王女と異端の騎士
瀧野せせらぎ
第1話 放浪せし異端の騎士
グオォーーンッ
この世に存在しえない生き物の雄たけびが、空気を震わせて地を這う。
その咆哮を上げているのは異界から来た怪物だ。怪物は本能のままに暴れ、村は瓦礫の山と化す。
その中、わずかに聞こえてくる子供の泣き声。
「…ママ、パパ、たすけて…。こわいよぉ……」
子供は瓦礫の陰に隠れたまま恐怖で足がすくみ、逃げることも出来ずに村が瓦礫の山と化し、村人が怪物に食い殺されるのを見ていた。
強すぎる恐怖に、子供の心は壊れかけている。その証拠に、子供は泣き声を上げているものの涙を流していなかった。
ザッ、ザッ…、ザッ
「酷いな……。大丈夫か?」
新しく聞こえてきた音に子供は体を大きく振るわせ、空ろになった瞳を向ける。
「……でも、ないか。お前、名前は?」
ふと頬に温かい何かが触れた――瞬間、その温かさに子供の心が引き戻された。
瞳の焦点が合い、目の前にいきなり知らない男の顔が現れる。
「…えっ……?」
こんな場所に、人がいるはずがない。そう思っていた子供は、目の前にいる男の顔を見つめてしまう。
「だから、名前だよ。お前、名前は?」
目の前にいる男は、なぜこんな状況で自分の名前を聞いてくるのかわからなかった。
しかし、自分の頬に触れている男の手の温かさが、その疑問をどこか遠くへと追いやってしまう。
「…ユリス。ぼくのなまえは、ユリス」
名前を聞いた瞬間、目の前にいる人間の表情が和らいだ気がした。
「そうか、ユリスか…。怖かったよな」
言いながら、頬に触れてた手を移動させてユリスの頭を撫でる。
その手つきの優しさに子供は素直に頷いた。
「おれが何とかしてやるから、ここでじっとしてろよ」
そう言って、男はユリスの頭をポンポンと叩くと立ち上がった。
今、男はなんと言ったのか?
その疑問と驚きで、男の背中をただ見つめる。
男は旅人の衣装、フードつきのローブをその場に脱ぎ捨てた。
ローブの下に男が着ていたのは、上は半袖のワイシャツ、下は長ズボンという軽装。どちらも黒一色だ。
それを認識した瞬間、大きな地響きが起こった。
その発信源に目をやると、そこにはこの世ならぬ存在がいた。黒い体毛が体を覆い、頭部が骨のみの巨大な怪物。
そのおぞましさに、ユリスは再び体をすくめてしまう。
「…先に言っとくけど、おれは容赦しない」
言いながら男は腰に吊っている鞘から短剣を引き抜き、その切っ先を怪物に向けた。
その動作を見て男が怪物を倒そうとしていることに気がつき、ユリスは絶望の間際に追い込まれる。
たった一本の短剣で、あんな怪物を倒せるはずが無い。男は殺され、自分も――と、あきらめて決め付けた。
ガァーーッ
怪物が咆哮しながら男へ襲いかかるのを見て、ぎゅっと力いっぱい目を閉じた。次の瞬間、何かの液体が飛び散る音が聞こえてくる――はずだった。
「すらっ…!」
聞こえてきたのは、男の気合がこもった声と何かが空気を裂く音。
驚いて目を開けると、ユリスの視界に傷を負って蹲る怪物と無傷で短剣を構えている男の姿が映った。
いったい何が起こったのか、まったく理解できない。なぜ怪物が傷を負い、男は無傷で立っているのか――?
「――汝は鋼、冷たく堅牢なる者。汝は剣、全てを切り裂く者なり!」
男が言葉と共に短剣を振るった瞬間、白銀の閃光が迸って怪物を飲み込んだ。
怪物の地を這うような断末魔が響き、子供は体の奥底から揺さぶられて意識を失ってしまった。
光が収まると、そこには最初から何も無かったような静けさがあった。
「…さてと、終わったぞ……って、気絶しちまったのか?」
短剣を腰に下げている鞘に戻しながら男は振り返り、ユリスのぐったりとした様子に気がついた。近寄り、無遠慮に服を捲り上げたりして外傷が無いかを確認する。
「けがは無いみたいだな。……そろそろ騎士団が来るだろうし退散するか」
言いながら立ち上がり、脱ぎ捨てたローブを拾い上げて男は羽織った。そして、かつては村だった瓦礫の山の中を歩いて行く。
左手首に嵌められた銀色の腕輪を輝かせながら――
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