第92話 奴隷じゃない

市場を東側に抜け、歩くこと三十分。ネロの前にようやく自分の家であるエルドラゴ伯爵邸がが見えてくる。


――この家も久しぶりだなぁ。


 三ヶ月ぶりに帰ってきた十三年間過ごした我が家、前世の公爵家の家ほど大きくはないが、自然豊かな場所を活かした大きな庭や海が見える高台に建つ立地と、前の家にも決して劣ってはいない。


しかし改めて思い返して見ると、ネロはこの家にあまり思い出という思い出は残っていない。

 物心ついたときから、親はいなく、ひたすらレベル上げに徹し、屋敷で働く数いるメイドたちも顔も名前も覚えているのはメイド長のカトレアのみ。


いまいち感慨みに欠けると思いながらも、ネロは屋敷の門をくぐり、入り口である大きな扉を開けた。

開けた先では左右に分かれ横一列に並び待機していたメイド達が一斉に頭を下げ出迎えてきた。


『お帰りなさいませ、ご主人様』


  誰一人乱れることなく、全員が綺麗に頭を下げる。数ヶ月前までは当たり前だったこの出迎えに、ネロは少し圧倒された。


「……あぁ、ただいま。」

『え⁉︎』


エレナ達との旅の中で何度も交わされ癖付いた、ただいまという言葉。それはここでも現れる。

ネロから返された言葉にメイド達が一斉にぽかーんと口を開けて固まる。

 そしてその中で唯一動揺を見せないメイド長のカトレアがネロへと歩み寄る。


「お帰りなさいませ、ネロ様、お荷物をお持ちいたします。」

「別にいいよ、どうせ重いもんなんて持ってないし」

「……承知しました。」

「それより……」


ネロがカトレア以外のメイドを見渡す。

 未だに驚きの表情をしたまま硬直し続けるメイドたちを見て、ネロは眉間に皺を寄せる。


「俺なんか変なこと言ったか?」

『い、いえ、滅相もございません。』


 ネロの一言で我に返ったメイドたちが声をそろえて慌てて取り繕う。

 そんなメイドたちにネロは改めて一人一人の顔に目を向ける。

 今いるメイドの人員に変更は見られないがやはり殆どのメイドの顔を覚えていない。

 しかしその中で一番後ろにいる小さなメイドにネロの視点がピタッと止まった。


「ん、あれ、お前……」

「げ……」


 女性らしからぬ動揺の声をあげ、ギクついてるメイドにネロは近づき目をこしらえ凝視する、するとメイドは視線を泳がせ頑なに眼を合わせようとしない。


「……お前、さっきのメイドだよな?」

「お、おほほほ、ナンノコトデショウゴシュジンサマ」


 メイドが冷や汗を滲ませ片言になりながら誤魔かす。


「あの、その子がどうかしましたか?」

「いや、別に……ただこいつの中のギャフンと言わせたいリストの一位二位を俺が占めているってだけだ。」

「は?」

「まあ、気にすんな」

「はあ……」


 意味のわからない答えに顔をしかめるカトレア。

 ネロはそのままメイドたちの間を抜けて自室のある二階への階段に向かっていく。


「とりあえず俺は部屋に戻るから、何かあれば呼んでくれ」

「はい、かしこまりました。」


 そう言うと、カトレアは自室へ戻るネロの背中に向かって、頭を下げた。


――


「はぁ~、びっくりした」


 ネロがその場から去るのを確認すると、メイドたちが再びざわつき始める。


「それにしてもあのネロ様が私たちに話しかけるなんて……」

「ホント、こんなこと今まで始めてよね、天変地異の前触れかしら?」

「ていうか、エーコ、あんた何しでかしたの?」

「アハハ……えーと、ちょっと市場で一悶着を起こしまして……」

「はぁ⁉︎あんた、何してんのよ」

「し、仕方ないじゃないですか、だってあのネロ様が市場に来るなんて思わないじゃないですか普通!しかも背も高くなってたし私顔合わせてたの一ヵ月くらいしかなかったし。」

「それでもよ、まあ確かにネロ様が市場なんかに行くとは思わないけど――」

「はい、お静かに!どうであろうとネロ様はネロ様です、我らのご主人様である事には変わりありません。さあ、皆持ち場に戻るように。」


 カトレアが手を二度叩いて、言葉を遮りその場を鎮めるとメイドたちを解散させる。

 そしてメイド達が去った玄関で、カトレアはネロの自室の方をジッと見ながら立ち尽くしていた。


――


……その夜


 ネロは夕食を済ませると自室のベッドに転がりながら、自分のステータスを確認する。


ネロ・ティングス・エルドラゴ

レベル 四〇九六

能力値……

スキル

レベルイーター

鷹のイーグルアイ

大袈裟な恐怖オーバーリアクション

……


 旅立つ前から所持していたスキルに加え更にいくつかのスキルを手に入れたネロ。

 そしてネロは最近手に入れたスキルを満足そうに眺めていた。


 即死耐性

 ネロが旅の中で遭遇したアンデット系モンスターが持っていたスキルで、ネロが欲しがっていたスキルの一つ。エレナから聞かされた通り、このスキルを持っていたモンスターは決して珍しいモンスターではなかった。

 スキル内容自体も、無効ではなく耐性というものだったこともあるのだろうがネロの能力値にこのスキルが加算されることでほぼ無効となりえている。


――後は、呼吸スキルと状態異常か……


 状態異常に関しては目処が立っているので実質探すのは呼吸スキルのみ、恐らく水関連のモンスターが持っていると思われる。


――それともう一つ


 ネロが自分の拳を見つめる。

 ミーアとの一戦後、ネロは体術に興味を示していた。

 ネロは規格外の強さだが、技に関しては前世で手に入れた剣術以外持ち合わせていない。

 あの一戦で今のままではいけないことを思い知ったネロは父親の書斎から取ってきた幾つかの武術の書を手に取り読み始めた。


 するとちょうどページを開いた矢先にネロの部屋の外から二度の丁寧なノックの音が聞こえた。


「誰だ?」

「ネロ様、カトレアです。」

「ん、入れ」

「失礼します。」


 入出の許可を出すと丁寧に扉を開けて入ってきたカトレアが頭を下げる。


「何か用か?」

「先ほど、リング様から連絡がありました、三日後の午後から一度話し合いをしたいのでカーミナル邸へ来るようにとのことです。」

「わかった。」


 それだけ言うとネロは再び書物に目を向ける。


――……


 だが、ネロは程なく再び本から目を離す。

 いつもなら用が済めばすぐに下がるカトレアが、その場で立ったまま自分を見ていることに少し気になった。


「どうした?まだ何か用か?」

「いえ、そう言うわけでは、ただ……」


 カトレアが何か言おうとするが一度言葉を口にするのを躊躇う。

 そして少しの間を空けた後、呟くように答えた。


「ネロ様……変わりましたね……」

「……」


その言葉に対し、ネロは無言になる。

ネロはこの言葉にどう返せばいいかが分からなかった。


ネロ自身の考え方は何も変わっていない、自分の持つ力を発揮しながら自分の思い通りに生きている。嫌いな相手ならば誰であろうと平気で罵倒もするし暴力も振るう。

しかし何一つ変わってないと言えばそれは嘘になる。


 それは今、目の前にいるカトレアが一番よく知っている。

 カトレアはネロが生まれる前からエルドラゴ家に仕えていた。両親が死んだ後もネロに仕え、どれだけ無視されようが決して折れることはなく変わらずネロに親身になって接していた。


 そしてそれはネロの心を大きく揺るがせていた、十三年との言う月日の中、ネロも幾とどなく心を開こうとしていたことがあった。

 しかしそれでもネロはカトレアに心を許すことはなかった、理由はカトレアが貴族ではないからだ。

 自分は特別、そして平凡な奴らと格差をつけることが特別であり続けるための自分の条件、そう考えていた。しかしそれは結局、自分の望んだ特別ではなかった。

 その事を旅先で気づき、そのタガが外れた今、一番喜んでいるのはネロ自身だった。


「……俺は何も変わってねえよ、も今も、俺は自分のやりたいように生きているだけだ、変わってなんていない。ただ知っただけだ、自分が本当はどうしたかったのかをな……」


 ネロはただ頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。

ネロの言葉にあまり表情を顔に出すことのないカトレアが小さく微笑んだ。


「そうでしたか……ではネロ様、一つだけお願いがあります。」

「……なんだ?」

「どうか私目には、前と同じように接してほしいのです」

「……はぁ?」


予想外の言葉にネロは思わず本を閉じ、カトレアの方に体ごと振り向く。


「どういうことだ?」

「私にはネロ様と会話をする価値などないのです、今までずっと隠してきましたが、私の身分は……平民ではなく奴隷なのです。」

「奴隷……だと?」

「はい、私は幼い頃、とある国で奴隷として売られていたところを先代の旦那様に買われました。ですが旦那様は私を奴隷としてでなく実の娘の様に育ててくださりました。ですが私にそのような資格はありません私は汚れた奴隷なのです……」


 そう言いながらカトレアは過去を思い出したのか自分を抱きしめるように手を交差しながら両肩を強くつかみ、体を震わせた。


「ですから私と話すとネロ様が汚れてしまいますので会話をするのはこれっきりに……」


 カトレアの言葉にネロはまた言葉を閉ざす。

 奴隷……それはネロが今まで一番嫌っていた存在、平民より更に下の身分で、世界で最も汚らわしい存在、そう考えていた……今までは。


「奴隷か……確かに汚らわしいな、それに匂いも臭そうだ」

「はい……」

「はっきりいって、話すどころか関わりたくもねぇ、どんなに有能でも奴隷のメイドなんて必要ない。」

「……はい、そうですよね。」


 ネロの言葉を受け、カトレアはその細い目を一度閉じると、深く頭を下げ、そのまま部屋を出ようとドアノブに手をかける。


「だから、もうお前は奴隷じゃない」

「え?」


 その言葉でカトレアが踏みとどまる。


「確かにお前が今も奴隷のままだったら俺は間違いなく追い出していたな。でも今は違うだろ?お前はウチのメイド長だ。俺は奴隷にメイドなんてやらせるほど優しくはない、もし俺の家で奴隷がメイドをやっているって言うのなら、そいつがメイドをやめるんじゃなくて奴隷じゃなくなればいいだけだ。だからお前がこの家でメイドをやった時からお前は奴隷じゃねぇんだよ。」

「ですが――」

「大体自分から言い出すまで誰一人気づかないような奴が奴隷か?一度奴隷として売られたらそいつの身分は一生奴隷なのか?過去なんて関係ねえよ。お前はこの俺に仕えるメイドのメイド長だ。そんな奴がもう奴隷なんて名乗るんじゃねぇよ。」

「ネロ様……」

「もし、それでも奴隷が良いというならこの場でその服を脱ぎ捨てろ、代わりに俺が奴隷らしい小汚い布を拾ってきてやるからよ。」

「……はい……。」

 ネロの叱責にカトレアが細い目のから細い涙をが頬に伝う。カトレアはすぐに拭きとり、今一度忠誠を誓うように深く頭を下げた。


――


「あ、あとそれとあのチビメイドの事なんだが」

「エーコの事ですか?」

「ああ、そいつ、今月給金なしで」

「フフ……承知いたしました。」


――翌日


「偉大なる我らが主、ネロ・ティングス・エルドラゴ様、どうか、どうかこの私目の減給にご慈悲を……!」


 床に頭をベッタリとくっつけ、とてつもなく綺麗な姿勢で土下座するエーコの姿があった。


「……ギャフンはどこに言ったギャフンは」

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