魔法少女の世話役人

種・zingibercolor

魔法少女の世話役人

●序章 絶望の果てと天使の羽


海に近いコンクリートの街は、一瞬にして瓦礫の山に変わっていた。

あちこちからうめき声が聞こえる。なぎ倒された建物の下からだった。あちこちから悲鳴が聞こえる。なぎ倒された建物の下敷きになるのを免れた人々が、生き残ることを許されず、襲われているのだ。

巨大な黒い蝙蝠が、何百頭も飛び回っている。頬を血や土埃で汚して逃げ惑う人々を、その赤い口で齧り取り、血飛沫を散らしている。

小山ほどの大きさの黒い蠍が、地面に陣取り、もはや走ることができなくなって転んだ人々を、次々とその鋏で断ち切り、血飛沫を散らしている。

土埃が立ち込める中、蝙蝠と蠍が湧き出るように現れるその中心には、街の中心だった巨大なタワーに比類する大きさを持つ生き物が、とぐろを巻いていた。

黒緑に光る蛇のような長い身体、山羊のような黒い角、蝙蝠のような羽、鰐のような赤い口。それは、物語の世界の、ドラゴンそのものだった。

そのドラゴンは、よく見ると右目が潰れており、右目の周りは鱗が剥げ、焼けただれていた。

瓦礫の山の一角が、突然白く光った。光の球体から、純白の翼が飛び出た。翼が羽ばたき、光の球体が宙に浮く。

宙に浮いた光が消え、現れたのは、純白の翼を背中に生やした、銀髪の少女だった。

白いレースをふんだんに散りばめたドレスに身を包んだその少女が、星の一つついた小さな白いステッキを一振りすると、彼女の体は一瞬ピンク色に光り、翼以外はまるで別の少女が姿を表した。

ピンク色の髮と色の目の、十代半ばの少女。ディアンドルのような服が、ただでさえ大きく張った胸をさらに目立たせている。彼女がステッキを掲げると、星の形の光が散り、そこから白い鳩が飛び出した。白い鳩は、何十羽も何百羽も何千羽も少女のステッキから湧き出て、一直線に人を襲う蝙蝠のほうに向かっていった。

白い鳩達に群がられた黒い蝙蝠は、人を襲うのを止め、応戦しようとしたが、無限と言っていいほど現れる鳩達に、徐々に数で押されていった。黒い蝙蝠の翼を、頭を、鳩達が嘴や爪で裂いて粉々にしていく。蝙蝠たちは断末魔を上げ、泡のように溶けて消えていった。

桃色の少女が、再びステッキを一振りすると、彼女は青い光に包まれ、やはり翼はそのままで、青い髮と目の少女になった。先ほどと同じように、十代半ばに見えるその少女は、剣道着に少し似た、けれどそれより胴と足の露出が多い格好をしていた。

青い少女が頭の上に掲げたステッキが、光を帯び、大の男でも持ち運びが難しそうな大剣に変わった。剣先が、地上で人々を食い漁る蠍に向けられる。

彼女が剣を思い切り振ると、巻き起こった空気が、風の刃となって蠍を襲い、その鋏を切り落とした。黒い体液が切断面から吹き出て、蠍は身じろぎした。青い少女のもう一振りが、蠍のもう片方の鋏を切断し、さらなる一振りが蠍の目の間に直撃した。蠍は声にならないうめき声をあげ、蝙蝠たちのように、泡のように溶けて消えていった。

眷属を何頭も屠られたためか、ドラゴンが青い少女の存在に気づいた。ドラゴンは唸り声をあげながら少女の方に顔を向け、大きな口を開けて少女に襲いかかり、彼女を噛み砕こうとした。

だが、青い少女は、ドラゴンの口が閉じられるその瞬間に紫の光をまとい、消えた。空振りに終わり、戸惑ったような動きをするドラゴンの背後に、再び紫色の光が現れた。

紫の光が消えて現れたのは、光と同じ髮と色の目をした十歳ほどの少女だった。ブレザーのような、だがそれよりもっと華やかな服をまとっている。

後ろを振り向いたドラゴンは、もう一度少女を噛み砕こうとしたが、紫の少女はステッキを降る度に、ドラゴンの眼前から消え、少し離れたところに姿を現した。

彼女を食い殺そうとするドラゴンと、現れたり消えたりを繰り返してドラゴンを翻弄する紫の少女。

冷静に見ている者がいれば、気づいたかもしれない。紫の少女が瞬間移動を繰り返す度に、ドラゴンが少しずつ移動していることに。

瓦礫の山から、青く広がる海の方角に、ドラゴンは少しずつ移動していた。海の前に広がる広い公園へ、青い芝生が広がる広場へ。

ドラゴンが芝生の近くまで来た時、少女はステッキを一振りし、緑色の光をまとった。

光の中から出てきたのは、緑の髮と目の、十代半ばの少女。東南アジアの民族衣装のように複雑に入り組んだ模様の服を着こなした彼女は、ドラゴンに向けてステッキを一振りした。

緑の少女を齧ろうとしたドラゴンの動きが、突如止まった。正確に言うと、動けないことにドラゴンが気づいた。ドラゴンは自らの胴体を顧みて、芝生から太い蔓が何本も伸び、胴体に絡みついているのを見て取った。

ドラゴンは振り払おうとその身を躍らせたが、緑の少女がステッキを降る度、芝生から太い蔓が湧き出るように現れ、ドラゴンの体のあちこちに絡みついた。その度にドラゴンは振り払おうとしたが、振り払われる蔓より、新たに絡みつく蔓の方が、圧倒的に多かった。

やがて、ドラゴンの尾にも首元にも蔓が絡みつき、ドラゴンはどんなに身をくねらせようとも、身動きが取れなくなった。

怒ったように雄叫びを上げるドラゴンの口の前まで、緑色の少女は純白の翼を羽ばたかせて飛んできた。彼女はステッキを一振りし、黄色の光に包まれた。

光が消えて現れたのは、黄色の髪に黄色の目をした十代前半の少女だった。彼女が右手に握り、左手を添えて構えるのは、大砲のように大きな銃。

ドラゴンの赤い口に向けて構えられたその銃口が光をはらみ、次の瞬間、耳をつんざくような爆音とともに、ドラゴンの頭は粉々に砕け散った。

ドラゴンの首から黒い体液が吹き出る。それを避けるようにして黄色の少女は地面に降り立ち、一瞬だけ白く光って、白いレースのドレスの、銀髪の少女に戻った。

彼女は、頭を無くしたドラゴンの身体を振り返って、つぶやいた。

「今度は、勝ったかな」

ドラゴンの体は、蝙蝠や蠍たちと同じように、泡のように溶けて消えていった。


●第一章 運命のルーレット


桜井マコトは、あまりテレビを見ない。

ここ最近、まともなテレビ番組はほとんどない。テレビに映るのは、お馴染みになった『魔法少女』と『悪魔』たちの宣伝番組ばかりだからだ。

ピンクや青や紫の色の髪と目をした魔法少女たち。フリルやレースが目立つ、カラフルな衣装をなびかせた彼女たちが、『魔法』で真っ黒なモンスター、『悪魔』と戦う風景。

『悪魔』は、彼女たちが振るステッキからくり出される魔法に、あるいは彼女たちのステッキから召喚される使い魔たちに攻撃され、やがて断末魔を上げ、泡のように溶けて消え去っていく。

昔のアニメでは、よくある風景だったのだろう。桜井の記憶の底にも、かすかに幼少時、双子の妹が見ているのを一緒に見た記憶がある。

昔と今とで違うのは、その魔法少女たちが、今は実写だということだ。

コスプレではない。特撮でもない。これは実際に起きている出来事なのだ。

だから桜井はテレビを見なくなった。この世の中、ただでさえ世知辛いのに、実在の人間が文字通り命を削る戦場など見たくなかった。

それが、何の因果か。

公務員試験に合格し、地元の県庁に入って五年。桜井が異動を申し渡された先は。

「環境局緑政部自然環境保全課特殊害獣駆除専門グループ?」

「そう。平たく言えばアレだ、悪魔を退治してくださる魔法少女様の世話役だ」

頭髪の量と体重の量が反比例している桜井の上司は、平たすぎる説明をした。

『悪魔』が世界中に現れて十五年。

最初は警察に保安局、自衛隊が出動し、何千人もの犠牲が出、ニュースは連日『悪魔』のニュースで大騒ぎだった。しかし対策が発見され、『悪魔』が災害から特殊害獣扱いになってからは、『悪魔』駆除の担当は、各都道府県の環境局ということになった。

通常の害獣駆除は、各都道府県の環境局に登録した狩猟者の仕事だが、『悪魔』駆除は環境局が管理する『魔法少女』の仕事である。

桜井は上司に聞いた。

「世話役……というと、彼女たちのバックアップ業務ということですか?」

「そうそう。『悪魔』駆除の立ち会いしたり、彼女らの魔力管理したり。あと、学者さんたちと協力して『悪魔』と魔法少女の調査したりな」

それを聞いて、桜井はため息をついた。

「本来、調査や研究にはそれ専門の人員を雇うべきではないでしょうか……いえ、異動先に文句を言うつもりではないのですが」

「俺もそう思うけどな、ヒトもカネも足りないのが役所だよ。まあ頑張れ」

「……微力を尽くさせていただきます」

「ま、異動先、お前の同期の日向がいるから、いろいろ教われ、な?」

上司は慰めるようにそう言ったが、桜井は複雑な心境だった。

魔法少女に馴染みがないわけではない。馴染みがないわけではないが、彼女らの近くで働くことは、できれば避けたかったのが本音だ。

どうしたって、思い出してしまう。双子の妹のことを。



     *     *     *



【私はルーレットを回しません】

【私はルーレットを回します】

【どちらかに丸をつけて下さい】

そんな項目が、生命保険証の裏、臓器提供の意思を問う項目の下に追加されてから、何年経つだろう。

厚生労働省の調査では、【回しません】に丸をつけた人間が圧倒的多数だったそうだ。命が助かり、どんな怪我も病気も治り、十代にまで若返ることが出来、元の顔よりも美形になると言っても、その代わりに『悪魔』と戦わされる羽目になるのでは、割に合わないからだろうか。

もっとも、ルーレットの恩恵に預かれるのは、人間のうち半数、つまり女性に限るのだが。

夜、桜井が一人暮らしのアパートに帰宅すると、さっそく異動先の同期、日向真澄からLINEが来た。おそらく、桜井の異動のことを、彼女も今日聞いたのだろう。

<まこっちゃん元気?>

同期の仲ではあったが、桜井は彼女が苦手だ。

美人で有名な彼女ではあったが、桜井は、彼女の性格も、彼女が好む物も苦手だった。初対面の相手でもぐいぐい距離を狭めてきて、下の名前で呼んでくるような人間と、桜井は正反対の性格をしていたし、桜井は酒もタバコも駄目だが、日向は酒豪の上、喫煙者だからだ。

どう返信していいか、桜井は迷ったが、結局、一番気になっていることを聞いた。

<そっちの魔法少女って、どんな子達かな?>

 すぐに返事が来た。

<基本はいい子ばっかだよ。あたしの三倍以上年上の人もいるけど>

『基本は』という文言を見て、櫻井は眉をしかめた。

<応用的には? 基本は、って但し書きがつくと、たいてい応用が駄目な気がする>

<応用しても、たぶん大丈夫だって!>

<たぶん、が余計だよ。そっちの仕事って、悪魔駆除の現場に出るよね?>

<出るけど。悪魔駆除した魔法少女の記録とか、あとデータ取りとか。でも全然危なくないよ、うちの子達、基本強いし!>

<だから基本が余計だよ>

自分の返信に既読がついたのを確認して、桜井は携帯を充電器に置いた。

酒呑みの日向は宵っ張りだが、桜井はそうでもない。明日も早いのだ。



*     *     *



眠りは夢を、夢は過去を引き連れてくる。桜井はその夜、久しぶりに双子の妹の夢を見た。

『やだよお、行きたくないよお、マコトちゃん』

四歳の妹は、ぐずりながら泣いていた。涙に濡れたつぶらな瞳は、黒曜石のようだった。そう、四歳のときの妹の目は、まだ黒かったのだ。

あの時、『代わりに行く』と答えなかったら。

いつまでも子供が出来ない伯母夫婦のもとに、養子として代わりに行くと答えなかったら。

妹を生家に残さないでいたら。

妹の運命は変わったかもしれないのに。

『あのね、決めたの。魔法少女になる』

十三歳の妹の声がした。電話越しに聞いた声だった。

『魔法少女になれば、あの家から出られるし、お金だって手に入るもん! 中学校にはもういけなくなるけど……いつか悪魔がいなくなれば、稼いだお金で高校にも大学にも行けるかもしれない!』

それは公衆電話からの声だった。

妹は、携帯電話すらも買ってもらえない暮らしをしていた。激務で体を壊して職をなくし、あっという間に酒浸りになってしまった父と、その父から娘を連れて離れる勇気を持てなかった母のもとで、妹は中学校にもろくに行けない暮らしをしていた。

『マコトちゃん! 見て! 私、もうなにも怖くない!』

十四歳の妹は、真紅のドレスを着ていた。真紅の目と髪をしていた。それを見た時、妹の髪も目も、もう二度と黒には戻りはしないことを、桜井は悟った。

妹が手にした真っ赤なステッキには、星が五つ付いていた。妹が、政府に研究機関に、そして何よりも『悪魔』駆除の現場に引っ張りだこにされた原因が、その星だった。

『お母さん、お父さん、マコトちゃん……』

妹の最期の言葉は、それだった。


目覚ましの音で、桜井は目を覚ました。

嫌な夢だった、と桜井は思った。やはり、魔法少女なんて、関わりたくない。

けれど、宮仕えの身としては、辞令に逆らうわけにもいかない。桜井はため息を着いて、ハンガーに掛けたスーツを手に取った。



*     *     *



「いやー、月日が流れるのは早いねー、まこっちゃん! もうまこっちゃんが異動してきちゃった!」

あけっぴろげな笑顔を見せる日向を前に、こんなに早く来てほしくはなかった、と桜井は心のなかで呟いた。

モデル並みの美女と同じ部署というだけで、うらやましがる人間はうらやましがるのかもしれないが、桜井はタバコ臭が嫌だし、魔法少女に関わるのはもっと嫌だった。

特殊害獣駆除専門グループ。『悪魔』たちの駆除に関わる、まだ歴史の浅いグループ。魔法少女たちを管理するためのグループ。

桜井の地元の環境局で管理されている魔法少女は、五人だった。

桜井は日向に言った。

「日向さん、こういうところでは名字で呼んでほしい。一応、仕事なんだから」

それを聞いて日向は、整った眉をひそめて、大げさにため息をついた。

「お固いねえ、相変わらず」

「固くて結構。魔法少女の人たちにも、丁寧語で行くよ。資料で見たら、ものすごく年上の人もいるじゃないか」

「あたしらのおばあちゃんより年上だよね、九十代といったら」

「テレポーターの人だね。堂本さんだっけ?」

日向は桜井の背中を強く叩いた。

「さっすが同期一の秀才! 資料頭に叩き込んでるじゃん!」

「それくらい、ちゃんと見るに決まってるじゃないか」

桜井は、背中をさすりながらぼやいた。

資料に添付されていた写真にあったのは、せいぜい十代前半から半ばまでの、可愛らしい少女たちの姿だった。だが、実際の年齢は千差万別だ。この部だけでも、下は六歳、上は九十二歳までいる。

年上への口の利き方なら、上司たちへのお酌である程度は慣れているが、六歳の子供にどう接しろというのか。丁寧語で接すると啖呵を切ったが、却って甜められやしないか。桜井は内心、ため息をついた。

日向が明るい声で言った。

「まず、グループ長に紹介するね。亀田グループ長、まこっちゃ……桜井さんを連れてきましたー!」

日向が『特殊害獣駆除専門グループ』と書かれたドアを開けると、恰幅の良い中年男性が、デスクの向こうにいた。

「ああ、ご苦労、日向くん。君が桜井く……」

桜井を見て、亀田グループ長はぎょっとした顔をした。

……やはり、似ているか、と桜井は思った。双子の妹に。最強と呼ばれた魔法少女に。

とは言え、こんなことで時間を無駄にしても困る。桜井は、とっとと説明することにした。

「初めまして、桜井と申します。敷島美琴は、自分の血縁上の妹です。本日より、よろしくお願いいたします」

桜井がそう言うと、亀田部長の表情はわずかに和らいだ。

「……あ、ああ、そうかい……驚いたな。そうか、君が来るとは……何かの縁かな」

「星五つの魔法少女の顔は、やはり有名なのでしょうか?」

亀田は頷いた。

「有名だよ。彼女のお陰で『魔力』の概念が見直されたと言っていいんだから」

日向が桜井の方を向いて首を傾げた。

「何? どうしたの?」

説明するには、あまりにも長い時間が必要になる。正直、そんな時間は取りたくなかった。

「何でもないよ。魔法少女の人たちにも、紹介してもらえる?」

「ああ、うん。みんな、あっちの待機室にいるよ」

「資料で、顔と名前は覚えたんだけど、それで大丈夫かな」

「十分すぎるって! あ、でも、資料だけじゃわからないこともけっこうあるからねー」

そう言って、日向は『待機室』と書かれた部屋のドアを開けた。

ドアの向こうには、目が痛くなるほどカラフルな色の髪をした少女たちがいた。

染めているのではない。彼女たちは元からこの色の髪なのだ。『ルーレット』を回し、魔法少女になったその時から。

日向が大きな声で挨拶した。

「おっはよう、みんな! この人、今日から新しく配属になった桜井ちゃんだよー!」

名字で呼べとは言ったが、これではあまり意味がない、と桜井は思った。それでも桜井は姿勢を正し、出来るだけ礼儀正しく聞こえるように口を開いた。

「おはようございます。今日から皆さんのお世話をする事になった、桜井と申します。よろしくお願いします」

そう言って、桜井が頭を下げかけた時、サイレンが鳴った。

『悪魔』出現を知らせるサイレンだった。



     *     *     *



亀田が待機室に入ってきた。

「堂本さん! 小型の『悪魔』一頭です、座標スマホに送りました! テレポートの準備を!」

紫の髪と目を持った少女が、返事をするように右手を上げた。

「はいはい、今見たよ、いつでも行けるよ」

亀田は日向に声をかけた。

「日向くん、ついでだから桜井くんも一緒に現場に連れて行ってくれ」

日向が片手を上げた。

「承知いたしましたー!」

紫の髪の少女の小さな手が桜井の手を握り、引き寄せた。

「じゃあ桜井さん、私の近くに来てね」

桜井は、頭に叩き込んだ資料に、せいぜい小学生程度にしか見えないその少女の顔を照らし合わせた。

堂本蘭、九十二歳。半径五メートル以内の物を、自身とともに自在にテレポートする能力を持つ。『悪魔』と戦う能力は全くと言っていいほどないが、テレポーター故に、『悪魔』出現地に最速で到達するには、非常に有用な魔法少女とのことだった。

蘭が声をあげた。

「くるみちゃん、凪ちゃん、みなみちゃんもおいで。あずさちゃんは……今回はどうしようね、グループ長?」

「一応連れて行って下さい、すでに汚染されているかもしれないので」

「わかったよ」

黄色、ピンク、青、緑、様々な髪の色をした少女たちが、次々に蘭の周りに集った。

黄色の髪の少女が、桜井に向かって頭を下げた。

「春日くるみ、です、よろしくおねがいします」

それに続くように、少女たちが次々に頭を下げた。

「百神凪でぇす!」

「えっと、河嶋みなみ、です。よろしくおねがいします」

「中森あずさです。今回お役に立てるかわかりませんが、よろしくお願いするわ」

日向が手を叩いた。

「じゃ、テレポートよろしく、堂本さん!」

「はいはい」

蘭の右手が一瞬強く光り、光が消失した後には、彼女の髪と同じ、紫色のステッキが握られていた。月の意匠が様々に散りばめられたそれには、資料にあったとおり、大きな星のマークが一つ、ついていた。

「じゃ、行くよ!」

蘭がステッキを一振りした瞬間、桜井の視界は入れ替わった。

白い壁紙が貼られた部屋から、黒い煙が立ちこめる町中へ。



     *     *     *



街中を飛び回るそれは、一見、蝙蝠のように見える。

だが、蝙蝠はここまで大きくない。大の大人ほど大きくはないし、昼日中に出現したりはしない。黒い煙をたなびかせて飛び回ったりはしない。

黒い口から真っ赤な舌を覗かせながら、昼日中に人間を襲ったりはしない。

小型に分類される『悪魔』であることは、確かだった。

蘭が、ステッキを回しながら言った。

「あたしはここまでだよ。後はみんなに任せるよ」

黄色の髪の少女が、日向に聞いた。

「サイレンが鳴ったってことは、避難、始まってますよね?」

「うん、始まってる」

「じゃ、ちょっと音大きくても大丈夫ですね?」

彼女の右手が光り、現れたステッキを一振りすると、ステッキ―――星が四つついている―――は、大砲のように大きな銃に変わっていた。

桜井は頭の中で、頭に叩き込んだ資料の内容を再び思い浮かべた。

春日くるみ、二十一歳。見た目はせいぜいローティーンだが、この部で管理している魔法少女の中では、一番の強さを持つ魔法少女だ。大型の『悪魔』にまで対応できるのは、この中では、彼女だけだろう。

くるみは銃を構えようとしたが、何故か青い髪の少女に阻まれた。

「星四つの人がお出にならなくても大丈夫だから。私がやれる」

河嶋みなみ、十四歳。この中では珍しく、見た目と実年齢が一致している魔法少女だ。くるみほどの強さを持つ魔法少女ではないが、彼女のステッキから放たれる衝撃波は、中型の悪魔にも十分対応できるとのことだった。

みなみがステッキを一振りすると、それは大の男でも持ち運びが厳しそうな大剣に変わった。その剣の束に、星が三つ着いていた。

くるみが忌々しそうに舌打ちした。

「意地を張らないで下さい。星三つなのに。私がやります」

「私の剣を甘く見ないで! 私がやる!」

険悪な空気が漂う二人を、ピンク色の髪の少女があわてて制した。

「あー、ケンカしないでよぅ。せっかく魔法少女になったのにぃ」

彼女が持つピンク色のステッキには、星が二つ。

百神凪、六歳。と言っても、ぼんっと張った胸ときつく締まったウエストのおかげで、見た目は実年齢より十歳ほど大きく見える。対『悪魔』戦に駆り出される魔法少女としては、彼女はこの中で一番弱い。だが、使い魔を無限と言っていいほど召喚できるため、小型の悪魔なら物量で押すことが可能ということだった。

戸惑う桜井を見て、緑色の髪の少女が耳打ちしてきた。

(あの二人、あんまり仲良くないのよ。気をつけて見てあげてね、桜井さん)

中森あずさ、三十四歳。見た目は実年齢の半分以下だが。彼女も堂本蘭と同じく、対『悪魔』戦の能力はまったくと言っていいほどない。しかし、植物を自在に操り、どんな土地でも浄化する事が可能なため、『悪魔』が汚染していった後の土地の始末に駆り出されているとのことだ。

そしてあずさは、くるみとみなみの方を向いて怒鳴った。

「ちょっと二人共、私と違って積極的に攻撃できるんだから、さっさとやりなさいよ!」

その声を聞いて、みなみとくるみは渋々と言った様子で離れた。すると、日向がいいことを思いついたというような顔で、ポンと手を打った。

「みんな、魔力に余裕あるよね? せっかくだから、桜井ちゃんにみんなの魔法、直接見せたげてよ」

それを聞いて、桜井は眉をしかめた。

「魔力の無駄遣いはよした方がいいよ、いくら小型とは言え、魔力が切れたら……」

「平気平気! いけるいけるー! みんな、やったげて!」

日向はお気楽な調子で言った。桜井は、日向のこういう深く物事を考えなさそうなところが好きではない。それに、平気、と言われて、まったく平気でなかった例を、桜井はよく知っている。

凪が、ピンク色のステッキを持った手を上げた。

「じゃー凪やるぅー!」

「じゃ、最初に凪ちゃんよろしく!」

凪がステッキを振ると、ステッキから真っ白な鳩が何羽も、湧き出るように現れた。

「みんな、行っちゃってぇー!」

彼女の声に従うように、鳩達は一斉に『悪魔』に襲いかかった。鳩達の嘴が、爪が、『悪魔』の翼を切り裂く。『悪魔』は翼を振り回したが、次々と群がる鳩達に押され、その動きはかなり緩慢なものとなっていった。

みなみが剣を構えた。

「河嶋、行きます!」

彼女が気迫を込めた叫び声をあげ、思い切り剣を振ると、その剣が巻き起こした風が刃となって、『悪魔』に襲いかかった。

『悪魔』は黒い血飛沫をあげ、苦しそうな雄叫びを上げた。

くるみが再び銃を構え直した。

「じゃ、春日、参ります」

銃口が光をはらみ、次の瞬間、鼓膜が破れるかと思うような銃声が辺りに響き渡った。

思わず目をつぶった桜井が、目を開けると、そこには空中で粉々に砕け散り、泡のように溶けて消え行く『悪魔』の破片があった。

みなみが不満そうな声を上げた。

「私だけで十分やれたし! 星四つが出なくても!」

くるみが銃をステッキに戻しながら反論した。

「日向さんがみんなの魔法を見せてあげてと言ったでしょう。やれるやれないの問題じゃないです」

また険悪になりかけた二人を、今度は日向が制した。

「そうそう、あたしが言ったからくるみちゃんがやっただけだってー。あ、あずささん、悪魔が汚染した所の後始末お願いします」

「はい、やりますね」

あずさが星一つついたステッキを振ると、『悪魔』が通ってきたと思しき道―――街路樹の葉が全て黒くなって萎れている―――が、みるみるうちに緑になって回復していった。

あずさは日向の方を振り向いた。

「枯れてる木は治したけど……他にも汚染地域があるかもしれないわ。どうする? 日向さん」

「今は目に見える所だけで大丈夫ですー。あとは報告が上がってきたら、一つ一つ治して行けばいいから」

「わかったわ」

指示を出し終えた日向は、ぼーっと見ていただけの桜井に、ウインクしてきた。

「ね、資料だけじゃわかんないこと、けっこうあるだろ?」

たしかに、そうかもしれない。特に、春日くるみと河嶋みなみの仲の険悪さ、とか。



     *     *     *



『悪魔』。

『魔法少女』。

どちらも、十五年前、忽然と現れた概念である。

十五年前のある日、突如として現れた隕石(と言っても、初めて観測されたのがぎりぎり大気圏外であるため隕石とされているだけで、突如として現れた大量の岩と言ったほうが正しいのだが)が、世界中に降り注ぎ、あちこちに事故や火事を起こしたその日から。

これまで発見されたどの生物にも該当しない黒色の生物が、人間を襲うようになった。

見た目だけは、蝙蝠、黒山羊、鴉や蠍に似ていたが、大きさが段違いだった。いずれも、人を襲い、食い殺せるだけのサイズが有るのだ。それに、蝙蝠や蠍や鴉は、その移動した地域を汚染して二度と草木が生えない荒地にはしないし、人だけを狙って襲うこともない。

その黒色の生物に、既存の兵器は何も効かなかった。銃弾もミサイルも爆弾も、その生物の数メートル手前で、それまでの推進力も何もかも失って、消失してしまうのだ。

核兵器を使った国もあった。結果としては、その生物を中心とした数キロメートルは、放射線も爆風も、何もかも無効だということを証明しただけになったが。

世界中で何十万何百万もの人間が食い殺されるだけの中、様々な形を持つその生物たちは、いつしか、まとめて『悪魔』と呼ばれるようになった。

一方。

『悪魔』らと関係がありそうだが、どう関係しているかまったくわからないとされていた存在として、『ルーレット』があった。

こちらもまた、隕石が落ちたその日から、隕石の下から大量に発見されるようになったものだった。もっとも、それを進んで回すものは誰もいなかったが。

そのルーレットの裏にはいずれも、地球上で最も使う人間が多い言語で、こう浮彫りしてあったのだ。

Those who spin this roulette Abandon all hope.

<このルーレットを回す者はすべての希望を捨てよ>と。

そのルーレットは、様々な色で塗られていた。赤、緑、黄色、青、紫、白、オレンジ、ピンク……。ただし、色分けしかされておらず、文字らしきものは浮き彫り以外、全くと言っていいほどなかった。その色の意味がわかったのは、ある女性研究者が、興味という名の誘惑に負けて、ルーレットを回した時である。

彼女は光に包まれ、一瞬にして十代の少女になってしまった。ルーレットの針が指し示したのと同じ、鮮やかなオレンジ色の髪と目を持ち、オレンジを基調とした華やかな服を着た少女に。

同時に現れた、星が三つついたステッキの用途は、最初はわからなかった。わからなかったが、その研究者が所属していた研究所に『悪魔』が襲来した時、初めてその驚くべき力が判明した。

ごく小型の『悪魔』に襲われた彼女が、無我夢中で振り回したステッキから出た炎は、核でさえ焼くことができなかった『悪魔』を、初めて焼き尽くしたのだ。

そこからルーレットの、そしてルーレットを回した者の研究は急速に進んだ。あらゆる国が、競争するように、あらゆる志願者にルーレットを回させた。そしてわかったのは、次のことだった。

ルーレットを回した人間は、どんな怪我も治り、どんな病気も治り、どんなに老いていても、せいぜい十代の若さになる。

若返るだけでなく、見た目が元の人間を基調としながらも、さらに整った目鼻立ちになる。

ルーレットが指し示した色の目と髪を持つようになる。

『悪魔』に対して、ステッキについた星の数に比例する攻撃力―――魔法―――を持つようになる。

魔法は、質量保存の法則も、エネルギー保存の法則も無視している。

魔法は、悪魔に対してのみ有効で、人間を傷つけることはない。

ただし、ルーレットの恩恵を受けられるのは、性染色体がXX、つまり女性に限ることも、同時にわかった。

彼女らは、対『悪魔』兵器として賞賛された。そして、桜井の妹の死によって、『魔力』の概念が重要視されるまで、馬車馬のように使い回された。


●第二章 ルーレットは操れない


特殊害獣駆除専門グループの主な仕事は、魔法少女の管理だ。テレポートで対悪魔戦の現場に急行した魔法少女たちを環境局の待機室まで送ることも、魔法少女の管理に含まれる。

悪魔が出現したわけでもないのにテレポートは使えない。魔法少女の魔力は貴重なのだ。公共交通機関も使えないことになっている。人の多いところには、悪魔駆除以外では連れて行ってはいけない。彼女らを狙う人間は、多いのだから。

避難警報が解除されて、人々が徐々に街中に戻ってきた。タクシーがつかまらなかったので、桜井は近くで借りたレンタカーに乗って、日向と魔法少女たちの元に戻ろうとしていた。

桜井が魔法少女たちを見つけて車を停めると、日向がやばい、というような表情で何かを隠すのが見えた。

隠さなくても、紫煙をあげるそれが何かは、すぐわかったが。

櫻井は、咎めるように言った。

「日向さん、勤務中。タバコ休憩を勝手に取らない。あとここ、歩きタバコ禁止」

日向は、いかにも残念そうな表情をした。

「いいじゃーん、ちょっとくらい。固いこと言いっこなし!」

「よくない。言われた通り、レンタカー二台借りてきたけど、ワゴン一台でよかったんじゃ……」

そう言う桜井の肩を軽く叩いて、日向はそっと耳打ちしてきた。

(くるみちゃんたちはあたしの車に乗せるからさ、まこっちゃんの車にみなみちゃん乗っけてよ。ついでに堂本さんも)

(そこまで仲悪いわけ? あの二人)

(まあ頭が冷えるまで、さ。よろしく)

日向はもう一度桜井の肩を叩き、桜井の手からもう一台のレンタカーの鍵を取って、

「くるみちゃーん、凪ちゃーん、あずささんはこっち! 私が運転する車に乗って下さい!」

と魔法少女たちに向かって叫んだ。

酒とタバコにだらしないくせに、こういうところには気が回る日向の要領の良さが、桜井は本当に好きではない。真面目しか取り柄がない人間の僻みであることは、重々承知しているが。

とは言え仕事の一環であり、あの二人は離しておくほうがいいのは確かだろう。桜井も魔法少女たちに向かって言った。

「河嶋さん、堂本さん、こちらの車にどうぞ」



    *    *     *



車に乗っても、みなみの腹はおさまらないようで、ぶつくさ文句を言っていた。

「ほんとムカつく! 私だってちゃんと悪魔を倒せるのに、星四つばっかり戦果持ってって!」

桜井は、彼女に聞こえないようにため息をついた。

十四歳の彼女には、二十七歳の大人としてフォローが必要なのかもしれない。桜井はできるだけ当たり障りのない言葉を口に出した。

「あなたはとても強かったと思いますよ。出来高払いの面がありますから、不満なのはわかりますが」

魔法少女たちの受け取る金額は、通常の害獣駆除の報奨金に準ずる。悪魔駆除のために出動した者に活動報奨金が、駆除した者にはさらに駆除報奨金が支払われることになっている。

通常の害獣駆除では、害獣の尾などを証拠として提出することになっているが、魔法少女の場合は、悪魔駆除に必ず特殊害獣駆除専門グループの職員が同行するため、職員が駆除した魔法少女を確認し、その魔法少女に報奨金を出すことになっている。

みなみは、桜井の言葉の後半にのみ反応したようで、さらに頬を膨らませた。

「そう! そうなのよ! なのに私より射程が長いからって、いっつも星四つが取っていって!」

あまりフォローにならなかったのがわかったので、桜井は話をスライドさせる作戦に出た。

「今回くらいだと、皆さん魔力はどれくらい消費しているんです?」

ミラーに映るみなみが、きょとんとした顔をした。

「え? えっと、みんな十分の一くらいかな。半日で回復するくらい。あ、星四つは魔力の無駄遣いばっかりだから、丸一日かかる」

ミラーに、苦笑する蘭の姿が写った。

「あたしはおばあちゃんだから、もっとかかるよ」

「年は関係ないって講習で受けたじゃない! それに堂本さんは若いってー! まだまだ現役でいてくれないと困っちゃう!」

桜井は運転しながら計算した。では、さっきの悪魔が一度に十体は来ないと、彼女らの魔力は枯渇しないわけか。

彼女らが担当するこの県では、悪魔は半月に一度出るか出ないかだ。日向に、魔力の使いすぎをたしなめるようなことを言ったが、たしかにそこまで考えなくとも大丈夫だったかもしれない、と桜井は思った。



*     *     *



『魔力』とは、魔法少女が魔法を使う度に消費する『何か』である。消費量は魔法少女によるが、ステッキについた星の数、つまり悪魔への威力に比例すると言っていい。簡単にいえば、悪魔に対して弱い魔法少女ほど燃費がよく、強い魔法少女ほど燃費が悪い。

魔力を使い果たした魔法少女は、当然のことながら魔法が使えなくなる。対悪魔戦への能力を持たなくなる。

よって、魔法少女たちは、魔法少女になってすぐ行う、魔力量の検査(と言っても、同じ魔法を何度も使って、そこから消費魔力量と全体の魔力量を割り出すだけである)以外では、魔力を使い果たすことが禁止されている。

魔力切れが禁止されている理由は、それだけではないが。

否応もなく双子の妹のことを思い出し、桜井は舌打ちしたい気持ちになった。魔力を使い果たした魔法少女が、それでも魔法を使おうとすると……。

妹が魔法少女になったのは、みなみとそう変わらない歳、十三歳だった。だからというわけではないが、自分が担当する魔法少女たちには、出来るだけ魔力に余裕を持ってほしいと桜井は思っていた。

その時、桜井のスマートフォンが震えだした。一瞬すぐに出そうになったが、運転中だった。桜井はなるべく急いで道路の脇に車を停め、まだ震え続けている電話に出た。

「桜井です、遅くなりまして申し訳ありません」

電話から聞こえたのは、本日付で桜井の上司になった男性の声だった。

『亀田だ。すまん、今サイレンが鳴ると思うが、そちらのほうでまた悪魔が出た』

「またですか!?」

半月に一回あるかないかということが、日に二回もか。桜井が驚いた声を出すのと同時に、悪魔出現を知らせるサイレンが聞こえ始めた。

『日向くんにも電話したんだが、すぐに移動できる堂本さんはそちらということで、君に電話し直した。出現したのは中型の悪魔、一体だ。河嶋くんを連れて行ってほしい。詳細な位置は今メールで送る』

「彼女一人だけで、大丈夫でしょうか」

『大丈夫だ。彼女に任せて問題ない。彼女は中型悪魔駆除に実績がある』

「承知いたしました」

桜井は電話を切り、みなみと蘭の方を振り向いた。

「お二人とも、今サイレンが聞こえたのでおわかりかと思いますが、こちらの方でまた中型の悪魔が一体出たそうです。河嶋さんに駆除してほしいとのことで」

「私!?」

みなみの目が、急に生き生きと輝きだした。

「私一人ってことは、あの星四つに横取りされないってことよね! ガンガンやっちゃう!」

蘭がたしなめるように言った。

「みなみちゃん、魔力の使い過ぎは注意しなくちゃいけないよ」

しかし、大して効果はないようで、みなみはステッキを構えてみせた。

「大丈夫! 一撃で倒しちゃうから!」

桜井のスマートフォンが再び震え、亀田からのメールが来た。それを見た桜井は、思わず天を仰ぎたくなった。

「詳細位置、どこだって?」

桜井のスマートフォンをのぞき込んだ蘭に、桜井は告げた。

「テレポートの必要は、なさそうです」

メールにあった位置情報は、ここと目と鼻の先であり。

悪魔に遭遇したと思われる人々の悲鳴が、聞こえてきていた。



*      *     *



閑静な住宅街に現れたのは、黒々と光る、巨大な蠍だった。鋏だけで人一人分はある大きさをしていた。あの鋏に掴まれただけで、普通の人間はひとたまりもないことを、桜井は知っていた。

近づけば、鋏の餌食。それを、みなみもわかっているようで、蠍の姿が見えた瞬間、一歩下がって剣を構え直した。

「この距離なら行ける! 面!」

みなみは剣道の試合のような声を上げ、思い切り剣を振り下ろした。巻き起こった風がそのまま衝撃波となり、一直線に蠍の目の間へと向かっていった。

だが、蠍が振り上げた鋏に、その衝撃波は阻まれた。蠍の鋏自体は衝撃波に切り裂かれ、切断面から黒い体液が吹き出たが、蠍の頭には、今一歩届かなかった。

みなみは舌打ちして、もう一撃を放った。が、またもう片方の鋏に防御された。犠牲になった鋏は地面に落ち、黒い体液がその上に降り掛かった。

「えーい、三度目の正直! ヤーッ!」

その一撃が、ようやく頭に届いた。蠍は黒い体液を吹き上げ、泡のように溶けて消えていった。

これで、みなみは駆除報奨金がもらえる。機嫌も治るだろう、と桜井は思った。蠍を屠るために使った、みなみの魔力の減りが気になってはいたが。

みなみもそれは同様だったようで、額の汗を拭いながら呟いていた。

「ヘンに魔力無駄遣いしちゃった……いつもはもっとうまくやれるのに」

二十七歳の大人として、フォローすべき場面、なのかもしれない。桜井は、できるだけ優しく声をかけた。

「十分うまくやりましたよ、あなたは」

「ホント?」

みなみは、心細そうな顔を桜井に向けた。

「本当です」

できるだけ言い切るように桜井がそう言うと、みなみは年相応の少女の笑顔を見せた。

「うん、私、やれる! もっともっと悪魔倒して、たっくさん稼いじゃうから!」



*     *     *



県庁に着き、車を降りて、特殊害獣駆除グループの待機室へみなみと蘭を送り届けてから。また仕事を抜けて非常階段で一服していた日向をつかまえて、桜井は聞いた。

「春日さんと河嶋さんは、なんであんなに仲が悪いのさ?」

「あー、それはね」

日向は、眉根を寄せた。

「みなみちゃんは、できるだけお金稼ぎたいんだよね。自分の治療ですごくお金がかかったって、いつも言ってるから。それで、もう少しのところでいつもとどめを刺すくるみちゃんが、成果を横取りしてるように見えるみたいでさ」

「治療?」

「白血病。ドナーが見つからなくて、でもドナーかルーレット回す以外に助かる見込みがなくて、それでルーレット回したんだってよ」

日向は、つまらなそうに紫煙を吐いた。

ルーレットが、どんな病気も、どんな怪我も治すと判明してから。

救急、消防、病院、その他生死に関わる人間に触れる可能性がある、ありとあらゆるところにルーレットが置かれるようになった。

名目上は、ルーレットを回さなければ死ぬという女性にしか、ルーレットを回させてはいけない事になっている。ルーレットを回す意思がない女性には、回させてはいけないことになっている。

しかし、ICUの女性患者率は、ルーレットの効果が判明する以前に比べて、激減しているのが現状だ。減った分は当然、魔法少女になった分である。

そのことを思い浮かべて、桜井は内心でため息をついた。ルーレットは、たくさんの女性を一時的には救ったのかもしれないが、長期的には、どうなのだろうか。

「ま、みなみちゃん、基本的にはいい子だから、仕事のことだけじゃなくて、いろんな事話してあげてよ」

そう日向は言ったが、桜井のような仕事人間だと、対して雑談のネタもない。困っていると、後ろから声がかかった。

「あー! 桜井さん、ここにいた!」

振り返ると、みなみと蘭がいた。

「ねえ、お昼いっしょに食べようよ! 今日のA定食おいしいよ!」

そういえば、そろそろ昼休みの時間だった。無邪気に桜井の腕を取るみなみを見て、日向は桜井をつついて笑った。

「さっそく仲良くなったじゃん」

仲良くなったというか、懐かれたというか。

さっき慰めたのが、意外にも功を奏したのだろうか。桜井は戸惑ったが、断る理由もない。みなみと蘭と一緒に、庁舎の最上階の食堂まで向かった。



*    *     *



「河嶋さんは、剣道か何かの経験があるんですか?」

食券を買って、定食を受け取って、席について。

特に話のネタも見つからなかったので、桜井はさっきの対悪魔戦を思い出し、みなみに聞いた。

「うん! 小学校上がってから、ずっとやってたの」

定食のカツを頬張りながらそう言うみなみを見て、蘭が笑った。蘭の見た目は十歳かそこらの少女だが、彼女がみなみを見る目は、完全に孫を見る祖母のそれだった。

「みなみちゃんは、県大会にも出たんだよねえ」

「出ただけじゃないもん! 入賞したんだから!」

みなみにとって、それはよほど誇りらしい。彼女が剣を扱う魔法少女になったのは、その縁もあるのだろうかと、桜井は思った。

「だから剣の扱いには自信あるのに。星四つがいつも取ってくんだもん」

話が、今朝の悪魔駆除にまで戻ってしまった。

「私も星四つだったらなあ、ルーレット回すときに、そういうの決め打ち出来ないのかなあ」

愚痴をたれるみなみを、桜井は複雑な思いで見た。決め打ちが出来るのなら、妹は星五つの魔法少女にはなりはしなかっただろう。世界に数えるほどしかいない、それゆえに各地に引っ張りだこにされる魔法少女に。

ルーレットは操れない。それは、これまでルーレットを回した数多の人間の事例を研究して、結論付けられたことだった。

ルーレットをどんなに強く回しても、あるいは弱く回しても、ルーレットの針はきっちり十七秒回って、ランダムな色で止まる。ステッキにつく星の数も、同様にランダムだ。

悪魔を効率よく駆除するためには、魔法少女の能力や強さを決め打ちしてルーレットを回せたほうが、都合がいいに決まっている。ルーレットを操るための、都合のいい魔法少女を『生産』するための研究は数え切れないほどされてきたが、全ては実を結ばずに終わっている。

魔法少女の素体となる人間の方に、何か決定要因があるのではないかという研究もされてきたが、現在のところ、人種でも体格でも年齢でも病気でも怪我でも血液型でも遺伝子でも、相関関係は見つかっていない。

みなみが上目遣いで桜井を見た。

「せめてまた剣道やりたいなあ、ねえ桜井さん、やっちゃだめ?」

桜井は、言葉に詰まった。

「その……せめて県庁に剣道場があればいいのですが。悪魔がいつ現れても対応できるように、あと、魔法少女を狙う人間が現れた時、私達が皆さんを第一に守れるように、みなさんは待機室か、寮に詰めていただくことになっています。申し訳ありませんが、難しいかと」

みなみは唇を尖らせた。

「悪魔なんて、半月に一回出るかどうかなのに」

「統計上はそうですが、今日のように日に二回出ることもあります。それに、十三年前のように、超大型の悪魔が中型や小型を大勢引き連れて出現することもあります。申し訳ありませんが、皆さんには万一の事態に備えて頂ければと思います」

桜井は、役人としては満点だが、人間としてはいまいちな答えしか返すことができなかった。

箸を放り出して、みなみはふてくされたように呟いた。

「……もう点滴で動けないのもないし、薬も飲まなくていいのに、なんで好きに剣道できないんだろ」


●第三章 ルーレットは回させない


桜井は酒を飲まない。酒を見ると、生家の父親の惨状を思い出すばかりなので、嫌いと言っていい。

そのため、飲み会では飲まされる前に飲ませろとばかり、酌をする方に回っているが、今日、桜井を居酒屋に引っ張ってきた人間は放って置いてもガンガン飲むので、桜井は本格的にすることがない。

その引っ張ってきた人間、日向は大ジョッキのビールを一気に飲み干し、それはそれは満足そうに息を吐いた。

「いやー、仕事上がりはこれに限るねー!」

彼女は酒好きだ。ビールだけでも五、六杯は軽く空けてしまう。それだけ飲んでモデル体型を維持しているあたり、ある意味凄い女性ではあるが、桜井はあまり誉める気にはなれない。

日向の隣で、緑の髪の少女、中森あずさが、こちらは中ジョッキを一気飲みしていた。

「やっぱり、最初の一杯はビールよねー!」

魔法少女に関わるのだから、彼女らの活動の裏側もある程度見せられるのだろうと予想はしていたが、まさかビールを一気する魔法少女が見られるとは思わなかった。

というか、魔法少女が酒を飲んでいいのだろうか。あずさの実年齢は三十四ではあるが。

中ジョッキを空にしたあずさが、不思議そうに桜井を見た。

「桜井さんは飲まないの?」

桜井は、飲み会でいつもついている嘘をついた。

「えー、その……飲めないんです」

「そうなの? 残念だわ。お近づきの印に一杯やりたかったのに」

無理に飲めと勧められないのはありがたいが、なぜ酒呑みは飲めないと言うと、残念だと言うのだろう。

そんなことを疑問に思いながら、桜井が突き出しをつついていると、あずさが肘でつついてきた。

「桜井さん、今日はありがとうね」

「え? なんですか?」

瞬きする桜井の前で、あずさはにっこり笑った。

「私、自分が直接悪魔駆除出来るなんて、思っても見なかったわ」



*     *     *



話は今日の午後に遡る。

桜井が、みなみの悪魔駆除の報奨金のための書類―――特殊害獣駆除実績個表および特殊害獣駆除報奨金交付書―――を四苦八苦しながら片付けたころ、亀田から声がかかった。

「桜井くん、朝の悪魔出現地から、浄化の依頼が来てる。中森くん一人で済むし、喫緊でもないから、彼女を車で連れて行ってほしい」

どちらにしろ、借りたレンタカーを返しに行かなければならない。桜井は亀田に返事をして、あずさを迎えに席を立った。

車の中で、あずさはステッキをくるくる回した。

「やっぱり浄化しきれてない所があったのね。まあ、行けばすぐ治せるけど」

桜井は、運転しながらあずさに聞いた。

「中森さんの浄化って、どういうメカニズムなんですか? 悪魔の汚染は、連作障害の原因の忌地物質が、特濃で振りまかれていることしか知らないんですが」

悪魔の通ったあとは、植物が枯れ、植物が生えなくなる。それらが総称して『汚染』と呼ばれている。

最初は除草剤か何かに類する物質が振りまかれているのではないかと言われていたが、研究の結果、悪魔は植物を枯らすのと、植物の生育を阻害する物質を振りまくのを同時に行っているだけということがわかった。

もっとも、その物質があまりにも高濃度なため、あずさのような魔法少女が必要とされているのだが。

あずさは笑った。

「それだけ知ってれば、十分すぎるくらいよ。私の魔法で、枯れちゃった植物を治したり生やし直したりするんだけど、そうすると、忌地物質もついでに消えてなくなるみたい。大体は街路樹とか、庭木を治すんだけど、ひろーい畑の浄化した時には、持ち主の人にずいぶん感謝されたわ」

「畑じゃ、収入に直結しますからね。でも、そんな広い畑を浄化した時、魔力の減りは大丈夫だったんですか?」

「ぜーんぜん平気! 私、けっこう派手に浄化しても、魔力の減りが少ないのよ」

そんな話をしている間に、朝、小型の悪魔が飛び回っていた街に着いた。

「えーと、依頼があったのは……ああ、あそこの花屋ですね。」

店先で、エプロンをした店員と思しき男性が困り果てているのがわかった。おそらくは満開に咲き誇っていただろう切り花が全て枯れ、鉢に植えられた花も黒くなっていた。

櫻井は彼に名乗った。

「こんにちは、環境局の特殊害獣駆除専門グループから参りました、桜井と申します。ご連絡いただきまして、浄化に参りました」

「中森と申します」

桜井は店員に頭を下げ、あずさも頭を下げた。店員は救いの手が来たというように顔を輝かせた。

「ああ、来てもらって悪いねえ。魔法少女さんなら、これ、治せるかね?」

あずさは、眉を寄せて首を傾げた。

「すみません、切り花は完全に枯れてしまっているので無理です。鉢植えの方なら、成長させ直して元に戻す事はできると思うんですが」

「ああ、やっぱり切り花はダメかね」

「申し訳ありません」

「鉢だけでもいいよ、やってくれないか」

「承知いたしました」

あずさは、黒く枯れ果てた花に向けてステッキを振った。すると、萎れた花や葉の間から若葉がみるみるうちに吹き出し、あっという間に緑が復活した。

あずさは店員の方を向いた。

「花咲かせる場所選べますけど、どの辺りに咲かせますか?」

「選べるかい? じゃあ、一番上にたくさん咲かせてくれ」

「承知いたしました」

あずさが言われたとおりの場所を指でつつくと、そこに見事な薔薇の花がぽっと咲いた。同じようにして、あずさは並ぶ鉢に何輪も何輪も花を咲かせていった。

「こちらでよろしいでしょうか?」

「ああ、うん、十分すぎるくらいだ。ありがとうねえ」

店員は満足したらしい。桜井は、

「それでは、これで失礼致します」

と頭を下げ、あずさとともに車に乗った。



*     *     *



レンタカーを返し、帰りはタクシーをつかまえて、桜井とあずさは県庁に向かった。

あずさは、妙に先程の花屋のことを心配していた。

「あの花屋さん、ずいぶんな損害でしょうね。保障とか、保険とか、効くのかしら」

「どうでしょう。個人で保険に入っていればどうかはわかりませんが、公的機関から保障することは出来ないと思います」

櫻井はそう答えた。民間の保険はどうか知らないが、悪魔の扱いは、あくまで害獣だ。害獣の被害を保障する法律は、特にない。

「そう……。あ、あのね、うちも……私が魔法少女になる前に、結婚してやってたお店も、小さいお店だったから、他人事に思えなくて。けっこう自転車操業だから、一日分の稼ぎがダメになると、すごく苦しいのよね」

「そうですか」

桜井は、ふと疑問に思った。そんな自転車操業の店なら、店員が一人抜けただけでずいぶん苦しいはずだ。あずさは、なぜ魔法少女になったのだろう?

「あの、差し支えなければお聞きしてもよろしいですか」

「なに?」

「中森さんが、その……魔法少女になった原因は、何でしょうか?」

あずさは、あっさり答えた。

「他のいろんな魔法少女と変わらないわ、病気よ。がんだったの」

桜井は、ますます疑問に思った。

現代のがん医療はかなり進歩している。よほど手遅れでなければ、魔法少女になるという極端な手段を取らずとも、手術や薬物治療で治療できるはずだ。

だが、その疑問は、あずさの次の言葉で氷解した。

「子宮頸がんだったの。娘を妊娠したのと同時にわかったのよ。摘出して娘を諦めるか、摘出せずに自分の命を諦めるかって言われて、私、娘をとったの」

ずいぶん重い話を聞いてしまった。軽い気持ちで聞かなければよかったと、桜井は後悔した。

「その、突っ込んだことを聞いてしまって、申し訳ありません」

あずさは手をひらひらと振った。

「別に。私気にならないタイプだもの。浄化専門の魔法少女だから悪魔駆除の報奨金は出ないけど、こうして色んな所に浄化に呼ばれて、活動報奨金でそこそこ稼げるから、悪くないわ」

「そう、ですか……」

「お金って大事よ。貧乏な家だと、娘がすすんで魔法少女になっちゃう、なんて話もあるじゃない。私がある程度稼いでれば、娘に何かあっても、ルーレット回させるような目には合わせなくて済むかなって」

その話は、桜井にとって他人事ではなかった。桜井の妹が魔法少女になったのは、経済的困難が直接の原因と言っていいからだ。

娘から引き出した金すらアルコールに変えてしまった実父。実父を、そこまで変えてしまったアルコール。妹を、魔法少女に変えてしまった貧乏。

桜井は、呟いた。

「そう、ですね。お金は、大事ですね」

その時、タクシーが急ブレーキを踏んだ。

何事かと思った桜井は運転手に抗議しようとしたが、

「お、お客さん、あれ……あれ!」

と運転手が指差す先を見て、急ブレーキの意味を悟った。

運転手は震えながら、あずさの方を縋るように見た。

「お客さん、お客さん魔法少女ですよね!? あれ退治できますよね!?」

だが、浄化専門のあずさに何かが出来るはずもなかった。

黒い毛皮。山羊の角のように捻くれた黒い角。狼のような牙。四足動物についているはずもない、蝙蝠のような翼。

それは、悪魔だった。



*     *     *



桜井は運転手に向かって叫んだ。

「無理です、彼女は浄化専門です! 環境局から人をよこしますんで、まず通報してください!」

運転手はわたわたしながら携帯電話を取り出し、震える手で番号を押して電話をし始めた。

しかし、悪魔がそれを待つはずもなかった。粒々と筋肉を盛り上がらせた身体で、猛然と車に体当りしてきた。車体は大きく揺れ、フロントガラスにヒビが入った。

運転手は悲鳴を上げた。

「破られる! お客さん、なんとかして下さい!」

「そう言われても……」

せめて足止めだけでも出来れば。そう桜井が思った時、道路の隅に生えている雑草が桜井の目に止まった。

桜井の脳裏に、あずさに関して書いてあった資料の一節が蘇った。

『どんな植物でも自在に操ることが出来る』。

「中森さん! 中森さん!」

桜井は叫んだ。

「何!?」

「あの雑草……なんとかして伸ばして、あの悪魔を絡め取る事はできませんか!?」

そうすれば、足止めくらいは出来るかもしれない。

桜井の言いたいことを、あずさも察したらしい。

「やるわ!」

あずさがステッキを振ると、ほんのわずかに生えていただけの雑草が、いきなり勢力をまして悪魔に襲いかかった。雑草が互いに絡まりあって、ロープのような、蔓のような形状になり、悪魔はたちまち縛り上げられてしまった。

「やったわ!」

ステッキを握ったまま、あずさはガッツポーズをとった。だが、桜井はまだ安心できなかった。

「本気で暴れられたら千切られるかもしれません、もっとたくさんの草で、思い切り縛り上げて下さい!」

「OK!」

悪魔の足に、胴体に、首に、さらに蔓が絡みついた。蔓がきつくきつく悪魔を締め付ける。

悪魔の首が蔓に絞り上げられて、半分近くまで細くなった時。ごきり、と、車の中にまで聞こえるような大きな音がした。

「え?」

「あれ?」

あずさと桜井が、素っ頓狂な声を上げたと同時に、がくり、と悪魔の首が垂れ。

悪魔は、みなみやくるみや凪に攻撃されたときと同じように、泡のように溶けて消えていった。

あずさは、呆然と呟いた。

「え……えっと、首の骨、折っちゃったのかしら?」

桜井も、呆然としたまま返した。

「お、おそらくそうだと思いますが……」

数分して、蘭がくるみとみなみと日向を連れてテレポートしてきたが、桜井とあずさはそれが無駄足に終わったことを、ひたすら謝るしかなかった。

「帰ったら、中森さんの駆除報奨金の書類作りますね」

桜井があずさにそう言うと、あずさは笑った。

「魔法少女になってけっこう経つけど。始めてもらうわ、駆除報奨金」


●第四章 ルーレットの使い道


魔法少女たちも、いつも待機室にこもって、ステッキを磨いたり漫画を読んだりしているわけではない。書類作成にお茶くみに、ちょくちょく特殊害獣駆除専門グループ室に顔を出す。

ただ、その日は少しタイミングが悪かった。くるみが桜井と書類作成をしていたときに、亀田グループ長がこう呟いたのだ。

「ここ二、三日、悪魔の出現が、いくらなんでも多すぎるな」

亀田は、突き出た腹の上で腕を組んだ。それを聞いて、桜井は嫌な予感がした。

「何か、悪い予兆でしょうか?」

どうしたって思い出してしまう。桜井の妹が対峙した超大型の悪魔を。妹が死んだ場面を。

十三年前も、小型から中型の悪魔の出現が頻発してから、あの悪魔は姿を表したのだ。

桜井の妹の顔を知る亀田も、同じことを思い浮かべていたらしい。

「悪い予兆……。そうでないといいが。どちらにしろ、この頻度で続くと、うちの魔法少女たちの魔力が枯渇しかねん。よそから応援を呼ぶ必要がある」

待機室からたまたま出てきたみなみが、それを聞いて声を上げた。

「そんな必要ないったら、亀田さん! 私だけで全部やれるってば!」

他の魔法少女が来て、ただでさえくるみに取られがちな駆除報奨金を、さらに取られてはたまらないと思ったのだろう。だが、その場にくるみがいて、その言葉を聞いたのがまずかった。

くるみはしかめっ面をした。

「星三つの子が生意気言わないでください」

「人の戦果横取りしていく星四つが、なに言ってるのよ」

「人聞きが悪いですね、大型悪魔には太刀打ち出来ない誰かさんが、無理してるのを、助けてるだけ」

「うー……。うっさい貧乳! 洗濯板!」

「何ですって!」

桜井は、慌てて二人を制した。

「落ち着いて下さい、二人共」

特殊害獣駆除専門グループは魔法少女の世話役と聞いたが、こんな小学生レベルのケンカの仲裁までさせられるとは、と桜井は思った。

話を聞いていた日向も席から立ち上がって、みなみの両肩を押さえた。

「はーいそこまで。みなみちゃんこっちねー、こっちでなんか甘いものでも食べよー、プリンあるよー」

日向の仲裁の仕方は、小学生どころか保育園児に対するものだったが、みなみが意外に大人しく日向に引きずられて給湯室の方向に消えていったのを見ると、どうやらプリンが好物らしい。

日向も用意がいいことだ。桜井は、そういう日向の要領がいいところが好きではないのだが。

とはいえ、トラブルの種は去った。桜井はくるみに向き直って言った。

「書類の続き作りましょうか、春日さん」

「はい」

くるみも大人しく席に戻った。



*   *   *



先ほどくるみ自身が言った通り、春日くるみは特殊害獣駆除専門グループの中で、唯一大型の悪魔に対抗できる魔法少女だ。彼女の持つ大口径の銃は、どんな大きな悪魔も吹き飛ばす。

しいて難点をあげるなら、みなみが無駄遣い無駄遣いと悪態をつくように、一発一発の魔力の消費量が大きすぎることだが。

桜井がくるみと作っていたのは、魔力の消費量を記録するシートだった。桜井は細かく魔法の使用記録をつけたそのシートを眺めつつ言った。

「今週の魔力消費量からすると、今残ってる春日さんの魔力は、あと四割ですね」

「そうですね。魔力を回復する時間が取れればいいんですけど……。ここ二、三日みたいに、あちこちで悪魔が出るようだったら、なかなか難しいです」

この数日、日に一度は悪魔が出現しており、その度に魔法少女たちと桜井、日向は駆り出されていた。特に中型の悪魔が多く、くるみとみなみが取り合う展開になることが多かったのも、さっきみなみが爆発した遠因だったかもしれない。

くるみが、桜井に聞いてきた。

「星三つの誰かさんは、日向さんががっちりホールドしてますよね?」

「え? ええ」

何か、みなみに聞かれたくないことでもあるのだろうか。

「大丈夫ですよ、しばらくはプリンに引き寄せられて戻ってこないと思います」

桜井がそう言うと、くるみはほっと息を吐いた。

「あの……私、小型の悪魔駆除、本当はあんまり得意じゃないんです。的が大きければいいんですけど、小さくてよく動く的に当てるのは大変で。だから、蝙蝠型の悪魔とかはちょっと苦手で……。本当は星三つのあの子の方が、汎用性高いんですよね。私より魔力消費も少ないし」

そう言われて、桜井は驚いた。

しかし、よく考えてみれば、それほど驚くことでもないのかもしれなかった。くるみの魔法は文句なしに強いことは、桜井は何回も悪魔駆除の現場に立ち会って実感していたが、小型の悪魔に対しては、威力が大きすぎるようには感じていた。魔力消費量から考えても、小型の悪魔にくるみをぶつけるのは、少しもったいないだろう。

「小型の悪魔には、百神さんか河嶋さんをあてるようにしてほしいということでしょうか?」

そう桜井が言うと、くるみはもじもじした。

「その……そうしてほしいですけど、私から言い出したって言うと、ちょっと……」

みなみへの手前、格好がつかないと言いたいのだろう。

桜井は亀田の方を向いた。

「すみませんグループ長、小型の悪魔に春日さんをぶつけるのは、魔力消費量からしてもったいないと思いますので、小型の悪魔に関しては百神さんか河嶋さんをあてるよう、命令をいただけませんか?」

桜井とくるみの会話を聞いていたらしい亀田は、頷いて親指を立てて、

「じゃ、そうするように河嶋くんに言っておく」

と言った。

話のわかる上司で助かった、と桜井は思った。別に、前の部署の上司が話の分からない人間だったわけではないが。

桜井と亀田のやり取りを見て、くるみが微笑んだ。

「新しく人が来るって聞いた時、どんな人が来るのか不安でしたけど。桜井さんが、私達のこと見て、引く人じゃなくてよかったです」

「え?」

桜井は目を瞬いた。そんなに馴れ馴れしくしていただろうか。むしろ内心では、壁を作っていると思っていたのだが。

くるみは続けた。

「魔法少女って聞くと、一歩引いて構える人が、けっこう多いんですよ。私達を普通の人間って目で見てくれないんです。いくら人間には効果ないとは言え、銃は撃つし剣は振り回すし、普通の人に出来ないことばっかりするから」

「そ……そうなんですか?」

桜井は顎を撫でた。

言われてみれば確かに桜井は、魔法少女たちを変わった人間という目では見ていなかった。妹のことがあったからだろうか。ごく自然に、自分たちと地続きの人間として見ていた。

「日向さんも、最初は引いてたんですよ」

「そうなんですか!?」

誰に対してもあけっぴろげな態度で接する日向が、そんな態度をとるところが、桜井には想像できなかった。

「でも桜井さん、最初っから私たちにすごく丁寧にあいさつしてくれて。堂本さんもすごく褒めてました。星三つのあの子が桜井さんのこと好きなのも、そういうところがあるからですよ」

そこまで褒められると、流石に面映い。

桜井は返答に困ったが、何とか褒められたことを否定せず、かと言って増長もしていないように聞こえる言葉をひねり出した。

「皆さんと信頼関係を築けたなら、何よりです」

桜井がそう言うと、くるみは再び笑った。

「そういうところが、桜井さんのいいところなんですよ」

どの辺がいいところなのか、桜井にはわからなかったが、とりあえず、

「ありがとうございます」

と礼を言って済ませた。



*     *     *



桜井が給湯室にみなみの様子を覗きに行くと、彼女は日向にくっつかれて、ふくれっ面をしながらプリンを頬張っていた。

日向が困り果てた顔でみなみに言った。

「みなみちゃーん、プリンもう三つ目だよ、あたしの分も残しといてよ」

「やだ。もう一個も食べる」

四つも食べる気か。桜井は内心呆れたが、なるべく顔に出さないようにして、彼女の機嫌を損ねないように言った。

「お茶でも淹れましょうか? アールグレイの茶葉がありますよ」

みなみは、ぱっと顔を輝かせた。

「え!? いいの? 飲む! 桜井さん大好き! プリン残りのあげる!」

「あたしの分だってばさぁ」

「日向さんの分じゃなくて桜井さんの分になったの、今私がそう決めたの」

「何この暴君!」

日向が割合本気で困っているようだったので、桜井はおかしかった。

日向が桜井の肩に手をおいた。

「ねえ桜井ちゃん、あたしのお茶も淹れてよ」

「はいはい」

ポットを暖め、茶葉を入れて湯を注ぎ。ティーカップを用意しながら、桜井は何気なさを装って言った。

「そういえば、河嶋さん。後でグループ長から言われると思いますけど、次の悪魔出現から、小型悪魔駆除は河嶋さんか百神さんをあてて、春日さんは外すとのことです。春日さんを小型にあてるには、魔力がもったいないそうで」

「え、ホント!?」

みなみは両手を打った。

「やっぱり星四つは魔力の無駄遣いなのよね。私の真価がやっと認められたわ」

そういうことではないのだが、そういうことにしておいたほうがみなみの機嫌はいいだろう。桜井は、それについてはあえて何も言わなかった。

「そろそろ待機室に戻りましょう、他の人の分もお茶淹れましたから、ついでに持っていきましょう」

「星四つにも持っていくの?」

「仲間外れにする訳にはいかないでしょう」

南は、急に不満げな顔になった。

「ふーん。桜井さん優しいね。急にプリンあげたくなくなっちゃった」

「じゃあ、日向さんに返しておいて下さい」

「桜井ちゃん、話わかるね!」

「話がわかるついでにカップ持ってきて、待機室の方で注ぐから」

「はーい」



*     *     *



魔法少女は太らない。

どういうメカニズムかは未だ解明されていないが、彼女たちはいくら食べても、適正体重以上にはならない。彼女たちの魔法は、エネルギー保存の法則も質量保存の法則も無視するが、そのエネルギーの源は、彼女たちの余剰摂取カロリーではないかという説を、本気で唱えた学者がいたくらいだ。

待機室のテーブルの上には、お茶菓子があふれていた。クッキー、タルト、カップケーキ、サブレ、ドーナツ、どら焼き、あられ、金平糖……。

日向が、その内の一個を手に取った。

「あんドーナツ! もらってもいい?」

蘭が孫を見るような目つきで頷いた。

「いいよいいよ。それおいしいよ」

気軽に油と糖の塊をパクつく日向を、桜井は、茶を注ぎ分けながら羨ましい思いで見つめた。桜井も甘いものは嫌いではない、むしろ好きなのだが、油断して食べると、すぐスーツがきつくなるのだ。

「桜井さんも、何かいかがですか?」

そういうわけで、桜井は何も食べないつもりでいたが、くるみが菓子を勧めてきた。断るのも悪い気がしたので、桜井は、

「ありがとうございます」

とだけいい、金平糖を一粒だけ手に取った。

桜井が金平糖を口に放り込んだ瞬間、今週で何回目かになるサイレンが鳴った。

ノックの音がして、待機室のドアが開き、亀田が顔を出した。

「大型が出た。今、座標を堂本さんのところに送ったから、春日くん、あと浄化のために中森くん、行ってくれ。桜井くん、立ち会いに行ってくれ」

ティーカップに口をつけたばかりだったくるみは、一瞬残念そうな顔をしたが、すぐ蘭のところに駆け寄った。そこにあずさが続く。桜井も蘭の近くに駆け寄った。

蘭がステッキを握った。

「じゃ、行こうかね!」

今週で何度目かになる、視界の入れ替わり。

桜井たちは、森のなかに立っていた。黒い煙が上がる方角に、それはいた。

木々の上に突き出るほど高くに頭をもたげた、黒い蛇。高さだけはあるが、その胴体は、意外と細かった。

くるみが顔を曇らせるのを、桜井は見て取った。何か、不安な要素でもあるのだろうか?

「……大丈夫。春日、行きます!」

くるみがステッキを一振りすると、ステッキは大砲のように大口径の銃になった。銃を構え、くるみは呟いた。

「狙って……。行け!」

爆音が周囲に響き渡った。

しかし、悪魔は健在なままだった。くるみの弾道を、その細い体で躱して避けたらしかった。くるみが焦った顔になった。

「二発目! 行きます!」

再び爆音が響き渡ったが、やはり外した。

このままではまずいのではないか、と桜井は感じた。命中させないまま何度も撃たせると、それだけ魔力を無駄遣いしてしまう。桜井は、あずさに声をかけた。

「中森さん! この間みたいに、あの悪魔を縛れませんか!? 縛って固定してから、春日さんの銃を命中させましょう!」

「わかったわ」

あずさがステッキを振ると、蛇の両側の木が突然ぐにゃりと曲がり、そのまま蔓状になって蛇の胴体に巻き付いた。

蛇は振り払おうとしたが、元が木の蔓は強く、なかなか振りほどけそうになかった。

「春日さん、これで大丈夫です、お願いします!」

桜井がくるみにそう声をかけると、くるみはほっとしたような顔で銃を構え直した。

「今度こそ! 行きます! それっ!!」

轟音とともに、蛇の頭部が砕け散った。蛇の体が、泡のように溶けて消えていく。それを見つつ、くるみは申し訳なさそうに呟いた。

「魔力、使いすぎちゃいました……。今週は、あと二回が限界です」



*     *     *



山道に出て、桜井が携帯で呼んだタクシーを待つ間、ずっとくるみはしょぼくれていた。

「やっちゃいました……今週、また大型の悪魔が現れたら、どうしよう」

蘭が、慰めるようにくるみの肩に手を置いた。

「大丈夫だよ、くるみちゃん。亀田さんが応援呼んでくれるって、さっき言ってたんだろ?」

「そうですけど……呼んだところで、すぐ来てくれるわけじゃないですし」

確かにその通りだった。役所の仕事は、何をするにしても時間がかかる。亀田に頼んで、今すぐ応援の魔法少女を他県に申請したとして、正式に来るのは早くて来月だろう。なんとかイレギュラーな対応をしてもらえるといいのだが。

まだ昼だったが、空が暗くなってきていた。雨になるかもしれない。空を見上げて、くるみは呟いた。

「こんな時に、こんな天気……」

くるみの顔があまりにも暗かったので、桜井は声をかけた。

「大丈夫ですよ、雨が降る前にタクシーが来ます」

「そうだといいんですけど。こんなところで雨が降って、もしまた土砂崩れが起きたら、私じゃ助けられないです」

「土砂崩れ?」

大雨で、山道が崩れることはままあるが、まだ降ってもいない空を見上げてそんなことを考えるのは、少し先走り過ぎではないか。

そう桜井は思ったが、次の瞬間、一年前に県内で起きた大きな土砂崩れを思い出した。家と木々が巻き込まれて、被害者が何名か出た土砂崩れで、しかもその場でルーレットが不適切な使用をされたとかで、かなり大きな騒ぎになったのだった。

もしかして、くるみは。

そう桜井が思った時、あずさがそれを裏付けるようなことを言った。

「くるみちゃんの時みたいになったりしないわよ。もうここに出た悪魔は駆除したし、木に挟まれて出られないって人もいないんだし」

「そうですけど。どうしても思い出しちゃいます。木に挟まれて悪魔がどんどん迫ってきて、もう食われるか食われないかのときに、ギリギリで救急隊員の人のルーレット回しましたから」

消防や救急に、ルーレットは完備されている。

本来は、ルーレットを回さなければ死ぬという女性にしか、ルーレットを回させてはならないし、そんな女性にしたって、ルーレットを回さないという意思表示があれば回させてはいけないことになっている。

しかし、くるみが言うとおりの状況だったら。身動きができず、悪魔に食われかけているときにルーレットが眼前にあったら。回さないという選択肢を持つ女性は、あまりいないだろう。

桜井は、十三年前の惨事を思い出した。あの時も、街路樹や建物が崩されて、下敷きになる人間が多数出た。多数の人間が下敷きになったまま死ぬか、超大型悪魔の眷属、中型や小型の悪魔に食い殺された。

もし、あそこにルーレットがあったら。

もし、あそこに魔法少女が妹だけではなかったら。

もし、魔力が満タンにある魔法少女が新たに誕生していたら。

妹は、あんなふうに死ぬことはなかったのだろうか。

桜井は、頭を強く振った。『もし』を繰り返しても、過去は変わらない。妹は帰ってこないのだ。



*     *     *



特殊害獣駆除専門グループ室に帰り、桜井が事の次第を亀田に報告すると、亀田はすぐ応援申請の手続きを取ってくれた。

「桜井くん、ここに来るまでに、ニュースか何か見たか?」

「いえ。何かありましたか?」

「いや、今の件とは直接関係ないんだが、ちょっとな……。もうネットに出てるかもしれないから、『ルーレット 盗難』で検索してみてくれ」

「はい……?」

桜井は自分の席につき、パソコンを立ち上げてブラウザを開いた。

検索する必要はなかった。Googleのトップニュースに、それはあった。

【ルーレット多数盗難 魔法少女ブローカーの仕業か 東京】

容疑者としてあげられている、高畑亮という男の写真に、桜井は見覚えがあった。太い眉に、ギョロついた目、右頬に切りつけられたような向こう傷。

それは十三年前、妹にルーレットを回させたという男の顔だった。

魔法少女ブローカー。

ルーレットを回した女性は、例外なく十代の姿にまで若返り、元の姿より美形になる。裏返せば、ルーレットさえあれば、若くてきれいな女の子を『生産』できる。

そして、どの国でも、いつの時代でも、十代の少女には性的な意味で莫大な需要がある。

裏で人身売買された女性に、盗難したルーレットを回させて魔法少女を『生産』し、その魔法少女を売春に使っている組織の総称が、魔法少女ブローカーだった。

ニュースを見て、愕然としている桜井に、亀田からまた声がかかった。

「敷島くんを、魔法少女にした奴だよな?」

桜井は頷いた。

「そう、です……」

櫻井の生家は、金に困っていた。アルコールに溺れた実父は、文字通り娘を売って、その日の酒を手に入れたのだった。

妹は隙を見て警察に駆け込んで、運良く星五つの魔法少女として見出され、公的機関に保護される身になったが、そうでなければ一体、どんな目に遭わされていただろうか。

桜井の妹の証言で、魔法少女ブローカーに属する人間は特定され、指名手配されたのだが、暴力団とも麻薬組織とも繋がりがあるとされるその男は、十三年間、捕まらずに逃げ続けていた。

亀田は言った。

「さっき都から連絡があったんだが、こいつ、もう魔法少女になった子も狙ってるらしくてな。東京なんてすぐ隣だ、もしかしたらうちの魔法少女たちも狙ってくるかもしれない。気を付けてくれ」

「…………はい」

桜井は、返事を絞り出した。まさかこんな形で、妹に関わる人物と、魔法少女に関わる人物と向き合うことになるとは、異動を申し渡された時は夢にも思わなかった。


●第五章 不適切なルーレット


魔法少女は、見た目と実年齢が一致していることのほうが少ない。大抵は見た目より実年齢のほうが上回っているが、ごくたまにその逆がある。

桜井が所属する特殊害獣駆除専門グループの百神凪は、その逆の例だった。見た目は巨乳の十六歳だが、実年齢は初潮も来ていない六歳である。まだ平仮名もまともに書けないのだ。

待機室で、凪はピンク色の頭を平仮名ドリルから振りながら、不満げに声を上げた。

「蘭お姉ちゃーん、何でこの問題、バツなの!?」

「だからねえ、『ほ』は横棒から縦棒が出ちゃダメなんだよ、それに『さ』はちゃんとハネを付けなきゃダメだよ」

魔法少女は、悪魔出現に備えて、環境局で待機する必要がある。学校には、なかなか行くことが出来ない。凪は、学校から受け取った教材や、通信教育で義務教育を受けていた。

凪は、普段は蘭に勉強を見てもらっているが、見た目十六歳が、見た目十歳に物を教わっている姿は、なかなかシュールだった。

「もうおべんきょうヤだぁ、お外であそびたい!」

平仮名ドリルを放り出した凪を、桜井は窘めた。

「勉強は大事ですよ、それに待機室にいてもらわないと駄目です」

自分で言っておきながら、六歳の子供に酷なことを言っているな、と桜井は思った。せめて外で遊ぶことくらい叶えてやりたいが、ここ最近の悪魔出現の頻度だと、魔法少女たちには常に待機室か寮に詰めていてもらわないと困る。

それに。

魔法少女たちは、不要不急の外出が禁止されるようになった。

東京で、次々と魔法少女が行方不明になっているのだ。一昨日、ルーレットの大量盗難容疑で指名手配された高畑という男が関わっている可能性が高いとされているが、詳細は未だ不明である。

何故、魔法少女を狙うのかはさっぱりだが、凪のように、実年齢に比して身体だけが育ってしまった魔法少女が、高畑のような男の被害に遭わされることは、絶対に避けなければならないと桜井は思っていた。

自分の体がどのような価値を持つのか、さっぱりわかっていない子供が性的被害を受けたら、一体どれだけ傷つくだろう?

そんな桜井の思いをよそに、凪はふてくされていた。

「もうヤだ。魔法少女になったら、お外で好きなだけあそべるっていわれたのに」

「誰にそんなことを言われたんです?」

魔法少女になってしまったら、基本的には住んでいる都道府県の環境局に管理されることになる。つねに悪魔駆除に出動出来るようにするため、つねに環境局の人間の目が届く場所で生活することになる。学校にもろくに行けない。経済的にはそれなりに安定するが、いいことといえばそれくらいしかない。

妹が魔法少女だった桜井は、そのことを熟知していた。妹は経済的困難を魔法少女になることで克服して、高校や大学に行くことを望んでいたが、実際は中学校にすらまともに通えなかった。

あの頃、まだ魔力の概念が重要視されていなかった頃。星五つの魔法少女はあちこちに駆り出されて、魔力を無駄遣いしていた。魔力を大切に使うという概念が、全くと言っていいほど共有されていなかった。

凪はふくれっ面のまま言った。

「お母さんがそういったもん。もう車いすじゃなくて、おふろもおトイレもごはんも一人でできるようになるからって。だから、お願いだからルーレット回してって」

唇をとがらせる凪を見て、もしかしてまずいことを聞いてしまったのでは、と桜井は感じた。蘭が桜井の袖を引いて、耳打ちしてきた。

(小児麻痺だったんだよ。凪ちゃんのお母さん、世話に疲れちゃったみたいでねえ。病院からルーレット持ってきちゃったんだ)

言葉をなくす桜井をよそに、蘭は平仮名ドリルを拾い上げ、

「ほら、勉強道具を粗末に扱うんじゃないよ。間違い直しなさい」

と凪の前に置いた。



*     *     *



自ら望んだ女性か、ルーレットを回さなければ死ぬという女性にしか、ルーレットを回させてはいけないことになっている。

だがそれでも、ルーレットが『不適切な使い方』をされた例は数多くある。

怪我も病気も老化も治す奇跡のような存在が、子供が負った障碍に嘆く親の目に写った時。老親の介護に疲れた子供の目に写った時。

それを『不適切な使い方』で使わない人間が、どれだけいるだろうか?

仕事上がり、また日向に居酒屋に引っ張ってこられた桜井は、烏龍茶を前にぼやいた。

「異動してしばらく経ったけど、魔法少女になった理由が重い人、多すぎないか?」

日向は、ビールの大ジョッキを干して言った。

「みんなそうだよ。堂本さんもそう。堂本さん、もう歳で足腰ほとんど立たなくて、何するにも介護が必要で……。娘さんが『もう疲れた』って言って、ルーレット盗んできちゃったんだってさ」

「そうだったのか……」

「でも、今はみんな元気だからね。なんてことないよ。気にしない方がいいって!」

「気になるよ」

「無理にでも気にしない!」

「無茶言うなあ」

どの魔法少女も、複雑な理由を持った人間ばかりなのだろうか。桜井の妹のように。

「そういえばさぁ、まこっちゃん」

「何?」

「まこっちゃん、妹さんいたの? 異動してきた時、グループ長となんか話してたけど」

日向には、あまり聞かれたくないことだった。桜井は、誤魔化そうかどうか迷ったが、結局、事実を簡潔に話して切り上げることにした。

「いた。魔法少女だった。もう亡くなったけど」

日向は目をぱちくりした。

「え? ウソ、魔法少女になったら、魔力が切れない限り、どんな病気も怪我も……」

桜井は内心で舌打ちした。妹が死んだ理由こそ、一番聞かれたくないことだった。一番思い出したくないことだった。

「魔力切れだった。まだ魔力の重要さがわかってなかった時。魔法少女が使われだして三年もたってない頃」

桜井がぶっきらぼうにそう言うと、流石に不機嫌さが日向にも伝わったらしい。日向は頭を掻いた。

「あー、ごめん、なんか悪いこと聞いちゃって」

桜井は、返事をせずに烏龍茶をあおった。その時、桜井のスマートフォンが震えだした。桜井はすぐに出た。

「はい、桜井です」

聞こえてきたのは、緊迫した蘭の声だった。

『もしもし? 今大丈夫かい?』

「はい、大丈夫ですよ。どうしました?」

桜井は、先程聞いた、蘭が魔法少女になった理由をできるだけ思い出さないように努めて返事をした。彼女たちの前で、粗相をしたくなかった。

『凪ちゃんがいなくなった。勤務時間が終わって、寮に戻ったんだけど、ちょっと目を話した隙に外に遊びに行っちゃったらしいんだよ、一人で』

体は十六歳、中身は六歳が、こんな夜遅くに街中を一人で歩く。それだけで危険だ。

ましてや、隣の首都では次々と魔法少女の行方不明事件が起こっている。桜井は慌てて席を立った。

「グループ長には連絡しましたか!?」

『したよ。警察に連絡してくれるって言ってた。だけど、凪ちゃんが行こうとするところなんて、日向さんのところくらいしか思いつかなくて……。一度日向さんにかけたんだけど、繋がらなくて。桜井さんと一緒に仕事上がったって聞いて、今ひょっとしたら一緒にいるかなって』

「いますいます、一緒にいます」

桜井はスマートフォンを押さえ、日向に言った。

「百神さんがいなくなったって。日向さんのところに行こうとしたかもしれないんだって、何か連絡入ってない?」

「え、マジ!?」

日向は慌てて傍らにあったバッグをかき回し、スマートフォンらしきものを掴みだしたが、その画面を見て、顔をしかめた。

「どうした?」

桜井が聞くと、日向は済まなさそうに言った。

「……充電切れ。ごめん」



*     *     *



結論から言うと、凪は一時間もせずに見つかった。彼女は県庁のそば、寮の近くの公園で、ブランコをこいでいた。

「だって、凪、たまには外であそびたかったんだもん……」

蘭にさんざん怒られた凪は、べそをかきながらそう言った。

公園に駆けつけてきた亀田が、彼女を慰めた。

「ごめんな凪ちゃん、今、東京で怖い人が魔法少女を狙って襲ってるみたいなんだよ。だから外にはあんまり出られないんだ。そいつが捕まったらな、おじさんが何とか上に掛け合って、遊園地かどっか連れてってあげるからな」

遊園地、と聞いて、凪の顔がぱっと輝いた。

「ほんとう!? かんらんしゃ乗っていい!?」

「うんうん、なんでも乗りな。お父さんお母さんとも久しぶりに会いな」

「うん!」

六歳児その物の笑顔を見せる凪を見て、無事に見つかってよかったと、桜井は安堵のため息をついた。言動がこんなに子供では、悪い大人がいたらすぐに引っかかってしまう。

亀田が桜井と日向に言った。

「二人共、彼女らを寮まで送ってってくれないか。私は後処理をしなくちゃならん」

「承知いたしました」

「わっかりましたー!」

魔法少女たちの寮は、県庁からほど近いところにある。基本一人一部屋だが、たった六歳の凪を一人で生活させるのは無理があるということで、蘭が相部屋だった。

桜井たちが寮まで行くと、黄色、緑、青の髪の色が否応でも目に入った。くるみとみなみとあずさが、寮の玄関の前で待っていた。

桜井の隣で、蘭が呆れたように声を上げた。

「寝てていいって言ったじゃないか、三人とも」

くるみが、それを聞いて顔をしかめた。

「そういうわけに行かないです」

あずさも、くるみに呼応するように言った。

「凪ちゃんのこと、心配だもの」

みなみは流石に眠そうだったが、

「星四つが起きてるのに、私だけ寝るわけにいかないもん」

と、くるみへの対抗心で起きているようだった。

日向が口笛を吹いた。

「みんな、仲間思いだねえ」

凪が申し訳無さそうな顔になるのを、桜井は見て取った。暗い中で待っている三人の姿は、ちょっとした説教より、効いたのではないだろうか。

桜井は凪に、できるだけ優しい口調で言った。

「百神さん。黙っていなくなられると、みんな心配します。もう、こんなことはしないでくださいね」

「うん……」

「……もし悪魔がいなくなる日が来たら、その時はみんなで一緒に遊園地に行きましょう」

桜井がそう言うと、凪は嬉しそうに笑った。

「うん! 日向さんと、桜井さんもだよ!」

彼女らとの話に気を取られていたので、桜井は背後の暗がりにハイエースが停まるのに気づかなかった。

ハイエースから男たちが降りてきたのにも気づかなかった。

その中のひとりが、眉が太く、ギョロ目の、右頬に切り傷がある男だということにも気づかなかった。

次の瞬間、頭部にものすごい衝撃が走り、桜井は意識を失った。


●第六章 ルーレットと仇討ち


……男たちの話す声が聞こえる。桜井は目を覚ました。

「この女なら、ルーレット回させなくても金になるんじゃないか?」

「二十歳以上はババァだ。それに、魔法少女じゃなくちゃ意味がない」

「あんたも趣味が悪いな」

「何言ってるんだ、魔法少女はいいぞ。何しても魔力で無駄にあがくから長く楽しめる。首絞めれば絞めるだけ締まるし、達磨にしても中々死なないし」

「ブローカーは言うことが違うな」

「需要があるからこういうことを言ってるんだ。まあ、需要に渡す前に、こちらでも十分楽しませてもらうけどな」

「俺は遠慮するよ。金だけもらう」

「つまらん奴だな」

桜井が目を開けると、そこは薄暗い、どこかの倉庫のような所だった。

頬がコンクリートの地面に着いていて、手足が思うように動かないことで、桜井は縛って転がされていることに気づいた。胴体の筋肉だけを使ってなんとか顔を上げ、周囲に視線を巡らすと、すぐ横に日向が同じように縛って転がされており、少し離れたところでは、魔法少女たちが揃って縛られていた。

魔法少女たちに向かって、二人の男が何かを突きつけていた。桜井はうめいた。

「あんたたち、一体何して……」

男の一人が桜井に向き直り、頭に冷たく固いものを押し付けてきた。その固いものが銃口だと、桜井は一瞬後に気づいた。

「黙れ」

男は、太い眉とギョロ目をしていて、右頬には大きな切り傷があった。……高畑亮だった。

銃を見て、息を呑んだ桜井を見ていられなくなったのか、蘭の声がした。

「桜井さ……」

高畑は、銃口を向ける相手を蘭に変えた。

「お前も黙れ。さっきみたいにテレポートしようとしたら、ここにいるお前の仲間の頭を揃って吹き飛ばすからな」

そう言われて、蘭は口をつぐんだ。高畑はもうひとりの男に聞いた。

「ステッキは取り上げたな」

「大丈夫だ、ここにある」

「早く壊せ、そうしたら余分な魔力がなくなる」

ステッキを壊すと魔力がなくなる。そんなことは初耳だった。

しかし考えてみれば、桜井が思い返す限り、ステッキを使わずにフルに魔法を使用できるかどうかという研究はされていない。

魔法少女たちの魔法は、人間に効果がない。悪意を持って近づく人間には、魔法少女はただの顔がいい少女である。

普段から誘拐や性被害が怖いので、彼女たちの移動に公共交通機関は使わない事になっていたのに。どうしてこんなことになったのか、と桜井は歯ぎしりしたい気持ちだった。

もう一人の男が、色とりどりのステッキを床に置いた。ピンク、青、紫、緑、黄色、ちょうど五本。銃声が何度か響き、ステッキは全て、粉々に砕け散った。

「これでいい。じゃあまずは、一番手こずらせたのから楽しませて貰おうか」

高畑が、蘭に向けて手を伸ばした瞬間。

サイレンが鳴った。悪魔出現のサイレンだった。

地鳴りがして倉庫が揺れ、桜井の視界は突然明るくなった。倉庫の天井が吹き飛び、蒼天が見えたのだ。

積んであった荷物が崩れ落ち、桜井の上に降り掛かった。桜井は身じろぎしてなんとか逃れようとしたが、意味をなさなかった。あっという間に荷物の下敷きになってしまい、桜井は圧迫感にうめいた。桜井の隣で、日向も同じように下敷きになってしまっていた。

吹き飛んだ倉庫の天井から、巨大な黒い蠍が覗き込んでいた。その後ろに、黒い蝙蝠が何頭も飛び交っているのが見えた。

地鳴りに、複数の悪魔。

桜井は、十三年前を思い出した。桜井の住む街が悪魔に襲われた十三年前を思い出した。地鳴りがして、巨大な蠍が現れて、数え切れないほどの蝙蝠が飛び交って。

その後ろから、あの悪魔はゆっくりと現れたのだ。

桜井の妹が死ぬ遠因になった悪魔。超大型悪魔。

高畑は、銃を片手に舌打ちした。

「くそ、せっかくのお楽しみの時に……」

いっぺん見切りをつけた高畑は、素早かった。

何のためらいもなく銃を放り捨て、停めてあった車にあっというまに乗り込んだ。もう一人の男が戸惑っているうちに、蠍は鋏を伸ばし、男の胴体をはさみ、軽々と持ち上げてしまった。

「た、助けてくれ、ちょっと! 車に乗せてくれ!」

もう一人の男の叫びも虚しく、車は空いたシャッターからあっと言う間に去っていった。蠍の鋏が閉じ、いとも簡単に切断された男の上半身が、血をあふれさせながらぐしゃっと地面に落ちた。その上半身を蠍は鋏で取り直し、口に運んだ。

蘭が叫んだ。

「今だ! 二人共、今助けるよ!」

縛り上げられた蘭の姿が一瞬消え、次の瞬間、すぐ近くに縛り上げられていない蘭が姿を現した。

テレポートをごく短距離で行い、縄抜けしたのだ。蘭は日向の方に駆け寄り、日向に触れてもう一度テレポートすると、荷物の下から同じように縄抜けした日向が姿を現した。

「助かった……ありがとう、堂本さん」

「怪我なくてよかったよ。桜井さんもちょっと待ってな、今、助け……」

桜井の頬に触れた蘭の動きが止まった。

蘭は、明らかに動揺した顔をしていた。

「嘘だろう、どうして移動できないんだ! 今週は、まだ魔力に余裕あったはずなのに」

ステッキを破壊されたことによる、魔力切れか。

蠍は、すぐにでも『食事』を終えそうな気配だった。次に食べられるのは、もっと新鮮な獲物たちだろう。

日向と蘭は、桜井が下敷きになっている荷物をどかそうとしたが、とても無理だった。

中型の悪魔が一頭に、小型の悪魔が複数。そして自分は、とても逃げられそうにない。桜井は、自分の運命を悟った。

「堂本さん、他の人の縄解いて……逃げられる人が逃げて下さい!」

蘭と日向は、信じられないという顔をした。

「馬鹿言うんじゃないよ! あんたみたいな若い子を、ほっぽって行けるかっていうんだ!」

「諦め早すぎるよ、まこっちゃん! なんとかして今、助けるから……」

そう言う日向の顔に、影がかかった。

桜井が荷物の下から見上げると、数え切れないほどの黒い蝙蝠が、蒼天を遮って飛んでいるのが見えた。

あずさが呆然と呟いた。

「無理よ……もう逃げられない」

他の縛られた魔法少女たちも呆然としていた。こんなに大量の悪魔を、初めて見たのだろう。

シャッターの向こうには、コンクリートの街並みが見えたが、あちこちで建物が崩れ、煙が立ち上っていた。

その煙の向こうに、桜井はその巨大な体で次々とビル群をなぎ倒していく『それ』を見て取った。

黒緑に光る蛇のような長い身体。山羊のような黒い角。蝙蝠のような羽。鰐のような赤い口。

右目だけが、爛れたように潰れている。

物語に出てくる、ドラゴンその物の姿をした悪魔。

それは十三年前、桜井の妹が仕留め損ねた超大型悪魔その物だった。

桜井はうめいた。

「なんで……なんでこんな、こんな時に、あいつが出てくるんだ……」

自分のことはとうに諦めた。

けれど、このままではこの辺り一帯にいる人間殆どが、悪魔に食われるか建物の下敷きになるかして、死ぬ。

なんとか魔法少女たちだけでも助けられないか、と思う桜井の目に、地面に転がった虹色の板が留まった。

その板は、カラフルなだけではなかった。驚くほど正確に丸く、その中心には針がついていた。

病気も、怪我も、老化も治す、奇跡のような存在。それは、ルーレットだった。

桜井は叫んだ。

「日向さん、そこにルーレットがある! 後ろ!」

桜井に言われるがままに、日向はルーレットを手に取った。

今ここにいる魔法少女たちは、もう魔法が使えない。悪魔に対抗できない。けれど、今これから新しく生まれる魔法少女だったら?

桜井は、こんなことを言う自分は最低だという気分に押しつぶされそうになりながら、こう言った。

「日向さん、こんなこと言いたくないけど、それ、回して。このままだと全員食われて死ぬ。死ぬのが嫌だったら、お願い、魔法少女になって……」

日向は、蒼白な顔で、ルーレットをただ見つめていた。

魔法少女になる決心が、すぐにはつかなくて当たり前だと桜井は思った。それでも、桜井は叫ばざるをえなかった。

「日向さん、お願い、早く!!」

ところが、日向は、顔面蒼白なまま、その場に座り込んでしまった。そして、ポロポロと涙をこぼし始めた。

「まこっちゃん、ダメなんだよ、あたし、ルーレット回しても魔法少女になれないんだよぉ」

桜井は戸惑った。どういうことだ?

「な、なんで? どうしたのさ?」

日向は、本格的に泣き出した。しゃくりあげながら日向が切れ切れに言うのは、桜井にはこう聞こえた。

「あたし、あたし、アンドロゲン不応症って言うので……染色体だけ見れば男なの……ルーレット回しても魔法少女になれないの……ずっと女以外の何物でもないと思って生きてきたのに……こんなところで……ごめん……ごめん……」

アンドロゲン不応症。生物学科の大学出身の桜井は、その病名を聞いたことがあった。

胎児の時、人間の雛形は女性である。性染色体が男性の場合、胎児期の初期に男性ホルモンが作用することで、身体が男性に変化する。

だが、ごく稀に、体が男性ホルモンに対して反応しない人間がいる。その場合、その胎児は女性型のまま生まれ、第二次性徴を迎えても女性型のままである。しかし、子宮も卵巣も持たず、妊娠も出産もできない。

桜井は愕然とした。この状況を打開できないのもそうだが、日向は、そんな重い事実を抱えて生きてきたのか。物事を深く考えない、お気楽な性格だとばかり思っていた。

だが。まだ、打つ手がなくなったわけではない。

桜井は、腹を括った。

「日向さん、こっちの顔の前にルーレット持ってきて」

「え?」

「早く!」

桜井は思う。

ほんの少し運命が変わっていれば。

桜井が伯母の家に養子に出ると言わなければ。

桜井のいる位置に妹が、妹のいた位置に桜井がいたかもしれないのだった。

血を分けた双子。一卵性双生児。まったく同じ遺伝子を持った二人。入れ替わるのは、どんな人間同士より容易かったはずだ。

だから、これからやることは、いつか通ったかもしれない道を選ぶだけのことだ。

桜井真琴は、思い切り舌を突き出し、日向が支えるルーレットの針を、舌先で回した。



●第七章 ルーレットの分かれ道


『あのね、決めたの。魔法少女になる。このままじゃお父さん、ダメになるから』

電話で美琴の声を聞いた十三歳の桜井真琴は、本気にはしなかった。悪魔が出現するようになって一年、魔法少女が発見されてから半年。ルーレットは、まだまだ国や研究機関の一部が管理しているものだった。

「何言ってるの、みーちゃん。ルーレットって、普通の人が触れないところにあるんでしょ」

『触れるの。お父さんがそういう人見つけてきたの』

真琴は呆れた。

「どこからそんな怪しいこと……」

『魔法少女になれば、あの家から出られるし、お金だって手に入るもん! 中学校にはもういけなくなるけど……いつか悪魔がいなくなれば、稼いだお金で高校にも大学にも行けるかもしれない!』

「無茶苦茶言わないで。そんなのに頼るより、伯母さんに一緒に暮らさせてもらうよう頼んだほうが……」

『迷惑かけられないもん』

「伯母さんなら、迷惑なんて言わな……」

真琴が言い終わらないうちに、電話は切れてしまった。



*      *     *



「マコトちゃん! 見て! 私、もうなにも怖くない!」

真紅のドレスを見せびらかすようにくるくる回る美琴を見て、真琴は絶句した。魔法少女になったら、元に戻る術は、発見されていないのだ。

政府が捕らえた蝙蝠型の悪魔に向けて、美琴が星五つついたステッキを振ると、悪魔はあっという間に燃え上がった。美琴は自慢げな笑顔を真琴に向けた。

「ほら見て、すごいでしょ? 私、こんな風にどんな大きな悪魔も燃やせるんだよ!?」

「だから、あんなに学者の人とか、政府の偉い人が見に来てるの?」

「うん。それでね、生活費出してくれるんだって! 学費も!」

無邪気に喜ぶ美琴だったが、真琴はあまり喜べなかった。こんなに毎日悪魔駆除に駆り出されて、学校になんて行く暇なんか、捻出できないに決まっているじゃないか。

「でもね、たくさんおっきい悪魔燃やすと、しばらく魔法使えなくなっちゃうんだよね。魔力切れ、って言うらしいんだけど」

「そんなときに悪魔に襲われたら、ひとたまりもないじゃない! 大丈夫なの?」

「平気平気! しばらくすればまた使えるようになるし!」

美琴はそう言ったが、まったく平気ではなかった。


*     *     *



超大型悪魔とその眷属が、真琴が住んでいた街を襲った時。

美琴はステッキを何度も振って次々と蝙蝠や蠍を燃え上がらせ、食われかけていた人々を救ったが、そのせいで超大型悪魔―――ドラゴン―――と対峙した時、ほとんど魔力が枯渇していたのだ。

美琴がドラゴンに向かってステッキを振った時、ドラゴンの右目が一瞬燃え上がり、ドラゴンは雄叫びを上げてのたうち回ったが、そこまでだった。

ステッキを何度振っても、それ以上ドラゴンが燃え上がることはなかった。

「えい! えい!」

美琴がステッキをムキになって振った時、それは起こった。

ステッキを握った美琴の手が突然、ずるりと崩れて、ぼたりと落ちた。

「え、何……?」

美琴が不思議そうに、手首から先を失った右腕を見たその一瞬後。

右腕自体もずるりと崩れた。美琴の体の、穴という穴から、血が流れ出した。

「みーちゃん!」

真琴は伯父伯母の静止を振り切って美琴に駆け寄ったが、その時はもう、美琴は膝をつき、倒れ、胴体までも崩れ始めていた。

吐き出した血に噎せながら、美琴はうめいた。

「お母さん、お父さん、マコトちゃん……」

それが、美琴の最期の言葉だった。



*      *     *



右目をやられたドラゴンは、悲鳴を上げながら眷属たちを集め、いずこへともなく消え去ったが、駆除できたわけではなかった。

魔力が切れた魔法少女が、それでも魔法を使おうとすると、体が崩れて死ぬ。

その情報は、魔法少女を使って悪魔を駆除する、あらゆる組織にあっという間に共有された。それまであまり重視されなかった魔力の概念だったが、美琴の悲惨な死により、何よりも重視されるようになった。対悪魔への攻撃力が強い星四つや五つの魔法少女のみが悪魔駆除にもてはやされていたが、魔力消費が少ない星三つや星二つの魔法少女も積極的に使われるようになった。

そして、政府は魔法少女になる女性を出来るだけ増やそうとし、宣伝のために実写の魔法少女たちがテレビにあふれるようになった。

美琴が死んで以来、真琴は、世の中にあふれる魔法少女全てに背を向けて生きてきた。自分が魔法少女になれる性別、女性であることに背を向けて生きてきた。もし自分が生家に残っていれば、自分が魔法少女になっていれば、美琴が死ぬことはなかったのではないかという自責の念に、背を向けて生きてきた。


●終章 魔法少女の世話役人


救急車のサイレンの音が聞こえる。救急隊員や消防隊員たちが何人もやって来て、あちこちの瓦礫の山を精査している。

ある程度の人間は助かるだろうが、何十人か、何百人かは、やはり死ぬだろう。それでも、桜井真琴があの悪魔を倒せただけで、何千人かは被害が減ったはずだ。

それに、十三年越しの仇が打てた気もする。

警察と一緒に現場に駆けつけた亀田に(おそらく、魔法少女たちといっしょに桜井たちが行方不明になったために、亀田が通報したのだろう)、桜井は告げた。

「あの超大型悪魔は、私が駆除しました。おそらく、私は今まで見た魔法少女を、そのままコピーできるのだと思います。その魔法も、その特性も」

魔法少女化した桜井を見て、亀田はなんとも言えない顔をしていたが、やがてこう言った。

「……無事でよかったよ。敷島くんみたいな事にならなくて、本当によかった」

亀田が、後処理のために抜けたあと。

桜井は、日向がさっきからずっと黙っているのに気づいた。いつもはうるさいくらいなのに、どこか調子でも悪いのだろうか。

「どうしたの、日向さん」

桜井が聞くと、日向は申し訳無さそうに呟いた。

「ごめんね……あたしが魔法少女になれなくてさ」

桜井は、わずかに微笑んだ。

「日向さんが謝るようなことじゃないよ。人に魔法少女になれって言った私のほうが悪い。それより聞きたいんだけど」

「何?」

「私、今後、特殊害獣駆除専門グループに管理される魔法少女になると思っていいんだよね?」

日向は眉を寄せた。

「うーん、今すぐにはどうだか……」

「ならないの?」

「うちのグループ、魔法少女に付く人員が普通に足んないからさ。まこっちゃんに魔法少女として働かれても困るんだよね……どうなるかなあ」

「けっこう優秀な魔法少女だと思うんだけどな。うちにいるどの魔法少女にもなれるし、燃費も多分、いいほうだし」

「まこっちゃんは、世話役としても十分優秀だもん。抜けられたら困るよ」

日向は、やっと笑った。

「桜井さーん!」

桜井が振り返ると、救急隊員による体の検査が終わった魔法少女たちが、手を振りながらこちらに駆け寄ってきていた。

凪が、無邪気な笑顔で桜井に抱きついた。

「桜井さん、すっごくかっこよかった! たすけてくれてありがとう!」

「いえいえ。皆さん、無事でよかったです」

しかし、魔法少女になることの意味が、ある程度わかっている凪以外の魔法少女たちは、微妙に複雑な顔をしていた。

魔法少女になったら、元に戻る方法は、現状、見つかっていない。魔法少女として生きるしか、選択の道はなくなるのだ。

蘭が、桜井の頬に触れた。

「ごめんねえ……。あたしが、桜井さんを助けられれば、こんなことさせなかったのにねえ」

いかにも済まなさそうに蘭が言うので、桜井は苦笑した。

「自分で選んだんです。気にしないでください」

「そうは言ってもねえ、やっぱり責任感じちゃうよ」

「大丈夫ですってば。それより、ステッキは直りましたか?」

「ああ、あんなに粉々になったのに、少しずつ直ってきてるよ。でも、まだあたし達魔法が使えないから、あたしたちの回復した魔力で徐々に治ってるんじゃないかって、学者さんが言ってた」

粉々になったステッキは、魔法少女を研究している政府の人間たちにより、回収されていた。

魔法少女のステッキを壊すと、余剰の魔力がなくなる。これは、今回初めて得られる知見だった。何の役に立つかはまだ分からないが、悪魔駆除において今後、一番に守るべきものは、ステッキになるかもしれない。

くるみが、桜井に聞いた。

「あんなに魔法を使って、桜井さんの魔力は大丈夫なんでしょうか?」

「あの後、中型の悪魔駆除を何頭も出来たので、まだまだ余裕はあるみたいです。さっきみたいに派手な戦いが出来るかまでは、わかりませんけど」

「そうですか……。」

みなみが言った。

「それにしても、本当にすごかったね! 私達みんなになって、どの魔法もフルに使って、あんなに大きな悪魔倒しちゃうなんて!」

「皆さんが強いからですよ。私は、皆さんの戦いを真似しただけです」

それは、嘘ではなかった。

魔法少女になっても、あの超大型悪魔を倒せなければ意味がない。そう思ってルーレットを回した。魔法少女の戦い方について、桜井は詳しくない。特殊害獣駆除専門グループに異動してからこれまで、実際に見てきた分の知識しかない。

妹のような強い魔法少女になって欲しいと願ったが、これまでの知識だけで存分に戦える魔法少女になってくれれば、とも願った。ちゃんと戦える魔法少女になってくれれば、と願った。その結果が、ここにいるどの魔法少女にでもなれるという、特殊な魔法少女になった理由かもしれない。

ルーレットを回す時の願いや状況が魔法少女の特性に直結しているかどうか、という研究はあっただろうか。そんなことを考えていると、あずさが桜井に聞いた。

「桜井さん、私達以外にも、どんな魔法少女にもなれるのかしら? 私達みんなになれたってことは、星一つの魔法少女にも、星四つの魔法少女にもなれたってことよね」

言われてみれば、確かにそうだった。桜井は、今回、自分が特性をよく知っている魔法少女にしかならなかったが、やろうと思えばどんな魔法少女にでもなれるのかもしれない。

「試してみないと、確かなことは言えませんが。その可能性は高いと思います」

そう言いながら、桜井は、ふと思った。

あのように、目も髪の色も千差万別な魔法少女になれるのなら。目も髪も黒の普通の人間に、形だけでも変身できないものだろうか?

桜井は、ステッキを自分に向けて振ってみた。



*     *     *



茅野和也は、東京の公的機関で魔法少女を研究している研究者である。今日は、隣県の県庁に、どの魔法少女にも変身できるという、非常に特殊な魔法少女の魔法について、詳細を調べに来た。

この間の超大型悪魔に対して、計五人の魔法少女に変身し、見事その悪魔を駆除した魔法少女。

茅野は、避難民が撮った悪魔駆除の映像を見たが、その魔法は、元の魔法少女と遜色が無いもののように見えた。彼女の魔法が、本当に元の魔法少女と比較して遜色が無いかどうかを、これから元の魔法少女と比べて調べるのだが。

しかし、あれだけ派手に魔法を使って魔力切れしないところを見ると、彼女はどんな魔法を使っても、星一つ分の魔法少女としての魔力しか消費していない可能性が高い。

星一つの魔法少女の燃費の良さと、星四つの魔法少女の強さを合わせ持つ魔法少女。場合によっては、星五つの魔法少女の強さを持つ事ができるかもしれない魔法少女。ある意味、最強と言っていいのではないか。

その魔法少女本人は、地元の県庁に所属することを希望しているそうだが、ぜひ東京に来てほしい、と茅野は思った。彼女の魔法について調べ尽くしたら、どれだけ素晴らしい研究ができるだろう。いくらでも論文のネタが沸いてきそうだ。

そんなことを考えていた茅野を出迎えて来たのは、パンツスーツを着こなした、すらっとした女性だった。

「こんにちは。桜井と申します。特殊害獣駆除専門グループ所属の、魔法少女の世話役です。よろしくお願いいたします。こちらが今回調べていただく魔法少女です」

彼女が引き連れてきた魔法少女は五人。みな、魔法少女特有のカラフルな目と髪の色をしていた。彼女らは、次々に頭を下げた。

「堂本です。よろしくお願いしますねえ」

「中森です。よろしくお願いします」

「春日です。よろしくお願いいたします」

「え、えっと河嶋です。よろしくお願いします」

「百神でーす! おねがいします!」

……五人しかいない。

六人目がいない。避難民の映像で見た、あの純白の魔法少女がいない。

一番調べたい魔法少女がいない。

「すみません、今回調べる予定になっている、一番お会いしたい魔法少女の人がいないようなんですが……」

そう茅野が言うと、桜井は微笑んだ。

「あなたの目の前におります。魔法少女だけでなく、元の姿にもなれるんですよ、私」

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魔法少女の世話役人 種・zingibercolor @zingibercolor

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