星々のひかりに生まれた影たちの祈り
@Yayuyo-Y
プロローグ
彼女のシルエットはいつも、サーカスのテントを連想させる。
そんな想像がなんだか愉快な気持ちを呼ぶせいで、つい緊張感がゆるんでしまう。本当はちっとも楽しくないし、夢も希望もない状況なのに。
漆黒色の、巨大なスカートの正体は、彼女の肉体の一部だ。伸ばした帯状の触手を柵のようにつなぎ合わせ、ねじりを加え、本物のスカートに似せてひだを形作っている。その真ん中に、ピラミッドの頂上のような場所に、彫像のように美しい彼女の上半身があった。
幾本かの触手がひだから独立して、べつの生命体のようにぐねぐねと蠢く。何度みても気色悪い動きだ。その先端に明確な意志――殺意や敵意に分類される、暗い情熱を宿して、僕たちに襲いかかろうとしている。
そろそろ覚悟を決めなければならないようだ。
「準備はいいかい」
と、フィートが言った。
「泣いても笑っても、これが最後の戦いだ」
「ちがうよ、フィート」
僕はちいさく首を振った。横目で彼が僕を見る。
「笑うことはあっても、泣くことはない。これは死ぬか笑うかの戦いだ。笑えることは喜びだ。喜びこそが生きることだ。笑って、喜び、生きよう。〝彼女〟はフィートに言ったんだよね『絶望したとき貴方の世界は終わる』と。そして貴方も僕に言った『絶望を噛み砕け。呑み下せ。臆したときが、きみの世界の死ぬときだ』と。こんなところで終わらせはしない。正しいかどうかはわからない。それでも。寂しさも苦しみも悲しみも痛みもぜんぶ、僕が前へと持っていく。かならず明日の希望につないでみせる」
「そうだね」
と、フィートは笑った。
彼女が怪鳥めいた咆哮を上げる。
「いくぞ!」
僕たちは身構えた。そして、声をそろえて叫ぶ。
「
*
「『Shadow Gate System』は、大手ゲームメーカーと日本犯罪心理学協会が共同開発したRPG形式の仮想現実体験型行動療法サポートシステムです。一般的なVR-RPGの親戚と考えていただいて結構です。もちろん、更生に向けた治療プログラムに採用されるくらいですから、娯楽性は低めです。ただ、プレイヤーのモチベーションを惹起するために最低限のファンタジー要素は組み込まれているので、それほど退屈せずにプレイ、もとい治療に専念できると思います」
女性精神科医の
「それで、具体的に、僕はその仮想現実の世界でなにをするんですか?」
門崎先生は小さく首を傾げて微笑んだ。
「■■さんには、――」
その笑みをみて、僕は、初めて彼女のカウンセリングを受けた日のことを、思い出していた。
■■さんは、自分を殺せますか。
いくつかのテストが終わったあとで、「雑談だと思って答えてください」と前置きして、門崎先生は尋ねた。
「それは自殺できるか、という意味でしょうか」
すこし考えて、僕は聞き返した。
門崎先生は首を振った。
「もうひとりの自分が目の前に現れたと仮定してください。身体構造、思考形態、行動様式、経歴、その他の諸要素の何もかもが同一の自分。そのとき、■■さんは彼を殺すことができますか」
「殺せます」
と、僕は応えた。
「僕は僕から、かけがえのない人を奪った。かならず殺します。殺さなければなりません」
門崎先生は器用にペンを回しながら、話を続ける。
「では、雑談その二です。ここに実弾の装填された拳銃があるとします。■■さんは、それをどう使いますか」
「銃口を自分の眉間につきつけて、貴女に引き金を引いてもらいます」
彼女は困ったように眉をゆがめた。
「■■さんは、自殺は嫌がるんですね。いえ、間接的な自殺願望を持っているといったほうが適切でしょうか。とにかく誰かに罰して欲しいという意識が強いようです」
僕はなにも言わずに頷いた。たぶん、そのとおりなのだろう。
僕の罪は、僕の死によってのみ贖われる。そして、それは他者の手でもたらされなければならない。自殺は逃避だ。逃げることは許されない。誰も僕を許してはならない。もっとも、僕一人の魂ですべてが清算されるとは思えないけれど。いずれにしても、僕の死は絶対条件だった。
「僕はいつ死刑になりますか」
と、僕は訊いてみた。
「■■さんは、死刑にはなりませんよ」
と門崎先生は口元だけで笑った。
僕の願いも祈りも、どこにも届かない。
「■■さんには、自分で自分を殺してもらいます」
彼女はその笑顔に親しみをこめたのかもしれないけれど、嘲笑っているように、僕にはみえた。
*
その日の朝、九時半頃に、法務教官の
「ついてきてください」
と、彼は厳かに言った。
以前、なにかの本で読んだ記憶があるのだけれど、死刑囚の死刑執行当日は、ちょうどこれぐらいの時間になると、出房の声がかかるらしい。すくなくとも僕は死刑囚ではないので、その点の不安はない。犬落瀬さんに背中を押される格好で、黙って歩いていく。
三分ほどで目的地に到着した。扉の脇に「VR室」と書かれたプレートが掲げられている。病院のレントゲン室みたいだ。犬落瀬さんが扉を開けて僕を手招く。
殺風景だけど、どこか象徴的な部屋だった。白いリノリウムの床。入口から見て左右の壁にはドアも窓もない。正面の壁は、その面積の大部分を、下りたシャッターが占めていた。そして、室内の真ん中に、酸素カプセルを思わせる大きな筐体が設置されていた。これが『Shadow Gate System』専用のVR機だと、先日の事前説明の際に聞いている。
その機器の前に、白衣姿の門崎先生が立っていた。
「おはようございます、■■さん」
「おはようございます、門崎先生」
「さっそくですが、準備をはじめます」
彼女はVR機の筐体側面に取り付けられたタッチパネル式のディスプレイを立ち上げ、そこに表示された項目について、僕に質問し、回答を入力していく。昨夜の睡眠時間、今朝の食事内容、便通、直近で自慰行為をしたのはいつか、などなど、三〇問ほどに答えさせられる。そして、情報のインプットが完了すると、スライド扉をあけて、筐体内のシートに横になるよう僕に指示をだした。
『Shadow Gate System』は、VRへの没入方法に、催眠誘導を採用している。脳内の「共有」や「共感」を司る領域に志向性の磁気刺激を与えることで、プログラミングされた世界を疑似体験することが可能になるのだそうだ。そして、いちど『Shadow Gate System』のVRにダイブすると、特定の条件を満たすまで意識が現実に戻ることはない。ただし、肉体に異常が発生した場合は外部からの干渉で強制的に意識を引き揚げるシステムになっている。ちなみにプレイ中の肉体は、カテーテルやら経鼻栄養補給チューブなどの医療器具や、看護師の手によってケアがなされることになっていた。
一〇分ほどをかけて、身体にさまざまなコード類が接続された。血圧、脈拍、体温、呼吸数、脳波といったバイタルサインを測定するための措置だった。
もうすぐ、僕の意識は見知らぬ世界へ飛んでいく。
当然、初めての体験だった。抵抗がないと言えば嘘になる。それは恐怖といってもよかった。
「それではこれより、『Shadow Gate System』による催眠誘導に入ります」
門崎先生が、他人事のように言った。
「心の用意はいいですか」
「よくないです、と言っても無駄なんですよね」
「そうですね。ところで。以前勤めていた刑務所で、受刑者に向けられた、看守のこんな言葉を聞きました。『これが、今までおまえたちが社会の人々にしてきたことだ。自分の順番が巡ってきたのだと思え。自分が周りのひとをどんな気持ちにさせていたのか、身をもって味わえ。噛みしめろ』。今、どんな気分ですか」
「ごく控えめにいって、ヘドロの中に沈んでいくような心地です」
「仕方のないことです。受け入れなさい。これが貴方に下った審判なのだから」
僕は目を閉じて、できるだけ身体をリラックスさせようとした。意味があるのかはわからない。でも、その方がいろんな不安が軽減される気がしたのだ。
「さようなら、また会う時まで」
と、門崎先生が言った。
「さようなら」
と、僕は応えた。
やがて耳鳴りのような音が聞こえてきた。
そして、僕の意識はゆっくりと闇に呑み込まれる。
*
これは、僕が彼女を殺すまでの物語だ。
そして僕が僕を殺すための物語でもある。
すべてはたぶん、暗い闇の中から始まった。
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