第13話『JCメイド』

 階段を上がってすぐのところに杏奈の部屋がある。俺は昨日と同じように彼女の部屋の扉の前に立ち、2回ノックした。

「荻原だ。中に入ってもいいか?」

 年下といえ、相手は思春期の女の子。入るときには本人の了承を得ないと。

 しかし、30秒ほど待っても杏奈からの返事はなかった。まさか、昨日と同じように寝ていたりして。昨日の例の約束で今日来ることは言っておいたはずなんだけど。

「杏奈、起きてるか?」

 少し大きめの声で俺は杏奈に声をかけるけれど、それでも返事はなし。寝ていると判断し扉のノブを下げた瞬間、

『は、入っちゃだめですっ!』

 と、杏奈の叫び声が扉の向こう側から聞こえた。

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

『い、いえ……何かはあったことはあったんですけど、その……ええと、今のは特に大輔さんを嫌っているからではなくて……』

「分かってる。とにかく落ち着け。杏奈が良いと言うまでは俺はここで待つ」

『は、はい……分かりました』

 どうやら杏奈は今、俺に入ってこられてはまずい状況にあるのだろう。例えば、着替えている真っ只中とか。

『ど、どうぞ。お入りください』

 早いな。10秒位しか経っていないぞ。

 俺は杏奈の了承を得たということで部屋の中へ入るために扉を開くと、


「いらっしゃいませ、ご……ご主人様」


 メイド服を着た杏奈が俺を出迎えてくれた。

 黒を基調としたメイド服で、半袖にミニスカートと露出度はかなり高めである。黒いハイソックスを履いていたり、フリル付きのカチューシャを頭に付けていたりと俺のイメージしているメイド姿が忠実に再現されているようである。

「……え、ええと……」

 何が何なのか、目の前に置かれている状況が全く理解できない。一度、俺が入るのを拒んだのはこの服装の所為だとは分かっているけれど、それ以前にどうしてメイド服着ているんだ? とりあえず、

「確認しておくけど、お前……杏奈だよな? 双子ってわけじゃ……」

 と、杏奈本人かどうか訊いてみると彼女は首を横に振って、

「いえ、私は1人っ子なのでそれはありません。正真正銘、私は間宮杏奈です」

「そりゃ……そうか」

 昨日、香織さんが旦那さんは仕事の都合上、現地で暮らしているから2人暮らしと言っていたし。まあ、仮に双子ならそれはそれでまた驚きだったが。

「荷物はお持ちします。ご主人様はそちらの座布団の上にお座りください……」

 杏奈は赤面しながら俺にそう言ってきた。

 な、何だ……この服装の所為でメイドさんになりきっているというのか。おどおどしているけど、きちんとした言葉で言えている。見習いメイドさんって感じだな。

「どうもありがとう」

 一生懸命やってくれているんだから、俺もそれに応えないと。俺はバッグを杏奈に渡して、小さなテーブルの近くにある座布団に座る。

 そして、俺のすぐ横に立つ杏奈。

 お、おい……今は俺のバッグを両手で持っているから大丈夫だけど、何も持っていなければ間違いなくスカートの中が見えてしまう。これはいけない。

「杏奈も座りな」

「い、いいのでしょうか?」

「ここはメイド喫茶とかじゃないからな。でも、俺のことをご主人様だと思ってくれているなら俺の言うことを聞いて欲しい。まあ、ここは杏奈の部屋だしそれはちょっと変だろうけど。あと、俺のことは普通に名前で呼んでくれ」

「……分かりました、大輔さん。お荷物は横に置いておきますね」

「ああ」

 杏奈は俺のバッグを横に置き、俺の右前にある座布団の上に座った。

「それにしてもどうしたんだ? メイド服なんか着て……」

「ご、ごめんなさい。昨日の夜、大輔さんと一緒に話したことをお母さんに話したら、この服装でお迎えすると面白いと言って……」

「あっ、杏奈と香織さんがコスプレをした話も聞いたか」

「ええ。それで大輔さんが言っていたじゃないですか。私のメイド服姿を見てみたいかもって。そうしたら、お母さんがメイド服を引っ張り出してきて……」

「なるほどな」

 ようやく、先ほどの香織さんの言葉の真意が分かった。

 ――久しぶりに張り切っちゃいました。

それは杏奈のコスプレを手伝ったということだったのか。それに、俺と2人きりの方がいいと言ったのもきっとこのメイド服姿のことだろう。

「何度か断ったんですけど、お母さんに押し切られて。仕方なく着てみたんですけどかなり小さくなっていて。うううっ、脚がスースーします……」

 確かに、杏奈は正座をして座っているが、スカートが小さい所為で白くて艶やかな太ももが露になってしまっている。

「でも、それだけ成長したってことじゃないか」

「大輔さんがそう言ってくれると嬉しいです。既に昨日、大輔さんの指を甘噛みしてしまうという悪事を働いてしまったのに、今日も足首のほぼ全てを晒すということをしてしまうなんて、大輔さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです……」

「別に気に負う必要なんてない。そのメイド服姿、とても似合っているし……思っていた以上に可愛いし」

「……はうっ。可愛いんですか……?」

「ああ。写真を撮るのに一時間弱待った人がいるっていうのも頷ける。俺もその場にいたら、どんなに長く待ってでも杏奈の写真を撮っていただろうな。今の杏奈の魅力に勝る奴なんてそうそういないと思うぞ」

「大輔、さん……」

 本日最初の杏奈の笑顔を見た。

 とにかく、杏奈には少しでも自分に自信を持たないといけない。そのためにも、多少甘そうな言葉を囁くことも厭わない。気恥ずかしい部分もあるが今は杏奈と2人きりだし、幸いにも今言ったことは全て本心だったため自然と言うことができた。

「……後でお母さんにお礼を言っておかないといけませんね」

「うんうん、良い物を見させてもらった」

「大輔さんに喜んでいただけたのなら、私はそれで十分です。最初は少し嫌だったんですけど、心のどこかで楽しいなって思えていたので」

「そうか」

 恥ずかしい気持ちよりも楽しい気持ちの方が勝った、ってわけか。

「――すっかり忘れてた。今日は杏奈に土産があるんだ」

「私に、ですか?」

 杏奈がメイド服姿で迎えたことに驚いたせいで、学校帰りに金平糖を買っておいたことを忘れてしまっていた。バッグから金平糖の入った小さめの袋を取り出す。

「金平糖だ。明日香が……俺の妹が茶道部の仮入部期間中に杏奈を見たって言っていたから。甘いものが好きかもしれないと思って。ごめんな、妹と同じ学年だから、つい妹と同じように考えちゃってさ」

「そんなことありません! 私も甘いものが大好きで……一時期、茶道を習っていて一通りの所作は覚えていたので入部しようと思って」

 そういえば、明日香も言っていたな。新入生の中で杏奈だけが礼儀作法までしっかりとできていたって。

「妹と違って、杏奈は立派な理由で入部を考えているんだな。あいつに少しお前の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぜ」

「いえ、私なんて……」

 杏奈の表情が一気に曇った。

 きっと、学校に行っていないことを理由に自分を責めているんだろう。少し先のことを考えて話すべきだったな。

 フォローをするために杏奈に話しかけようとしたとき、彼女は立ち上がった。

「お茶と小皿、持ってきますね。一緒に金平糖を食べましょう」

「あ、ああ……そうだな」

「それでは、少し失礼します」

 杏奈は薄笑いをして部屋を出て行った。

 1人になった瞬間、俺は仰向けになり白い天井を見つめる。

「何やってんだ……」

 意地でも微笑んだ杏奈を、俺は彼女が強い人間だとは思えなかった。人はよく、こういう場合でも平常心に見せることができるのが強い奴だと言うけど、今さっきの杏奈を見た俺はそれに頷くことができない。

 いじめに遭っている生徒が不登校になっていく理由は、もちろんいじめがエスカレートしていくというのもあるけど、大半は虐められている生徒が自分の口で嫌だと言えないというところからだ。

 不登校はいけないことであるとも言われているけれども、不登校こそがいじめている奴に嫌だと言えない生徒の最後のメッセージじゃないかって思っている。狼と呼ばれるきっかけとなった1件の所為で、俺も一時期学校に行かなかったし。そうなる生徒の気持ちは分かる。

「……どうすれば、杏奈を自分から学校に通うことができるんだろう」

 姉さんは確かに言った。杏奈を再び学校へ通うようにしてほしい、と。

 その方法を見つけるにはまず、杏奈の気持ちを彼女の口から教えてもらわないとならない。でも、そうすることが何だか恐かった。もちろん、昨日の今頃よりも大幅に距離は縮まったけれど、それでも話を切り出すことができない。

「大輔さん?」

 杏奈の声が聞こえたので、俺は起き上がった。

 そこには温かい緑茶と小さ目の皿を乗せたお盆を持った杏奈が立っていた。しかし、未だにメイド服姿で。

「ごめん。少し寝てたんだ」

「いえ、構いませんよ。お客様ですから。それに、昨日……私、ずっと寝ちゃっていたのでお互い様ですよ」

 と、杏奈は微笑んでお盆をテーブルの上に置く。さっき座っていた座布団の上で杏奈は膝立ちになり、俺に熱いお茶を差し出す。

「粗茶ですが……ど、どうぞ」

「これはどうも」

 震えながらも一生懸命にやっている杏奈が健気でいい。

 自分の分のお茶と小皿をテーブルの上に置き、杏奈が今一度座布団の上に座ろうとしたときだった。

「きゃっ!」

 座布団の上で足を滑らしたのか、杏奈が俺の方に倒れこんできた。

 俺はすぐさまに杏奈のことを抱きしめるような形で受け止める。その際に少し左手の肘がテーブルにぶつかってしまったけれど、お茶が零れるようなことはなかった。

「大丈夫か?」

「ご、ごめんなさい……。……って、ふええっ!」

 杏奈は俺と至近距離で顔を合わせた瞬間に悲鳴を上げて、再び俺の胸の中に顔を埋めてしまった。お、俺はどうしろと。

 それにしても、同い年だからか明日香と似ている。抱きしめて初めて分かる華奢な彼女の体。ふわりと香ってきた女の子の甘い匂い。あと、小さくて柔らかいものを押しつけられた感じ。

 俺がそんなことを考えていると、杏奈の頭がすりすりと動く。

「うううっ、さっきの発言は撤回させていただきます。お互い様だなんてとんでもないです。昨日の引き続いてこんな大失態を……」

「気にするなよ。今のだって足をうっかり滑らせたんだろ?」

「そ、そんな優しい言葉をかけないでください。甘えてしまってまた大輔さんに失礼なことをしてしまいそうで……」

「お前、どれだけ頭が固いんだよ。俺は事実を言っただけで、特に杏奈を甘やかしているつもりはないんだけど。まあ、杏奈がそう言うならお仕置きだな」

 と、俺は杏奈の頭を優しく撫でた。

「はうっ」

「こうすれば少しは頭が柔らかくなるだろ」

 明日香の場合、とにかく何かあったときには頭を撫でてやれば落ち着いていたため、杏奈にも適応するか実践しているだけである。変な意味は決してない。しっかし、杏奈の髪はさらさらで結構柔らかいな。

「大輔さんに頭を撫でられてる……」

 杏奈はそう呟くと少し顔を離して俺のことを見上げてくる。

 お互いの吐息の温もりが分かるくらいに顔が近かった。いつまでもこうしていては杏奈が可哀想だと思い、俺は杏奈の体を離した。

「そ、その……助けてくださってありがとうございます」

「たいしたことはしてねえって。じゃあ、お茶でも飲みながら杏奈からの質問に答えることにしようか」

「大輔さんに考えさせてしまうほどの不躾な質問のことですね」

 まあ、昼夜を分かたず最良の答えを考え続けていたのは事実だけれど、別に不躾な質問ではないと思う。女性にとって相当デリケートな内容だったことは思うけれど。何せ、琴音のトリガーを引いちまったほどだからな。

 杏奈は再び座布団の上に正座で座り、土産の金平糖の封を開けて小皿に取り出す。白い小皿の上なのでカラフルな金平糖が綺麗に見える。

「大輔さん、金平糖いただきますね」

「どうぞ」

 杏奈は赤い金平糖を1粒取って口の中に入れる。彼女が咀嚼をするたびに、金平糖の砕かれる音が部屋の中に響き渡っていく。最初こそ、その音がすることが恥ずかしいと思ったのか少し照れくさそうに食べていたけrど、その表情も段々と和らぎ最終的には優しそうな微笑みに変わった。

「久しぶりに食べたんですが、甘くて美味しいです」

「それは良かった」

「砂糖の塊のようなものですから、緑茶とも合うんです。茶道を習っていた頃に何度かお茶請けとして出たことがあります」

「だからすぐに緑茶を出そうって言ったんだな」

「……はい。大輔さんもどうぞ」

「ありがとう」

 俺は白い金平糖を一粒食べ、口の中に砂糖の甘さが広がったところで熱い緑茶を一口飲む。

「うん、美味しい」

 緑茶の風味が金平糖の優しい甘さと上手く合うんだよな。緑茶の渋みで心が落ち着くあたりやっぱり俺も日本人なんだな、と思う。日本の最大の魅力である『和』というのはここに集約されているのではないだろうか。こういうことを片岡には是非、学んでほしいところだ。

 さて、そろそろ本題に入るとしましょうか。

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