第2話 女みたいなゴリラ
2ヶ月の入院生活を無事に終え、俺はこの
当然だが、とっくに夏休みは終わっていて、2学期は既に始まってしまっている。受験を控えている身としては、正直この出遅れは痛い。俺は一応、大学進学を考えているのだ。野球部はもう引退したのだから、今日から学生らしく勉学に勤しまなければ。
俺は改めて心の整理を付け、校舎に入って自分のクラスである3年3組の戸を開けた。そして窓際の1番後ろの自分の席に向かう。
「おっ、猿山じゃん。退院したんだな」
俺が席に着くなり陽気に声をかけてきたのは、小学生時代からの友人である
「ああ。心配かけたな」
「いや、別に心配なんかしてねえけど」
「おい……」
「いやいや、冗談だっての。まあ半分は本当だけどよ。昔から体力だけは人一倍あったからな、お前はよ」
まったく……こっちは死にかけたってのに無神経な奴だ。まあ悪い奴ではないんだがな。見た目は不良っぽいが。
「しかしまあ、よく助かったもんだな。撥ねられただけならともかく、木に押し潰されてたんだって? 割と早くに救急車が来たらしいけど、その時には木はどかされてたそうじゃねえか。お前、そんな怪力だったっけ?」
木をどかしたのは俺じゃない。そんなパワーが俺にあるはずがない。ましてや救急隊員でもない。後から看護婦に聞いたが、救急隊員が駆けつけた時には既に誰もいなかったそうだ。だから、誰が通報してくれたのかも謎のままだ。
しかし俺はぼんやりとだが、あの時の事を覚えている。あの時、俺を助けてくれたのは……。
「……ゴリラだ」
「は?」
俺はその時の事を乾に話し始める。ゴリラに助けられたなんて、誰に言っても信じるわけがないから、今まで誰にも話した事はなかった。当の俺だって、夢や幻でも見たとしか思えない出来事だったのだから。
当然、乾も同じだと思った。しかし乾は、思いのほか俺の話を真剣に聞いている。てっきり、馬鹿にしたようにからかわれると思っていたのに。
「心当たりがある」
「えっ? 何が?」
「お前を助けたっていうゴリラだよ。夢でも幻でもないかもしれねえぞ」
「どういう事だよ」
「お前、3年12組見た事ないのか? いるじゃねえか。ゴリラみたいな女子が」
そんなのがいたのか? 江手高校は1学年に13クラスもあるから、同学年でも顔も知らない奴も多い。ましてや12組なんて3組からは離れているから、教室前を通る事もほとんど無い。
「……今、いるかな?」
「多分いるんじゃね? 1時限目の10分前だし。なんなら見てこいよ」
「一緒に来てくれ」
「は? 何で俺まで?」
「いや、何となく」
普段行かないような所に1人で行くのは心細い。俺は半ば強引に乾を同行させ、12組の教室へ足を向けた。廊下で立ち話をしている生徒達の間をすり抜けていく。廊下の突き当たりにあるのは13組……その1つ手前が12組の教室だ。
何故だろう……少し緊張してきた。乾が前に出て、教室内をチラリと見た。そして俺に小声で耳打ちしてくる。
「おい、いたぜ。あれがゴリラ女子だ」
乾がそう言って、親指でそのゴリラ女子とやらを指した。その先を、俺は視線で追った。
「うおっ」
思わず声が出てしまった。いる。確かにゴリラがいる。紛う事なきゴリラだ。ゴリラみたいな厳つい女というのは希にいる。しかし、あれはゴリラみたいな女ではない。女みたいなゴリラなのだ。黒い肌、毛深い体、そして規格外の体格。あれがゴリラじゃなかったら何だと言うのだ。ていうか、よくあのサイズのセーラー服があったな。
いや待て……もちろん実際にはゴリラみたいな女で合っているはずだ。本物のゴリラがこんな所にいるはずがない。そもそも、隣の席の女子と楽しそうに談笑しているのだから人間なのは間違いない。声や言葉はここからでは聞き取れないが、ウホウホ言っているわけではなくちゃんと日本語を喋っているようだ。
「な? 嘘じゃねえだろ?」
「あ……ああ。あんな女子が同学年にいたなんて、全然知らなかったぞ」
「野球ばっかやって周り見ねえからだよ。結構有名なんだぜ? あのゴリラ女子」
だろうな……。あんな目立つんだから当然だろう。
俺は改めてまじまじとそのゴリラ……いや、その女子を凝視した。間違いない。あの時俺を助けてくれたゴリラはあの子だ。
本来なら女性を……しかも命の恩人である女性をゴリラ呼ばわりするなんて、無礼極まりない事だ。しかし、彼女に至っては本当にゴリラとしか形容のしようがないのだ。
考えたまま動こうとしない俺を、乾が肘で小突いてきた。
「で、どうすんだよ? お礼でも言うのか?」
「……いや、もうすぐ1時限目が始まる。昼休みに出直すよ」
俺は踵を返し、3組の教室へと戻り始めた。少し心の準備をする時間が欲しい。野球一筋で生きてきた俺は、面と向かって女子と会話する機会なんてほとんど無かったし、ましてやゴリラと会話した事なんてあるはずもない。
「そういえば、名前なんて言うんだ?」
「確か後藤……。
後藤梨央……か。普通に人間の名前で安心した。しかし、これはきっと一生忘れられない名前になる。何の根拠もないのに、俺は何故だかそんな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます