角砂糖(掌編小説集)
諏訪和哉
■角砂糖
よくそんな黒々としたものを飲めるものだ、と、不破は眉を寄せた。私からすれば、私の手元にある香り豊かな珈琲よりも、不破のホットミルクの方が健康に悪いと思われる。なにせ、彼は角砂糖を七つも八つも、その白い液体の中へ沈めたのだから。ソーサーに置かれたスプーンには、掻き混ぜても溶けきることのできなかった角砂糖の粒がいくつも薄茶色に光っている。
ところで、と、私は言った。
不破は、私の言葉を聞いているのかいないのか、判別つかない顔でホットミルクを飲んでいる。その様子がどうにも癪に触って、ごほん、と、ひとつ咳払いしてみせた。けれど、不破の視線はちらりとも此方に向かない。そればかりか、透明なビンに入った角砂糖に見入っているようにも見える。彼の興味を無理に引くことに諦めを覚え、私は溜息交じりに言葉を吐き出した。
「ところで、千夏は元気にしているのかい」
昔馴染の名前を出せば、不破はようやく私に視線を寄越した。そうして、すっと眸を細めた。それは幼いころからの不破の癖だった。あまり触れられたくないことに触れられたとき、彼はよくこうして眸を細めて、思案していた。
嗚呼、なにか不味いことでも訊いてしまっただろうかと私が思ったのと、不破が口を開いたのは同時だった。
「あれは、死んだ」
小さな声だった。けれど私の耳にははっきりとその声が聞こえて、心臓には細長い針が刺さったかのような痛みを覚えた。ひゅっと声にならない音が咽喉を抜けて、私はまずは落ち着こうと珈琲を一口飲んだ。
「…いつ」
「ひと月前に」
「…何故?」
「部屋で首をくくってた」
今度こそ、言葉を失った。いったい何を言えばいいのか分からない。そもそも不破がなにを言ったのかさえ理解できない。否、理解したくないのだ。頭の中で警鐘がぐわんぐわんと鳴り響いていて、それを紛らわすために、私は記憶の中にある千夏の姿を思い描いた。
最後に彼女に会ったのは去年の夏だった。
白い膝丈のワンピースからすらりと伸びる四肢は、雪のような白さを湛えていて日焼けなど少しもしていない。終ぞ、触れたことはなかったが、きっとその肌は柔らかく滑らかなのだろうと思った。そうしてぎらつく真夏の太陽の下で、まるで静かな夜に浮かぶ月のように控えめで美しい笑顔を浮かべていた。小さな唇から零れるように発せられる、耳障りの良い声が気に入っていた。あの声で名前を呼ばれるたび、心臓の奥がずくりともどかしく疼いたものだった。
「千夏は、不幸だったと思うか」
すっかり黙ってしまった私に、不破は問うた。私は、なにも答えなかった。
「あのとき、俺じゃなく、お前を選んでいたら。千夏は、まだ生きて笑っていたと思うか」
私は、やはりなにも答えなかった。答えなど、持っていなかった。
不破も私に答えを求めてはいなかったようで、なにも言わぬ私を責めることはない。その代わりに、テーブルの上のビンに手を伸ばして、角砂糖をひとつ取り出した。そうしてそのまま、とうに温くなったミルクの中にぽちゃりと落とした。不破はスプーンで以て二回りほどミルクを掻き混ぜはしたものの、二度とカップに口をつけることはなかった。私も、もう冷めた珈琲を飲む気にはなれなかった。
不破が死んだと便りが届いたのは、それからふた月後のことだった。
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