ。後藤さんに対する恋心は、俺の勉強に対するモチベーションを上げに上げたのだ。
しかし、休み時間はこうしてボーッと後藤さんの事を考えている。今日も図書室に行こうか。いや、昨日行ったばかりだ。あまりしつこいと気味悪がられるかもしれない。でも会いたい。また2人きりでいろいろ喋りたい。勉強の事だけじゃなくて、趣味とかプライベートの事とか……。
「いてっ!」
いきなり誰かに頭を叩かれた。見上げると、ニヤついた顔で乾が俺を見下ろしていた。昨日頭を叩いて起こした時の仕返しというわけか。地味に根に持ってたんだな。乾が俺の前の席に腰を下ろした。
「ケケケ、何間抜け面でボーッとしてやがんだよコラ」
「……」
「……おーい、生きてっかー?」
乾が俺の目の前で手を振る。俺の瞳はその手に反応する事もなく、死んだように動かない。そんな俺の様子を見て、乾はお化けを見るような目で俺を見る。俺は大きく溜め息をついた。
「なあ、乾……」
「な、何だよ?」
「……後藤さんって、彼氏とか、好きな人とかいんのかな?」
「は? いや、知らねえよそんな事……」
「……だよな。雉田なら……知ってるかなぁ……」
沈黙。乾の表情が更に恐怖に染まっていく。今度は化け物を見るような目だ。瞼をヒクヒクさせ、唇をワナワナと震わせている。
「お前……正気か?」
「正気だ。少なくとも俺自身はそう思ってる」
「相手はゴリラだぞ?」
「正確にはゴリラみたいな女子な」
「……ワケを聞かせろ。一体何があったってんだ」
俺は最初から順を追って説明した。俺の気持ちの変化や、後藤さんの人柄、そして決定的となった昨日の放課後の事を。乾はいつの間にか真剣な表情に変わっていて、話の最中も俺から目を逸らす事は一度もなかった。
「……本気なんだな?」
「ああ。どうかしてると思うだろうが、俺は本気で後藤さんを1人の女性として惚れた。彼女の事が、一瞬たりとも頭の中から離れないんだ」
「……」
乾は押し黙って目を閉じた。ゴリラに惚れてしまった俺に、愛想を尽かしてしまったのかもしれない。確かに後藤さんは見た目は完璧にゴリラだ。それは俺も認めよう。だが、だから何だと言うのだ。人間は顔じゃない。ルックスだとかスタイルなんかよりも、人として大切な物を後藤さんは確実に持っているのだ。
「……分かった。しょうがねえな、俺も協力してやるよ」
「い、乾!?」
「確かに後藤は悪い子じゃねえ。いや、むしろこの学校にあんないい子はいないかもしれねえ。お前が惚れたっていうなら尚更だ。俺に出来る事があるなら何でも言ってくれ」
俺は不覚にも感動を禁じ得なかった。流石俺の親友だ。こいつは口は悪いが、俺が本当に悩んでいる時は、いつだってこうやって助けてくれたんだ。そして、乾は多少なりとも恋愛経験はある。心強い味方になってくれるだろう。
「まずは確認だ。お前が心底後藤が好きなのは分かった。で、お前はそれでどうしたいんだ?」
「えっと……そりゃまあ、やっぱり……付き合いたいっていうか、何て言うか……」
実際に口に出すのはやはり恥ずかしいものだ。
「でもよ、いきなり告ったって十中八九失敗するぜ。向こうにだって選ぶ権利はあるんだ。まずはお友達として親睦を深めねえとな。もうすぐクリスマスだし、向こうも焦りとかはもしかしたらあるかもしれねえが、今年は恋人同士として過ごすのは諦めろ。まずはもっと親しくなるんだ」
「お、おう」
俺は無意識に姿勢を正し、乾の恋愛講座を一字一句聞き逃すまいと集中力を研ぎ澄ませた。
「そこでだ。俺に名案がある」
乾が得意げに笑い、人差し指を立てた。俺は期待の眼差しを乾に向け、続く言葉を犬のように待つ。
「うちの店洋菓子屋じゃん? 毎年クリスマス当日は大量にケーキ作るから、どうしたって余るんだよ。だから、俺とお前と後藤と……あとは雉田とか後藤の友達とか呼んで、うちでクリスマスパーティーやらねえか? 今年の12月25日は幸運にも土曜日で、学校も休みだしな」
「後藤さんの友達も? 何でだ?」
「馬鹿。男3人だけの集まりで後藤が来るわけないだろ。特別親しいわけでもねえんだから、普通警戒されるぞそんなもん。後藤を呼ぶなら、友達にも一緒に来てもらうのが当然だ」
なるほど、それはいいアイデアだ。多分乾の本当の狙いは後藤さんの友達だと思うが、そんな事はこの際どうでもいい。少人数でクリスマスパーティーを共にすれば、一気に親交は深まるかもしれない。
「よし……じゃあ、クリスマスまでにそれに呼べるぐらい後藤さんと仲良くなればいいんだな?」
「そういう事よ。まあとりあえずそんな気負わず、毎日図書室に行って勉強教えてもらえや」
「でもいいのかな。後藤さんだって受験あるのに、万が一俺のせいで落ちたなんて事になったら……」
「その心配はねえよ。後藤の成績は3年間不動の学年トップだ。江手高始まって以来の秀才だって、先生達の間じゃ話題になってるらしい」
マジか……。本当に凄い子なんだな。俺なんかじゃ釣り合わないんじゃないのか。急に自信が無くなってきたぞ。だが、乾の余裕の態度を見ていると、不安も大分解消されていく。
「で、味方は多いに越したことはねえ。そしてクリスマスまでに残された時間もな。雉田にも事情を説明して、さくっとプランを進めていこうぜ。この偉大な計画には、雉田の協力が必要不可欠だ」
まあ確かに。雉田なら心強い味方になってくれそうだ。球技大会の時の様子を見る限り、雉田は後藤さんはもちろん、その周りの女子とも結構親しそうだった。雉田がいれば、余計な警戒心を与えずにクリスマスパーティーに誘う事が出来るだろう。よし、何だかイケる気がしてきたぞ。
善は急げだ。昼休みに雉田を学食へ呼び出し、乾に話した内容と同じ内容を雉田に話した。雉田は最初は驚いた様子を見せていたが、すぐに納得したような態度を示した。
「そっか~。猿山君は遂に後藤さんの魅力に気付いちゃったわけだ。まあ、後藤さん可愛いからね」
雉田はニコニコしながらおにぎりを頬張った。雉田は随分前から後藤さんの魅力とやらを分かっていたらしい。乾はさっき俺に向けたような驚愕の視線を雉田にも送るが、すぐに気を取り直したようだ。
「で、どうなんだ? 後藤には彼氏とかいるのか?」
「とりあえず僕の知る限りでは、後藤さんには彼氏はいないよ。多分だけどね。好きな人がいるかどうかまでは分からないけど、普段から男子とはあまり喋らないからね。男と遊ぶより、女友達と静かに話したり、1人で読書するのが好きなタイプの子だよ」
大方予想通りだ。俺は胸をなで下ろす。そして乾が雉田の肩に手を置き、顔を近付けた。
「よし、ならば計画に問題はねえな。いいか雉田。お前は日常的にさり気なく、後藤に猿山のいい所をアピールするんだ。こういうのは本人がやるより、第三者がやった方が確実に信頼性が増すからな」
「オッケー、任せて。恋のキューピッド役なんて初めてだけど、大船に乗ったつもりでいてよ、猿山君」
「あ、ああ。宜しく頼む」
これで完全に雉田まで巻き込んでしまった。ここまで来て、今更後戻りなど出来ない。
……後戻り? 馬鹿か俺は。俺の後藤さんへの想いはそんな物だったのか? もう試合は始まっているんだ。このまま9回まで、全力で投げて打って走って守るんだ。乾、雉田という、頼れるチームメイトと共に最後まで。そして俺の愛の打球を、後藤さんというスタンドに叩き込んでやる。俺は改めて心に誓い、ゲン担ぎに注文しておいたカツ丼を掻き込んだ。
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