それ行けトントン 天翔ける蚊取り和尚の大冒険物語

夏海惺(広瀬勝郎)

第2話大再会

     



「渡したい物がある。お会いしたい」と丁寧な電話で和尚様から誘われた。あの賭け碁以来、喧嘩別れをしてしまったせいで気まずさ残っていた。実は和尚様の住むボロ寺で話を聞きながら賭け碁をし、彼に小遣いをすべて巻き上げられていたのである。長崎市が一望できる稲佐山山頂の展望台で会おうと約束をした。土曜や日曜日、それに祝祭日以外の平日なら人も少なく、話をするのは絶好の場所である。ロープウェーイで展望所に行くと、すでに彼は小さな箱を抱えてベンチに腰掛けていた。彼は包みを手渡し、開けてみたまえと言った。開けてみるとノートパソコンが入っていた。どうしたのかと聞くと、黙って受け取ってくれと言うのである。旧式のワープロで作品を書き続ける自分には以前から喉から手が出るほど欲しい物だった。だが、彼からこんな高価な物を頂く理由はないので押し戻そうとした。

「うそ吐き大賞の受賞記念だ」

 まだ決まった訳ではない。それも些細な賞だと言って断った。

「間違いなく受賞する」と彼は断言し、品物を押し返した。

「遠慮するな。半分は先日の掛け碁で君から巻き上げた金だ」と彼は付け加えた。

 ところが、「受賞の第一作に拙僧の考えをモチーフにした作品を書き給え」と言い、一気に狂ったような自己の主張をまくし立てたのである。

「読み手あっての小説です。読み手が受け入れてくれねば書いても仕様がない。売れない作品は小学生の作文と同じだ。原稿用紙に書き綴られた文字も汚れに過ぎません」と断った。

 一般的に個人的な哲学的な話は小説にはなじまない。押し問答は続いた。読み手のない小説など社会的にも無益であるばかりか、読めと強要される者には拷問に等しい。僕の妻など僕が自分の小説を読めと強要すると金銭を要求する始末である。だが、まだ良い方である。僕の加入する秘密結社の同志など、このようなことが高じて離婚をした者もいる。昔からの売れる小説には定石がある。暴力、セックス、犯罪、恐怖、驚き、それに発見がなければ読み手は付かない。読者の平和な心をかき乱す物でなければ売れない。

 和尚様は今、人類は大変な危機的な状況にある、破滅に陥れようとする二酸化炭素怪獣を退治するため書けと支離滅裂なことを強要するのである。

「そんなことは誰でも知っている。財布の中の貴重な金銭をはたいて、そのような小説を買う人がいるものか。そのような大きな問題を小説で扱った作品を見たこともない。小説とは主に人間の心の葛藤を描くもの。思想を描くものではない」

 和尚様と文学論を闘わせる気はないが、思わず彼の前で自分の主観を吐露した。

「拙僧の人生だ。考え続けた末、平凡で幸せな人生からも、ほど遠い道を歩まざる得なくなった」

 関係ないと心の中で呟いた。しかし和尚様は、なおも彼も必死に食い下がるので、仕方なく聞いた。

「一体、どのような場を設定し和尚様の思想を小説にしろというの言うのですか。読み手のない作品など害にしかならない。コンドームを売り歩く若い青年販売員がマンションに住む有閑マダムと製品の試供のためにやりまくる。だが青年は動物的な生活に空しさを感じ自ら命を絶つ。自ら出家して坊主になると言う物語にでもする。このような小説でも書けとでも言うのですか」

 思わず怒鳴っていた。腐れ縁とは言え、引きずられて下品な話につき合う自分に嫌悪感を感じていた。実は彼は自らをマルサス主義者であると紹介し、人口問題の危機を唱えたマルサスを広く世間に紹介するように頼んでいるのある。マルサスとはマルクス以前のイギリスの古典経済学者であることは言うまでもない。

 

 夕暮れも近い。眼下に広がる港は素晴らしく凪いでいる。公園の木立の影も人の影も次第に長くなっていた。やがて美しい夕暮れが眼下の街並みや港をも包み込もうとしている。暑い夏の一日の中で静かで美しい時間である。美しい灯火が稲佐山の麓に広がる街を飾る時間が訪れてくる。東シナ海に沈む夕陽を眺め、夕涼みを楽しもうとする老弱男女や、将来の夢を語る若い恋人たちも集まって来る。一刻も早く彼との話を切り上げたかった。こんな話につき合わねばならない悲運を嘆いた。

 港の停泊している建造中の大型客船のダイヤモンドプリンセスにも灯りが灯った。

和尚様の顔にかすかな不安が走り、また突飛なことを口走った。

「最近、ウブメが港に紛れ込んで来るような気配を感じる」

 眼下の港は凪ぎ、平和である。

「遠い昔、興福寺の隠元和尚様が払って以来、影を潜めていたはずだが」と彼は付け加えた。ウブメと言うのは、海を漂う幽霊たちのことである。

「正体が解れば、手の打ちようもあるが」と彼は不安気に呟くのである。

「完成間近な船が一番、危ない」と独り言のように言いながら美しい船を眺めていたが、不安を打ち消すように和尚様は断言した。

「大丈夫だ。大丈夫だ。出港するまでに時間は少ない。ウブメも悪さは出来まい。この長崎の港から一度、航海に出た船は寺町の寺々に祭られた東洋の海神『馬祖神』だけでない。西欧の海神ポセイドンやビーナスにも守っている」

 彼は不安をうち消すように繰り返した。

 今日の和尚様はおかしい。変人ではあるが、今日は特におかしい。彼は躁鬱病患者で躁の状態に入ったのだろうか。和尚様は僕の心を見透かしたかのように言った。

「拙僧はいつも正常だ」

「そんな変なことばかり言っているとブラックリストに載せられますよ」

「拙僧は、昔、自衛隊で世話になった」

「だったら、なおさら危ない。元自衛官とブラックリストに書かれますよ」

 犯罪を犯した元自衛官の経歴をマスコミが報道する時に使う言葉である。カナダの軍隊がアフリカで救難活動した時に起きた支援物質を配る兵士たちが現地の娘たちをもて遊び、混血児が産まれたと言うスキャンダルが新聞誌上で報道されていた。

「それこそウブメの仕業だ」と和尚様は言い放つ。

「拙僧は彼らを敬愛している。不真面目な奴はどこにでもおる。だが彼らの大部分は誠実でまじめだ。放射能怪獣ゴジラが大阪に現れ、大阪城を破壊した時も彼らは勇敢に戦った。のっぽもちびも、デブも痩せていても勇敢だった。赤黒く日焼けした大きな顔に小さな鉄兜が印象的でもあった。彼らは放射能怪獣ゴジラがはき出す恐ろしい放射能光線をも恐れなかった。あの時から拙僧は敬愛と感謝の気持ちを一時とも忘れたことはない。拙僧の意志を受け継ぎ、人類救済の道を究めることができるのは彼ら以外にいない」

 映画の世界や幼い頃の体験、そして現実までが混ざり混沌としている。

「あれだけ大勢の隊員がいる。卑怯卑劣な輩もいる。一層、戦争を起こしてもらおう。これで人口問題解決のために、それがよい。昔から種族拡大、領土拡大のための近道だ」

 和尚様は勝手に独り言を言い続けている。

「国家の中枢の人物の夢の中に潜り込み、戦争を起こそうと企てようとでも言うのですか」

 僕は驚いて叫んだ。彼ならやりかねない。なにしろ彼は他人の夢の中に忍び混み、意志を自由に操る古代真言宗の秘技を究めている。

「宗教家たる和尚様が戦争などと言う言葉を軽々しく口に出すべきでない」と、ためにたしなめた。戦争などと言う言葉を安易に口にすべきでない。戦争という言葉自体を世界から抹殺すべきであると信じている。差別用語使用禁止で差別がなくなるのと同じである。

「カツ」

 和尚様の気合いの音声である。表情は厳しく引き締まってた。

「歴史と現実を直視しろ」と僕を怒鳴った。

「偽善者ぶるな。戦争を悪行と言い切れるか。遠く離れた地域の戦争なら愉快に思うはずだ。朝、新聞で遠い国で戦争が始まったと言う記事を目にする。君は内心でこれで当分、退屈せずに済むと喜ばないか。カメラマンたちが命がけで、しかもリアルタイムで映画のような場面を茶の間に提供してくれる。君は平和な居間でコーヒーを啜りながら、それを楽しむことが出来る。遠い国の戦争こそ興奮する見せ物だ。だが責める必要も恥じる必要もない。人間の本性だ。円形コロシアムの中で繰り広げられる殺戮を観覧し楽しんだローマ時代から人間の本性は変わらない。だから戦争はすべきなのだ。人口調整のために必要なんだ」

「和尚様こそ歴史を直視しろ。戦争で人口を減ったなどない」と僕は怒鳴りつけた。

 戦争で痛めつけられた民族は失った者たちを取り返そうする。遺伝子のなせる業か寂しさを感ずる人間故のせいか解らないが、戦争が終わると爆発的に人口を増えている。

 僕は次の和尚様の言葉を待ちかまえた。膝の上にあるパソコンは昔から自分の膝の上にあったように馴染んでいる。だが覚悟は出来ていた。もし彼が「戦争の後に人間は××××したいと言う気持ち働くようだ」などと人類を冒涜するようなことを言おうものなら、膝の上の最新式のパソコンを放り捨てる覚悟も、彼とは三界の果てまで縁を切る覚悟も出来ている。僕は耳を澄ませて言葉を待った。

「現実を直視しろ。色眼鏡を外し、素直に見詰めろ。不愉快な話でも耳を貸せ。食糧問題を解決するために葬式など不要だ。葬式などと言う儀式が消えて困るのは和尚様たち坊主たちだ。坊主などの小さな集団などの利益など無視する。人には安楽死の権利を与える。死者の亡骸は工場でタンパク質やミネラルなどに分解しビスケット状の食糧にし、若者に補給する。悩むことはない。自然界のウジ虫の力を借りて行う気の遠くなるような長い工程を人工的な力で短縮するだけだ。野蛮でも残酷でもない。仏の教える輪廻の速度を人間の手で速めるだけだ」

 アメリカの俳優であるチャールト・ヘストンが主演したソイレントグリーンと言う映画と同じ仕組みの未来社会を望んでいるのか。暴言に呆れて大きなため息が言葉と一緒に口を吐いて出た。

「地球環境、エネルギー、環境汚染、地球温暖化、食料問題などに根本にあるのは人口問題だ。人間の生き方や生きる目的や価値観に至るまで直結する問題だ。宗教でしか解決できない。避妊を許さないカトリック教の総本山のバチカンの教皇にも避妊禁止の教えを撤廃するよに働きかけよう。人類は地球以外では生きていけない」と和尚様は好き勝手な暴言を吐き続ける。

「勝手にしたらいい。僕には関係ない」と言い捨てた。勝手に喋らせておけば、言い尽くし、僕を解放してくれるに違いないと諦めた。

「人類は破滅の淵に向かって歩いている。時間を稼ぐしかない。人間は自然の中に埋没し、ひっそりと暮らす姿が人間の本来の姿だ。太陽光発電で照明を灯し、通信設備を整えれば大規模な自然破壊も回避できる。未開の地域でもコミュニュケーションを維持する通信と照明だけで十分である。旧約聖書では会話の途絶がバビロンの塔建設事業を失敗に終わらせ、古事記では天照皇大神の天の岩戸の洞窟に姿を隠し、闇夜の世界になったことで人々は困ったと書いている。自衛隊にお願いするしかない。未開の地でこの仕事をやり遂げることが出来るのは者は彼らしかいない」

 和尚様は自らの持論を主張し続けた。

退屈した僕は和尚様の持論に水を掛けた。

「本当に、自衛隊に出来るのですか」

 彼は自信を持って断言した。

「出来るはずだ。彼らに出来なければ誰に出来ようか」

「恨みがあり、官位上げを狙っているのでは」と食い付いた。

 官位上げとは平安時代の風習である。武力を獲得して台頭する武士を押さえるため、武力では叶わない公家が武士に高い位階を授け、宮殿に呼び出し、儀礼が疎いと言いがかりを付け、前で恥をかかせたる行為である。

「この期に及んで、拙僧がつまらぬ個人的な感情に縛られると思うか。拙僧は紅顔の美青年の頃から考えていた」と和尚様は激怒した。

 和尚様が紅顔の美小年の頃と言えば、学生運動の激しい時期である。和尚様と同じく自衛隊に期待を抱き、裏切られて割腹自殺を遂げた有名な小説家もいた。和尚様は彼の影響を受けたのだろうか。再び恐ろしい戦慄に襲われ、僕は叫んだ。

「和尚様も自衛隊を乗っ取る気で入隊したのか」

「新しい考えを持った遺伝子を彼らの世界に組み込みたかった」

 狂っている。

 あまりのことに僕は黙り込んだ。国家反逆罪や国家転覆罪は大戦前のまま今でも厳然と存在しているのでなかったか。和尚様のような望みを抱いたのは有名作家だけではない。人々の記憶から薄れ掛けてしまったが、オウムと言う宗教集団もあった。さすがに和尚様の前でオウム教団のことは口に出せなかった。

「彼らを柵の中から社会に出することは、彼らの信ずる数々の迷信や価値観を社会に蔓延させることにもなる。自由な言論を束縛、創造性の芽をつみ取り、階級社会、日本社会全体が戦前戦中のような恐怖社会になりかねない。もし、そうなったら責任を取れるか。ソウゾウリョク(想像力)を制約する不自由な社会では新しいソウゾウセイ(創造性)は生まれない。創造力を失った社会は衰退を迎えるだけだ」

「昔と柵の中の世界との精神構造も違うはずである。開明的になっているはずである。良識を信じるしかない」

「危険すぎる。彼に加担するのは御免だ」


 すでに多くの人々が憩いを求めて公園に集まってきている。和尚様も諦めたように見えた。ところが、突然、着衣を脱ぎ捨て、「よーか○○○○。よーか○○○○」とカラオケで聞くこともない古い春歌を大声で歌い、踊り始めたのであ。

 アーソレーと両手を大きく空中に振り上げ、同時に両足を大地から交互に上げ、見るも滑稽な格好で踊り始めたのである。彼の奇妙な振り付け踊りは、まるで途中で水中の魚を捕ろうとするようにドジョウ掬いの振り付けになるのである。

「よーか○○○○。よーか○○○○」

 そして僕の顔を覗き見て、脅迫するのである。

「言うことを聞くまで、止めぬぞ」と。

「幾ら修業しても駄目な、よーか○○○○。よーか○○○○。幾ら鍛えても言うことを聞かない、よーか○○○○。よーか○○○○」

 身体の動きにあわせて、彼のなえ切った○○○○はタヌキのそれのように空中をブランブランと揺れ始めた。周囲にはすでに多くの野次馬が周囲に集まっていた。取り囲む人垣で、その場を逃げ出すこともできなかった。

 日が暮れようとする時間帯だが蝉の啼き声が、けたたましく耳に響いた。周囲も急に明るくなった。

「とうちゃん、今年の夏は暑いからバルカン星人が異常発生するぞ」

 息子に大声で叫び返した。

「水を掛けて冷やせ。これだけのセミがバルカン星人に変身するとウルトラマンでもかなわない」と

 余談になるが、僕はウルトラマンの最大の敵はバルカン星人だと信じている。そのバルカン星人はザニガニのように見えるが、実はセミの仲間であり、ゴジラと同じく放射能により怪獣になってしまったのである。放射能の知らない息子はセミは自然にバルカン星するものと信じている。

 場面が急変し、周囲を囲む人たちのざわめきの中にいた。

「昔は人類の敵は放射能怪獣ゴジラだった。今は二酸化炭素怪獣だ。地球を救うためにM78星雲からやって来たウルトラマンとともに自衛隊にも戦ってもらわねばならない。活躍次第では彼らの悲願である防衛庁の防衛省への格上げなどと言うケチな話で済ませない。拙僧の祈祷で一気に二階級特進をさせ、地球防衛軍に格上げさせてやる。そのためには日夜、昼夜の区別なく、寝食も忘れ、祈祷に励もうぞ」

 和尚様は周囲の人たちに訴えた。そして人を集め、注意を引くために、なおも踊り続けた。

「それ、よーか○○○○」

「それ、よーか○○○○」

 周囲には物珍しげに集まった人々で黒山のなっている。ところが和尚様の下品な踊りは群衆の非難を浴び者など誰もいない。人々は洗脳されつつある。警官を呼びたい。

 滑稽で下品な踊りに野次馬は大きな拍手を浴びせるまでになった。賛辞の声さえ上がり始めた。

「身を犠牲にした、何と神々しいお姿。恥を△念仏を唱えながら裸で都の町を踊り、念仏を広げた一遍上人の生まれ代わりか。衣を取られた天女様の優美な舞のようだ。上半身裸体で座禅を組み人類の幸福のために黙想するお釈迦のお姿だ。人類の不幸を一身に背負い十字架に張付けにされたキリスト様の姿だ、彼は予言とおり再生したのだ」と人々は自分の思いを勝手に唱えた。

 僕の目には座禅を組み瞑想に浸る仏様を誘惑しようと試みる悪魔、キリストから粗末な着衣さえ奪いゴルゴダの刑場へ追送り込む極悪非道な断罪人である。このままでは生きている間、永遠のトラウマとして脳裏から離れることがない体験になってしまう。他人の心にトラウマを植え付けるのは、まるでオウム真理教の麻原と一緒ではないか。

「夢だ。夢に違いない。こんなことがあってたまるか」と叫んだ。

 踊る和尚様と自分の幼い息子の姿がめまぐるしく交差した。和尚様は意地悪い目で僕の動揺を盗み見した。彼の視線は、「どうだ参ったか。あきらめて公表すると言え」と脅迫していた。彼は僕が公表しますと宣言するまで止める気はないのである。僕は堪らず叫んだ。

「解りました。公表します」

 周囲に水を打ったような静寂が返った。

 そして周囲が明るくなった。息子が清流に入り、川の水を木立の中の蝉に一所懸命にかけている。すぐに画面が変わった。めまぐるしい変わりかたである。頬をなでる生暖かい風がスィッチになっているようである。頬を撫でていた生暖かい風が止んだと感じた瞬間に、夕暮の世界に戻ったのである。周囲の人々は去っていた。

 窮地に追い詰められた末の宣言だったとは言え、作品にする自信などないのである。

「閉塞感から現代の人々を救い出せるのは妄想の世界に生きる君たち小説家たちだけだ。未来永劫、人類がこの小さな地球から脱出することは出来まい。だが小説家は宇宙に行くことも地底に潜ることも宇宙人が地球に来る話でも、死者が生き返る話でも書ける」

「妄想などと言わず、せめて想像力と言って貰いたい。いずれも、このような無茶苦茶な話を小説にするのは不可能だ」と言い切った。

 和尚様は口元に不適な笑みを浮かべて言った。

「今までの会話を素直に小説にしてみろ。非常識を恥じるな。冗談と虚構の世界だ。昔の蟹工船と言う小説を書いたばかりに憲兵に睨まれて獄死をした小林多喜二のような目に遭う時代でもあるまい。猫が人間の言葉を語り人間社会の文明批評をすることも、子豚たちが集団農場を作り、農作業に勤しむことも書ける。これが小説だ。君が主張する売れる小説の条件が、拙僧の話にすべて網羅されているはずだ。セックス、暴力、戦争、おまけに神々しい天照大神まで登場して頂いた。これで作品が売れないはずはない」

 ひどい文学論である。いくら何でも短絡的でひどい勘違いだ。

「会話の内容を、すべて忘れた」と僕は白を切った。

 すると彼はポケットから小型のカセットレコーダーを取り出し、蓋を開けカセットテープを取り出して僕に手渡した。このテープは二人の会話を録音したものである。諦めるしかないと観念した。すると、けたたましいラッパとともに軍歌が鳴り響いた。

「おお、あれは、昔懐かし、進軍ラッパの音。宇宙船、地球号を救うためにがんばろう。いかん、軍艦マーチで妄想作家が目を覚ましてしまう。彼が目を覚ましてしまえば、元の身体にに戻れなくなってしまう。急げ。愛する姫を守るために風車に突進したドン・キホーテのように突ぱしれ」


 大音響に目が覚めた。すべてが夢だったのである。目の前をを国防色を施した政治結社の車が大きな軍歌を響かせ、通り過ぎて行った。熊本の江津湖のほとりの県立図書館の楠の根元に設置されたベンチに座っていた。これまでの和尚様とのことは、すべて夢だったと思いたかった。しかし手にカセットテープとレコーダが握りしめていた。

 冷たい清水が江津湖に流れ込む小川の中で息子は遊んでいた。彼は必死に木の上のセミに水を浴びせよとしている。夢の中で見た光景である。彼は「バルカン星人め、バルカン星人め。やつけてやる」と叫びながら、頭上の木の枝で啼くセミたちに水を浴びせようとしている。パンツも脱ぎ捨て、一糸まとわぬ露わな姿である。一瞬の白日夢だったにちがいない。息子は長崎からの旅の途中で荒尾にあるウルトラランドに立ち寄って以来、ウルトラマンが実在すると信じて疑わなくなっていた。夢から覚めきれず現実に完全に戻り切れない頭でボンヤリと後始末を考えていた。信じられない出来事が続きすぎている。手に小さなテープを握りしめながら、真剣に心療内科の受診を考えねばいけないと考えていた。

 夢の中でこの下品な物語が世間に騒がせることは万が一にもあるまいが、ペンネームを変えようかとも思った。妻に付けてもらった夏海惺と言うペンネームを捨てるのは残念だが、世間の非難の声から家庭を守るためにはやむを得ない。思い付くままに新しいペンネームを頭の中で連想した。夏目サトル、夏海漱石。夏目漱石と言うペンネームを思い付いた時、まだ出口のない迷宮に迷い込んでいると気付いた。日本名ではなく英国風のペンネームではどうだろう。最近では魔法使いを扱ったハリーポッターと言う作品が世界的に売れている。これを機会に運が向いていくるかも知れない。たとえばトマス・ロバート・マルサスなどと言うペンネームなどは素敵だと思ったが、考えることを止めた。馬鹿馬鹿しくなったのである。

 例の和尚様に一言の別れの挨拶もなしに、長崎を離れたのがまずかったのかと思った。

 大分の佐賀の関岬を経て、弘法大師にゆかりのある四国を巡礼するつもりだと言っていた。今頃、はるか阿蘇の内輪山の田園地帯を通り抜け、雄大な久住の草原地帯を通り過ぎ、湯布院の盆地から別府に向かう木々の緑の葉が生い茂る薄暗い峠道を越えている途中だろうと想像した。地球温暖化を案じつつ、熱風にも耐え、黒いアスファルト道路から立ちのぼる陽炎の中を黙々と、修行の道を歩いているに違いない。

 そんな妄想に駆られていると、雑木の枝をかき分けるようにして、黒装束に身を包んだ僧侶が姿を現した。傘をかぶっているせいで顔は見えない。彼は雲ひとつない青空を背負い僕の前に立ちはだかった。逆光に目を細め、座ったまま彼を見上げた。正面の狭い道を行き交う車の騒音も周囲を囲む木々に鳴く蝉の声でかき消されている。先ほど近代文学館で自分の身の上と哀れさを重ね合わせて鑑賞した放浪の俳人「種田山頭火」が目の前に姿を現わしたのではないかと錯覚を覚えた。

 僧侶が笠を取った。目の焦点が合うまで、しばらく時間をかかったが、慣れた瞬間に僕は奇声を上げていた。

「オーオー。和尚様」

 あの和尚様の顔が目の前にあった。

 彼がすでに熊本を通り過ぎていると思い込んでいるだけに予想外のことであった。懐かしさで思わず歓声を上げた。だが次の瞬間に、夢の中の出来事を連想した。

「僕の夢に入り込んだのですか」と叫んだ。

 僕の問いに彼は笑っていた。

「僕の夢の中に忍び込んだのですね」と問い詰めた。

 和尚様は他人の夢の中に潜り込み、操作するという秘技を使うのである。その秘技で断りもなく僕の夢の世界に入り込んだのである。

「君の眠りは浅い。いつ目覚めるとも限らない。それに薄目を開けて寝ていた。途中でバルカン星人がどうのこうのと意味不明なことを叫んだり、実に不健康で不安定な眠りだ」と、平然と失礼なことを付け加えた。

 他人の夢の中に入り込むなどとはプライバシー侵害も甚だしい。しかも、ひどく心をかき乱す夢だった。和尚様は人心の安寧を図る聖職者ではないか。僕は「くそ坊主」と叫んだ。

「一体、なぜ」

「去る前の君の意気消沈した姿が気になった。それで出発を遅らせて、君が新しい土地で落ち着くのを確認したかった」

「そんなことを聞いている訳ではありません。何故、僕の夢に入り込み、あのような下品な夢を見させたのですか」

「もちろん君に書いて貰いたいからだ」

 彼は表情も変えず、平然と答えた。

「あれが、和尚様の本当の姿ですか」

「そうかも知れない」

「呆れた。倫理や道徳、社会制度をも破壊しかねない危険な思想の持ち主ですか」

「そうかも知れない」

「とぼけた言い方は止めて下さい。無責任すぎる」

「いつから、このようなことを考え始めているのですか」と、僕は厳しく尋ねた。

「四十数年も前から」

 夢の中での言葉と同じである。

「危ない人だ」

 それ以外の言葉は思い付かない。

「小説がもとで、本山の高野山から破門されないとも限りませんよ」

 この指摘は、さすがに心に響いたようである。彼も内心では恐れていたのであろう。

「人類のためだ。世界のためだ。弘法大師様も許してくれる」

 根っから弘法大師に帰依しているらしい。家庭を持たない和尚様はいい。自分は仕事を失うことになれば生活も出来なくなる。幼い息子と妻を路頭に迷わせることにもなりかねない。文学界からも葬り去られることになりかねない。女性読者たちからは人格も否定され、反吐のように嫌悪されるにちがいない。日常生活でも冷たい視線と軽蔑を背中に背負い余生を歩むことになりかねない。

「息子たちの時代を考えてやれ」と和尚様は言い切った。視線は江津湖に注ぎ込む清流で一糸まとわぬ姿で水遊びに興ずる僕の息子を見ていた。


 この作品は自分が希望して世に出す作品ではない。和尚様との関係で強制的に追い込まれた。作品中に伏せ字が多くあるが、これ以上、芸術性を損ないたくないと言う作者のささやかな抵抗の証である。検閲などと言う物騒なことにも無縁である。作者の意図や内容を理解しようと真剣に読み込んだ真面目な読者諸氏に申し訳ないが、伏せ字の四文字の部分には勝手に自己の責任で想像できるかぎりの下品な言葉を組み入れて、読んで頂きたく思う。最後に伏せ字の部分については編集者と相談の上、印税から差し引いてあるので、後日、代金の返却要求があっても一切受けることは出来ないのでご了解願いたい。

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