干支選抜試合~ドッジボール編~

あさき れい

本編

 昼休みで騒がしい教室の後ろ、ひとり文庫本を読んでいた僕に、声をかけてくる男がいた。

「十二支を知っているか?」

 もう少しで犯人がわかるという良いシーンを中断し、声の主へと視線を向ける。彼は黒縁の眼鏡を光らせながら、にやにやと笑みを浮かべていた。

 悪友の言葉に、またぞろ何かいい加減な妄言でもほざくのだろうか、と僕は身構えた。

「まぁそう気負うな、臣苗(おみなえ)君。今回もとびきりタメになる話だから」

 そう言われ、疑わしい気分を全く断ち切れないまま、悪友――西園寺を見やる。眼鏡の奥に鎮座するその瞳には、冴えない面構えの僕が映っていた。

「昼休みももう少しで終わる。手短に話してくれるなら聞こう、西園寺」

「君の優しさには毎回涙が溢れて止まらないな。さて、何の話だったか」

「十二支だろ」

 舌の根も乾かぬ内に忘れてしまったらしい。

 西園寺は「ああ、そうだったそうだった」と言いながら、前の席に腰を下ろした。

「さて、この十二支、どういう由来で今のような順番になったのか知っているか?」

「確か……」

 中空を見上げながら、以前どこかで聞いた由来を口にする。「競争したんじゃなかったっけ?」

「うむ」

 と西園寺は頷く。

「有名な話だな、ひとつの説ではあるが。正解にしておいてやろう」

 なんと危険な。間違っていたらどうするつもりだったんだ。

「ひとつ、ということは他の説もあるんだな?」

 西園寺はまた「うむ」と頷く。

「ということは、僕は限りある時間を使って君に付き合っているわけだが、とても面白い由来を聞かせてくれる、ということでいいのか?」

「話が早い男は大好きだぞ、臣苗くん」

 そうではなく。

 早く文庫本の続きが読みたいだけだ。

 と、そんな理屈を捏ね回しでもすれば、目の前の男が意地でも僕の邪魔をしてくることは明白。数年来の付き合いから導き出した西園寺への対処法は、とりあえず付き合っていれば満足する、だ。

「この話を始める前に、まず君にひとつ聞こう。十二人で遊ぶスポーツは何だと思うね?」

 ふむ。

「ラクロス……とか? サッカーは十人だし、野球はもう少し少ない。後は陸上か」

「個人スポーツを入れるとは、君の孤立具合を象徴しているようで実に悲しくなるな」

「……」

 西園寺の的確かつ鋭い指摘に、さしもの僕も口を噤む他無かった。

「いや、すまない臣苗君。君を悪戯にいたぶるつもりは毛頭ないんだ。すまない」

「余計惨めになるからそこまでにしておいてくれないか? で、正解は何なんだ西園寺」

 西園寺は、「うむ、うむ」と二度頷いた。

「ドッジボールだ」

 ほう、ドッジボール。

「それはアレか。弱者を囲んでボールをぶち当てていたぶる、あの野蛮極まりない遊戯のことか」

「何やら実体験に基づいているような言い方だが、そうだ。わたしが思うに、十二支はドッジボールで決めたのだ」

 なかなかにエキセントリックな仮説である。

 西園寺という男、常から頭のねじが二・三本は軽く吹っ飛んでいると思っていたが、よもやここまでイカレポンチだったとは。

「何だその可愛そうものを見る目は。わたしは至って正常だ」

 憤慨した様子で言うものの、何を根拠に〝正常〟などとほざけるのか、いっそ聞いてみたい。

「まぁいい。常識というくだらないものに縛られた君を、僕が解き放つとしよう」

「是非そうしてみてくれ。ただし、これは実に強固な常識なわけだが」

 僕の言葉など、どこ吹く風。

 西園寺は自前で組み立てたであろう論理(ストーリー)を語り始めた。

「考えてみたまえ。鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪がどうして選ばれたのかと。彼らに対抗するものがいなかったのかと」

「いや、それがレースだったんじゃないのか? 競争して順位の早い奴らから先着順で」

「それは不公平じゃないか! それだと足の遅い亀はどうやっても十二支になれない!」

 玄武になってるから満足しているんじゃないかと、僕は個人的に思う。

「だからわたしはこう考えた。十二支の候補はふたつ以上あり、チーム別けされていたんじゃないかと」

「ふむ」

 つまり、西園寺はこう言いたいわけか。「全ての動物が、平等に十二支になるチャンスがあった、と?」

「そうだ。しかも競争などという一部にしか有利に働かない不公平なものではなく、立ち回り次第で逆転もできるスポーツで、だ」

 なるほど。

 ……面白くなってきたじゃないか。

 僕は身を正して、彼の言葉を聞く。

「十二支の順番は、脱落しなかった者から数えたと考えていいだろう。何しろ鼠は小さくてすばしっこい」

「猪だって動くと早いぞ。どうして猪からじゃないんだ?」

「直線だけだ。猪はせいぜい顔面セーフしか狙えん肉壁だ」

「なるほど」

 納得だ。確かに猪の方が遥かに狙いやすい。

 シミュレートしてみよう。僕が十二支を相手にボールを持っていると考えて――確かに視界を走り回る肉壁を真っ先に処分する。

「納得したという顔だな。では、次は犬だが」

 犬ならば、どうだろう。猪と違って軽やかに動くように感じるが。

「奴らはボールを見ると飛びつく阿呆だ。猪に当たったボールを咥えようとして失敗してアウトになったに違いない」

 一瞬、悪友は犬が嫌いだったかと勘繰りそうになったが、以前犬にマーキングされていたのを思い出し、納得する。

「では、鳥は?」

 鳥は飛んでいる。飛んでいるということは、すなわちドッジボールにおいて無敵と言っていい。

「エリア外に出てアウトだ。所詮は鳥。三歩も歩けば忘れる脳みそしか持っていないからな」

 もはや今の十二支がどうやって勝てたのか、僕にはわからなくなってきた。

「猿は相手に尻を向けてからかっていたら、ボールをぶつけられてアウトだ。ちなみにそれ以来、猿の尻はずっと赤い」

「無駄に神話っぽくするのをやめてくれ」

 子供が信じたらどうするんだ。

 西野園は続ける。

「羊はボールをかわしたが、羊毛にカスってアウトだ。実に惜しいな」

 その審判は目が曇っている。ちゃんと映像で判定できる装置を今すぐに導入すべきだと心から思う。

「馬はどうなんだ? なかなかに強敵じゃないか」

 僕の言葉に、西野園は神妙な面持ちで頷いた。

「うむ、うむ。それなのだ。馬に至っては弱点がまるで無い。早いし、小廻りもそれなりに聞く。ボールだって後ろ足を使えば威力の高いものが打ち出せる」

「……最強じゃないか」

 圧巻である。

 尻に当てられて真っ赤になる阿呆や、空を飛んで失格になった愚か者とは偉い違いだ。もうこいつひとりでいいんじゃないかと思えるチートっぷりに、僕が拍手を送ろうとした時、

「――が、所詮は馬だ。勝負の前、にんじんに仕込まれていた下剤が効果を発揮して棄権した」

「汚いな、相手!」

 そうまでして十二支になりたかったのか!

「次は蛇だ。こいつは厄介だ。何しろ細い」

 確かに、当たる面積が少ないというのは、ドッチボールにおいて有利なことこの上ない。しかし何故、生き残らなかったんだ?

 僕の疑問を読んだのか、西野園はにやりと笑みを浮かべ、

「蛇がとぐろを巻く理由を知っているか?」

「ん? それは周囲に注意を払うため――って、ああ!」

「合点がいったようだな。そう、ドッジボールとは、周囲から狙われるもの。即ち、警戒せねばならない。とぐろを巻いた蛇など、もはやただのオブジェ。仕留められるのは容易い」

「なんてこった……」

 とぐろを巻いてしまえば、体の細さなんて全く関係がなくなる。狙ってくれと言わんばかりになるだろう。

「じゃあ、龍は? 神聖すぎておいそれと狙えなさそうだが」

「そこが盲点だ」

「ふむ? というと?」

「考えてみろ。龍のあの貧弱な前足を。あれでドッジボールができると思うか?」

 いや、できないだろう。あんなの、球を持つだけで精一杯だ。ドラゴンボールのひとつくらいしか持てまい。

「ならば簡単だ。威厳だけの龍など、雑魚と同じ。むしろ大きい分、赤子の手を捻るより容易い」

「確かに龍は大きい。当てようと思えば簡単だろうな……」

 威厳だけの存在など、いざ挑んでみれば大したことがない、という良い実例か。

「次は兎だな」

「また当てにくそうなのが来たな」

 実際に想像してみる。

 兎は総じて警戒心が強い小動物だ。気性も荒い。後ろ足を使ったジャンプは逃げるのに適しているし、その跳躍力たるや、ボールを回避するに充分だろう。更にジグザグにも移動できる。回避だけで言えばその力たるや、最高レベルだ。亀如きでは足下にも及ぶまい。

「なに、簡単だ。枠の外に牝を置けばいい」

「………………は?」

 僕が絶句するのも無理なかろう。

 こともあろうに、こやつは兎の能力以外のものを持ってきたのだから。

 いや待て、馬もだったな、そういや。

「年中発情期の好色早漏兎など、ぬいぐるみでも容易く釣れる」

「いや、さすがにそれは無いんじゃないか?」

「わたしの知り合いの飼っている兎は、クッション相手に腰を振るぞ」

「……すまない、僕が悪かった」

 西野園は、わかればいいと静かに言った。

「虎はどうなんだ? はっきり言ってメチャクチャ強そうなんだが」

「確かに個体の強さでいえば、最強だろう」

 龍は――いや、語るまい。

「だが、所詮は個を好むもの。なあ、臣苗。数の暴力という言葉を知っているか?」

「充分すぎるほどに。僕がやりたくもないのにクラスの委員長をしているのも、それが原因だからな」

 じと、と諸悪の根源を睨み付けると、西野園は露骨に目を逸らした。どうやらこの男、僕を委員長に推薦したのをばっちり覚えているらしい。

「まぁ、そんな路傍の石よりどうでもいい話は置いておくとしよう」

「待て。僕にとってはどうでも良くないぞ」

「置いておくとして!」

 西野園は意地でも先に進めたいらしい。

「次は牛だ。まぁ、牛は肉壁だからな、語るものでもないだろう。どうせ突進しかできん」

「最後に簡単なのを残したってことか」

「そうなる。弱者を最初に間引けば、後に残った強い者が奮起してしまう。それでは、勝てる勝負も勝てなくなるからな」

 なるほど、道理だ。

「では最後の鼠だが」

 固唾を呑んで見守る僕に、西野園は言った。

「控え目に言って、負ける要素がないな。小さくて素早い。ボールを当てられる要素がまるでない」

 果たして鼠にボールが持てるのだろうかという疑問が頭をよぎったが、野暮というものだろう。何しろ十二支の中で持てそうなのが龍と猿しかいない時点で、僕たちの持つ常識は投げ捨てるべきだ。

「鼠が最後に残ったことで、今の十二支チームが勝利し採用されたわけだ。ちなみに相手チームで最後まで残っていたのは猫だ。だから、猫は鼠を見かけると恨み千万で捕食するわけだな」

「だから、めちゃくちゃな話に神話的な理由を持ってくるのをやめろ」

 ともあれ。

「なかなかに楽しかったぞ、西野園。良い暇つぶしになった」

 気がつけば昼休みも終わりになっている。

 僕は悪友に感謝しつつ、文庫本を机に仕舞う。

「それは良かった。ちなみに臣苗君よ」

「なんだ?」

 西野園は立ち上がり、捨て台詞を吐いた。

「その本の犯人は主人公の部下だ」

「……は?」

 停止することしばし。

 僕はあの悪友にドッジボールかの如く、消しゴムをぶん投げたのであった。



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